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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第三章 退魔師編
28/95

第五話 想い(中)

 話は三月一日火曜日、浄化任務終了の翌日に移る。

 日の出を迎えて間もない頃、月影香子は自室で姿見の前に立っていた。ひざ裏を通り過ぎる長さの黒髪。口にまでかかる長さの揃っていない前髪。赤色のジャージに、白い長袖Tシャツ。そして、彼女の足元にはくしとハサミ。起床直後なのか、彼女はまだ眠そうに目を細めている。彼女の視線は鏡に映る自分の双眸に注がれていた。

 彼女は寝癖のついている髪を手で梳かしていく。彼女の髪には潤いがあるので途中で指が引っかかるようなことはほとんどない。ひざ裏を通り過ぎる黒髪も両手を使いながら毛先までしっかりと指を通していった。

 寝癖がほとんど直ったところで、月影香子は足もとに置いてあったくしを左手に、ハサミを右手に持ち、くしで前髪を梳かし始めた。前髪を梳かし終えると、彼女は鏡に映る自分を見ながら前髪にハサミを入れていった。

 切断された髪の毛が彼女の目の前を落ちていき、やがて床に着く。月影香子はまるで美容師のような手つきで自らの頭髪を整えていく。

 前髪がいつもと同じようになると、彼女は左手で前髪を払い、切られた髪の毛を落とした。次に彼女はひざ裏を通り過ぎる黒髪をくしで梳かしながら、器用にハサミを髪に入れていった。髪のボリュームをわずかに落としつつ、長さも調節していく。長さの調節は姿見に背を向けて姿見を見ながら行う。彼女の手つきは慣れたものだった。

「これでよし、っと」

 月影香子はそう呟くとくしとハサミをこたつの上に置き、再び姿見に映る自分と対峙した。ひざ裏を通り過ぎていた髪はひざ裏に届くか届かないかの長さまでカットされている。彼女の髪は自分で手入れしたとは思えない程に整っていたが、月影香子はそれが当たり前であるかのように平然としていた。

「ようやくここまで伸びたわね」

 彼女はそう言った後、セルフカットの出来を確かめるかのように角度を変えながら姿見に目線を向けた。何度か角度を変えて満足がいったかのように軽く頷いた後、彼女は姿見と正面から向き合い、そこに映る自らの目を覗き込み始めた。

 彼女は憂鬱そうな表情をしてため息をつく。熱でもあるのだろうか。心なしか彼女の顔が赤い。月影香子はもう一度鏡の世界の自分と目を合わせ、ため息をついた。そして、フローリングの床に散らばる黒髪に目線を下ろす。

「もう、明日嘉ちゃんのばか」

 彼女は小声でそう言い、しばらくの間床の黒髪を見つめた。

「髪の毛、片づけなきゃ」

 月影香子は姿見に映る自分の目に視線を戻した。元気とは言い難い表情だった。

「めんどくさい。先にシャワー浴びてこよう」

 彼女はそう呟いて床に散乱する黒髪を後にし、風呂場へと向かって行った。

 シャワーを浴びた後、月影香子は長い黒髪をドライヤーで乾かし、床に散乱した髪をほうきとちり取りを使って片付け、一斤六枚切りの食パン六枚にハチミツをかけてそれらをすべて平らげた。朝食後にトイレで用を足し、洗面所で歯を磨いて紺色のセーラー服に着替え、彼女は再び姿見の前に立った。

 茶色のヘアゴムを口にくわえて髪を束ねていく。ある程度束ねると彼女は口にくわえていたヘアゴムで髪を留めた。白のハイソックス、ひざを隠す長さの紺色スカート、紺色セーラー服、ポニーテール。こうして月影香子の登校準備が整った。

「ふう」

 彼女は一仕事終えたかのように息を吐いた。そしてベッドのそばに置いてあった黒の学生鞄を手に取って玄関へと向かった。

 なんの変哲もない朝の風景であったが、月影香子は終始晴れない表情だった。

 彼女の様子は登校中も変わらなかった。近くの公園で柳川友子と合流したときも、未来橋で山坂浩二が登校メンバーに加わったときも、彼女の顔は赤く、表情は沈んだままだった。

