第二話 食堂
四時間目の授業が終わると同時に、山坂浩二はプラスチックの弁当箱を持って席を立ち上がり、教室から飛び出した。
彼は目的地へと急ぐ。
目的地の待ち合わせ場所までは十メートルもないため、彼にはその場所の様子がはっきりとわかった。
待ち合わせ場所である中央階段付近には、腕組みをして壁にもたれかかっている一人の女子生徒がいた。彼女は眉間にしわをよせて天井を眺めている。
山坂浩二がその女子生徒、月影香子の前までたどり着くと、彼女は彼を上から睨みつけるように目を細めた。
「……遅い」
月影香子は静かに告げた。すると山坂浩二は顔の前で両手を合わせた。
「ごめん! 数学の授業がなかなか終わってくれなかったんだ!」
彼が頭を少し下げて謝ると、月影香子は氷のような笑みを浮かべ、
「へぇ。このあたしに言い訳とは、なかなかいい度胸ねぇ浩二。あたしを待たせるなんて、ほんとは一発殴ってあげたいくらいなんだけど……」
山坂浩二の首筋に冷たい汗が伝う。
唾を呑む。
「今回は許してあげる」
「ほんと!?」
山坂浩二は頭を上げて月影香子の両目に目線を向けた。彼女は相変わらず腕組みをして冷ややかな目で山坂浩二を見下している。
「ええ。でも、これ以上あたしを待たせるようなことをしたらただじゃおかないからね」
月影香子はそう言うと腕組みを止め、
「じゃ、食堂行こっか」
と言って壁から背中を離して歩き出した。腰まで届くポニーテールにまとめられた黒髪が、山坂浩二にわずかに触れる。
「お、おう」
山坂浩二はやや速い足取りで歩き、先に歩き出した月影香子の左隣りに並んだ。二人は階段を下り始めた。
月影香子は山坂浩二から顔を背け、
「……ほんとうに、これ以上待たせたらただじゃおかないんだから」
と呟いた。
すると、山坂浩二は月影香子に顔を向け、
「えっ、今なんか言った?」
と尋ねた。月影香子は山坂浩二に少しだけ顔を向け、左目で彼を睨むように見つめた後、首を左右に振って、
「ううん。なんでもない」
と言って前を向いた。
それからしばらく、二人は無言のまま歩き続けた。
普通教室のある本館を抜け、一階の渡り廊下を歩き、特別教室のある別館を抜けようとしたところで、月影香子は前を向いたまま口を開いた。
「ねえ、浩二」
「……なんだよ」
山坂浩二も前を向いたまま返事をした。
月影香子は目線をわずかに下げ、
「……女の子が浩二を避けるって話、本当だったんだね」
と、彼女にしては活気のない声で呟いた。
「……ああ、そうだよ。……ってか、いまさら信じたのかよ」
山坂浩二は前を向いたまま、あまり抑揚のない声で答えた。
すると、月影香子は山坂浩二に顔を向け、
「うん。だって、人から嫌われるような人じゃないもん、浩二って」
と言った。山坂浩二は彼女に顔を向け、
「えっ、今、なんて……」
と聞き返そうとしたが、月影香子は山坂浩二から顔を背けるようにして前を向き、両手を頭の後ろで組んだ。
「それにしても不思議よねぇ。女の子だけが、まるで浩二のために道を開けているように遠ざかっているもんねぇ」
月影香子は見下すように周りを見ながら言った。
確かに、彼女が言うように、山坂浩二がいる辺りでは、男子生徒はなんの異常もなく彼のそばを歩いているが、女子生徒は彼を必要以上に避けるようにして通り過ぎていく。
「……」
山坂浩二は月影香子に返事しなかった。
月影香子は後頭部から両手を下ろすと、なにかを睨みつけるように目を細めて前を見始めた。
「ほんと。浩二のなにがイヤなのよ」
二人は再び無言になった。食堂や食堂横の購買部付近の人だかりのなか、山坂浩二が右隣りの月影香子を一瞥すると、彼女はまだ目を細めたままだった。
(もしかして香子……怒ってる?)
