第一話 築かれた信頼(上)
二月二十二日、火曜日の夜。
山坂浩二と月影香子の二人が加わり、総勢十九名となった退魔師残党は、とある山のふもとにある倉庫に集まっていた。
その倉庫は退魔師たちの訓練場となっていて、バスケットボールのコートが八つは入る大きさである。天井は高く、昨日とは違って明るい。
退魔師たちはこの倉庫の中央に、横二列で立ったまま並んでいた。
彼らの目線の先には、退魔師残党のリーダーである柳田秀と、彼のパートナーであり退魔師残党の副リーダーでもある水谷紗夜の立ち姿があった。
柳田秀は、身長は一八〇センチを超えていて、全体的にスリムな体型。すっきりとした顔立ちをしている。茶色がかった長めの髪をオールバックにし、服装は黒のジャージと白の長袖Tシャツ。
水谷紗夜は、身長は平均的でグラマラスな体型。整った顔立ちからは柔らかい印象を受ける。茶色がかったセミロングの髪は肩を通り過ぎるところからウェーブしていて、服装は赤のジャージと白の長袖Tシャツである。
十七人の視線を浴びる柳田秀は、笑みを浮かべながら口を開いた。
「では、今日の訓練はここまでにしましょう。みなさん、お疲れ様でした」
彼がそう言うと、少年少女たちの列が自然と崩れ、彼らの話し声が倉庫の中を満たし始めた。隣同士で並んでいた山坂浩二と月影香子もそれにつられて口を開いた。
「さすがに、今日は疲れたな」
「そうね」
二人は息を吐くようにして言った。
山坂浩二の服装は黒のジャージと黒の長袖シャツ。彼は上下とも黒という服装をすると、なぜだか落ち着くらしい。
彼のパートナーである月影香子の服装は、学校の体育で使う、上下とも紺色のジャージ。彼女はかなり整った顔立ちをしていて、彼女の艶のある黒髪は腰を少し通りすぎるほどの長さをもつ。彼女は、男子高校生としては平均的な身長である山坂浩二よりも三センチほど背丈が低い。女子高校生としては、高い部類に入っている。
周りから話し声がするなか、二人は会話を続けた。
「まだ体のだるさが残ってるっていうのに、今日も訓練させるとか、秀さんって案外厳しい人なんだな」
「仕方ないわよ。あの二人と戦うためには、この一ヶ月で強くなれるだけ強くならないといけないんだからさぁ」
「でも、今日ぐらいは休ませて欲しかった」
「あたしもそう思うわ」
月影香子は弱々しく笑った。
「昨日は、霊力をほとんど使い切っちゃったからね。まだ半分ぐらいしか回復できてないわよ。浩二みたいに体はだるくないけど」
「そうか。俺は、霊力は回復したけどね」
「自己回復にかなり使っちゃったのよあたしは。あんな顔で学校なんて行けるわけないでしょ」
「……そうだな」
山坂浩二はため息をついた。二人の会話はそこで途切れる。少し時間が経つと月影香子は山坂浩二に顔を向けた。
「ねえ、浩二」
「なんだ?」
山坂浩二も彼女に顔を向け、二人は目線を合わせた。
「今日の訓練、外で何やってたの?」
月影香子がそう尋ねると、山坂浩二は、
「ああ、俺は、秀さんと紗夜さんに言われて、走ったり筋トレしたりしてたよ。あとはちょっとだけ霊力操作の練習と体の動かし方の訓練やってた」
と答えた。
「なにそれ? まるで運動部の練習みたいね」
「仕方ないだろ。まずは基礎体力を上げることから始めましょう、って秀さんに言われたからね。体が強いほうが、霊力で強化したときの効果は高いって、昨日柳川さんに言われたし、今日も紗夜さんに言われた」
「まあ、確かにその通りだわ」
「で、香子は何やってたの?」
山坂浩二がそう訊くと、月影香子は目線を山坂浩二から逸らしてため息をついた。彼女はわずかに間を置いた後、
「あたし一人対みんな、で戦ってた」
と落胆したように言った。
「またか。ってかなんで香子だけそんなにきついんだ?」
