第四話 山坂・月影騒動
一年五組の教室。教卓周辺。
そこには、山坂浩二に殺意を抱く男たちが三十人ほど集まっていた。
理系三クラスの男子のほぼ半数である。
なにやら話し合いをしているようだ。
このようになった原因は、ある一人の女子生徒が山坂浩二を訪ねてきたことにあった。
彼ら、モテない組の男たちにとって、山坂浩二という存在は救いだった。
山坂浩二は彼女ができても何の不思議もない人物なのだが、何度も言う通りに、彼には女性に避けられるという特性がある。
それゆえ、彼らは山坂浩二に絶対の信頼を置いていた。
『山坂浩二に彼女ができないのならば、自分たちにできなくても不思議ではない』という思い。
すなわち安心感。
『山坂浩二には彼女が一生できないだろうが、自分たちにはできるかもしれない』という思い。
すなわち優越感。
『山坂浩二も自分たちと同じ、モテない組の一員である』という思い。
すなわち連帯感。
これらが今日、すべて崩れてしまった。
女の子にモテない彼らを支えるものが。
彼らにとって、今の山坂浩二は敵でしかない。
そんな思いが彼ら、モテない組を行動に移させる。
やがて、リーダー格と思われるくせ毛の男子生徒が口を開いた。
「さあ、みんな。行こう」
その言葉を聞き、男子生徒たちは教室からゆっくりと出ていく。
「作戦通りに行くぞ」
リーダー格の男子生徒は先頭を歩きながら言った。
「……裏切り者には死の制裁を」
その言葉と同時に、彼らは走り出した。
標的は山坂浩二。
ただ一人。
「待って、浩二! なんで逃げてんのよー!」
彼女に背を向けて走っている山坂浩二に向けて、月影香子もまた、走りながら叫ぶように尋ねた。
しかし、山坂浩二は振り返りもしなければ返事もしない。
ただ、ひたすら走るだけ。
「ああ、もうなんなのよ!? いったい何から逃げてんのよ!? もしかしてあたしから!?」
彼女は山坂浩二に向けて叫んだ。
「違います! あなたじゃありません! 誤解しないでください!」
山坂浩二は月影香子に背を向けたまま叫んだ。
「じゃあ誰からよ!?」
「変態です!」
「……は?」
彼女はその場に立ち止まってしまう。
「……変態ってなによ。変態って誰のことよ」
彼女は山坂浩二の背中を眺めながら少しの間考え、
「もしかしてあたしのこと!? 許さないわよ浩二!」
と怒鳴って再び走り出した。
「違いますって!」
彼は叫んだ。
ただ、彼は殺意に駆られた『変態たち』から逃げているだけでなく、『月影香子』からも逃げていた。
彼女の存在。つまりそれは昨日の出来事が現実であることの証明であった。
(くそっ! あれは夢じゃなかったのかよ! なんでいるんだよ!)
彼は心の中で叫びながら走った。
非日常から逃げるように。
やがて、彼は階段へと差し掛かった。
上は上級生の教室。
下は職員室や校長室がある一階。
山坂浩二はどちらに行くかで迷ってしまう。
どちらも行きにくい。
その迷いが、彼の脚を止めてしまう。
その直後、彼は右肩に人の手が置かれたような感覚を覚えた。
おそるおそる後ろを振り向く。
「捕まえたわよ。山坂浩二」
そこには彼の肩を掴んでニヤリと笑う月影香子がいた。
「ひっ!!」
彼は思わず悲鳴をあげてしまう。
(な、なんでこの人は平気で俺に触れるんだ!?)
彼は心の中でも驚きの声を上げる。
「なんで、あたしから逃げるのよ……浩二」
月影香子は笑った表情のまま、彼の肩を握る手に力を入れていく。
(痛い! 痛い! な、なんなんだよこの馬鹿力は!?)
