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ムーン・ライト  作者: 武池 柾斗
第二章 残党編 
17/95

第五話 柳川友子

「柳川さん……ですよね?」

 山坂浩二はアスファルトの上に腰をつけたまま、目の前に降り立った少女を見上げて尋ねた。目に映る光景が信じられなかった。

 クラスメートの少女とただ目を合わせることしかできなかった。

 一方、柳川友子は唖然とする山坂浩二を見下ろしながら、いつも学校で見せているものと変わらない表情をしている。

「ああ、そうだけど? それがどうかしたの?」

 彼女は平然として聞き返した。

 山坂浩二は一瞬言葉を失うが、すぐに自我を取り戻し、

「い、いや、その……そ、そう! 何で柳川さんがここにいるんですか! それにそのナイフは何なんですか! 退魔師ってどういうことですか!」

 とまくし立てた。柳川友子はほんの少し笑いながら左手首を前後にぶらぶらと振る。

「まあまあ、山坂。少し落ち着きなさいよ」

「無理ですよ! わけわかんないですよ!」

 いまだに取り乱している山坂浩二。そんな彼の姿を見続けていた柳川友子は、左手首を振るのをやめて下ろし、ため息をついた。

「まあ、そりゃそっか。クラスメートの女子が、実はあなたと同じ退魔師でした! ……なんていわれてもねぇ。はいそうですか、なんて納得できないよねぇ」

「え、えっと、ま、まあ、はい」

 柳川友子の言葉に、山坂浩二は戸惑いながらも同意した。しかし、彼は内心、彼女が退魔師であることに納得していた。柳川友子と月影香子が幼いころから知り合っていたという話から、なんとなくだが想像はついていた。

 そして、今いる彼女の姿が透けていることが、何よりの証拠であった。

 山坂浩二が返事をした後、彼女はわずかに目を細めて山坂浩二を眺めはじめた。無言の柳川友子から送られてくる視線に山坂浩二は耐えられなくなり、彼女から目を逸らした。

 柳川友子はそれを確認すると、表情を緩めて鼻で笑った。

「相変わらず、香子以外の女の子が苦手みたいね。ちょっとは普通になってるかも、とか期待してたんだけどなー。これじゃ覚醒前と何にも変わらないじゃないの」

『覚醒』という言葉に山坂浩二は反応して、反射的に柳川友子へと目線を移した。彼の表情が驚きで満たされる。

「覚醒って、まさか柳川さん、知ってたんですか……?」

 彼女の言った覚醒という単語を、三日前の満月の夜に山坂浩二が退魔師の力を取り戻したことだと解釈した彼は、目を見開いて尋ねた。山坂浩二はそのことを、自分と月影香子しか知らないと思っていた。

 柳川友子は緩めた表情をもとに戻した。その顔は学校で見慣れたもので、落ち着きのない山坂浩二とは対照的だった。

「知ってるもなにも、山坂が霊力を取り戻したときの力の放出で、それくらいのことは感じ取れた。この前の土曜補習中にね、アンタの雰囲気が前と変わってたこと気づいて、それで確信に至ったのよ」

 柳川友子は息を吐いた。そして続ける。

「それに、アンタの復活は、たぶん、日本中の霊能力者たちだって感じ取ったはずよ。たぶん今頃、霊能力者たちは山坂浩二の復活について騒ぎたてているはずね」

 彼女の話の途中から、山坂浩二の目が点になった。彼女が話し終えると、彼は驚きから素っ頓狂な声を上げた。

「え!? に、日本中の霊能力者!?」

 山坂浩二は実際戸惑っていた。まず一つ目は、自分たち退魔師以外に霊能力者なるものが実在していたこと。そしてもう一つは、そんな人間たちの間で自分ごときの話がされているということ。どちらも、特に後者が信じられないが、柳川友子が嘘をついているとは思えなかった。