「なあ、香子。元気ないみたいだけど、なんかあったのか?」

 三人が未来橋付近の坂道を下り終えたときに山坂浩二がそう尋ねると、月影香子は活気というものを感じない表情のまま山坂浩二から目線を逸らし、

「別に、なんにもないわよ」

 と呟いて早足になった。

「おい、待てよ香子」

 山坂浩二は駆け足で月影香子の後を追い、彼女の左隣に並んだ。月影香子の顔は朱色を帯びている。彼女の歩調も速いままだ。

「なあ香子。顔赤いよ。熱でもあるんじゃないの」

「うるさいわねえ。なんにもないって言ってんでしょ」

 山坂浩二に遅れて足を速めた柳川友子がさりげなく月影香子の右隣に並んだ。山坂浩二はそれを気にすることなく口を開いた。

「でも、今日の香子はなんか変だよ。昨日の帰りから変だったけど……。でも今日は特に変。元気なさそうな顔してるし、さっきからため息ばっかりついてるし。ほんとは具合悪いんじゃないの」

「だからなんでもないわよ」

 月影香子は先ほどから山坂浩二と目を合わせようとしない。

「訓練続きで疲れてんじゃないの?」

 山坂浩二は月影香子のことを心配して言葉をかけた。いつもなら一緒に笑って登校するはずのパートナーが今日は笑顔をまったく見せない。親友であるはずの柳川友子とも全く会話しない。まるで山坂浩二と柳川友子を避けているかのように振る舞っている。山坂浩二は言葉をかけずにはいられなかった。

 しかし。

「ああもう! しつこいわね! なんでもないって言ってるでしょ!」

 そんな山坂浩二の気遣いに対し、月影香子は左手で頭を掻きながらそう言って山坂浩二に鋭い視線を向けた。そしてすぐに彼から目を背ける。

 山坂浩二は観念したように息を吐き、両目を閉じた。

「わかった。もう何も言わないよ」

 彼は目を開けて静かにため息をつく。

(俺、香子を怒らせるようなことしたかな? いや、さっきはしつこかった俺が悪いんだろうけど、それ以前になにかしたかな? ……ああ、もうわかんねえよ)

 月影香子に冷たくされたことで山坂浩二は少し気が滅入っていた。それが顔にも出てしまい、山坂浩二と月影香子の空気は重いものになってしまっていた。

 ただ、柳川友子だけ月影香子の顔を見ながら微笑んでいた。いや、にやにやしていると言った方がいいかもしれない。

(もしかして香子……)

 月影香子と十年来の親友である柳川友子は、山坂浩二とは違って彼女の態度から何かを掴んだようだった。

 三人はそれから無言のまま早足で学校へ向かった。校門を抜け、中央階段を上って本校舎の二階に着くと、月影香子が口を開いた。

「あ、そうだ。今日のお昼は友子と話したいことがあるから、浩二は友達と食べて。ごめん。友子もあたしに付き合ってくれる?」

「ん? アタシは別にいいよ」

 月影香子の言葉に柳川友子は明るい表情で答えた。山坂浩二は「いいよ」とは言いつつも少し落ち込んでいる様子だった。

「まあまあ、山坂。たまには女同士で話したいことだってあるんだよ。男同士でもあるでしょそれくらい」

 そんな山坂浩二に柳川友子は慰めの言葉を送った。山坂浩二は納得こそはしたものの、退魔師としてのパートナーである月影香子に距離を置かれたような気がしてならなかった。それも急に、だ。柳川友子の言葉だけで明るくなれるわけがなかった。