「知らないわよ。まあ、どうせあたしをあのクソアマに見立ててやってるんでしょうけどね。あんたの訓練監督で秀さんと紗夜さんがいなかったけど、昨日と比べると、友子と男がいたから結構苦戦したわ」
「香子も大変だな……」
「浩二もでしょ。……なんかさ、あたしたち二人だけハードじゃない? あたしたちよりもむしろほかのやつらを鍛えたほうがいいと思うけど」
「そう……なのかな」
山坂浩二はため息をついた。月影香子も彼につられて息を吐く。ここで再び二人の会話が途切れた。次はなんて話しかけようかな、と山坂浩二が考えていると、
「浩二さん、香子さん。少しお時間いただけますか?」
という声がしたので、その方向に二人が顔を向けると、柳田秀が好意的な笑顔を浮かべながら二人に向かって小さく手招きをしているのが見えた。
「ん? なんだろう」
「何の用かしら」
山坂浩二と月影香子はそれぞれ一言呟き、
「はいはい、なんですか? 秀さん」
と言って、月影香子は柳田秀のもとへと歩き出した。山坂浩二も彼女の後ろをついていく。二人が柳田秀のところまで来ると、彼は笑みを保ったまま口を開いた。
「お話し中のところすみません。実は、お二人に頼みたいことがあるのです」
「なんですか? まさか、居残りで訓練とかじゃありませんよね」
月影香子は少し目を細めながら言った。
柳田秀は顔の前で右手を左右に振る。
「いえいえ、そんなことではありませんよ、香子さん。頼みたいことはですね、僕ら退魔師の本業のことなのですよ」
「ああ、いつものように、ヤバめの浄化任務の手伝いですね」
月影香子が安心したように肩の力を抜くと、
「あ、いえ、今回は手伝いではなく、浩二さんと香子さんの二人で、浄化任務に行っていただきたいのですよ」
と柳田秀は言った。
彼の言葉に山坂浩二は戸惑ったが、話を複雑にするのが嫌なので、彼は口を閉ざしたままだった。月影香子はいつもより目を開いて、
「え、浩二と二人ですか? オッケーですけど、秀さんは行かなくていいんですか?」
と、声のトーンを上げた。
柳田秀は彼女の問いに答える。
「僕らはですね、他に浄化任務が入ってしまいまして。今回のも僕らが行くことになっていましたが、霊能協会から早急に片づけてほしいと別の依頼を受けてしまいました。かなり危険なようなので、お二人を除いた残党全員で行くことにしているんですよ」
「で、本来は秀さんたちがやるはずだった浄化任務を、あたしたちに押し付けてるわけね」
「いえ、そういうわけではありませんよ。なんとなく、僕たちよりも浩二さんと香子さんのほうが適任な気がするのですよ。それに、危険度はそれほど高くないみたいですし、危険度のわりに報酬もかなり弾んでいますよ」
「どれくらい?」
月影香子が尋ねると、柳田秀は右手を開いた。
「危険度はレベル6。報酬は、十万円。一人につき五万円ですね」
「五万円!?」
その金額に、月影香子よりも先に山坂浩二が反応した。月影香子はそんな彼に顔を向け、あきれたように目を細めた。
「なんでそんなに驚いてるのよ」
「いや、だって。五万円っておまえ、一ヶ月分の仕送りよりも一万円多いんだぞ! しかも家賃で半分くらい消えるから実質二ヶ月半分の生活費だし校則でバイトも禁止されてるから自分で稼げないし!」
「はは。めずらしく早口ですね、浩二さん」
月影香子と顔を向き合わせて話している山坂浩二に向けて、柳田秀は温かい笑みを送る。すると山坂浩二は彼に視線を移し、
「でも秀さん! 五万円あれば新しい制服が買えますしこたつの修理もできますし外食という贅沢極まりない行いもできるんですよ!」
と興奮しながら言った。すると、月影香子もまた柳田秀に顔を向ける。
