5.カモの池と閉園セレモニー
ぜんぶ回らなくてもとリッキーは言ったが、結局、カモの池まで行った。
パレードを見たのも何年かぶりだったし、ここにもしばらく来ていない。
リスの木立からつながる砂利道を、横に並んで歩いた。
暖かい時はレジャーシートに座ってピクニック気分の家族だったり、のんびりしているお年寄りがいたりする場所だ。
でも、真冬の水辺は寒すぎる。深い緑色の池には、カモしか居なかった。正確には、カモとアヒルとスズメ、あと池の中のコイとカメしか。
さっきまで曇り空だったが、晴れてきたのは良かった。夕方っぽく下がってきた太陽と、少し波のある水面。景色はなかなかだ。
砂利道のすぐ横から黄色くなった草の土手になっていて、その先にあるのがカモの池。
池の向こうには山を切り開いたように木が生えている。遊園地のために作った人工池なのか、元々あった湖なのかは知らない。
池の方に向いているリッキーと、同じ体勢になっているのに気が付いた。
2人とも両手をポケットに突っ込んで、肩をすくめている。足を出すタイミングも揃っている。
本人は気付いていない。と言うか、気にしていない。
「まだハクチョウになってないねぇ」
突然、そんなことを言ってきた。
「まだ?」
「あれ。みにくいアヒルの子じゃない?」
あごで指して聞いてきた。
アヒルのヒナも居なければ、ハクチョウも居ない。
「あれカモだよ、カモ。あれで完成形」
「へー! カモかぁ!」
初めて知ったように驚いている。
「無理あるでしょ」
オレが言っても、へへっ、と笑うだけ。どういうリアクションなんだ。
前を向いたリッキーが、今度は道の先に何かを見つける。
「うわっ、なつかしー!」
と言って、走って行ってしまう。
緑色の販売機だ。電気は使っていない、アナログの。
上に黒いテープの直線で『カモノエサ』と読めるように貼ってあるが、ガラス部分の中のオレンジ色の紙には『コイのエサ 1ケース100円』と青い字が印刷してある。
「やっていい?」
オレがうんと答える前に、リッキーは100円玉を入れて、レバーを回していた。
ガコンと音がして、人間の食べる四角いもなかに似たエサが落ちてくる。勢いあまって、取り出し口から外に飛び出してきた。
「半分こね」
拾い上げたリッキーが言った。もなかは箱型になっていて、半分に割ると、コロコロしたドッグフードみたいなエサが入っている。
「いや、オレいいよ。見てる」
ポケットから手を出しもせず断った。
あんまり、鳥は得意じゃない。特にここにいるカモとアヒルには、襲われた事もある。
リッキーと会ったのも、それがきっかけだった。
しまらくに初めて来た時、オレはお母さんと2人だった。お父さんは仕事だったと思う。
その頃のオレにとってはコイやカモすらめずらしかったし、エサをやりたがったらしい。今のリッキーみたいに。
それで、もなかを半分に割って両手で持っていたのだが、転んでしまって、中身をまき散らしてしまった。
大量のカモとアヒルが襲いかかって来た光景は、今でも忘れられない。オレまで食われると思ったくらいなのだから。
鳥のくせに50センチ以上はあって、噛んでくるし、人なつっこく見せかけて凶暴だ。
それを助けてくれたのがリッキーだった。本人は、たまたま鳥の群れがいたから突撃しただけだったらしいが。
少なくとも鳥をよけさせて、倒れて半泣きのオレを起こして、自分の家族のレジャーシートまで連れて行ってくれたのは事実だ。
すぐに、オレのお母さんが迎えに来た。
お母さんはオレと違って社交的なタイプの人なので、リッキーのお母さんとその場で仲良くなって、そこから今の付き合いが始まった。
だからオレは今も、心のどこかで、リッキーのことは恩人だと思っている。
池の淵まで一緒に降りて行って、しゃがんだ背中に言った。
「初めて会った時、もっとお兄さんに見えたよ」
「ほんとに? 大学生くらい?」
今度は手首だけじゃなく、肩からしならせて、何粒かのエサを遠投している。
「それはさすがに、無理あるけど。6才だし」
水面でバシャバシャッとコイがあばれ、カモが飛びもしないのに羽をばたつかせる。あれに襲われて今でも恐いなんて、他の人の前では言えない。
リッキーは一旦手を止めて、はー、とため息を吐いた。
「何でこんな風になっちゃったのかなぁ」
「オレのセリフ」
まさかあの時助けてくれたお兄さんが、カモをハクチョウのヒナだと言い出すなんて、当時のオレが知ったら、がっかりするに違いない。