 月影香子のときがそうであったように、柳川友子も本当のことを言っている。二人の目の色が同じ気がした。

 山坂浩二の大げさな反応を見た柳川友子は、あきれたように眉間にしわを寄せた。

「まったく。山坂ってほんとに自覚ないのね。普段は置いといて、満月の夜のあんたは魔神クラス、いや、それよりも遥かに大きい霊力を持ってるのよ」

 そのことが当然であるかのように言われた山坂浩二は、さらに混乱した。

「は? ま、魔神?」

 頭が正常に機能しないなか、山坂浩二はとりあえず、聞きなれない物騒な響きの言葉を聞き返した。もう、なにがなんだかわからない。

「そっ。魔神以上の霊力。だから山坂浩二は霊能界ではちょー有名人」

 次から次へと放たれる言葉に四苦八苦する山坂浩二を尻目に、柳川友子はさらに追い討ちをかけた。理解の範囲を超えている。

 もう、わけがわからない。

 そう感じた山坂浩二は、またなにかを言おうとしている柳川友子よりも先に声を出した。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 彼の声が、柳川友子の言葉を封じた。話の腰を折られた彼女は不快なようで、眉間に再びしわを寄せた。

「ん? なによ?」

 彼女の声がさっきまでと比べて格段に低く、まるで山坂浩二を威嚇しているかのようだ。彼女は話の邪魔をされたことに相当苛立っているようだ。

 しかし、山坂浩二はひるまなかった。反撃を開始する。

「さっきからわけがわからないですよ! 霊能力者とか! 魔神とか! 霊能界とか! 僕が有名人とか! ちゃんといちから説明してくださいよ!」

 彼が叫ぶようにそう言うと、柳川友子は眉間にしわを寄せるのをやめ、納得したかのように首を数回縦に振った。

「うん、うん。言われてみれば、確かにそうよね」

 彼女は独り言のように呟き、山坂浩二に目を向けた。

「アンタ、まだ力を取り戻してから三日しか経ってないもんねぇ。香子も知ってるようで知らないし。まあ、山坂が知らなくて当然よね。記憶も戻ってないみたいだし」

「……はい」

 山坂浩二はとりあえず返事をした。柳川友子は続ける。

「いいわ。ここにきた理由は他にあるんだけど、とりあえずは、アンタが知らなさそうなことを教えてあげる。何も知らないまま命をかけるってのも問題だしね」

 山坂浩二は『柳川友子がここに来た理由』を尋ねようとしたが、彼女が話し始めようとしていたので、口を開けるのを堪えた。

 柳川友子は話を始めた。

「山坂。あんた、そもそも霊力ってなんのことかわかってる?」

 柳川友子からの問いかけに、山坂浩二は無言のまま首を横に振った。それを見た彼女は、小さく息を吐き出した。

「霊力ってのは、辞書とかでは不思議な力だとか精神の力だとか書かれているけど、アタシたちの間では『精神の力と肉体の力を結びつける力、または結びつけることによって生み出される力』のことを言うの。人間誰もがこの力を持ってるし、人間以外の生物だって持っている。やる気があれば体はよく動くし、逆にやる気がなければ体は重く感じる。簡単に言えばこんな感じよ」

「じゃあ、霊能力者っていうのは……」

「そう。この結びつける力が異常に強い人たちのことを言うの。その結果、異能と呼ばれる力を手に入れて、実体を持たない、精神そのものである霊的存在が見えたり、魔法のようなことができたりするわけ。何ができるかは人によって違うみたいで、アタシたち退魔師はご存知のような能力をもっている。ほかにも、火や水を操ったりする人たちもいるみたいね」

「そう、だったんですか……」

「ちなみに、霊能力者の間では、主に、霊力っていったら、生み出される力のことを指すの。この場合の霊力の強さは、精神の力、肉体の力、そしてその二つを結びつける力の三つに左右される。霊的存在の場合は、霊体は肉体としての効果が薄いから、ほとんどが精神の力に左右される。これが霊力の正体よ」

