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第三幕は、台本にございません

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/08/29

短めです。

 王都座の初日は、幕が上がる前がいちばん静かだ。


 わたしは袖から、客席の三列目を見ていた。

 その席に、ラングレー侯爵が座っておられた。


 この国の劇場には決まりがある。

 舞台の上で語られたことは、告発として扱われない。 役の言葉だからだ。

 だから劇作家は、王でも大臣でも舞台に上げられる。 名前さえ変えれば。


 その代わり、台本は上演の十日前に検閲へ出す。

 出した通りに演じる。

 違えれば、劇場ごと三年の閉場だ。

 わたしはその決まりを、七年かけて覚えた。

 

「クレア。三幕、いつも通りでいくよな」

「ええ、座長」

「……お前、いま笑ったろう」

「笑いますわ。初日ですもの」

 

 わたしはもと男爵家の娘だ。

 七年前、父の商会が帳簿を握られて潰れた。


 握った相手が、三列目にいる。

 家がなくなったあと、わたしを拾ったのがこの劇場だった。

 名を捨てて、舞台の上でだけ生きてきた。




 第三幕。

 姫君が、自分を陥れた宰相と向かい合う場面。

 台本では、姫君はこう言う。


 あなたのなさりようを、わたくしは忘れません。


 十日前に検閲へ出した通りの台詞だ。

 わたしは、その通りに言った。


 言ってから、一拍置いた。

 台本には、そのあと宰相の返しがある。

 けれど間の長さは、台本に書かれていない。

 間は、役者のものだ。


 わたしは客席を見た。

 三列目を、見ないようにして、ちらりと見た。

 そして姫君として、覚えている数を数えた。


 四月の十一日、二千二百枚。

 六月の三日、八百枚。

 同じ年の霜月、焼けた帳面が、一冊。


 台詞ではない。

 姫君が、物思いに数を数えているだけだ。

 台本の欄外には「姫、記憶を辿る」とだけ書いてある。

 何を辿るかは、書いていない。

 何を喋るかは、書いていない。


 客席は静かだった。

 誰にも、意味は分からない。

 分からなくていい。

 分かる人が、ひとりいればいい。


 幕が下りて、拍手が来た。

 袖に戻ると、座長が青い顔で立っていた。

 

「クレア。あれは何だ」

「台本の通りですわ」

「あの数字はどこから出た」

「姫君の記憶ですもの。わたくしには分かりかねます」

 

 座長はしばらくわたしを睨んでから、大きく息を吐いた。

 それから、明日も同じ間でやれ、と言った。


 三列目の席は、二日目から空いていた。

 千秋楽まで、ずっと空いていた。

 噂は勝手に広がった。

 舞台の数字と、七年前に潰れた商会の帳簿が同じだと、誰かが気づいたのだ。


 気づいたのは、わたしではない。

 わたしはただ、姫君として数を数えただけ。


 父の商会は戻らない。

 名も戻らない。

 それでもわたしは、毎晩、同じ間で数を数える。


 この国で、貴族の耳に真っ直ぐ届く声を持っているのは、舞台の上にいるあいだの、わたしたちだけだから。

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