2.馬鹿で惨めで情けない
涙なんて我慢できるわけがない。
早く消えたい。
もうここには居たくない。
「……っ!」
ビールを1缶いっき飲みしてから時間が経っているはずなのに、走ったら平衡感覚がなくなるのだと初めて知った。
アラサーのくせに膝をすりむくような転び方をするなんて、本当に馬鹿だ。
あんな男と3年も付き合った自分も馬鹿すぎる。
馬鹿で惨めで情けない。
彩葉は立ち上がる気にもなれず、その場で蹲って泣き続けた。
「……大丈夫ですか?」
男性に声をかけられた彩葉はしまったと我に返った。
ここはBBQ会場から駅に向かうあぜ道。会社の人がまだ通ってもおかしくないのに。
「足、怪我をしたんですか?」
足よりもこの泣き顔の方がマズい。
アラサーの泣き顔なんて誰も見たくないはずだ。
「だ、大丈夫です」
大丈夫です。ありがとうございます。
先に行ってください。お願いします。私にかまわないでください。
心の中で、早口で唱えた彩葉は男性が歩いていくのを待った。
だが、男性の靴がそこから動く気配はない。
水色の爽やかなハンドタオルを差し出された彩葉は困惑する。
「洗濯してありますし、今日は使っていないので」
「あ……、えっと、ありがとうございます。でも、大丈夫なので」
気にせず早く行ってほしいなんて言葉では言えないけれど。
「……失礼します」
「えっ?」
強引にタオルを握らされ、グイッと引っ張り上げられた彩葉は、なぜか一瞬でお姫様抱っこされた状態に。
この黒縁眼鏡に長い前髪は九条さん!?
「く、九条さん。あの、大丈夫なので下ろしてください」
「車で来ているのでお送りします」
駅の方に歩く道ではなく、木々の中の細い道に入った九条は一台の車の前へ。
ようやく下ろしてもらえたと思ったら、当然のように助手席のドアを開いた九条に、彩葉は押し込められた。
九条さんって意外と強引……?
運転席に座った九条は、エンジンをかけると彩葉の奥に手を伸ばす。
急に近くなった顔に驚いた彩葉を気にすることなく、九条は助手席のシートベルトを引っ張った。
「すみません、シートベルトを」
「あっ、すみません」
普段車に乗ることがない彩葉はワタワタと慌てる。
びっくりした。
キスされるのかと思った。
走り出した車内のエアコンの風が涼しい。
おしゃれな洋楽が流れ、なんだか森のようないい匂いも落ち着く。
「会社のすぐ近くなんですが、うちで足を手当てさせてもらってもいいですか?」
「いえ、このくらい大丈夫です」
「やましい気持ちはないので」
そう言われてしまうと断りにくい。
彩葉は迷惑だろうなと思いながらも、九条の好意に甘えることにした。
九条のマンションは本当に会社のすぐ近くだった。
駅から離れる方向だったが、駐車場完備の賃貸マンション。
普段は徒歩で通っているのだと九条は教えてくれた。
「狭くてすみません」
「お邪魔します」
最低限の家具しかない20畳ほどのワンルーム。
掃除は行き届き、ベッドメイキングも完璧。
小物が多い自分の部屋とは全然違う男性の部屋に彩葉は驚いた。
「どうぞ」
九条はクローゼットから新品のタオルと黒いTシャツと黒いハーフパンツを取り出す。
バスルームの扉を開けながら、足を洗った方がいいと言われた彩葉は、自分の足が思ったよりも土だらけだったことに驚いた。
「あの、九条さん」
にっこり微笑まれながらバスルームの扉が閉められる。
彩葉は土と血で汚れた足を見ながら大きく息を吐いた。