彼は心の中で叫びながら彼女から顔を背ける。
「……そ、それは、その〜〜。……げっ!」
「……なによ」
月影香子は力をさらに加えていく。
だが、山坂浩二は何も答えない。
それどころか、他のなにかに呆気にとられているようにも見える。
「あ、……あ」
彼の声は震えていた。
何かを見ながら。
月影香子は不審に思い、山坂浩二の目線の先に目を向けた。
するとそこには、
階段をゆっくりと下ってくる、耳が隠れるほど長い髪の男子生徒。
階段をゆっくりと上ってくる、スポーツ刈りの髪型の男子生徒。
その二人がいた。
「くそ、陸上部の二人に先回りされていたか」
山坂浩二は「チッ」と舌打ちをする。
月影香子は彼がなぜ動揺しているのかわからないでいた。
ゆっくりと階段を下ってくる長髪の男子生徒は階段を山坂浩二を見下しながら、
「やまさかく〜ん? どうしてこんな所で女の子とイチャついたりしてるのかなぁ〜?」
と笑顔を浮かべて言った。
「ちっ、違う! 誤解だ! イチャついてなんかない!」
彼は必死に反抗した。
しかし、階段をゆっくりと上ってくる短髪の男子生徒は彼を見上げながら、
「じゃあ、その右肩に置かれている手はなんなのかなぁ〜?」
と微笑みを浮かべて言った。
山坂浩二はその言葉を聞いて、すぐさま月影香子の手を振りほどこうと自分自身の右肩に左手を向ける。
彼の手は月影香子の手に触れた。
しかし、びくともしない。
逆に掴んだ手を振りほどかれてしまう。
彼は少しの寂しさとともに大きな安堵を覚える。
(これであの変態どもから命を狙われずに済……)
が、その安堵も一瞬にして終わる。
振りほどかれたはずの彼の手が何かに掴まれてしまう。
そして、彼の体はくるりと半回転した。
山坂浩二は月影香子と向き合う形になってしまった。
月影香子は彼の左手を自分の左手で握り、ほんの少し頬を朱く染めている。
山坂浩二の思考は一瞬停止した。
(…………えっ、どっ、どういうこと? なんか、ちっちゃくて柔らかくて暖かくて…………)
彼は思考停止した頭を必死で働かそうとした。
そして、ある程度の思考能力が戻り、彼は今までに感じたことのない感触のする自らの左手に目を向けた。
(えっ!? えっ!? うそ!? 女の子と手ぇ繋いじゃってる!?)
この『女の子と手を繋ぐ』という行為は、彼の記憶にあるうちでは初めての経験であった。
彼が強い憧れを持っていたこの行為。
それが、不意に実現してしまった。
本来、これは彼が喜ぶであろう状況なのだが、今の彼には喜びなどない。
ただ驚きだけ。
女の子と触れ合うことなど絶対に不可能であった自分が、女の子と手を握りあっていることへの驚き。
彼は呆気にとられ、口を半開きにしたまま、目線を上げる。
月影香子と目が合う。
彼女は山坂浩二と目が合うと、頬を朱く染めたまま満面の笑みを浮かべた。
「……こうやって手繋ぐの、十年ぶりだね。浩二」
彼女の顔は、普通の女の子にしか見えなかった。
ずっと同じ人を一途に想い続ける少女の顔そのものだった。
山坂浩二も彼女の笑顔を見て、顔を真っ赤にしていた。
うまく彼女と目を合わせられずに、顔をうつむけてしまう。
しかし、彼はもう一度顔を上げた。
彼女に何かを言うために。
顔を上げ、再び彼女と目を合わせた彼は口を開こうとした。
突然こみあがってきた何かを。
その何かを。
確かに言おうとした。
しかし、月影香子の後ろに人影があるのを彼は見てしまった。
開きかけた口が閉じる。
彼が見たのは、自分の命を狙うクラスメイト。
ただし、一人ではない。
三十人ほどの男子生徒がそこにいた。
理系クラスの男子生徒たち。
その先頭には、リーダー格と思われるくせ毛の男子生徒。
山坂浩二はその人物の言葉を思い出す。
−「理系は三クラスで一つ。その結束は絶対的」−
ということはつまり、山坂浩二が絶対に異性と関わることができないことも、理系クラス内ではすでに知られているということを意味する
他クラスのモテない組の男子生徒たちも山坂浩二になんらかの感情を抱いていたに違いない。
そして今日、裏切られた。
彼らの怒りは簡単には収まらない。
山坂浩二に制裁を下さない限りは。
だから、彼らは団結した
同じ思いを持つ者同士。
協力しようと。
「さてさて、山坂。何の時間かわかるかなぁ〜?」
リーダー格の男子生徒が山坂浩二に向かって歩きながら尋ねた。
やはり、怒りを笑顔で隠しながら。
山坂浩二は震えあがった。
(まずい! 逃げないとマジで殺される!)
彼は逃げ道を見つけようと、この学校の構造を頭の中に思い浮かべる。
現在位置が、一組の教室を少し通り過ぎたところにある階段の踊り場。
同様に、七組の教室を少し通り過ぎたところにも階段がある。また、四組と五組の教室の間にも階段がある。
彼が今いるのは四階建ての本館の二階。
一階が職員室、二階が一年生の教室、三階が二年生の教室、四階が三年生の教室。
また、この学校には特別教室のある四階建ての別館があり、本館と各階に渡り廊下がある。
山坂浩二はここまで思い出すと、握る力が弱くなっていた月影香子の手を振りほどき、走り出した。
(そうだ! この階段を左に、というより左にしか行けないけど、行けば、渡り廊下があるはず!)