「確かに、五万円あれば、新しい制服が買えるわね。今まで修理しまくって着ていくのが恥ずかしくなった分と、昨日破れに破れて修理できなくなった分と」
五万円の使い道について嬉々として話している二人は、どういうわけか柳田秀から視線を逸らさないままだ。
「……」
無言の圧力が柳田秀にのしかかる。
彼は二人の意図を感じ取り、微笑みながらため息をついた。
「いや、昨日だめにしてしまった制服については僕たちが弁償しますよ。もとはと言えば、あれは僕たちのせいですしね」
「ホントですか秀さん!」
柳田秀が言い終えるやいなや、山坂浩二と月影香子は目を輝かせて顔を柳田秀に近付けた。その目で見上げられた柳田秀は一歩退いた。
笑みを浮かべる顔は、引き攣っていた。
「あ、はい。も、もちろんですよ。ついでに、今までだめにしてしまった制服の分も僕が負担します。報酬は浩二さんと香子さんの好きなように使ってください」
「ありがとうございます!」
山坂浩二と月影香子は揃って勢いよく頭を下げた。柳田秀は引き攣った笑顔のまま、もう一歩後ろに下がった。
「あ、いえいえ、これくらいのことは当然ですよ。そ、それより、任務内容の確認に移りませんか? 報酬だけで決めると、後で痛い目見ますよ?」
柳田秀は顔の前で両手を左右に小さく振りながら、山坂浩二と月影香子の頭を交互に見る。やがて二人の頭が上がり、二人の視線は柳田秀に向けられた。
「確かに、どんな内容か聞いてなかったわね」
「香子はともかく、記憶にある限り、俺が浄化任務を受けるのはこれが初めてだし。任務内容を知らずに承諾するのはよくないよね」
二人は独り言のように言葉を紡いだ。
柳田秀の笑みから固さがなくなった。
「では、任務内容の確認に移りましょう」
彼は一呼吸置く。山坂浩二と月影香子の二人も、表情は若干緩んでいたが、先ほどのように無駄口をたたく様子は見られなかった。
「まず日にちですが、二月二十七日の日曜日ということになっています。この日に予定等はございませんか?」
柳田秀がそう尋ねると、二人は一度目を合わせた後、
「いいえ」
と言って首を横に振った。
柳田秀は頷く。
「そうですか。では、これから任務内容の説明を始めます」
柳田秀がそう言い、山坂浩二が唾を飲んだ後、山坂浩二と月影香子の二人は柳田秀の口から任務内容を伝えられた。
説明が終わると、二人は少しの時間だけ互いの目を見た。その後、浄化任務を受けることを柳田秀に伝えた。
そして、何事もなく時は流れ、浄化任務当日の二月二十七日を迎えた。
午前十時。山坂浩二は家から飛び出てアパートの外階段を駆け下り、銅鏡川の河川敷を全速力で駆け抜けた。冬の風が頬から体温をかすめ取っていくのを感じながら、山坂浩二は未来橋へ向かって走っていく。
ちなみに未来橋とは、銅鏡川に架かる全長百五十メートルほどの朱い橋である。片側一車線の道路があり、車道と同じ幅を持つ歩道では街灯が等間隔に並んで立っている。その色や姿から、山坂浩二たちの住む圭市のシンボルの一つとして扱われている。
さて、なぜ山坂浩二は慌てたように走っているのか。
その原因となる人物は未来橋のすぐそばに立っていた。
山坂浩二は短い坂を上り、その人物、月影香子のそばまで来ると、目を細めて山坂浩二を眺めている彼女から、
「遅い」
との言葉を受けた。
山坂浩二はすぐに頭を下げ、頭より少し高い位置で両手を合わせた。
「ごめん香子! 家を出ようとしたら急にお腹が痛くなって! 悪い! ほんとごめん!」
彼はそう声を上げると、少しだけ顔を上げて月影香子の顔を見上げた。彼女は目を細めたままだったが、山坂浩二と目を合わせて数秒後に目を閉じてため息をついた。
「別に、そんなに謝ることないでしょ。一応、時間通りなんだし」
その言葉に山坂浩二は胸をなで下ろした。しかし、月影香子は目を開けると同時に冷たい視線を山坂浩二の双眸に突き刺した。
