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8.子供時代にサヨナラ(完)


アトラクションエリアには、もう誰もいなくなっていた。

さっきはあんなにキラキラして、スピーカーはうるさいくらいで、笑顔の人ばかりだったのに。

今は、こんなにがらんとして、暗い。遠くの街灯の光で、乗り物の輪郭が分かるくらいだ。


リッキーとは、もう手はつないでいなかった。

「帰ろっか、さすがに」

切り出すのはオレの仕事だった。

貸切状態のしまらくを満喫して、秘密のナイトパレードも見て、リッキーのバレバレの悪知恵にも付き合った。最後まで、しっかり楽しんだ。

大好きだったしまらくとも、ついに、本当に、お別れの時が来ている。

マスクで覆っている所以外、全部が寒かった。


裏口じゃなく、閉じた正面ゲートの方へ歩いていると、

「ごめんね、遅くまで」

リッキーはめずらしくしょんぼりして謝ってきた。

「いいよ。楽しかったし」

そう言いながら、一応、スマホで時間を確認した。


20時を回っている。

17時閉園だったのに、3時間も過ぎて、まだ敷地内にいる。すごく悪い事だけど、ワクワクもした。

オレは悪さをするキャラじゃなかったし、パンダのロボットに立ち乗りするようなルール違反はバカのする事と思っていたけど、1回くらいは、こういう経験をしても良かったのかも知れない。