「じゃあ、そういうことで。またね」

 月影香子はそう言って山坂浩二と柳川友子に背を向けて一年一組の教室へと歩いて行った。残された二人はその場に立ったままでいた。

 山坂浩二は少しうつむいてため息をついた。

 すると、

「あれ? 山坂。まさか香子とご飯が食べれないだけでそんなに落ち込むなんてね」

 と柳川友子が山坂浩二に声をかけた。山坂浩二はうつむいたまま返事をする。

「まあ、それもあるんですけど、それより、香子が僕を避けてるような気がするんですよ。なんか昨日の任務の帰り道から僕への態度が変わったというか……」

「へえ。昨日はどんな感じだったの? 香子は」

「なんか、顔がずっと赤いままで、たまに奇声を上げてました」

 柳川友子は微笑を浮かべる。

「なるほどね。つまり、依頼人たちとの会話中に何かがあって、それをきっかけに香子は自覚したわけか」

「自覚って、何をですか?」

「さあ? アタシにはよくわかんないや」

 柳川友子はとぼける。そして、彼女はどこか得意げな笑みを浮かべて山坂浩二顔を向けた。

「まあ、香子のことはアタシに任せとけばいいよ。だから今日の昼休みは、山坂は久しぶりに永山と村田とお昼ご飯食べたらいいじゃん。あと、松島とか中谷とかそのへんの男子も誘っちゃえば? あいつらなら案外、答えに近いものを教えてくれるかもしれないよ」

「あいつらが、ですか? 永山や村田はともかく、ヘンタイ六人衆と食べるなんて嫌ですよ」

 山坂浩二は眉間にしわを寄せた。

 それも無理はない。山坂浩二は月影香子と再会してから、理系男子一年にことあるごとに月影香子のことを言われるようになり、それを特に言ってくるのがヘンタイ六人衆だった。昼食仲間である永山と村田は節度というものをわきまえているが、ヘンタイ六人衆からはそういったものを感じない。もし彼らと昼食を共にするようなことがあれば、食卓は月影香子の話題で埋め尽くされるだろう。山坂浩二にとって、それだけは避けたいことだった。

 嫌そうな顔をする山坂浩二に、柳川友子は言った。

「まあまあ山坂。そんなこと言わないで、ちゃんと男友達も大切にしないとダメだよ。香子とべったりなのも構わないけど、たまには男と絡まないと高校生活損するよ。アンタ、理系男子には異様に慕われてるじゃん」

 山坂浩二は肩を落とした。

「そういうもんですかねえ」

「そういうもんだよ」

 柳川友子は右の人差し指を山坂浩二に向けて突き出した。

「というわけで、今日のお昼は男友達と食べること。いい?」

 山坂浩二は表情を緩めた。

「りょーかいです」

 山坂浩二がそう答えると、柳川友子は満足そうに笑って頷き、

「じゃあ、教室行こうか」

「そうですね」

 という会話の後、山坂浩二と柳川友子は一年五組の教室に向かって歩き出した。




 そして昼休み。

 ここ最近は月影香子や柳川友子とともに学校の食堂で昼食をとっていた山坂浩二であったが、今日は柳川友子の言うことに従い、一年五組の教室で男友達と昼休みを過ごすことになった。メンバーは山坂浩二と永山、村田、そしてヘンタイ六人衆の合計九人。教室の窓側の席に彼らは集まっていた。山坂浩二の昼食はいつものおにぎり四つ。他八人の昼食は学食の弁当だ。

 昼休みは開始直後から賑やかであった。数学の授業が終わると柳川友子は、

「じゃあね、山坂。頑張ってねえ。アタシは香子と食堂行ってくるから」

 と言い残してそそくさと教室を出ていき、その直後に山坂浩二の席に他の八人が集まってきたのだ。山坂浩二は事前に声をかけてあったので、集まりは早かった。男が九人も揃えばどんな人間でも騒がしくなるだろう。彼らの話し声は教室内で最も大きなものだった。

 もちろん、その内容は山坂浩二と月影香子についてだ。

 昼休みの喧騒の中、くせ毛以外にこれといった特徴のない永山が山坂浩二に話しかけた。

「お前と食うのも随分と久しぶりな気がするな、山坂」

「確かに、最近山坂は月影さんと柳川さんの二人と食堂行って、俺たちには見向きもしなくなったよな。ちょっと前までは俺たちにとっての最高の味方だったのにな。今は両手に花だよ。俺たちの敵だ」