「でもね浩二。この前言ったこと覚えてる? 今週の月曜日に、今度あたしを待たすようなことをしたらただじゃおかないって、あたし言ったわよね?」
「は、はい。その通りです」
山坂浩二の背中を、冷たい汗が一粒流れていく。
月影香子の口元が上がった。
「でも今、あんたはあたしを十分以上待たせたわよね。罰として、午前中はあたしの言うことに従ってもらうから」
「おいちょっと待てよ! それは香子が早く来すぎただけで時間通り来た俺は悪くないだろ!」
山坂浩二は頭を上げて反論するが、
「問答無用よ!」
と月影香子はそう言って左手で山坂浩二の右腕を掴み、彼を引きずるように未来橋とは反対方向へ歩き出した。あまりの理不尽さに表情をゆがめていた山坂浩二であったが、数歩進んだところでため息をつき、
(まあ、いっか。どうせ今から遠い依頼主のところまで行くんだろうし)
と心の中で呟いて表情を緩めた。
彼からは見えないが、月影香子もまたどこか嬉しそうに微笑みを浮かべていた。
山坂浩二の腕を掴んで歩く月影香子であったが、道の中央に路面電車が走る幹線道路まで来ると彼の腕から手を離した。
走る自動車も人通りも多くなったので人目を気にしたのだろうか。彼女は山坂浩二から距離をとるように幹線道路の横断歩道へと歩いて行った。
信号は赤く光っている。山坂浩二は横断歩道の前で立ち止まっている月影香子の左隣まで歩いた。車の走り去る音が鼓膜を激しく刺激するなか、彼は月影香子に視線を向けた。
彼女の艶やかで太ももの辺りまで伸びた黒髪はポニーテールにまとめられていた。服装は紺色のジャージに黄緑色のパーカー。
山坂浩二の服装も彼女と似たようなもので、黒のジャージに黒のパーカーという、いつも通りの上下とも黒色である。
自分たち二人の服装を改めて見た山坂浩二は短く笑った。
「なあ、香子」
「なに? 浩二」
二人は目を合わせた。
「俺たちの服ってさ、運動部みたいだよな」
山坂浩二がそう言うと、月影香子も笑みを浮かべて口を開いた。
「確かにそうよね。でも、仕方ないじゃない。制服以外の動きやすい服装で寒さをしのげるっていったら、これくらいしかないわよね」
「いや、ほかにもあると思うんだけど……。ほら、秀さんみたいにスーツとか紗夜さんみたいにジーパンとか。今日の浄化任務は依頼主との話もあるみたいだし」
「スーツなんてもってないわよ。それに、あたしにとってはジーンズは動きにくいの。だから、これが一番いいの。……でも、本当は制服がよかったわ。戦い慣れてるからね」
「でもあれだろ。制服は身元がばれるかもしれないから着ていかないでくださいって秀さん言ってたよね。でもこの服装は絶対失礼だよなあ」
「秀さんがオッケーって言うんだから大丈夫よ」
「……そうだといいね」
ここで、横断歩道の信号が青に変わった。車の流れが止まり、歩行者と自転車が幹線道路を横切っていく。山坂浩二と月影香子の二人も横断歩道を渡っていく。
横断歩道を渡り終えたところからはアーケードがあり、やや短めではあるものの奥まで店が連なっているのが見える。
二人が横断歩道を渡り終えたとき、山坂浩二の頭にはある一つの素朴な疑問が浮かび上がった。
「なあ、香子」
彼はアーケードに目線を向けたまま口を開いた。月影香子は山坂浩二に顔を向ける。
「なに?」
「ちょっと前から気になってたけど、俺達って、今日は任務があるんだよな」
「うん、そうだけど? それがどうかしたの?」
山坂浩二は割と真剣に話しているつもりなのだが、月影香子は日常会話の調子で言葉を返してきた。山坂浩二は口調を強めるように心がける。
「いや、あの。依頼主って、ここから車で二時間のところに住んでるんだよな。それで任務はお昼の一時からだよな」