すぐそばの、チケット売り場の後ろにある警備室の明かりが点いているのに気が付いた。閉じたブラインドの隙間から、薄い黄色の光が漏れている。

まだ人は、いるにはいる。

一瞬迷ったけれど、このまま、ゲートの下の閉じた門を乗り越える事にした。

入る時は慎重だったが、もう後は帰るだけとなれば、そんなに警戒する必要もないはずだ。


門は、敷地を囲む柵と同じ形をしていて、地面には小さな車輪と、半円形の細いレールがある。隙間には腕一本くらいしか通らない。

手で握ると冷たくて、黒っぽい塗装にサビが浮いていた。

「おんぶしようか?」

リッキーが聞いてきて、

「肩車でしょ」

オレもシンプルに言い直した。おんぶされたところで高さが変わるワケじゃない。


両手で柵を握って、足を上げる。

リッキーの助けを借りるつもりはない。チビでも、これくらいは登れる。

自分の腰くらいの高さにあるプレートに足を引っ掛けようとした時、反対側から眩しい光が、山道を登ってくるのが見えた。

車のライトだ。


まさか、と思った。

黙って、そっと手を離して、後ずさりでチケット売り場の陰に隠れる。リッキーも同じようについて来た。

黒っぽいワゴン車だった。ナンバープレートまでは、眩しくて見えなかった。


タイヤが停まるギュッという音と、バンッとドアの閉まる音がした。

従業員でも、作業員でもない誰かが、こんな時間に、しまらくに来た。

「うわっ! ホントに閉まってんじゃん!」

本当の意味でのバカ特有の、大声が響いた。


「マジで? うわ、オバケ出そう」

「いーね、いーね、雰囲気ある!」

「誰もいねーな! まあ、昼間っから過疎ってたけど!」

「やっちまおうぜー! どーせつぶれるんだし!」

男4人、18から20代前半、知能指数は最低ライン。深夜のファミレスからも、他のお客様のご迷惑になりますのでと追い出されるくらい、行く場所がない。

声を聞く感じ、そんな印象だ。


門を乗り越えて、どすんっ、どすんっと飛び降りて着地する音がする。背が高くて、力も強い、でも何の憧れも抱けない、大人の男たち。

ビニール袋のガサガサ音もしていた。

「ライター持ってる?」

「冬に花火ってした事ねーや」

「それさっき聞いたし! 何回言うんだよ」

そんな会話が聞こえて、リッキーがぐっとオレの肩をつかんできた。オレも前に向いたまま、その手に自分の手を乗せる。

解説するまでもない。状況は理解できる。


ぞろぞろ歩いてくるのが聞こえる。真冬にかかとを踏みつぶしたスニーカー。ズボンの裾を引きずっている。サイズの合ってないブーツは、周りに威圧感を出すため。

「ヤバくね、マジ火事になりそう」

「焚き火してましたでよくね?」

「遊園地の中でぇ?」

「っつか、別に、遊園地だからアトラクション燃えましたでよくね?」

「それ! ヤバ、天才」


オレはもう一度、警備室の方に目をやった。

中に人はいるはずなのに、何で気が付かないんだろう。

このままだと、しまらくが荒らされる。

もう見回りはしないのか。するにしても、まだそのタイミングじゃないのか。


「どうしよう、マサ……」

後ろでリッキーが言った。まずい状況なのは分かっている。

「警察呼ぶ」

オレはもう、スマホを握っていた。店の駐車場でトラブルがあった時、通報した事もある。

「ええっ? ホントに?」

リッキーは平和主義だから、賛成されないのは分かっていた。


オレたちだって、不法侵入者だ。でも、こんな形でしまらくの最後を迎えたくない。

「匿名で通報できるから」

問い合わせを面倒くさがって、空想上のマフラー1本のために忍び込んだのに。

最後の最後に、こんな事になってしまうなんて。


男の1人が、ティーカップの横に置かれたブルーシートに近付いて行った。

「これ可燃性?」

ブルーシートはポリエチレン製だ。燃やせばダイオキシンが発生する。

あんなヤツらがどうなろうと構わないが、致死量を吸い込むのは難しい。どうせ、オレの望むような結果にはならない。


「花火ってか、キャンプファイヤーじゃね?」

もう1人がそう言いながら近付いて、ティーカップを囲う柵に、何か長い物をぶつけ始めた。

ゴンゴン、ギンギンギンッと金属のぶつかる嫌な音がする。

「バッカ、やめろ、あぶねーだろ!」

仲間でさえモメている。


何が目的で、何が楽しいのか。頭の悪い人間のやる事は分からない。

「ギャッハハ! 大丈夫だって!」

金属をぶつけた男は笑い方までおかしかった。


やめろ、近付くな。

大声を出したくても、できなかった。向かって行ったって、今のオレたちに何ができる。


子供の頃と同じ。親の仕事の都合で引っ越しただけで、田舎者扱いされて。大好きな場所は、最後の最後に、こんな風になっていく。


自分の力では何もできない。そんなのは、もうイヤだ。


「マサ、マサル」

後ろから、リッキーが小声で呼んできた。

「何」

スマホを操作しながら聞き返す。手が震えていた。オレが、あんなバカたちにビビってるなんて屈辱だ。

「警備員さんいるよ」

「知ってる」

「まずあの人たちに気付いてもらお」

「無理でしょ。どうせトイレ行ってるかテレビ観てる」

こんなにうるさいのに、どうして気付かないんだ。警備するのが仕事なのに。イライラしてくる。


肩に乗っていたリッキーの手が、スッと離れたのが分かった。

振り返ると、低い姿勢のまま、警備室の方へ向かっていた。

「ちょっ、ダメだって……!」

オレも通報しかけていたのをやめて、行くしかない。


チケット売り場を回り込んだ所にある、銀色の扉。ゲートの方からは見えない角度。

パッと見では警備室とは分からないが、ブラインドの隙間から覗くと、思った通り、制服を着て後頭部を薄くしたおじさん2人が、暇そうにカップ麺を食べながらテレビを見ていた。