彼はかすかな希望を胸に走る。
やがて、渡り廊下に足を踏み入れた。
しかし、その瞬間。
彼の希望は崩れ落ちる。
彼が見たのは渡り廊下の中央で立っている一人の男子生徒。
平均的な身長で、ツンツン頭の、変態六人衆の一人。
その男は頭をかきながら、あごを少し上に突き出し、山坂浩二を嘲るような目つきで睨む。
「計算通りってか。まったく、テメェなんかが女とイチャつきやがって」
ツンツン頭の少年は目を閉じてため息をついた。
「こっちは四ヶ月前に『あいつ』と別れたってのによ」
山坂浩二は幅五メートルの渡り廊下に立ち塞がる男に尋ねる。
「『あいつ』って誰?」
すると、その男子生徒はまたため息をついて、
「お前の知らねぇ奴だよ。だいたいこの学校にはいないし、それに一つ年下なんだぞ。聞いても無駄だ、ムダ」
と頭を掻きむしりながら答えた。
「とにかく、お前が女とイチャつくってことだけでイラつくんだよ」
「なんだよそれ! 理不尽なだけじゃねえかよ!」
山坂浩二は苛立った様子で、ツンツン頭の男子生徒の言葉に反論した。
「理不尽? なにが? お前自分で言ってたよなぁ?」
ツンツン頭の少年は鋭い目つきで山坂浩二を睨みつける。
「『俺には彼女なんか絶対にできない。でも、お前らにはいつか絶対彼女ができる。俺が幸せになれない分、お前らが幸せになってくれ』ってなあ!!」
彼の声は渡り廊下に響き渡った。
あまりの気迫に山坂浩二は言葉を発することができなくなってしまった。
なんて言い返せばいいんだろう。
彼は悩みながら辺りをキョロキョロと見渡した。
渡り廊下の両端には、彼の肩ほどまでの高さのフェンス。
上には天井。
ちなみに、この上にも、また下にも渡り廊下がある。
(……どうすりゃいいんだ)
彼は悩み続ける。
ツンツン頭の男子生徒は山坂浩二に近づきながら口を開いた。
「お前のあの言葉には理系男子の約半数、いやそれ以上がが涙したに違いない」
彼は両手をズボンのポケットに入れたまま、首を左右に傾けた。
コキッ、コキッ、と音が鳴る。
「みんな、こう思ったぜ?」
彼は深く息を吸う。
「お前の分までしっかりと幸せになってやるよ、と」
山坂浩二は思わず、後ずさりをする。
彼の頭には「怖い」の二文字しかなかった。
彼が三歩後ろへ下がると、彼の後ろから足音が聞こえた。
彼は振り向いた。
すると、そこにはキョトンとした表情をしている月影香子の姿があった。
「何してんの、浩二?」
彼女は首をかしげる。
山坂浩二は彼女を見て思った。
この人は今、自分にとっての唯一の味方であると。
その思いが彼に口を開かせる。
「…………たすけて」
彼は震える声で言った。
「えっ、いまなんて言ったの?」
月影香子は彼に聞きかえす。
「…………たすけてください」
彼の声は震えていた。
「……あの変態たちに殺される」
月影香子は目の前に立つ彼の言葉に対して、
「情けないなぁ」
と呆れたような表情で言った。
彼自身もそう思った。
なんて情けないんだろう。
昨日知り合ったばかりの女の子に助けを求めるなんて。
なんて情けないんだろう。
彼は崩れるようにその場に腰をついてしまった。
(ああ、情けない)
彼はまた心の中で呟いた。
そんな彼を見た月影香子は呆れるというよりはむしろ微笑んで、
「仕方ないなぁ。まっ、せっかくの浩二からの頼みなんだし、断る理由もないからね」
と嬉しそうに言った。
そして彼女は後ろに振り向いた。
腰まで届くほど長い髪が彼女の動作とともに揺れる。
彼女から少し離れたところには十五人ほどの男子生徒が山坂浩二に対する殺意のこもった目を光らせて立っていた。
(あれ? さっきの半分しかいないじゃない…………まさか)
月影香子はツンツン頭の少年のほうへと体を向けた。
彼の後ろには、先程彼女の後ろにいたと思われる男子生徒が十五人ほど立っていた。
やはり、殺意のこもった目で山坂浩二を睨みながら。
ツンツン頭の少年は頭をかきながら、
「山坂浩二。お前が先に幸せになってどうするんだよ」
と、とてつもなく恨みを孕んだ声で言った。
さらに、月影香子の後ろから、
「さて、作戦通りいったわけだし、処刑、開始しようかねえ」
と、おそらくリーダー格の男子生徒と思われるものの声がした。
そして、
その言葉と同時に、
男子生徒三十人が山坂浩二に向けてゆっくりと歩き出した。
獲物を追い詰めた肉食獣のように、
ゆっくりと。
山坂浩二は震え上がった。
(まずい! こいつら本当に俺を殺す気だ!)