そう思った山坂浩二。
しかし、彼女が自分に怒っているのか、自分を避けている女子生徒たちに怒っているかはわからなかった。
(今は、俺から話しかけるのはやめておこう。……なんか怖いから)
山坂浩二は心の中で呟くと、右隣りの月影香子に聞こえないように、静かに鼻でため息をついた。
二人が食堂の扉の前まで来ると、月影香子は、扉のそばに設置されている自動食券販売機の前で立ち止まった。
そして、いくつかの売切ランプが点灯しているそれを眺め、
「今日は何にしようかなぁ」
と呟きながら、スカートのポケットから小銭を取り出して硬貨を投入した。そして素早くボタンを押した。
短い稼動音の後、切符のような食券が出てきた。どうやらぴったりに支払ったようで、お釣りは出て来なかった。
月影香子は食券を手に取ると、
「そうそう。浩二って食堂初めて?」
と、後ろに振り向きながら尋ねた。急に話しかけられた山坂浩二は、予想外のことに少し戸惑ったが、すぐに、
「あ、ああ。初めてだけど。……それがどうしたんだ?」
と答えた。
すると月影香子は右手に持った食券を自分の頭の横で左右に振りながら、
「食堂でご飯頼むときはここで食券を買うのよ」
と自慢げに語った。しかし、
「いや。俺、弁当だし。それに食堂高いから使わないし」
山坂浩二がそう言うと、月影香子は「あっそ」とだけ吐き捨て、すぐに彼に背中を向けて食堂の扉を押し開けた。
(……やっぱり、俺に怒ってんのかなぁ。香子)
山坂浩二は首をかしげてから、月影香子に続いて食堂に足を踏み入れた。後ろに手を回して扉をゆっくりと閉め、食堂内を見渡す。
長テーブルと背もたれのないイスが並べられていて、最大で百人は座ることができるだろうと思われる。
奥には注文コーナーと返却口が見え、数人の生徒が列をつくっている。食堂の中央には白いストーブが置かれていた。
「あったかーい」
月影香子はストーブ前まで歩くと、それに手をかざした。山坂浩二は彼女の後ろで、
「食堂ってストーブあったんだ」
と呟いた。すると月影香子はストーブに手をかざしたまま山坂浩二に顔を向け、少し馬鹿にしたような目で彼を見つめた。
「知らなかったの? まあ浩二は食堂初めてだから知らなくて当然かなー?」
「うるせぇ」
山坂浩二は眉間にしわをよせる。月影香子はストーブから手を遠ざけ、体を百八十度回転させて山坂浩二と向き合った。
「はは。その反応、十年経っても全然変わらないねぇ」
彼女は微笑みを浮かべた。
「じゃ、あたしは食券渡してくるから、浩二はあそこで待ってて」
月影香子はそう言いながら、山坂浩二の左斜め後ろを指差した。山坂浩二がその方向に振り向くと、彼女が指定する場所は食堂の隅の近くであることがわかった。
「あそこね。はいはい」
山坂浩二は返事をすると指定された席へと、月影香子は奥の注文コーナーへとそれぞれ向かった。
山坂浩二はテーブルに透明なプラスチックの弁当箱を置いてイスに座ると、列に並ぶ月影香子を、頬杖をつきながら眺め始めた。
(……香子って、けっこう目立つよな。背は高いし、顔はかわいいし、髪はすげー長くてきれいだし。なんで、俺は今まで香子のことを知らなかったんだろうな)
山坂浩二の目の前を一人の男子生徒が通り過ぎていく。
(それに、香子が俺に気がつかなかった、ってのもよく考えれば変だよな。確かに、教室は離れてるしコースは違うし、授業も違う)
一人の男子生徒が彼の前を横切った。
(それに、俺は基本的に教室からは出ていかない。……それでも、一度くらいは廊下ですれ違ったりするはずだよな)
山坂浩二の目の前を一人の男子生徒が通り過ぎ、山坂浩二の後ろを三人の男子生徒が歩いていった。
(……やっぱり、ちょっと不自然だよな。まさか、なにか裏で陰謀があったりとか! ……ってこれはさすがに考えすぎか)
山坂浩二はため息をついた。そして、さりげなく自分の左側に目線を向けた。同じ長机の端には、六人の男子生徒が座っていた。
山坂浩二と席が近い彼らは、ラーメンを食べながら会話に花を咲かせていた。
「おい、今日の話題は何にするよ?」
「この前はヘルメットだったよな」
「じゃあ、耳たぶ!」
「それはかなり前にやったはずだぞ」
「……スカートは?」
「その話題は……今やるのには少し時期が早いのでは?」
「じゃあ、アキレス腱!」
山坂浩二は目を細めた。
(……出たよヘンタイ六人衆。何話してるか全然わかんねぇー)
ため息。
(なんであんなやつらが成績優秀なんだ? あ、一人を除いて、か。でも部活もやってるのになんでかなぁ)
山坂浩二が考え事をしていると、彼の前で、机になにか重いものを置いたような音と衝撃がした。
山坂浩二は慌てて目線を前に向ける。
「浩二おまたせ!」