 と、永山と似たような容姿の村田が永山の話に便乗する。

「うるせえな。別に誰と食おうが俺の勝手だろうが。それになんだよ両手に花って。俺たちそんな関係じゃないからな」

 山坂浩二はあきれながらも会話には参加していた。

「いやいやいやいや、だれがどう見てもそんな関係に見えるぞ。学校に来るのも家に帰るのも山坂と月影さんと柳川さんの三人でだし、そのうえ昼飯まで一緒に食うっていうのは、そういう関係じゃないと普通はないからな」

 ヘンタイ六人衆も山坂浩二を中心とする会話に入ってきた。

「少し前までは周りに男しかいなかった山坂も、今となっては女の子に挟まれるようになってしまったか」

「山坂は俺たちの希望だったのにな」

「その希望が、一組で一番かわいい月影さんと、五組で一番かわいい柳川さんとなかよくしてるんだもんなあ」

「しね」

「跡形もなく爆発しろ」

 周りの男たちに好き勝手に言われた山坂浩二はため息をついた。

「だから、そういう関係じゃないってば」

 山坂浩二はそう言って塩おにぎりを頬張った。

「まあ、柳川さんは誰とでも仲良くするから、山坂と柳川さんがくっ付くってことはなさそうだな。あの人誰とも付き合いそうにないし」

「柳川さんが山坂といるようになったのは、たぶん月影さんが山坂といるようになったからじゃないの。あの二人結構仲よさそうだし」

 永山の言葉に山坂浩二は、

(たぶんじゃねえよ、その通りだよ)

 と思っていたが口には出さなかった。

 男たちは続ける。

「まあ、問題は、山坂と月影さんが仲良くしてるってところだよな」

「何があったか知らないけど、たぶん何を言われても納得できないと思う」

「山坂に近づける時点で普通じゃないのは確かだけど」

「山坂に近づける女って希少価値高いよな。貧乳よりも圧倒的に高いぜ」

「月影さんって胸小さいし山坂に近づけるから、希少価値はものすごく高いな」

 彼らに好きに言わせていた山坂浩二だったが、もう我慢の限界だった。米の塊を呑み込み、口を開く。

「あのなあお前ら」

「なあ、山坂」

 香子のことを好き勝手に言うのはやめろ、と続けようとしたが、永山の一言によってそれは遮られた。彼の言葉には不思議な力でも宿っているのだろうか、今まで騒いでいた男たちが揃って口を閉じた。

「な、なんだよ」

 妙な静寂の中、山坂浩二は言葉を飲み込み、永山に会話を合わせることにした。永山は神妙な面持ちで続ける。

「真面目な話、山坂と月影さんって、付き合ってるのか?」

「付き合ってない」

 永山の問いかけを、山坂浩二は即答で否定した。

「うそつけぇ!」

「でも、なあ?」

 村田が叫び、永山はヘンタイ六人衆に顔を向けた。六人は一斉に頷く。彼らはテレパシーでも使えるのかと思ってしまうほどに動作が揃っていた。

 永山は再び山坂浩二に言葉をかける。

「月影さんって、絶対山坂のこと好きだって。恋愛的な意味で」

「まあ、それは月影さんの言動を見れば誰の目にも明らかだよな」

 永山に続いて村田がそう言うと、山坂浩二以外の男たちは頭を縦に振った。山坂浩二は左手で頭を掻いて、

「あのなあ、香子が俺のことをそんな風に思うわけがないだろうが。昔の友達に会ってテンションが上がってるだけだ」

 と否定した。山坂浩二自身、月影香子の山坂浩二に対する好意はあくまで退魔師のパートナーとしてのものであって恋愛的なものではないと思っている。それに、山坂浩二は理由もなく女性に避けられ続けていたので女性不信気味になっていたため、月影香子のような容姿端麗で能力の高い女の子が自分に恋愛感情を持っているとは思うことができなかった。