そして、彼は床に腰をつけたまま月影香子を見上げて、
「すいません! さっきのは前言撤回! たった一人であの人数を相手にするのは無理です!」
と叫んだ。
月影香子は何も言わず、ただ彼を見るだけ。
「それに、あの変態六人衆は今年のスポーツテストで全員A判定だったんですよ! 他にも運動能力の高いやつらはいっぱいいます!」
山坂浩二は月影香子に向けて叫んだ。
しかし彼女は首を左右に振って、
「それがなによ。あたしだってA判定よ。しかも満点。男子の基準でもA判定いけるみたいよ」
と笑みを浮かべて言った。
ちなみに、彼らの言うスポーツテストとは、毎年五月に行われる学校行事であり、国が決めた基準に従って行われている。
測定するのは、五十メートル走、立ち幅跳び、ハンドボール投げ、持久走、握力、反復横跳び、上体起こし、長座体前屈の八種目。
各種目十点満点で、全種目で八十点満点である。
全種目の得点からA、B、C、D、Eの五段階で判定される。
最高の『A』をとるには八十点満点中六十五点以上でなければならない。
また、持久走は男子が1500メートル、女子が1000メートルであり、持久走の代わりに「20メートルシャトルラン」というものを行うこともできる。
ただ、それはいろいろと面倒なのでこの学校では行わないことになっている。
ちなみに言うまでもないが、『C』が標準レベルである。
「えっ、満点? 男子の基準でも『A』?」
山坂浩二は口を半開きにしたまま困惑していた。
月影香子は床に腰をついて唖然としている彼を見ながら、
「なに驚いてんのよ。それぐらい私たちにとっては普通よ」
と言い、さらにほんの少し目を細め、
「そういうあんたはなんなのよ」
と尋ねた。
すると、彼は月影香子からほんの少し目をそらして、
「恥ずかしながら、……『C』です。普通です」
とやや声を小さくして言った。
それを聞いた月影香子は腰に両手を置いて“ふぅ〜”とため息をついた。
「まっ、浩二らしいっちゃ浩二らしいわね」
彼女は片目を閉じ、
「立ちなさいよ、ほら。そんな格好じゃ的になるだけよ」
と優しく言って、山坂浩二に右手を差し出した。
「えっ?」
彼は月影香子が差し出した手から、のけぞるように少し離れた。
「なにやってんのよ。早くつかまりなさいよ」
月影香子はややイライラした様子で言う。
彼女は差し出していた手を突き出した。
(まずい、逆らったら殺されそうな気がする。でも、従ったら従ったで変態どもに殺される)
彼は戸惑った。
(ええい! もうどうにでもなれ!)