「うん。だからなんなのよ」
自分の言いたいことが伝わっていない。焦った山坂浩二はほのめかすという回りくどい方法ではなく、直接口で言って思いを伝えることにした。
「いや、あの、だから。なんで俺たちは商店街の真ん前にいるんだよ! 商店街なんかぶらついてたら普通に遅刻すると思うよ!」
山坂浩二は日常会話よりも声量を上げていた。
しかし、月影香子は表情を暗くするどころか表情を崩して笑った。
「なんだ浩二、そんなこと心配してたの? スピードあげて飛んでいくから、遅刻の心配なんてないわよ」
「え、でも……」
「でもじゃないわ。それと、今日の午前中はあたしの言うことに従うんじゃないの?」
月影香子の表情は一瞬にして悪い笑顔になった。
勝手に決めてんじゃねえ! と口に出してやりたかったが、その後が面倒なことになりそうだと考えた山坂浩二は、
「はいはい。そういえばそうだったねぇ」
と言って月影香子に反抗するのを諦めた。すると、
「じゃあ、行くわよ」
と言って、彼女はいきいきとした様子で歩き出した。山坂浩二はその場に立って歩く月影香子の背中を眺めていたが、
「ほら浩二なにしてるのよ。早く早く」
という月影香子の声で我に返り、小走りで彼女のもとへと向かった。
(まったく、子どもみたいだなぁ。がらにもなくはしゃいじゃって)
山坂浩二は心の中でそう呟きながら彼女の左隣に並んだ。二人は横に並んだままアーケードを歩いていく。月影香子は嬉しそうに笑い、山坂浩二は微笑んでいた。
山坂浩二は、月影香子の勝手な行動にいやいやながら付き合っているように見えるが、実のところ彼は彼女とともに行動することを楽しんでいた。
彼の表情は微笑みというよりも『にやけ』に近い。自然と頬が緩む。そして、月影香子と歩いている最中、彼は内心、
(お、お女の子と一緒に商店街を歩いてる。こ、これって、デート!? でも俺と香子はそんな関係じゃないからデートじゃないはず。でもやっぱりデート? デートかな? デートだよね? いやデートじゃない! でもやっぱりデートだよな! となるとこれは記憶にある限り人生初のデート!? ふ、ふ、ふええええぇぇぇ)
などと盛り上がっていた。人通りはそれほど多くないが、すれ違う人のほとんどが月影香子に視線を向けたり、遠巻きに「あの子かわいい」と言っていたり、山坂浩二も「あの男の子微妙にかっこいいかも」などと言われていたが、本人たちは気づいていないようだった。
月影香子も、平静を装っているだけで内心は盛り上がっているのかもしれない。
だが、こんな場所でも、女性たちは訳もなく山坂浩二を避けるようにして歩いていた。彼のトラウマを過剰に刺激する出来事ではあったが、月影香子と歩いていることで頭がいっぱいだったために本人がこのことに気付かずに済んだのは不幸中の幸いだろう。
二人が最初に立ち寄ったのは小さなゲームセンターだった。
山坂浩二はゲームセンターで遊んだ経験が少なく、月影香子は皆無だったため、興味本位というのが入店の主な理由だった。
まず、二人はクレーンゲームに挑戦した。万が一景品がとれてしまっても荷物にならないように小さな景品のものを選んだ。
「よし、じゃあまずは俺からな」
山坂浩二は百円硬貨を投入し、クレーンを操作した。正面から側面、側面から正面と体を動かしながら狙いを定める。そして、
「ここだ」
と言うと同時にクレーンを下に向かわせた。
(いける。クレーンゲームは初めて挑戦するけど、テレビで見た感じ簡単そうだから、このままいけばあのオレンジのやつはとれるだろ)
山坂浩二はクレーンの動きを見つめ続ける。先が動き、彼の狙い通りにオレンジ色の丸い何かを挟み込んだ。そして、クレーンが上昇し始めた。
(いける!)