彼の向かい側には、イスを引いて座ろうとしている月影香子がいて、机の上にはラーメンが入った大盛りサイズの器が置かれていた。
まだ常識的な大きさ。
けっして、どこかの大食いタレントが、カメラの前でがっつくサイズではない。
が。
女子高生が食べる量としては多い。
湯気の立つ麺の上にはチャーシューやモヤシ、焼きキャベツやネギなんかも大量にのせられている。
山坂浩二は一瞬目を疑った後、
「あ、いや、全然……待ってない」
「そう?」
月影香子は席に着くと両手を合わせ、
「それじゃあ、いただきまーす」
と言って器の上にのせてあった箸を右手にとり、麺をすすり始めた。
「……いただきます」
山坂浩二もプラスチックの弁当箱のフタを開け、フタを横に置いた。そして握り飯を包んでいたラップをはがし、米の塊にかぶりついた。
二人は無言のまま食事に専念する。
山坂浩二は、月影香子と昼食をとっているところを知り合いに見られていないかどうかを気にし、辺りを見渡しながら食べていた。
(これ見られたら、また厄介なことになりそうだよなぁ。この前みたいに追いかけられたりしたら嫌だよ、ほんと)
山坂浩二はため息をついた。
そして、何気なく月影香子に目線を向けた。彼女は目の前の食事を片付けるのに必死な様子だった。
続いて、彼女のラーメンに目を向けた。
……やっぱり多い。
そして、彼が二つ目の握り飯に手を伸ばしたとき、月影香子が食べるのを中断し、箸を器の上にのせた。
彼女はまだ相当な量が残っているラーメンをしげしげと眺める。
そして、
「……やっぱり、味うすいわね、ここの。まあ脂っこくなくてあっさりしてるのはいいんだけど」
と呟き、スカートのポケットに手を入れて動かし始めた。どうやら、何かを取り出そうとしているみたいだ。
山坂浩二は、おにぎりのラップをはがしながら彼女を見つめた。
(……まさか、ラーメンにまでハチミツをかけて食うとか、そんな話じゃないだろうな。それだけはやめてくれ!)
月影香子が何枚もの食パンに、ハチミツを大量にかけてそれを頬張る光景が、彼の脳裏に浮かんだ。
そして、月影香子がポケットから手を出した。
彼女の手にある物が、ゆっくりとその姿を現わしていく。
なんとなく、筒状。
(まさか、ほんとに……)
山坂浩二は唾を呑む。
赤色のキャップが見えてきた。
そして、全貌が明らかとなる!
端から端まで同じ幅の筒状のもの。手の平に収まるほどの大きさ。中に見えるは粉末状の赤い何か。見馴れたラベル。
……これ。
「って、一味かよ!? 心配して損した!」
「……一人で何言ってんの? 浩二」
突然声を上げた山坂浩二と、そんな彼を不思議そうな目で見つめる月影香子。山坂浩二は自分が声を上げたことを恥ずかしく思い、
「あ、いや。……なんでもない」
と、肩をすくめた。
「あ、そう? ならいいや」
特に気にした様子もなく月影香子はそう言うと、一味のキャップを開けて中身をラーメンにかけ始めた。
(まともでよかった……)
そっと胸を撫で下ろす山坂浩二。一安心したところで、彼はおにぎりにかじりついた。咀嚼。飲み込む。
そして、月影香子を一瞥。
彼女はまだ一味をかけている。上機嫌な表情で、顔の横に、音符の書かれたフキダシが浮かび上がってきそうだ。
山坂浩二は再びおにぎりを頬張った。
噛む。
月影香子は一味の容器を振り続けている。
山坂浩二。飲み込む。
そして、
「って、かけすぎだろ!」
叫んだ。
月影香子のラーメンの上には、赤色の小さな盛り上がりができている。それはキャベツに乗っかっているため、スープには進出していなかった。
月影香子は一味を振りかけるのをやめ、
「えー。だって、こうでもしないと飽きちゃうんだもん」
と言い、一味の容器のフタを閉めてポケットにしまった。そして、丼に乗せてあった箸を右手に持ち、ラーメンをかきまぜ始めた。
「あのさぁ、さっきからなんか変だよ、浩二。いきなり大声出したり、キョロキョロしながらごはん食べたり」
月影香子は、山坂浩二に目線を向けた。
「そ、そうか? 変か? 俺?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん」
山坂浩二はため息をついた。
「……食堂、初めてだから。その、緊張しちゃって」
月影香子はかきまぜるのをやめた。
「でも、そこまで緊張するほどのことでもないでしょ?」
「まあ、確かに」
「じゃあ、いつもみたいに食べたらいいじゃないの?」
「……そうするよ」
山坂浩二がそう言うと、月影香子は微笑んだ後、目線を彼からラーメンに向け、再び麺をすすり始めた。
山坂浩二も食事を再開させる。
(……ったく。緊張してんのは香子のせいだっての。二人きりならともかく、周りに人がいるんだぞ。みんな俺を見ている気がするんだぞ。落ち着いてられっか)