 そう思いたくても、思えなかった。

 山坂浩二の言葉の後、村田が口を開いた。

「そうか。じゃあ、お前自身は月影さんのことをどう思ってるんだ?」

 そう尋ねられて、山坂浩二は困惑した。自分が月影香子のことをどう思っているか。そんなことは退魔師としてのパートナー以外に考えたこともなかった。しかし、目の前の友人たちにそれを言ったところで頭がおかしくなったとしか思われないだろう。彼はとりあえず当たり障りのない言葉を選ぶことにした。

「香子は……友達だな」

「嘘だあ! お前絶対月影さんのこと好きだろ! 恋愛的な意味で!」

 山坂浩二が答えた直後にヘンタイ六人衆がそう叫ぶように言った。そのあまりの気迫に山坂浩二は黙ってしまった。

「あんな子に仲良くされたら絶対好きになっちゃうだろ」

「勘違いするよな」

「てかあれは別の意味で勘違いしない」

「まあ、世の中には、あれでも勘違いってことはあるんだけどな」

「月影さんはそんなことないだろ」

「神様は山坂浩二にイタズラしてるんだよ。そう思いたい」

 と、決してモテないわけではない男たちが口々に言っているが、それらは山坂浩二の耳に入っては抜けていった。

(俺、退魔師としてのパートナー以外に、香子のことをどう思ってるんだろう。大切なパートナーって以外にどう考えているんだろう)

 それ以降、山坂浩二は会話には参加せず、昼休み終了の五分前まで月影香子のことについて考え続けた。




 学校からの帰り道。山坂浩二は月影香子と柳川友子とともに歩いていた。今朝と同じように月影香子は山坂浩二を避けるように振る舞っており、山坂浩二は彼女の背中を見る以外何もできなかった。柳川友子も口を開かず、三人の間には静寂だけがあった。

 そのまま会話もなく、月影香子と柳川友子は未来橋で山坂浩二と別れた。山坂浩二は自らのアパートへと向かい、月影香子と柳川友子は毎朝待ち合わせに使っている公園へと向かった。

 その小さな公園には誰もいなかった。二人はそこにある薄汚れたベンチに腰掛け、カバンをベンチの上に置いた。

 月影香子の顔は依然として赤いままで、目線は地面に向いている。柳川友子は表情を緩めて月影香子に目を向けた。

「話があるって言ったわりには、今日の昼休み、何も話さなかったね香子」

「うん」

「あのでっかいラーメンに夢中だったよね」

「うん」

 月影香子の返事は心ここにあらずといった様子だ。昼休みは彼女を見守るだけだった柳川友子だが、今回は彼女から会話を始めた。

「悩み事?」

 柳川友子がそう尋ねると、月影香子は無言で頷いた。

「山坂?」

「うん」

「どうしたの?」

 ニヤニヤする柳川友子。そんな彼女が見守るなか、月影香子はしばらく口を閉じていたが、やがて口を開いた。

「あたしたちが浄化任務で助けた女の子にね、昨日、おねえちゃんたちの結婚式に呼んでねって言われたの。それから浩二のことを変に意識しちゃうようになっちゃって、恥ずかしくて浩二のことろくに見れないし、前みたいに話もできないし、今日みたいに冷たい態度とっちゃうし。……あーあ、あたしどうしちゃったんだろう」