しかし、彼は現実をなめていた。景品が持ち上がった瞬間、それは間からすり抜けていき、むなしく落下した。何もないのにわざわざ開いてくれるクレーンもむなしさを増加させてくれる。
「ああ、くそ。百円無駄にしたああ」
「あははは。じゃあ、次はあたしの番ね」
クレーンゲームの前でうなだれる山坂浩二を押しのけて、月影香子は百円硬貨を投入した。言わなくてもよいだろうが、彼女もクレーンゲームは初挑戦である。
彼女については語る必要もない。山坂浩二とまったく同じ結果となった。
「えー、なんでよー。見てる感じじゃ簡単そうなのに。なんでこんなに力弱いのよー」
ここにまた新たに、クレーンゲームの難しさを知る人が生まれた。
クレーンゲームの次は、お金を払って遊んだという気分になるものをしたいということで、流れる曲のリズムに合わせて太鼓を叩くというゲームをすることになった。
百円硬貨を投入し、バチを両手に握る。
「二本あるから、なんだかあたしはいい感じにできそうな気がするわ」
と、無根拠な自信を見せる月影香子。それに対し、
「まるでできそうな気がしないんだが」
と、自信のない発言をする山坂浩二。
二人は機械のナレーションに従って操作していく。しかし、曲を選ぶところで問題が発生した。
「おい、どれがどの曲かわからないんだけど」
「あたしもわからないわ」
この二人、エンターテイメントに関してはほとんど無知に等しかったのだ。だが、
「わからないからランダムでいいよな」
「そうね」
と、曲選びを機械に任せ、そして演奏が始まった。
「なるほど、これがこうでこれがこうと」
「だいたいわかってきたわ」
序盤はぎこちなかった二人だが、中盤にもなると、無言になって演奏に集中していた。ミスこそはあるものの及第点には達しているようだ。
そして、終盤になっても勢いは変わらず、やがて演奏が終了し一応クリアという形になった。もう一度遊べるとのことなので、選曲はまた機械任せにして演奏を開始した。
二回目ともなると、二人とも動きが滑らかになっていた。あっという間に演奏は終わり、今度は自信を持ってクリアと言える結果だった。初めてにしては、二人ともうまくできていた。
ゲームセンターを後にした二人は再び商店街を歩いていた。
「楽しかったわー。あの太鼓のやつ」
「そうだな。暇とお金があったら、またしようか」
「そうね。時間があったらね」
二人とも満足そうだ。
「なあ、香子。次どこ行くんだ?」
山坂浩二がそう尋ねると、月影香子はズボンのポケットから赤色の折り畳み式携帯電話を取り出して時刻を確認した。
「そうねえ。歩くのとゲームセンターでかなり時間使っちゃったわね。お昼にはちょっと早いけど、もうご飯にしようか」
「りょうかーい」
月影香子は携帯電話をズボンのポケットに戻した。
「なにがいい?」
彼女は山坂浩二に顔を向けて訊いた。彼は中空を眺めながら少しの時間考え、
「安いところがいいな」
と答えた。
「んー、安いところねえ」
月影香子は右手を腰に当てて考え始めた。それと同時に商店街に掲げられている看板をきょろきょろと見回し出した。そして、何かを見つけたようで、彼女のまぶたが上がった。
「じゃあ、ちょうど近いし、ハンバーガーでいい?」
「いいよ」
お昼ご飯会議はあっさりと完結した。
昼食にはまだ少し早い時間であるためか、昼食時には混雑する店内も今は客が少ない。入店してすぐに注文できるというのは素晴らしい事である。
しかし、山坂浩二と月影香子の二人は入り口付近に立ったままだった。月影香子はメニューを見上げて必死にものを選んでいるが、山坂浩二は黒色の折り畳み式携帯電話を取り出して操作し、何かをしている。
入店して数分後、月影香子は注文するものが決まったようで、目線をメニューから左隣の山坂浩二に向けた。
「ねえ。浩二は何頼むか決めた?」