しゃがんで隣に並んで、一緒に覗いていたリッキーが言った。

「あの人たちも最後のお仕事……うん、大仕事だよ」

それで分かった。

リッキーは、このしまらくで働く皆に、活躍するチャンスをあげたがっている。


同時に顔を向け合って、目が合ってしまった。

「もー……」

どうするか考えるのが、リッキーのために何とかするのが、オレの仕事だ。


外で起きている事を警備員に気付かせて、追い払うか、通報してもらう。オレたちの存在には、気付かれないように。


地面に片手を突いて、もう一度、アトラクションの方向を確認した。

2人は持ってきた花火を出して、もう2人は動かないティーカップによじ登っていた。

柵の所に、メタリックな色の棒が立てかけてある。じっと目を凝らすと、野球用のバットだった。さっき嫌な音をさせていた長い物だ。

あんな物を振り回しているやつがいるなんて。警備員2人で大丈夫だろうか。


とりあえず、頭を回転させる。ここまで来たら、できる事をやるしかない。

「何か、投げれそうな物ない? 石とか」

警備室の奥にある植え込みを探した。

「えっ? ダメだよ、攻撃は……」

リッキーが止めてきて、オレはすぐ説明する。

「違うよ。人にぶつけるんじゃない。オレがノックするから、警備員さんが出てきたら向こうに投げて」


この警備室のドアは内開きだから、壁にはり付いてしゃがんでいれば、死角になる。

部屋から出てきた時に、大きさのある物が視界に入れば、注意はまず投擲した方向じゃなく、投げられた物自体に行く。

アトラクションエリアの方に視線が行きさえすれば、あの男たちも視界に入るはずだ。後は任せて、その隙にオレたちはここから離れればいい。


リッキーが聞き返して来る。

「ファーストってこと?」

この状況で、守備練習をするワケがない。バットも持っていないオレが、どうやって()()()をすると思うんだ。

「言っとくけど、ノックってドア叩く方だから」

こんな時でもふざけているのか、本当に分かっていないのかあやしい。そんなリッキーのおかげで、オレは冷静になれて、手の震えも止まっていた。


リッキーはすぐそこの植え込みに手を突っ込むと、ちょうど、野球ボールくらいの大きさの石を取り出した。

「これでいい?」

やっぱり、仕込んでいたとしか思えない。


奇跡を起こすリッキーがいれば、オレだって、このしまらくを守れるんだ。


「ドア開いて、それ投げたら、カーペットまで走るよ」

ここから一番近いのは、飛ばなくなったフライングカーペット。警備室をホームだとすれば、ティーカップはファースト、カーペットはサードだ。

エリアの中でも、特に真っ暗な位置にある。その死角に隠れて、回り込んで、観覧車の前を抜けて、坂道まで戻る。


リッキーは石を握りしめて、真剣な表情でうなずいた。

昼間みたいに、作戦みたいでかっこいいな、とは言って来ない。これこそ作戦なのに。

そんなかっこいい顔も、やろうと思えばできるくせに。


オレはできるだけ壁にはり付いて、銀色のドアを叩いた。

中から、

『はーい』

と言う、のんきな声が聞こえる。

ブラインドの中を覗いた。ドアの方を見てはいるが、まだ動かない。


今度はもっと、ドンドンドンと強めに叩いた。この音で、向こうの男たちが気付くかも知れない。

けれど、警備員もさすがに異変を感じたみたいで、椅子から立ち上がって、歩いてくる。

「来るよ」

リッキーに合図をしたすぐ後、扉が開いた。


こんなに本気で走ったのは、高校に入ってから、初めてだ。

全力で何かをするのなんて、ダサいと思っていた。

いつでも準備万端で、いろんな可能性を考えて、対処するものだと思い込んでいた。


リッキーはカモのエサより重い石を、まっすぐな球筋で投げた。石は誰にも、何にもぶつからず、ティーカップのすぐそばに落ちて、少しだけ跳ねて転がった。

男たちがそっちを見るのと、警備員が気が付くのは、ほぼ同時だった気がする。


「君たち、何をやっとるんだ!」

怒った声で言うのが聞こえて、

「うわっ!」

「ヤベッ!」

みたいに、男たちが逃げ出そうとするのが見えた。

「待ちなさい! コラッ!」

