3.下心のない根暗エンジニア
足は自分が思っていたよりも悲惨だった。
小学生ですか? と聞きたくなるほどの擦り傷はもちろんお湯をかけたら沁みた。
本当に馬鹿だ。
振られた挙句、こんな怪我までして。
「シャワーお借りしてすみません」
服もありがとうございますと彩葉がお礼を伝えると、九条は冷蔵庫からライム味・桃味のチューハイを取り出した。
「チューハイでいいですか? ビールにします?」
彩葉はテーブルの上に準備されたおつまみになりそうな菓子に気が付く。
「愚痴を聞くことしかできませんけど」
気まずそうに微笑んだ九条から桃味のチューハイを受け取った彩葉は、カーペットが敷かれた床の上に座った。
九条は彩葉の足を消毒し、手当てをしてくれる。
彩葉の傷は思ったよりも大きくて絆創膏には入りきらず、九条はガーゼで保護してくれた。
帰ったら見ようと思っていた長時間の歌番組がテレビで始まり、テーブルの上のスナック菓子をつまみながら九条はライム味を飲み始める。
無理に聞き出そうとしない九条の行動が今の彩葉には嬉しかった。
「あ、私、この曲好きなんです」
「俺も、サビの感情をグッと上に引っ張られるようなところが好きで」
「私もです! あの高音のところですよね」
そうそうと意気投合し、盛り上がるうちにチューハイは3本目に。
あ、そうだ。今日は昼間にビールも飲んだんだ。
気づいた時にはもうほろ酔いを通り過ぎ、気持ちがふわふわに。
「3年も付き合ったのに!」
ボロボロと泣きながら彩葉は今日の出来事を九条に話してしまった。
「結婚の話もしていたのに!」
親には挨拶をしていないけれど、そろそろ考えないとねと話していたのだ。
「良かったじゃないですか、最低な男と結婚しないですんで」
「ホント、サイテー!」
彩葉はテーブルに頬をつけながら「見る目がなかったな……」と呟く。
そのまま目を閉じた彩葉は、いつの間にか夢の世界へ落ちてしまった。
日差しがカーテンの隙間から漏れる少し明るい部屋で目が覚めた彩葉は慌てて起き上がろうとした。
「寝過ごし……! あ、日曜日かぁ」
枕元に置いてあったスマホで9時を過ぎていることを確認したあと、彩葉はようやくここが自分のマンションではないことを思い出した。
テーブルの上には二日酔いの薬、ペットボトルのお茶、サンドイッチ、パンダのチャームがついた鍵、そしてメモ。
テーブルの横には洗って綺麗に畳まれた昨日着ていた服と鞄がある。
『気兼ねなくゆっくり休んで。鍵は郵便受けから部屋の中に落としてください。困ったことがあれば090-****-****へ。九条』
「……本当に下心なかったんだ」
優しい人だな……。
昨日着ていた服に着替え、借りた服を鞄に入れる。
メモの裏に『服は洗ってお返しします。私の連絡先は090-****-****です。本当にありがとうございました。平野』と記入した彩葉は、サンドイッチとお茶を遠慮なくもらい自分のマンションへ戻った。
九条に愚痴を聞いてもらったおかげか、マンションで流星の荷物を見ても驚くほど冷静だった。
歯ブラシやマグカップは躊躇うことなくゴミ袋に。
流星が置いていった服も捨てたかったが、とりあえず紙袋にまとめておいた。
1ヶ月経っても連絡がなかったら遠慮なく捨てさせてもらおう。
私が興味のないサッカー雑誌も、コーヒーのおまけのキーホルダーも一緒に紙袋へ突っ込んだ。
『明日の夜、会社帰りに服を返しに行ってもいいですか?』
『18時以降なら大丈夫です。足はどう?』
『全然平気です』
あのBBQで流星がやったことは最低だったけれど、九条と話すきっかけをくれたことは感謝してもいいかもしれない。
社内の人だけれど、BBQがなかったらきっと出会うことがなかった人だ。
流星からメッセージが来ることはなく、部屋の片づけをしているうちにあっという間に時間は過ぎていく。
喧嘩をしたわけでもなく、一方的に若い子に乗り換えられただけの状況は納得いかないけれど、では復縁するかと聞かれたら「絶対NO」だと言う自信があるくらい、流星に対する気持ちは冷めてしまった。
自分でも驚くほどに。
『もしお時間あれば、明日夕飯をご一緒しませんか?』
『ぜひ』
『では18時に会社のエントランスで』
九条からのメッセージに顔が緩んでしまうのはなぜだろうか。
デートではないのに。
借りた服を返すだけなのに。
スマートフォンのアプリで銀行の残高を確認した彩葉はジッと画面を見つめる。
「いつかするはずだった結婚式と新婚旅行のためにずっと節約していたけれど……」
もう我慢する必要もない。
彩葉はスマートフォンで今すぐ行ける美容室を探し、来店予約ボタンを押した。