「なるほど……じゃあ、霊能界っていうのは、霊能力者が形成する社会のことですか?」

「ご名答」

「じゃあ話変わりますけど、魔神って、何ですか?」

「魔神っていうのは、災いを起こす神のこと。またはそれに匹敵するほどの強大な霊力をもつ存在のことを言うの」

「では、僕は」

「さっきも言ったとおり、満月の夜限定で、魔神よりも恐ろしい存在ってことになるのよね。そりゃあ霊能界でも有名になるわよ」

 山坂浩二はなにも言えなくなって、目線をアスファルトに落とした。あのときの自分の力がそんなにすごいものとは思ってもいなかった。

 二人の間にわずかな静寂が訪れるが、それを破ったのは柳川友子だった。

「山坂。アンタ、この前の満月のとき、悪霊を浄化し終えた後、どうしてたの? あれ以降、特に霊力の変動がなかったけど」

 彼女の質問に、山坂浩二はうつむいたまま、少し間をおいて答えた。

「僕の家で、布団の中にうずくまっていました。あと、香子に、僕のそばにいてもらいました。……なんか怖くて」

「なにが、怖かったの?」

「自分の力が、です。信じられないほど大きい霊力が僕の体の中を駆け巡っていました。体が破裂してしまうんじゃないかって、何度も思いました」

 山坂浩二の言葉を聞いた柳川友子は、目を閉じてゆっくりと息を吐いた。そして目を開け、アスファルトに腰を下ろしている山坂浩二を見据えた。

「そのとき、香子はそばでどうしてたの?」

「ずっと、大丈夫だよ、って声をかけてくれました。他にもなにか言っていたみたいなんですが、覚えていません」

 柳川友子は目を細めた。

「他には?」

 そう尋ねた彼女を、山坂浩二は見上げた。彼女の双眸をまっすぐに見つめる。

「いえ、本当に、それだけでした」

 芯の通った声だった。

「ふうん、なるほど」

 柳川友子は彼の言葉に軽く頷きながら納得したそぶりを見せた。そして、彼女は少し間をとった後、再び山坂浩二に話しかけた。

「でさ、山坂」

 先ほどよりも強い口調で言葉を放った柳川友子に少し戸惑う山坂浩二だったが、彼はそれを隠して彼女に返事をする。

「はい」

「率直に聞くけど、アンタ、どうやって力を取り戻したの?」

 そう尋ねた柳川友子から、彼女の目線が山坂浩二よりも遥かに高い位置にあることも関係しているのか、かなりの威圧感が感じられた。

「え?」

 山坂浩二は、彼女の威圧感から、聞き返すことしかできなかった。柳川友子と目が合う。彼女は山坂浩二の目を見つめたまま、

「もう一度言うよ。どうやって力を取り戻したの?」

 と言った。その言葉には、山坂浩二に話す以外の選択肢を与えないほどの力が込められているようにも思えた。山坂浩二は目線を下げ、わずかな沈黙の後、話し始めた。

「悪霊に胸を貫かれて、僕は意識を失いました。あ、いえ、正確に言えば、うっすらとした意識は残っていました。その時僕は、六歳以前の記憶の一部を見ました」

「記憶? なにを思い出したの?」

「香子との三つの約束と、約束したときのことです」

 それを聞いた柳川友子は軽く頷きながら腕組みをして、口を少し尖らせた。山坂浩二は依然として下を向いたままだ。

「ふうん。で、山坂はそれを思い出した後、何をしたの? 何を思ったの?」

 彼女がそう尋ねると、山坂浩二は顔を上げて彼女の目をまっすぐに見つめた。

「……退魔師になって、悪霊の大群に襲われていた香子を助けたいと、強く願いました」

 彼が言い終えた後、わずかな静寂が訪れた。柳川友子はうっすらと笑みを浮かべ、「なるほど」と呟いた。そして頭の後ろで手を組んで夜空を見上げた。

「だからかー。だから山坂は力を取り戻したのね」

 明るい口調で放たれたその言葉。柳川友子はまるで悩み事が解消されたかのようなすがすがしい表情をしているが、山坂浩二にとっては論理が飛躍しすぎていて、何のことだかさっぱりわからなかった。

「え? あの、言っている意味がよくわからないんですけど……」

 山坂浩二がそう言うと、柳川友子は手を頭から下ろして彼に目線を移した。

「ああ、ごめんごめん。山坂は知らないよね。ええと、アタシたち退魔師は、『自分は退魔師だ』っていう自覚と誇りを持ってないと、力を失うの。完全に、ってわけじゃないけど、山坂のような記憶喪失の場合は、一時的に失うらしいよ」