 月影香子が話し終えても柳川友子は表情を変えなかった。

「なるほどね。ようやく気付いたってわけね。山坂と香子が助けた女の子って、明日嘉ちゃんって言うんだっけ? その子に感謝だね」

「感謝って、なんでよ」

「わかってるくせに」

「むぅ」

 月影香子は再び黙り込んでしまった。柳川友子は穏やかな笑みを浮かべて彼女を見守った。

「ねえ、香子」

 柳川友子の優しい声が月影香子に届く。

 月影香子はその声には反応しなかった。

「山坂のこと、好き?」

 柳川友子がそう訊くと、月影香子は数秒間の沈黙の後に口を開いた。

「うん」

「それは、友達とかパートナーとしてではなく、異性として好きって意味だよね?」

「……うん」

 月影香子の顔がトマトのように真っ赤になった。おそらく他人に自分の恋を告白したことで自分の気持ちを改めて感じたのだろう。

 そんな月影香子のそばで、柳川友子は満足したような笑みを浮かべていた。

「やっぱりそうか。香子と山坂は一年間ほとんど二人きりでいたわけだし、香子は十年間山坂との思い出を大事にしてきたわけだからね。好きにならないわけがない、か」

 柳川友子は息を吐いて続ける。

「その気持ち、山坂に言えば?」

 彼女がそう提案すると、月影香子は首を大きく横に振った。彼女の頭の動きに少し遅れてポニーテールが揺れる。

「あたしからは嫌だ。浩二があたしのことを好きになって、浩二があたしに告白してくれるのを待つわ。あたしからは絶対に言わない」

「でも、山坂は女性不信だよ。理由もなしに女に避けられまくってたからそうなっちゃったんだろうけど。あいつは、相手がたとえ香子でも、今の関係が壊れてしまうかもって考えて怖くなって、告白なんてできないと思うよ。それでも?」

 二人の間にわずかな沈黙が訪れる。

「あたしが言っても、意味ないと思うから……」

「そっか」

 月影香子の言葉に対して、柳川友子はそれ以上何も言わなかった。月影香子の言葉の裏に隠された意味を柳川友子は感じて、ただ頷くのが最善だと判断したのだろう。

 二人の間に再び静けさが訪れる。

 それを破ったのは柳川友子の一言だった。

「じゃあ、アタシが山坂をもらっちゃおっかなー」

「それはだめえ!」

 彼女の言葉に月影香子は素早く反応した。彼女はかなり焦っている様子だった。そんな月影香子に柳川友子は笑いかけた。

「冗談だって。そんなに真に受けないでよ。山坂がアタシとくっ付くわけないじゃん。山坂はたぶん香子のことが好きだよ。それに、山坂のそばに長く居続けられるのは香子だけだし」

 柳川友子そう言うと、月影香子は数秒の間を置いて口を開いた。

「どうして、みんなは浩二のことを避けるのかな」

「わかんないよ、そんなの。でも、霊力の弱い女は近づけないってことだけは確かだね。紗夜さんはアタシよりも大丈夫らしいし、残党の他の人たちだって避けるほどではないって言ってたよ。たぶん、香子は、アタシたちよりも格段に霊力が強いから、山坂といても平気なんじゃないのかな」