彼は心の中で叫び、月影香子が差し出している右手を勢いよく掴んだ。
彼女と同様に、右手で。
その瞬間、彼の腕がとてつもない力で引っ張られ、それにつられて彼の体も重力に逆らう。
気づけばもう、彼は二本の脚で立っていた。
二人の腕は繋がれたまま。
再び向かい合う。
山坂浩二は月影香子と目を合わせた。
しかし、その瞬間。
彼は突然の頭痛に襲われ、左手で頭を押さえた。
(……なんだ!? この感じは!? どこか、遠い昔に見たことのあるような……。デジャヴか? でも、なにか違う気がする)
苦しそうに顔を歪める山坂浩二を見た月影香子は、不安げな表情になって彼の顔を覗き込んだ。
「ど、どうしたの!? 浩二!?」
彼女にしては珍しく取り乱していた。
山坂浩二は頭を押さえたまま無理矢理表情をもとに戻し、
「……だ、だいじょうぶです。……なんでも、ありませんよ」
と言い、彼女より後ろのほうを睨みながら、
「……それより、あいつらをどうにかしないと」
と言った。
「そうね、はやいとこ片付けておこうかしらね」
月影香子は彼から手を離し、その手を彼の頭に伸ばす。
彼女の手が彼の頭に触れた。
月影香子は山坂浩二の頭を撫でながら、
「あんたは休んでなさい。あいつらなんかあたしの敵じゃないわ」
と微笑を浮かべて言った。
そうしている間に、三十人の男子生徒たちは山坂浩二から二メートル離れたところに来ていた。
彼らはそこで、山坂浩二を半円状に囲むようにして立ち止まる。
そして、リーダー格の男子生徒が口を開く。
「山坂浩二。俺たちを裏切った罪、死をもって償え」
その言葉と同時に三十人の男子生徒が一斉に、
山坂浩二に襲い掛かった。
「はあ、バカなんじゃないの? あんたたち」
月影香子は振り向くと同時にしゃがみ込みながら回し蹴りを繰り出した。
彼女の脚は男子生徒たちの脚を薙ぎ払っていき、前方にいた男子生徒は全員床に腰をついてしまった。
その数およそ十人。
月影香子はすぐに立ち上がり、床に腰をついた男子生徒たちを飛び越え、後方にいた男たちを一撃で沈めていく。
ある者には拳で。ある者には蹴りで。
彼女の動きには無駄がなかった。
繊細で、
優美で、
そしてなにより強い。
ケンカ慣れしているなどという程度ではなく、
まさに、いくつもの修羅場をくぐり抜けてきた者のようだった。
彼女の突然の攻撃に、男子生徒たちはうまく対応することができない。
殴ろうとしても避けられ、カウンターを喰らい倒れていく。
後方の彼らは誰一人として彼女にダメージを与えることなく、床に倒れてしまう。
彼女は続けて、先程床に転ばせた男子生徒のほうに体を向けた。
彼らは山坂浩二に襲い掛かるために起き上がろうとしていた。しかし、彼女はすぐさま彼らのもとに走り、一人一人の頭に拳や脚で打撃を与えていく。
一瞬のうちにして、彼らは床に倒れ、渡り廊下には月影香子と山坂浩二の二人だけが立っていた。
「食後だからお腹だけは勘弁してあげたわよ、感謝しなさい」
彼女は倒れている男子生徒たちに向けて言い放った。
彼らからの返事はない。
月影香子は山坂浩二に顔を向け、誇らしげな表情をして
「どう? これがあたしの実力よ。こいつらなんて相手にもならないわね」
と言った。
一方、山坂浩二はというと、頭痛はおさまってはいたものの、彼女を見たまま震えていた。
「なによ? 霊力なんて使ってないからね。これがあたしの普段の実力よ」
彼女は両手を腰に当てながら、ほんの少し目を細めて言った。
(霊力? そんなの関係ねぇよ! 男三十人を一瞬で倒したことにはかわりないだろうがよ! 俺でも一人倒せるかどうかもわからねぇしよ)
山坂浩二は口に出すことができず、心の中で叫んだ。
フェンスに背中をもたれて立っていた彼は、さらに強くもたれた。
月影香子はため息をついた後、ほんの少し笑いながら、
「怪我はない?」
と彼に尋ねた。
「あ、えーと、一応ないみたいです」
「そう、ならよかったわ」
彼女はそう言って山坂浩二から目線を外し、渡り廊下から見える景色をどこか遠い目で見つめ始めた。
山坂浩二はそんな彼女を、「いったい何を考えているんだろう?」と思いながら見る。
彼の体は少し震えていた。
彼は月影香子に対して恐れを抱きながらも、心のどこかでは興味が沸いてきているのを感じる。