山坂浩二は鼻でため息をついた。
彼の目の前では、麺をすすった途端、むせてしまった月影香子の姿があった。彼女の額に、汗が浮かんできている。
それでも彼女は、至福の表情を浮かべて食事に専念している。
(甘党か辛党か、どっちかにしろよ……)
山坂浩二は表情を緩めた。
そして、彼は月影香子の丼に目を向けた。
(さっきから気になってたんだが、これ、何円ぐらいするんだ? 結構高そうだよな。麺も具の量も多いし)
山坂浩二は月影香子に目線を向けた。
「なあ、香子?」
「ふぁひ?」
月影香子は麺をすするのを途中でやめて彼を見た。彼女の顔では汗が垂れていて、いつのまにか彼女は腕まくりをしていて、白くきめの細かい素肌をあらわにしていた。
「……それ、何円?」
山坂浩二は単刀直入に尋ねた。
月影香子はしばらくの間、彼を見つめながら咀嚼を続け、飲み込んだ後に、一息つき、
「……六百円」
と簡潔に答えた。
「へぇ。意外と安いんだな。それ。俺には高すぎて手が出ないけどな」
「これ、野球部の男子とか、たくさん食べるひと用なのよ。食堂のおばちゃん、赤字覚悟で作ってるんだって」
「……それ、大丈夫なのか?」
「量が多すぎて注文する人が少ないのと、あとは他のメニューで採算とってるらしいから大丈夫みたいよ」
「よく知ってるな、香子」
「食堂のおばちゃんからこっそり聞いたの。あと、四分の一以上残すとプラス四百円払わないといけないのよ」
「はぁ……」
二人の会話が途切れた。山坂浩二は会話を長く続けることが苦手なのだ。もしかしたら、月影香子もそうなのかもしれない。
彼は次になんと言うべきかを考えた。
相手が月影香子とはいえ、女の子なのだから、山坂浩二にとっては慣れないことで、難しかった。
「ねえ浩二」
彼が黙っていると、月影香子のほうから話しかけてくれた。
「ん?」
山坂浩二は無愛想な返事をした。
「そろそろ慣れてきたでしょ?」
月影香子は箸を右手に持ったまま尋ねた。
「慣れてきたって、何が?」
山坂浩二は、そのことが月影香子と居ることなのか、二人で食事をすることなのか、それとも食堂のことなのかを考えながら尋ね返した。
「何って、霊力よ。れ、い、りょ、く」
とんだ的外れだった。
「あぁ、それか。まぁ、ある程度は」
山坂浩二は、予想とは大きく違った質問に戸惑いながら答えた。そういえば自分は退魔師だったと、彼は思った。
(そうだ。たしか、香子の提案で、しばらくは霊力を使わずに過ごして、霊力を持った状態に慣れる、ってことにしてたんだっけ)
山坂浩二は右手で頭をかいた。
ちなみに、彼は二つ目のおにぎりを完食している。
「じゃあさ。今日の夜から霊力操作の訓練でもしない? なんでか知らないけど、二日前から悪霊の攻撃がピタリと止んじゃったし」
月影香子は丼に箸をのせた。
「多分今日も来ないだろうから、今のうちにやっておいて損はないでしょ?」
山坂浩二はあごに右手を当て、少しの間唸った後、
「……それもそうだよな。やれるうちにやっとかないと」
呟くように言う。
「それに、俺、十年もブランクがあったんじゃ、満月の夜でない限りはろくに戦えそうにないもんな」
月影香子は軽く二回うなづき、
「そうそう。じゃ、きまりね」
と言って口元を緩ませた。
「で、どこに何時に集合なんだ?」
「うーん……。場所は浩二の家。時間は……浩二が決めて」
「え? えーと、今日はコインランドリー行って、B・WAXスーパー行くから……あと訓練前に宿題終わらしておきたいから……」
山坂浩二は目の前の月影香子に聞こえるような声で呟き、
「八時ぐらい、かな」
と提案した。
「わかった。で、訓練場所はあの広場でいい? 浩二んちの前の」
月影香子は目にかかった前髪を、左手でそっと払った。
『あの広場』というのは、山坂浩二が住む二階建ての低家賃アパートの前にある、銅鏡川の河川敷広場のことである。
そこは、三日前の満月の夜に山坂浩二が退魔師として復活を遂げた場所でもあり、二人にとっては思い入れのある場所でもあった。
「おっけー」
山坂浩二は軽い返事をした。
それから二人は無言になり、山坂浩二は三つ目のおにぎりを手にとり、月影香子は箸を持って食事を再開した。
山坂浩二はラップをはいで握り飯にかじりついた。具なしで味付けは塩だけの単調な味わいに、
(今度、ふりかけでも混ぜてみるか……)
と山坂浩二は考えた。
そして、咀嚼を続けながら彼はさりげなく左横に目を向けた。
テーブル端には八人の男子生徒が座っていて、内容は不明だが、会話が相当な盛り上がりを見せていた。
山坂浩二と彼らの間に人はいない。
山坂浩二は目線をもとに戻し、口の中にある炭水化物の塊を飲み込んだ。そしてかじりつく。噛む。飲み込む。
その瞬間、彼の頭に一つの疑問が浮かんだ。
(……八人?)