頼りないおじいさんかと思っていたが、意外と若いのかも知れなかった。顔が見えないから、実際には分からないが。


警備室からガタガタ音がして、すぐにもう1人が出てきた。

それと同時に、オレとリッキーは暗闇に向かって走り出した。


準備運動もせず、急に走ったから息が苦しい。

さっきパレードの音楽が聞こえた所まで戻って来れた。ここまで来れば、人の気配はなくなる。もう大丈夫だ。

木の陰に座り込んだ。

予定していた通りのルートで、目的を達成した。

逃げるのに必死で、あの後、どうなったかは見ていない。


後ろに手を突いて、上を向いてぜえぜえ息をしていると、

「大丈夫?」

リッキーが横にしゃがんで聞いてきた。

息も少し上がっているくらいで、野球部の面倒くさい練習のおかげか、ほとんどバテていない。

進学に無関係とバカにしていたが、返事もできないくらい疲れているオレよりはかっこいい。


もう人混みでもないのに、ずっと着けていたマスクを外した。今は寒いどころか、むしろ暑い。

「マサ、もういっこ、ごめん」

リッキーが何か言っている。

「え? 何が──」

聞き返そうとしたら、いきなり肩をつかまれて、ぐいっと上に乗られた。


リッキーの顔が、近すぎる距離にあった。目を閉じているのが見える。

少し遅れて、唇に何か当たっているのに気が付いた。


どうやらこれが、キスというものらしい。


彼女もできた事がないし、初めてしたけれど、まあ、こんな感じか、というくらいだ。

何で今ここで、何でオレに、とは思うが。


オレが認識する時には、もう唇は離れていた。

「ああ、やっちゃった……」

なぜか、して来たリッキーの方が言った。さすがに意味が分からない。

「何……」

オレはまだ苦しい息をしていて、何も言えなかった。そもそも酸素が足りなくて、それどころじゃない。


今まで経験もないし、予想もしていなかったから、どうして欲しいのかも分からなかった。


呼吸を整えながら、待っていると、やっとリッキーの方から説明してきた。

「……おれね、どうしてもここで、しまらくでキスしたかったの。ファーストキス」

デートするのが夢だと語っていたくらいだから、そういう想像もしていたのだろう。


ドキドキしているのは、キスしたからじゃない。走ったからだ。

「それは分かったけど──相手、オレでいいの? いくら何でも雑じゃない?」

さっきダンサーの女の人からされていたくせに、と続けて言いそうになるが、違うと気付いた。

リッキーはキスされただけで、自分からはしていない。


しゃがんだ体勢に戻ったリッキーは、自分の足元を見て、襟に口を埋める。

「……どうしても、思い出の場所にしたかったんだもん」

「思い出の場所、無くなっちゃうけどね。自分で言ってなかった? 思い出も一緒に消えちゃうって」

最後の最後の、最後。こんな思い出ができるとは、思わなかったけれど。

「うん。だから……ここでマサにフラれても、無かった事にできると思って」

目線だけを上げて、チラッとオレを見てくる。


目が合った時、オレの頭の中で、パズルのピースがはまった。

ああ、なんだ、そういう事だったのか。

今日の昼に会ってから今まで、リッキーのいつもより変だった部分が、全部つながっていく。


オレの幼馴染は本当に悪知恵が働くと言うか、何と言うか。

オレには見えすぎてしまうけれど、本人にとっては、気付かれていないつもりだったのかも知れない。

ずっとマスクを外すように言って来ていたのは、これが狙いだったからだ。


オレがリッキーをフるなんて、ありえないのに。

そんな事も分からないリッキーは、やっぱりバカだ。


深呼吸をしてから、起き上がって膝立ちになった。

しゃがんでオレを見ているリッキーと向かい合って、肩に手を置く。

「消えるのは場所だけだよ。子供時代にサヨナラなんでしょ」


立ったら今はまだオレの方がチビだし、肩も広くないけど、いつか身長も追い抜かしてやる。

「えっ?」

聞き返してくるリッキーの唇に、今度はオレの方からキスした。

「オレたち十分大きくなったよ。次はさ、別の遊園地で、デートしない?」


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