自分とほとんど同じくらいの身長、すらりとした肢体、すれ違った男性の十人中九人が思わず振り返ってしまいそうなほど綺麗な顔立ち。
見た目はもちろんのこと、彼が彼女に対して興味を持つ最大の理由はなんと言っても、山坂浩二に対する態度である。
どう考えても彼には『異常』であるとしか思えなかった。
今まで女の子に近寄られもしなかった自分に積極的に接触してくることが、山坂浩二にとっては異常でしかなかった。
だから、山坂浩二は月影香子に『興味』を持った。
彼は彼女を見つめ続ける。
(……きれいだ)
彼は思わず心の中で呟く。
月影香子は相変わらず外の景色を見つめ続け、山坂浩二は彼女を見続けていた。
やがて、風が吹く。
とても冷たく、それでいてどこか優しさを感じさせるような風が。
「痛てぇな、おい、不意打ちとはやってくれるじゃねぇかよ、ああ!?」
その声のした方向に二人は一斉に振り向く。
すると、そこには、ふらふらになりながらも立ち上がる六人の男子生徒の姿があった。
右から見て、短髪。長髪メガネ。くせ毛。ツンツン頭。オールバックメガネ。長髪。
彼ら六人の姿を見た途端、山坂浩二は震え上がり、彼の口から震え声が漏れる。
「……へ、変態六人衆」
その言葉に六人は、
「おいおい、山坂。今さっき俺たちのことを漢字の『変態』で呼んだだろ?」
「違うよなぁ、漢字じゃなくてカタカナの『ヘンタイ』で呼んでもらわないと」
「性的嗜好が特殊な人じゃないんだから」
「ノーマル。いたって普通」
「ただ、昼休みに食堂で変な話をしてるからそう呼ばれているだけなんだぜ」
「あだ名みたいなもの。俺たちも意外と気に入っている」
と言った。
月影香子は山坂浩二に顔を向け、
「ねえ、浩二。ヘンタイ六人衆ってあいつらのこと?」
と尋ねた。
「……そうです、あいつらです」
彼はいまだ震える声で答えた。
「ふうん。でも、あの人たちどこかで見たことあるんだよね……」
月影香子は少しの間あごに手を当てて考えた。
そしてひらめく。
「あ、あの人たち、食堂でいっつも変な話をしている人たちだ」
彼女は独り言のように呟いた。
すると、その言葉に六人全員が反応した。
「俺たちを知ってくれているなんて嬉しいね」
オールバックメガネは嬉しそうな顔をして言った。
「だって、私いつも食堂でお昼ご飯食べてるから。それに、席もあんたたちと近いみたいだし。たまにあんたたちの話聞いたりしてるけど、結構面白いと思うよ」
月影香子は長い髪を風で揺らしながら言った。
「なんだって!? こんなに可愛い女の子がそばにいたなんて!」
「妄想話に夢中になりすぎて気がつかなかった!」
「不覚!」
「「チキショーー!!」」
六人は全員悔しがっていた。
「……ただ」
ツンツン頭が口を開く。
「なによ?」
月影香子はどこか不満そうな声で尋ねた。
すると、ツンツン頭は彼女を睨みつけた。
「山坂浩二は今や俺達の敵。ならば、それに味方するものも敵」
彼の言葉に他の五人も続く。
「ということは、あなたも敵」
「いかにあなたがお美しいといっても」
「山坂浩二に味方するのならば事情は別」
「処刑されるべきなんですよ。山坂浩二と同様に」
「というわけで覚悟してください」
彼ら六人は身構え、口を揃えて言った。
「「「「「「くたばれ月影!!」」」」」」
その叫びとともに。
彼らは月影香子に襲い掛かった。
「あんたたちねえ、少しは学習しなさいよ」
彼女は襲い掛かる六人の動きを見極め、一番近くにいたメガネ男の頭部に蹴りを入れた……はずだった。
さっきの彼らならば、一撃で気絶するほどの威力を秘めていた。
だが、メガネ男は片腕で彼女の蹴りを受け止めていたのだった。
「…………え?」
月影香子は予想外の出来事に目を丸くさせていた。
彼女にわずかな隙ができる。
そして、残りの五人が彼女に攻撃を仕掛ける。
しかし、彼女は二回バク転をして彼らから遠ざかる。
五人の攻撃は空を切る。
月影香子の表情から先程までの余裕が完全に消え去っていた。
「あんたたち、意外とやるわね。あたし、少し油断してた。」
六人は彼女にゆっくりと近づく。
その内の一人、ツンツン頭の男子生徒は強気な表情を見せ、
「あんまり俺達をナメてもらっちゃ困るなあ。真のヘンタイはケンカも強いんだぜ」
と言った。