「それは……初耳です」

「まあ、これはアタシも秀さんと紗夜さんから聞くまで知らなかったんだけどね」

 柳川友子の言葉に、聞き慣れない人の名前が出てきたので、山坂浩二は首をかしげた。

「あ、あの。さっき言ったその」

「ああ、秀さんと紗夜さん? アタシたち退魔師のリーダー的存在の人」

 山坂浩二の言葉を、柳川友子が遮った。自分の聞きたいことを彼女が言ってくれたので、山坂浩二は相槌を打った。

「そう……ですか」

 山坂浩二と柳川友子の間に、わずかな静寂が訪れる。

「で、アンタが訊きたいことはこれで終わり?」

 山坂浩二は首を縦に振る。

「じゃあ、次は……まあ、次と言ってもこれが最後なんだけど、香子がアンタに話してなさそうな退魔師の能力について話してあげる」

 話してなさそうな能力? 香子が自分に話していないような力が退魔師にはあるのだろうか。山坂浩二はそう思った。

「なんですか?」

 そう尋ねた山坂浩二の顔には、どことなく期待する表情が浮かんでいる。柳川友子は一度咳払いをして、話を始めた。

「……ごめん、これは能力というより『欠点』ね。アタシたち女の能力のうちの、武器の精製についてなんだけど、ちょっと見ててね」

 彼女は話すのを中断して、自らの右手を自分の顔の高さまで上げた。そして、彼女の右手から赤い光が伸びていきアサシンナイフへと姿を変えた。それを見た途端、山坂浩二にある種の衝動が芽生えたが、彼はそれを抑えつけた。

 柳川友子は話を再開させる。

「いい? 山坂。こう見ただけじゃわからないけど、かなり大きな欠点があるの。それは……」

 彼女は右手首を反してナイフを宙に投げ出す動作をした。当然、そのナイフは彼女の動きに従って宙を舞うだろうと思われた。

 しかし、山坂浩二の予想に反して、柳川友子の手から離れた瞬間に、ナイフが赤い光の粒子の集合体に変化してそのまま空中で霧散した。

 山坂浩二は眉をひそめた。

 柳川友子は彼を見つめ、ほんの少し笑った。

「こんな風に、自分の体から離れると、武器は消えてしまうの。霊力ごとね。女は体の中でしか霊力を作用させられない。だから武器も、霊力で作った体の一部みたいなものなのよ」

 山坂浩二は、わずかな間をとって口を開いた。

「それが、どうして香子が話してなさそうだとわかったんですか?」

 そう尋ねられた柳川友子は顔をしかめ、わずかな間だけ口を閉ざした。その反応を山坂浩二は疑問に思ったが、彼は柳川友子が話すのを待った。

 そして、彼女は重い口を開いた。

「香子が、『例外』だから」

「え……?」

「香子が武器を離しても武器は消えない。霊力もなくならない。香子が意図的に武器を元に戻そうとするか、霊力がなくなって武器の状態を維持できなくなるまで、そのままなの」

「どうしてですか?」

「どうしてかはわからないけど、たぶん、香子の霊力には、女のだけじゃなくて男のものも混ざっているからだとアタシは思う」

「……それって、僕と同じ?」

「山坂とは違うと思う。いくらあの香子でも、山坂みたいに男と女の能力を使い分けることなんてできないから」

「そう、ですか」

 山坂浩二はそう言うしかなかった。退魔師についての知識のほとんどが月影香子から聞いたもので、退魔師の基準だと思っていた彼女が『例外』だったのだから。

 柳川友子は話を続ける。

「まあ、それでも、香子の能力はアタシを含めたほかの女のものとあんまり変わらないんだけどね。でもね、山坂。アンタおかしいとは思わなかった? 女の霊力って赤色なのに、香子の霊力は青い色をしているの。青色って、男の霊力の色なのにね」

「た、たしかに。言われてみれば……」

「二つの霊力を使い分けることができて、満月の夜には魔神をも超える霊力を手にする山坂。飛び抜けた力を持ち、霊力の色と能力が一致しない香子。アタシには、アンタたち二人のことはよくわからない」

 山坂浩二は無言だった。

「まっ、こんなとこよ。アタシが話したいのはさ。山坂からはなんか改めて訊きたいこととかある?」

 柳川友子がそう尋ねると、山坂浩二は少し小さい声で、

「あの、柳川さんのパートナーは誰なんですか? 香子は、男女二人組で戦うって言ってたんですけど」

 と言った。柳川友子は鼻で笑い、

「いないよ、そんなの」

 と軽い調子で答えた。

「えっ!?」

 山坂浩二は驚きのあまり声を上げた。彼女は退魔師なのだから、当然のようにパートナーがいると思っていた。予想を裏切られたのに、なぜか山坂浩二は心の隅でほっとしていた。