彼女がそう尋ねると、山坂浩二は携帯電話から月影香子に視線を移した。
「ああ、決まったよ。香子は決まった?」
「決まってるわよ。プレミアムチーズバーガーセットにするわ」
月影香子がそう言うと、山坂浩二は再び携帯電話を操作し始めた。
「俺もそれにするつもりなんだけど……ほら、クーポンあるぞ」
山坂浩二はそう言って携帯電話の液晶画面を月影香子に見せた。するとそこには、百円割引になるというクーポンが映し出されていた。
「俺がまとめて払うから、香子は後で俺にお金くれればいいよ」
山坂浩二は開いたままの携帯電話を左手に持ってレジへと向かおうとした。しかし、一歩踏み出したところで、彼は月影香子に右手を掴まれた。
「だめよクーポンなんか使っちゃ! 売り上げ減るからお店の人がかわいそうでしょ!」
月影香子はいつもよりもやや大きめの声で言った。
山坂浩二は呆気にとられるが、すぐに我に返って反論した。
「あのなあ、クーポンってのは客に買わせるためのものであって、店がやせ我慢しているわけじゃないんだぞ。そもそも、買ってくれないことには利益は出ない。こういう大企業が経営している店は、クーポン使ってくれてありがとさんって言いたいんだよ」
「でも、あたしは使わないからね! あと、他にも頼みたいものあるから自分で頼むわよ!」
月影香子はそう言うと、山坂浩二を追い抜いてレジへとたどり着き、メニューを見ながらいろいろと注文していった。
山坂浩二も彼女に続いて注文をした。もちろんプレミアムチーズバーガーセットでクーポン使用である。
二人は微妙な空気のなか、レジ横で注文品が提供されるのを待っていた。他に客が少ないためか、割と早めに提供された。二人は注文品が乗ったトレーを持って店内の奥のほうへ進んでいった。
山坂浩二と月影香子の二人が来てからレジ係の若い女性が浮かべていた笑みは、決して営業スマイルではなかったということを二人は知る由もない。
二人用のテーブルに座った山坂浩二と月影香子は、同時にいただきますをした後、それぞれのバーガーにかぶりついた。
「うまい。ファーストフードも捨てたもんじゃないな」
「時々食べたくなるわよね」
そう言って二人は再びバーガーにかぶりつく。月影香子はもう一つハンバーガーを注文していたが、彼女は山坂浩二とほぼ同じタイミングで食べ終わった。こうして、食事の時間は瞬く間に過ぎて行った。
食前の微妙な空気も、どこかへ消え失せていた。
ハンバーガー店を後にした二人は、それぞれの携帯電話で時刻を確認していた。
「ちょうど、十二時ね」
「そうだな」
時刻を確認し終えた月影香子は、携帯電話をパーカーの内ポケットにしまい、財布も同様に内ポケットに入れた。山坂浩二も彼女の行動を模倣する。
「じゃあ、そろそろ浄化任務の時間ね。どこか人目のつかないところに行って不可視の状態になって、それから目的地へ飛ぶわよ」
山坂浩二にそう話す彼女の表情は、先ほどとは異なり真剣みを帯びていた。山坂浩二もそれを感じ取り、自然と気が引き締まった。
「わかった」
彼がそう頷くと、
「こっちよ」
と言って月影香子は歩き始めた。山坂浩二は彼女の後ろをついていく。横道からアーケードを抜け、人気のない通路へと出る。月影香子は辺りを窺い、人がいないことを確認した後、霊力を使って、霊力の弱い人には見られない不可視の状態になった。別名、半霊体化ともいう。
山坂浩二は霊力を体にまとい、不可視の結界を作ることで不可視の状態となった。
そして、月影香子が山坂浩二に背中を見せてしゃがんだ。山坂浩二は無言で頷いて彼女の背中に身を預けた。
月影香子は悠々と立ち上がり、青空を見つめて言った。
「行くわよ、浩二」
山坂浩二は彼女にしがみつく力を強める。
「いつでもどうぞ」
その言葉を合図に、二人は大空へと飛び立った。