「関係ないでしょ、それ」
月影香子は呟く。
そして、彼らは睨み合う。
倒れている男子生徒から遠ざかった位置で。
山坂浩二を完全に無視して。
「なんか、俺、脇役より酷くなってないか?」
そんな彼の呟きも、彼らには聞こえないし、何よりそれは気のせいです。
主人公はあなたですよ、山坂浩二さん。決してヘンタイ六人衆ではありませんのでご安心ください。
山坂浩二を無視して熱くなっている彼らはお互いの様子をうかがい合う。
下手に動けば隙が生まれるからだ。
ある程度の時間がすぎたとき、長髪が動き出した。
それと同時に月影香子も動き出す。
両者激突。
この時点では彼女が圧倒的に優勢である。
そして、また一人、また一人と戦いに加わっていき、最終的には一対六の戦いになった。
それでやっとのこと、均衡のとれた戦いとなった。
「ふっ、やるわねあんたたち! 見直したわ!」
「あなたこそ、戦う姿がお美しい」
「揺れるポニーテールが最高だぜ!」
「スカート丈がまさかの膝下五センチ」
「校則をしっかりと守られておられます!」
「背は高いけど、胸は小さい」
「でも、また、そこがいい!」
彼らの表情は楽しそうにも見える。
「うるさいわね! まだ成長期よ! これから大きくなるのよ!」
月影香子は少しムキになる。
「胸が小さいのを気にする女の子」
「まさしく『萌え』!」
「ちなみに身長は一六八センチとお見受けする!」
「っ! 当たりよ!」
「ちなみに山坂浩二の身長は一七一センチ」
彼らは戦いながらも本当に楽しそうな顔をしていた。
「なんでわかるのよ!?」
「俺たちを誰だと思ってる!」
「やろうと思えばスリーサイズだってわかるぜ!」
「プラスマイナス五センチの誤差はあるがな!」
「何言ってんのよ! 五センチって結構重要よ!」
月影香子は六人による蹴りやパンチを避けながら叫んだ。
「ちなみにあなたのスリーサイズは、上からな……ぐはああ!」
くせ毛の男子生徒が何かとても大切なことを言いかけたが、月影香子の拳による強烈な一撃を受けて吹っ飛び、背中をフェンスに激突させ、そのまま動かなくなった。
それを見た残りの五人は攻撃を止め、後ずさりして彼女から遠ざかった。
月影香子は彼らに攻撃を浴びせようとはせず、ただそこに立っていた。
彼女は引き攣った笑みをつくる。
「それ以上言うと本気であんたたちを殴るわよ。あのくせ毛の野郎のようになりたいの?」
彼女の静かな声で発せられた言葉に五人は一斉に首を横に振る。
彼らの表情からは『怯え』のみが感じられる。
月影香子は一度ため息をつき、
「あたし、自分の身体にけっこうなコンプレックスがあるのよ。……あんたたち、ひどい」
と言って、目を潤ませ始めた。
五人は一斉に顔の前で片手を左右に振りながら、
「いえいえ、そ、そんなことはありませんよ!」
「そうです! あなたはとても魅力的です!」
「大きければいいってもんじゃないですよ!」
「「そうですよ!」」
と、月影香子を必死で慰めようとした。
彼女は彼らの言葉を聞いた後、右手の指で目を拭う。
「ありがとう、あんたたち。でも、その言葉、できるなら浩二から聞きたかった。」
笑顔で言った彼女の言葉に、五人は後ろにいるであろう山坂浩二のほうへと体を向ける。
突然、一斉に目線を向けられた彼は右手の人差し指で彼自身の鼻を指し、
「えっ、なに?」
と困った様子になった。
五人は何も言わず、ただじーっと山坂浩二を見続けていた。
そして、五人の後ろにいる月影香子は一度大きなため息をつき、
「それに、浩二ったらヒドイのよ」
と言って、腰に両手を当てて小さなため息をついた。
五人は彼女に半身を向ける。
月影香子は続ける。
「俺はずっとそばにいるって私に言ったくせに、十年前にあたしをほったらかしにして、どこかに行っちゃったのよ。そのまま帰ってこなかったし」
その言葉を聞いて、五人の眉がピクッと動いた。
「それに、昨日、偶然にも浩二と十年ぶりに再会したってのに、あいつはあたしのことを覚えていなかったのよ!」
彼女は五人の後ろに立っている山坂浩二を指差して叫んだ。
五人は彼に体を向け、怒りでみちあふれた目を彼に向ける。
そして、月影香子、
「あたし、どれだけ傷ついたと思ってるのよ! ずっと浩二のことを想ってたのに!」
トドメの一撃!