山坂浩二は再び左横に目を向けた。男子生徒の容姿を確認。くせ毛。長髪。オールバックメガネ。短髪。ツンツン頭。長髪メガネ。くせ毛。くせ毛。
(……くせ毛が二人多い?)
山坂浩二はくせ毛の三人を見比べた。会話に熱中しているため、彼らは見られていることに気づいていない。
一人目のくせ毛。ヘンタイ六人衆の一人。リーダー格?
二人目のくせ毛。つい最近見たことがあるような気がする。
三人目のくせ毛。二人目と見分けがつきにくい。
「……って、永山と村田ぁ!?」
突然声を上げた山坂浩二。月影香子はスープを飲んでいる最中にむせてしまい、丼をテーブルに置いて咳込んだ。
八人の男子生徒も、弾みに弾んでいた会話を中断して山坂浩二に顔を向けた。月影香子は鋭い眼光で彼を睨みつけるが、山坂浩二は気づいていない。
「って、山坂ぁ!?」
見分けのつかない二人は同時に驚いた。
そして、ヘンタイ六人衆のうちの誰かが、
「……と月影香子」
と呟いた。
名前を呼ばれた涙目の月影香子は、目線を山坂浩二から横の八人の男子生徒に向け、八人の男子生徒も月影香子を見た。
彼らは山坂浩二と月影香子に視線を交互に向け、少しの静寂の後、
「えええぇぇえ!? うそだろおい!!」
叫んだ!
「う、噂は本当だったんだ。絶対に彼女が出来ないと言われた山坂と、突如外見が変わったという月影さんが付き合ってるっていう噂は」
おそらく永山であろうと思われる男子生徒が、震える声で言った。
「ち、ちがう! 誤解だ! こ、これは、そ、そう! ちょっとした仕事での件なんだから! 勘違いすんな!」
顔を少し赤らめて反抗する山坂浩二。そんな彼の横で、月影香子はほんのわずかな間だけ、両目を細めた。
「うそだあ! このうらぎりものぅ! 今日の朝だって、二人で学校来てたの俺、この目でしっかりと見てたんだからな!」
と、おそらく村田と思われる男子生徒は声を上げた。
「い、いや、あれは、そのぅ……」
うろたえる山坂浩二。
「ってかあのメガネ地味っ娘はどこへ行ったんだぁ! 少し前までは俺らの近くに座っていたはずなのに!」
「ありゃ髪を整えてメガネを外せばかなりの美少女になってたはずなのに!」
「ちくしょう!」
そして、全く関係のないことを叫び出すヘンタイ六人衆。
山坂浩二はあきれてため息をついた。
「……てかあいつら、いったいなんの話をしてるんだ?」
彼は右肘をテーブルにつけ、右手にあごをのせた。自分に関係のないことを騒ぎ出した八人の男子生徒を眺める。
「あはは。やっぱりあの人たちおもしろい」
山坂浩二の向かい側の席で、月影香子は笑っている。
「……あと、ちょっと照れるな。えへへ」
山坂浩二が月影香子に目を向けると、彼女は頬を少し赤らめ、かすかな笑みを浮かべて頭をかいていた。
「……はあ」
山坂浩二は一人、昼食を再開した。