「なに驚いてんのよ。アタシにはたまたま相性のいいやつがいなかっただけよ。それだけ」

 山坂浩二は再び無言になった。

「もう、おしゃべりはいいかしら」

「は、はい」

 山坂浩二が返事をすると、柳川友子はまるで一仕事終えたかのように小さく息を吐いた。

「山坂とおしゃべりするためにここに来たんじゃないのよアタシ。本当の目的は二つあってね。まず一つ目がアンタを雑霊から救出すること。そしてもう一つが」

 彼女の言葉が止まったと思ったその瞬間、山坂浩二の視界がぶれ、気づいたときには右半身が地面に触れていた。そして、それに遅れるように頭に痛みが走る。

 山坂浩二には何が起こったのか理解できなかった。彼は自分の置かれた状況を把握するために、柳川友子が立っていた場所を見上げた。

 いた。彼女の位置は変わらない。体勢も変わらない。だが、山坂浩二が彼女と目を合わせた瞬間、彼は背筋が凍るのを感じた。

 柳川友子の目が、冷たい、まるで処刑人のようなものに変わっていたのだ。

 彼女は低く、鋭い声で告げる。

「山坂の訓練」

 その言葉が耳に入った途端、山坂浩二の眉間にしわがよった。

「な、なにをしたんですか」

 弱々しい声でそう尋ねた山坂浩二を見つめる柳川友子の目は、変わらない。

「別に。ただ単に、アンタの頭を右足でかる~~く蹴っただけよ。それより、こんなところで寝てたら風邪引いちゃうよ山坂。ほら、起きなさいよ」

「ど、どうして」

 山坂浩二は震えながら上半身を起こした。

「どうしてって、山坂には強くなってもらわないと困るのよ。十年前のアンタくらい、いや、それ以上にね」

「だからなんでっ!」

 声を張り上げる山坂浩二に対して、柳川友子の声は冷たい。

「アンタはね、今、物事の中心にいるの。大きな、それも、アタシや退魔師のみんな、香子、それに山坂自身の命にだってかかわってくるようなものにね」

「どういうことですか」

「アンタの復活で、運命の歯車は動き始めてしまった。運命に抗うためには、山坂と香子の協力が必要なのよ」

「……いったい、何が起こっているんですか? 僕の知らないところで」

「今は教えない。アンタはおとなしく、香子のぬるい訓練よりも、アタシの訓練を受けて、強引にでも戦い方を思い出してもらうしかないの」

 柳川友子のこの言葉で、山坂浩二が予想していたことは確信に変わった。

「……だからですか?」

「なにが?」

 山坂浩二には、柳川友子がとぼけているようにしか見えなかった。

「柳川さんたちが、僕たちを襲い、香子を連れ去ったのは」

 柳川友子はかすかに笑う。

「そうよ」

 山坂浩二の表情が曇る。彼女に対する怒りがふつふつと沸いて出る。しかし、その怒りを彼女にぶつけることは、女性慣れしていない山坂浩二にはできなかった。

 山坂浩二はひとまず怒りを抑え、小さく息を吐いてから尋ねた。

「香子はどこですか」

「教えてほしい?」

 山坂浩二は頷いた。

「じゃあ、アタシが言うことができたら教えてあげる。いい? アタシの背中を地面につけること。これがアンタの訓練内容。これができたら香子の居場所を教えるどころか、そこに連れて行ってあげるよ」

 そう言われた山坂浩二は、ゆっくりと立ち上がった。そして、柳川友子の目を見据えた。

「それだけですか?」

 山坂浩二の言葉に、強さが戻る。しかし、柳川友子はそれを馬鹿にするかのようにハハハと短く笑い、

「それだけ? 山坂、アンタなめたこと言うね。今夜は満月じゃないのよ。今のアンタの霊力は、退魔師の中でぶっちぎりの最下位なのよ」

 と言った。彼女の言葉は明らかに挑発だった。しかし、山坂浩二はそうだとわかりつつも、それに乗らずにはいられなかった。

「霊力最弱でも、やってやりますよ」

 山坂浩二は拳を握り締めた。柳川友子はそれを確認すると、左手を腰に当ててわざとらしく大きなため息をついた。

「冗談きついわよ」

 そしてその言葉の直後、山坂浩二の視界が急にブレた。気づいたときには彼はアスファルトの上に仰向けに倒れていた。全身に痛みが走る。

 山坂浩二は、柳川友子の仕業だと確信し、彼女に反撃しようと上半身を起こそうとした。しかし、目の前にいきなり小さな手が現れ、それが彼の顔面を押さえつけた。

 山坂浩二にはなすすべもなく、後頭部が地面とぶつかる。とてつもない力で押さえつけられた。彼女の腕を両手で掴んで、その手を顔から離そうとしたがびくともしない。痛みが彼の感覚を蹂躙していく。そのなかで、柳川友子の声が聞こえた。