その言葉で、五人の表情は笑みに変わる。
「そうか」
「山坂は幸せ者だな」
「こんなに想ってくれる人がいて」
「「うんうん」」
だが、彼らの笑みは次第に邪悪なものへと変わっていく。そして彼らは一斉に手の指の関節をポキポキと鳴らし始めた。
「まあ、でも」
「そんな人を十年間もほったらかしにして」
「しかも、こんなに素晴らしい人のことを忘れていて」
「しかも、傷つけて」
「とぼけた顔して」
彼らは一歩前へ出る。
歪んだ笑みはそのままで、
一斉に言い放つ。
「「「「「お前みたいなやつは処刑だよなぁ?」」」」」
そして彼らは一歩、また一歩と山坂浩二へ近づいていく。
彼は顔の前で手の平を左右に何度もふりながら、
「えっ!? ちょっと待って。この展開なんかおかしいから! それに、俺の言い分も聞いてくれよ!」
と必死であがく。
だが、五人の脚は止まらない。
「言い分? やだね。聞いてやんない」
「女の子を傷つけるとは言語道断」
「俺たちは一途に人を愛することを美徳とする」
「『性行為は一八歳から』が信条」
「女の子は最上の存在だぜ?」
彼らは山坂浩二を取り囲む。
「いや、絶対におかしいから。ねえ! ……あっ、月影さーん! お願いだから助けてぇー!」
山坂浩二はつま先立ちになり、遠くにいる月影香子に向けて両手を大きく振った。
だか、彼女は笑って、顔の横で小さく片手をふりながら何かを呟いた。
山坂浩二には聞こえなかったが、彼は彼女の言葉は唇の動きから何であるのかがわかってしまった。
「バイバイ」と。
その瞬間、彼は静かに両目を閉じて心の中で呟いた。
(ああ、もう、終わりだ)
そして、五人は拳を握り、自らの顔の前にその拳をもっていく。
深呼吸。
そして、一言。
「「「「「安らかに眠れ。山坂浩二」」」」」
その言葉の後、
五つの拳が一斉に、
山坂浩二を襲い、
鈍い音とともに、彼は床に倒れて動かなくなった。
「さて、処刑完了っと」
ツンツン頭は両手をパンパンとはたきながら満足げに言った。
「教室戻るか」
彼らは床に倒れた山坂浩二をあとにして後ろへ振り向いた。
だが、そこには、
笑ってはいるが、どこか怒りを感じさせる表情の月影香子がすぐそばに立っていた。
「ヒッ!?」
彼らは思わず上半身をのけ反らせ、一歩後ろへ下がってしまった。
「ねえ、あんたたち」
彼女の静かな声が渡り廊下に響き渡る。
彼女は笑顔のまま、
「誰が浩二に手を出していいって言ったのかしら?」
と言った。
「えっ、でも、あなたは僕らを止めようとはしなかったじゃないですか!」
長髪メガネは叫んだ。
「うるさいわね、それとこれとは別よ。」
月影香子は彼らに冷ややかな目を向ける。
そして、彼女は床に倒れている男子生徒たちを指差し、
「それに、あんたたちだけ仲間外れってのも嫌でしょ。仲間外れってつらいもんね」
と、どこか哀しみを含んだ声で言う。
「だから」
彼女は一呼吸置く。
「あんたたちも仲間に入れてもらいなさいよ」
その言葉とともに、彼女は両手で手刀をつくり、目にも留まらぬ速さで、五人のうなじの下にそれを叩きこんだ。
五人の体が、一斉に崩れ落ちるように床に倒れていく。
そうして、渡り廊下には三十人ほどの男子生徒が倒れ、そのなかでただ一人の女子生徒が立っているという光景ができ上がった。
そこで一人立つ月影香子はぽつりと呟く。
「……ちょっと……やり過ぎちゃったかなあ〜」
彼女は右手の人差し指で頬をかく。
そして彼女はおもいっきり背伸びをした。
「ん〜、まっ、いいか」
彼女はそう言うと、渡り廊下から去っていった。
彼女が渡り廊下を抜けると同時に、午後の授業の予鈴が校内に鳴り響いた。
渡り廊下で横たわっている男子生徒は、誰一人として起き上がることはなかった。
これが、後に『山坂・月影騒動』と呼ばれることとなった事件(?)の結末である。
余談ではあるが、山坂浩二を含む理系の男子生徒約三十人は、当然のごとく午後の授業に遅れた。
彼らの言い訳はこういうものだった。
「渡り廊下で『何秒間息を止められるか』という勝負をしていたら、全員我慢の限界を超え、気絶してしまいました」
彼らは全員放課後に生徒指導室に呼ばれ、こっぴどく叱られたそうだ。
ただ、彼らは一度も『月影香子』の名前を口にはしなかった。
それが、女の子は巻き込まないという、彼らなりの優しさだったのかもしれない。
ただ、山坂浩二は全員にそのイベントの首謀者であるとして突き出され、これまた特別に叱られたそうだ。
山坂浩二は、この事件の一番の被害者と言って間違いないだろう。
(…………不幸だ)
説教中、彼は心の中で嘆き続けた。
今回はファンタジーとは全く関係のない話になってしまいました。
しかし、今回にも大事なポイントがあります。
それはずばり、「月影香子の身体能力」です。これが後々重要になってきます。
次回は『二月一五日』に関係する話になると思います。
そして、その次の章から、いよいよ本格的に物語が動き出します。
最終まで読んで頂けると嬉しいです。