第三幕は、台本にございません
短めです。
王都座の初日は、幕が上がる前がいちばん静かだ。
わたしは袖から、客席の三列目を見ていた。
その席に、ラングレー侯爵が座っておられた。
この国の劇場には決まりがある。
舞台の上で語られたことは、告発として扱われない。 役の言葉だからだ。
だから劇作家は、王でも大臣でも舞台に上げられる。 名前さえ変えれば。
その代わり、台本は上演の十日前に検閲へ出す。
出した通りに演じる。
違えれば、劇場ごと三年の閉場だ。
わたしはその決まりを、七年かけて覚えた。
「クレア。三幕、いつも通りでいくよな」
「ええ、座長」
「……お前、いま笑ったろう」
「笑いますわ。初日ですもの」
わたしはもと男爵家の娘だ。
七年前、父の商会が帳簿を握られて潰れた。
握った相手が、三列目にいる。
家がなくなったあと、わたしを拾ったのがこの劇場だった。
名を捨てて、舞台の上でだけ生きてきた。
第三幕。
姫君が、自分を陥れた宰相と向かい合う場面。
台本では、姫君はこう言う。
あなたのなさりようを、わたくしは忘れません。
十日前に検閲へ出した通りの台詞だ。
わたしは、その通りに言った。
言ってから、一拍置いた。
台本には、そのあと宰相の返しがある。
けれど間の長さは、台本に書かれていない。
間は、役者のものだ。
わたしは客席を見た。
三列目を、見ないようにして、ちらりと見た。
そして姫君として、覚えている数を数えた。
四月の十一日、二千二百枚。
六月の三日、八百枚。
同じ年の霜月、焼けた帳面が、一冊。
台詞ではない。
姫君が、物思いに数を数えているだけだ。
台本の欄外には「姫、記憶を辿る」とだけ書いてある。
何を辿るかは、書いていない。
何を喋るかは、書いていない。
客席は静かだった。
誰にも、意味は分からない。
分からなくていい。
分かる人が、ひとりいればいい。
幕が下りて、拍手が来た。
袖に戻ると、座長が青い顔で立っていた。
「クレア。あれは何だ」
「台本の通りですわ」
「あの数字はどこから出た」
「姫君の記憶ですもの。わたくしには分かりかねます」
座長はしばらくわたしを睨んでから、大きく息を吐いた。
それから、明日も同じ間でやれ、と言った。
三列目の席は、二日目から空いていた。
千秋楽まで、ずっと空いていた。
噂は勝手に広がった。
舞台の数字と、七年前に潰れた商会の帳簿が同じだと、誰かが気づいたのだ。
気づいたのは、わたしではない。
わたしはただ、姫君として数を数えただけ。
父の商会は戻らない。
名も戻らない。
それでもわたしは、毎晩、同じ間で数を数える。
この国で、貴族の耳に真っ直ぐ届く声を持っているのは、舞台の上にいるあいだの、わたしたちだけだから。