「力を取り戻してまだ一週間も経っていないアンタが、生まれてからずっとこの力と付き合ってきたアタシに勝てるとでも思ってんの?」

 山坂浩二の顔面から彼女の手が離れた。安堵した山坂浩二だったが、彼のそばで座っていた柳川友子は立ち上がった途端、彼のわき腹に蹴りを入れた。

 彼女としては軽くやったつもりだったのだろうが、山坂浩二にとっては重かった。一瞬息が止まり、苦痛で表情が歪められた。

「ばかばかしい」

 苦しむ山坂浩二をよそに、柳川友子の罵倒は続く。

「ほら、なにやってんの? アタシを倒して香子を助けに行くんじゃなかったの? アンタが足手まといになったせいで、香子はアタシたちに負けたんじゃないの?」

 彼女の言葉が、山坂浩二の胸に突き刺さる。

 彼は思わず声を漏らした。

「足手、まとい……?」

「そう。アンタという足手まといがいなければ、香子がアタシたちに負けるなんてことは絶対にありえないし、かなり弱った状態で結界内で戦わせることもなかった」

 山坂浩二は柳川友子を見上げる。

「結界内で、戦う……?」

「そう。香子は閉じ込められて退魔師残党の女たちと戦わさせられているの。あの状態で多人数戦だなんて、ほんと、かわいそうにね」

「なんで」

 山坂浩二は声を絞り出した。

「なんでって、そりゃ山坂が弱いからでしょ。それ以外に理由なんて見当たらないね。今のアンタなんて、ただの役立たずでしかないんだから」

 浴びせ続けられる彼女の罵倒。しかし、山坂浩二はそれには反応せず、柳川友子から距離をあけるかのように体の向きを変えて手を地面につけ、ゆっくりと立ち上がった。

 柳川友子は彼の行動を見るだけだった。山坂浩二が立ち上がると、彼女はまるでそれを待っていたかのように口元を緩めた。

 山坂浩二は荒い呼吸で肩を上下させながら、睨みつけるかのように柳川友子と目線を合わせた。そして、拳を握り締めた。

 柳川友子は鼻で笑った。

「なに? その目。なんか文句でもあんの山坂」

 彼女の喧嘩を売るような言葉。しかし、山坂浩二の心に彼女に対する怒りは沸いてこなかった。彼は目線を移すことなく、

「違います」

 と、静かに答えた。

 そして。

「僕は、僕自身が許せないんです。柳川さんの言うとおり、香子が連れ去られたのは僕の責任です。だから僕には、香子を助ける義務があります」

 彼の言葉に、柳川友子は口元を緩めた。

「それで?」

 柳川友子の口調は変わらないが、彼女が山坂浩二に何かを期待していることは目に見えてわかる。山坂浩二は息を吸い込み、

「柳川さんと僕の間には、大きな差があることは十分にわかりました。でも、僕は、あなたの背中を、なんとしてでも地面につけてみせます。それで、香子のもとへ連れて行ってもらいます」

 と言い放った。

 柳川友子は不敵な笑みを浮かべる。

「へぇ。やっと身の程を知った上でやる気になってくれたようね。いいよ。何回でも相手してあげる。山坂の気がすむまでね」

 彼女は、自分よりも頭一つ分高い山坂浩二に向けて手を伸ばした。

「どうせならあの広場でやりましょ。訓練開始は、あそこに着いてからね」

 彼女がそう言うと、山坂浩二は彼女がこれからすることを予想して無言のまま頷き、その手を掴んだ。どうせやるのなら、広い場所で正々堂々とやりたかったのだ。

 柳川友子は山坂浩二が手を掴むのを確認すると、山坂浩二とは正反対の方向を向いた。

「しっかりつかまってなさいよ。ちょっと飛ばすから」

 その言葉とともに、柳川友子は山坂浩二の予想通り空へと飛び立った。想像を超える速さに山坂浩二は恐怖を感じ、両目を固く閉じた。空気抵抗が襲ってくるので、気休めにしかならないが全身を女の霊力で強化しておいた。彼女を握る手は、特別扱いした。