「……霊力の弱い女が浩二には近づけなくて、霊力の強い女は近づける、ねえ。そういうもんなのかしらね」

「たぶんね」

 二人の間に沈黙があった。

「そういえばさ、香子」

「ん? なに?」

 柳川友子の顔からは笑みが消えていた。いつになく真剣な表情だった。

「山坂に、あのこと、言ってないよね?」

 柳川友子がそう尋ねると、月影香子は「あのこと?」と呟いて数秒間首を傾げていたが、やがて何のことかを理解したらしく首を数回小さく縦に振った。

「ああ、あのことね。もちろん言ってないわよ。言うわけないじゃない。友子にだって、できれば人に知られたくないことぐらいあるわよね」

 月影香子のその言葉を聞いて、柳川友子は表情を明るくした。

「ありがとう。まあ、山坂はただ単に忘れてるだけな気もするんだけどね。それでも、なんていうか、山坂には知られたくないっていうか。そんな感じ」

「そうなんだ。あたしは浩二に言ったりしないから、安心して」

 今度は月影香子が柳川友子に笑いかけた。

「信じてるよ、香子」

 柳川友子も笑みを浮かべる。そして、彼女はベンチから腰を離して立ち上がった。

「さてと、そろそろ日も暮れてきたし、今日も訓練あるから、帰ろっか」

「そうね」

 月影香子も立ち上がる。

「あの二人に勝てるように、頑張ろう」

 月影香子はそう呟いて歩き出し、柳川友子も彼女に続いた。公園から出ると二人は別れ、それぞれの帰路についた。




 その日の深夜。山坂浩二は自室でカーペットの上に横になって毛布と掛布団を自らの身体にかけていた。訓練の後なので体は疲れているのだが、彼は寝付けないでいた。

今日の昼休みから、月影香子のことが頭から離れない。

 永山、村田、ヘンタイ六人衆の言葉が頭の中で繰り返される。

『月影さんって、絶対山坂のこと好きだって。恋愛的な意味で』

『まあ、それは月影さんの言動を見れば誰の目にも明らかだよな』

『じゃあ、お前自身は月影さんのことをどう思ってるんだ?』

『お前絶対月影さんのこと好きだろ! 恋愛的な意味で!』

 山坂浩二は彼らの言葉によって月影香子のことを今まで以上に意識してしまっていた。そして、胸が苦しくなる。これは、月影香子と再会したときや山坂浩二が力を取り戻したときにも感じていた。力を取り戻してからも、月影香子の近くにいると心臓の鼓動が速くなったり、呼吸が荒くなったりした。

 また、彼女と登下校をするのも楽しみだった。彼女と柳田秀の車に乗って訓練場へ向かうのも楽しみだった。力を取り戻してから、山坂浩二は月影香子に会いたくて仕方がなかった。彼女と会うのが楽しみだった。彼女と一緒にいるのが楽しくてたまらなかった。

 そして今日、月影香子に冷たくされたのが本当につらく感じた。

(香子は、俺のことをどう思ってるんだろう。あいつらが言うように、恋愛的な意味で好きなんだろうか。退魔師のパートナーとして以外にも)

 山坂浩二の脳裏に、月影香子の笑顔が浮かぶ。

目を赤くして、それでも笑って、「おかえりなさい」と言ってくれたあの満月の夜。

 嬉しそうにラーメンをすすっていた昼休み。

 自分を支えてくれた二人きりの訓練。

 任務完遂時のハイタッチ。

 そして、「浩二は強くなれる」と言ってくれた遠い記憶のなかの彼女。

 月影香子の宝物だという、二人で過ごした一年間。

(香子が俺のことをどう思ってるかなんて、俺にわかるわけがないだろ)

 好きでいて欲しい、月影香子は自分のことが好きだ。そう思いたくても思えない。自分に恋愛感情を抱く女性がこの世にいるわけがない。どうしてもそう思ってしまう。山坂浩二の心の傷は決して浅いものではなかった。

(じゃあ、俺自身は香子のことをどう思ってるんだろう)

 退魔師としてのパートナー?

 大切な相棒?

 もちろんそうだ。そう思えるからこそ、山坂浩二は力を取り戻して死の淵から戻ってこられたのだ。失われたはずの記憶を垣間見て、月影香子を助けたいと強く願ったからこそ、山坂浩二は今生きているのだ。

(そもそも、恋愛的な意味での好きってなんだ?)

 記憶を取り戻してから異性に避けられ続けた山坂浩二に、恋愛経験など一切ない。恋愛というものが彼にはわからなかった。

(あいつらは、俺が香子のことを恋愛的な意味で好きだと思ってるらしいけど。肝心の俺自身がわからないんじゃなあ。どうしようもねえよ)

 山坂浩二は寝返りを打った。

(まさか、俺が香子に対して抱いている気持ちが、恋愛感情ってやつなのか? 自分にとって、ただ一人の特別な女の子だと思うことが、恋愛的な意味での好きってことなのか? もしそうだとしたら)

 唾を呑む。


「俺は、香子のことが好きなのか」


 そう呟いた瞬間、山坂浩二の身体に電流が走った。続いて胸が締め付けられて心臓の鼓動が荒くなる。息が荒くなる。体が火照る。

 山坂浩二はどうしようもなくなって体の向きを何度も変えた。何度も何度も、転がりまわるように体を動かす。

 眠れない眠れない眠れない!

 恋というものを初めて知った山坂浩二は、結局一睡もできずに朝を迎えることになってしまった。

 眠気など、感じなかった。








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