第十二話 変わらないもの⑤
「はい、お待たせしました」
店長は山坂浩二の前にコーヒーカップと受け皿を置きながらそう言った。山坂浩二は店長の顔を見上げると、柔らかな表情のまま、
「ありがとうございます」
と言って、受け皿に置いてあったミルクとガムシロップの容器を開け、その中身をコーヒーに入れてスプーンでかき混ぜる。
右手の人差し指と中指をカップの取っ手に引っかけて持ち上げ、口へと運ぶ。山坂浩二は湯気の立つコーヒーをすすり、口元を上げた。
(いい味してる。チェーン店のやつよりもレベルが高くなってるじゃないか。この味なら、潰れずにやってこれたのにも納得がいくね)
彼は息を小さく吐きながらカップを受け皿に置いた。
店長は山坂浩二の前で立ったままカウンターに両腕を乗せ、何かを期待するかのような笑みを彼に向ける。
「どうだい?」
その一言に、山坂浩二は素直に答えた。
「いや、まさかここまでおいしくなってるとは思わなかったですよ。島崎さん、ちゃんとやるようになったじゃないですか。僕は嬉しいですよ」
「あ、ありがとう浩二君。君にそう言ってもらえるともっと頑張れる気がするよ」
店長は顔をわずかに赤くして、笑いながら右手で自らの頭を掻いた。そして、彼は右手を下ろして山坂浩二と再び目を合わせる。
「今の僕は、浩二君がアルバイトしてた頃の僕とは大違いだからね」
店長は胸を張った。
山坂浩二から笑いが漏れる。
「確かに、今の店長が『浩二くうん、僕の代わりに料理作ってえー』とか『もう冷凍食品とかインスタントでもいいよね。最近のは味も見た目もいいからお客さんに出しても大丈夫だよね』とか言ってるところ、想像できませんね」
彼は店長の口調を真似ながら言葉を紡いだ。
それを聞いた常連客三人もつられて笑い出す。
「ちょっと! 僕そんなこといってないよ浩二君!」
店長は慌てて昔のことを隠そうとするが、
「確かに島崎さん、あのときはそんなことも言っていた気がするなー」
「私たちの目の前で、浩二君の脚にすがりついていたような気もするわねえ」
「アルバイトの兄ちゃんに、いい歳して毎日怒られている店長を見るのは楽しかったのう」
と常連客の三人に掘り返されてしまう。
「もう、昔のことなんか忘れてくださいよー!」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうに叫ぶ店長。彼のそんな姿を見た山坂浩二と常連客三人は笑い声を上げた。
店内は一気に騒然とし、他の三人の男性はカウンター席を睨みながら眉間にしわを寄せる。作家の若い男性は目線をノートパソコンの画面から山坂浩二たちに移し、小さく笑って目線を元に戻した。
店長は恥ずかしそうに体を小刻みに動かしながら、他の客にも目を向けた。
「こほん」
赤面したまま、彼は右手を口に当てて咳払いをし、手を二回叩いた。
「はいはい、他のお客さんにも迷惑なので、店内ではもう少しお静かにお願いします」
彼のその一言に、山坂浩二と常連客三人は、
「はーい」
と力の抜けた返事をして素直に笑い声を小さくした。