 そして、大して時間も経たないうちに飛行速度が落ちていくのを感じ、山坂浩二は目を開けた。まだ空中にいることにはヒヤッとした。下を見ると恐怖を感じるため、上を向いた。すると、柳川友子の健康的な太ももが目に入り、さらには余計なものまで視界に入りそうになった。山坂浩二は慌てて視線を下に逸らした。速度が落ちていたため、山坂浩二と柳川友子の高さがずれていたのだった。

 山坂浩二はしばらく恐怖を感じながら、柳川友子にぶら下がっているしかなかった。

 河川敷広場の上空にまで来ると、柳川友子はゆっくりと降下を始めた。山坂浩二は依然として下を向いたままだった。

 上から見る広場。この景色は初めてのものではなかった。あの満月の夜に月影香子と共闘したときに何度も目にした。山坂浩二は改めて、あのときのように霊力をばら撒くだけではこれから先の戦いで通用しないことを感じた。

 河川敷広場に山坂浩二の足が着くと、柳川友子は彼から手を離し、遅れて着地した。彼女は振り向き、山坂浩二を見上げた。

「それじゃあ、訓練開始」

 明るい口調で放たれた彼女の言葉とともに、山坂浩二の新たな戦いが、幕を開けた。







 結界内では、月影香子だけが立っていた。他の七人の少女は全員地に伏していて、うめき声を上げる者もいれば、気絶している者もいた。

 少女たちは全員、月影香子によってこのような姿をさらす羽目になった。

 月影香子は二本の刀を握り締め、荒い呼吸をしながら、七人の少女たちを見下げていた。

「ほんと、くっだらない」

 彼女の顎から一粒の汗が滴り落ちる。

「てかさあ、あんたたち今までなにやってたわけ? あたしに傷一つつけることもできないなんてさあ。あたし今、相当弱ってるはずなんだけど」

 月影香子は息を整える。

「この程度じゃ死ぬよ、冗談抜きで。これじゃあ、ヤバイ仕事もらった時点で死亡確定ね。……なるほど、だから秀さんと紗夜さんは、かなり危険な浄化任務のときはあたしか友子に手伝ってもらったんだ。弱すぎるあんたたちじゃなくてね」

 罵倒するかのような彼女の言葉に、一人の少女が反応して月影香子を睨みつけるが、月影香子はそれを気に留めずに続ける。

「それにさあ、あんたたちなんかよりも十年前の浩二のほうがよっぽど強かったわよ。霊力はあんたたちよりも弱いのにね。それに、友子だって霊力はあんたたちとそんなに変わらないのに、あの子は一人でも全快状態のあたしに傷をつけることぐらいはできる。あんたたち、退魔師なめてんじゃないの?」

「香子ちゃん。もう、それぐらいにしてあげて」

 挑発を続ける月影香子の後ろから、女性の落ち着いた声が聞こえた。それと同時に七人の少年たちが結界内に入り、それぞれが少女を一人ずつ担ぎ上げ、結界から出て行った。おそらく、彼らは退魔師で、彼女たちのパートナーなのだろう。結界内から去る前に月影香子を睨みつける者もいたが、彼女はそれを無視した。

 彼らが結界内からいなくなると、月影香子は鼻で笑い、後ろを振り向いた。彼女から少し離れたところに、一人の女性が立っている。ジーンズにワイシャツ。茶色がかったセミロングの髪は、肩のあたりからウェーブしている。整った顔立ちをしていて落ち着いた雰囲気を纏っていている。全体的に細い月影香子とは対称的に、グラマラスな体型。見た目から判断すると、歳は成人したばかりのように思える。

 その女性の姿を確認すると、月影香子は口を開いた。

「ようやくお出ましってわけ? 紗夜さん。大切なお仲間を放っておいて、いったいなにしてたの?」

 彼女は、明らかに自分よりも年上の女性に挑発的な態度をとった。紗夜と呼ばれた女性は左手を腰に当ててため息をついた。

「私が加勢したら意味ないでしょ。訓練にならないじゃない」

 月影香子は眉をひそめた。

「訓練? なにそれ、どういうこと?」

 怒ったように彼女が尋ねると、紗夜は「しまった」とでも言うように右手で口を押さえる動作をして、

「おっといけない。さっきのは聞かなかったことにしてくれる?」

 と言った。すると、月影香子は歯軋りをして紗夜を睨みつけた。

「なかったことに? ふざけないで! あたしはこんなわけのわからないことに付き合わされて、いい加減いらいらしてるのよ。どういうことかちゃんと説明してくれないかなぁ」

 日本刀を握る手に、力が入る。彼女は相当苛立っているようだ。しかし、彼女とは正反対に紗夜は落ち着いている。

「たぶん、秀ちゃんからは、全部終わらせたら話してあげる、って感じのことを言われてるんじゃないかしら」

 紗夜がそう言うと、

「だったら早くしなさいよ! どうせ次の相手は紗夜さんなんでしょ!」

 月影香子は声を荒げた。紗夜は微笑む。

「せっかちね。香子ちゃん。せっかく休憩させてあげようと思っていたのに」

「は?」

 月影香子の態度は、もはや他人の怒りを買うレベルだが、紗夜はまったくと言っていいほど動じない。ただ、月影香子を微笑みながら見つめている。

「強がっても無駄よ、香子ちゃん。あなたにはもう、私と戦えるほどの霊力なんて残っていないことぐらいわかってるのよ。香子ちゃんお得意の空中移動だって、あと十分できるかどうかってところよね?」

「……何が言いたいのよ」

 図星だったのか、月影香子の口調が少し弱くなった。

「だから、香子ちゃんが戦いを終わらせることなんてできないって言ってるのよ。無駄な抵抗なんてしないで、もう一つのことが終わるまでおとなしくしてるのが賢明よ」

 月影香子は眉間にしわを寄せた。

「もう一つのこと? なんなのそれ?」

「さあ? でも、時間が経てばわかることよ」

 とぼけたような紗夜の発言に、月影香子の怒りはさらに増した。

「ふざけないで! あたしはねぇ、早く浩二のところに戻りたいの。あたしがここでじっと待ってるなんてできると思ってんの!」

 彼女は怒声とともに刀を構えた。紗夜は両目を閉じて大きく息を吐き出し、両目を開けて月影香子を見据えた。

 そして。

「思ってないわよ」

 紗夜は右手から赤い光を伸ばし、二メートルを超える大斧を作り出した。彼女はそれを大きく振りかざし、一気に床に叩きつけた。

 轟音が結界内を支配した。空気の振動が、月影香子をも震わせる。あらかじめ床にも結界が張られていたのか、床には傷一つついていなかった。

 空気の振動が収まると、紗夜の静かな声が空間内を通った。

「初めからね」

 月影香子は息を呑んだ。紗夜は静かに続ける。

「刃はなくしてあげたわ。死んじゃったら困るしね。でも」

 彼女は大斧の柄を両手で握った。

「香子ちゃんは時間が来るまで逃げ回ることしかできないわよ」

 その言葉とともに。


 紗夜が月影香子めがけて走り出した。


 月影香子は目を見開いた。刃がなくても、あの大斧を一撃でもくらえばおしまい。その恐怖が彼女を襲う。

 紗夜は月影香子を標的にして横一文字に斬撃を繰り出した。月影香子はとっさの判断で上へ跳び、結界の天井部分を蹴りつけ、紗夜から離れたところに着地した。

 再び紗夜が襲い来るが、月影香子は大斧のすれすれのところを突破して紗夜の背後に回りこんだ。そして彼女の右肩に二本同時に斬りつけた。

 渾身の一撃。

 しかし。


 紗夜の肌に触れた瞬間、刀は二本とも折れた。


 月影香子は目を見開いた。刀の破片が床と触れ、高い音が哀しく響いた。そして、紗夜が振り向きざまに横一文字に斬りつけてくる。月影香子は後ろに跳びのいた。

 紗夜と目が合う。息が荒くなる。

 紗夜は月影香子と目を合わせ、クスッと笑った。

「だから言ったでしょ。できないって。今の香子ちゃんじゃ、絶対に無理だから」

 悪寒が、月影香子を襲った。







 

 

 


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