「もっとかっこいいお兄さんでいたかった」
お兄さんは青春ドラマで川に向かって小石を投げるように、コイのエサを池に投げる。風を切って、ヒュッと音がした。
「リッキーはかっこいいでしょ」
オレは景色を見ながら訂正した。
単なるバカなだけじゃなく、かっこいい所もたくさんある。
ずっと風上や、池に近い方を歩いてくれる所とか。人が避けたがるような物事を、気にもしない所とか。
「えへへぇ、ほんと?」
ニヤニヤして振り返った顔は、そんなにでもないが。
「…………」
少なくともオレの見てきた中で、1番バカで、1番かっこいい男だ。
ふれあいコーナーと大きな鳥のオリも見て、引き返す頃には、16時半を回っていた。
向こうの広場に、人だかりができている。閉園セレモニーだ。
「あっ!」
リッキーは気になる物が見えたらすぐ走ろうとする。レーダーが搭載されているみたいに。
「待って。もういいじゃん、ここからでも」
引き止めて、このまま、少し離れた所から見ようと言った。
どうせ今から行っても人混みにまぎれるだけだ。あいだを抜けて、最前列に行って見るほどのセレモニーだとは思えない。
ラックとシマーに挟まれて、スーツを着たおじさんが、マイクで何か話している。たまに、キッィィーン、グワワーンとハウリングして、ボッ、ボッと破裂音もする。
終業式の、校長先生の話を思い出した。寒い中で立ったり座ったりして話を聞く客は、全校生徒だ。
さっきのダンスショーの方が、ずっと盛り上がっている。でも、今、このしまらくに必要なのは、あの空気ではないみたいだ。
おじさんの後ろには、オレンジや黄色や黄緑なんかの、蛍光色のジャンパーを着た人たちが並んでいる。アトラクションを動かしたり、動物を飼育したり、この遊園地で働いてきた人たち。売店のおばちゃんも見えた。
校長先生に似た演説を終えたおじさんが頭を下げると、蛍光色のジャンパーの従業員、しましま衣装のダンサーも出てきて、ずらりと並んだ全員が頭を下げた。
パーン! と高い破裂音がして、両サイドからキラキラした紙吹雪が飛んだ。専用の機材ではなく、人間が抱えられる大きさの巨大クラッカーだ。
おじさんや従業員の何人かは驚いてよろけた後、恥ずかしそうに笑った。
拍手がわき起こった時、ようやく、この場所が無くなるという実感が湧いた。
セレモニーを見届けて、閉園時刻の17時を過ぎても、客はまだ帰っていなかった。
アトラクションに、また列が出来ていた。遊園地側の特別対応で、最後の記念にと、営業時間を延長したらしい。
小さい子供が優先的に乗って、家族と一緒に帰っていく。
「最後のお客様までご案内しております! 最後のお客様までご案内しております!」
添乗員は声が枯れるほど繰り返していた。このセリフこそ、録音しておけば良かったのに。
リッキーが動きたがらなかったので、できるだけ最後まで粘る事にした。
オレも実はそうしたいと思っていたから、ちょうど良かった。もし働いている側なら、早く帰ってほしいと思うが。残業手当とかは、どのくらい出るのだろうか。
他にも同じ考えらしい客は何組か居た。
まばらに立って、ノロノロ列が進むのを、少し離れた場所から見ていた。
全員がゲートを出る頃には、もうすっかり日が暮れていた。オレとリッキーも集団の一部になって、一緒に出た。
ゲートの外にはまだ人がいると思っていたが、誰もいない。
駐車場の方からも音はしないし、しーんとしている。明るい時間はあれだけにぎやかだったのに。帰ったと言うより、消えてしまったみたいだ。
振り返って見上げると、
『40年間ありがとう しまらくこども遊園』
と書かれた看板が、ゲートの上にあるのが見えた。
こんなに大きな看板なのに、昼にリッキーと来た時は、気が付かなかった。
普段からは考えられないほど混雑した中でリッキーから目を離せなかったし、看板が視界に入っても、あるワケないと、認識できなかったのかも知れない。
オレが見慣れた景色は、変わらずそこにあり続けると思っていたから。
一応、スマホで写真は撮ってはみるが、ナイトモードにしてもちゃんと写っているかどうかは微妙だ。
何せ光源になる物がない。照明も、街灯も。
もうバスも走っていないから、ここから町までは、赤いタールで舗装された山道を、歩いて下りる事になる。
一緒に出てきた最後の集団は、まばらに広がって、てくてく歩いていった。車が通る事もないから、道路に広がっても、構わない。
スマホのライトで足元を照らしている人が何人かいて、黒い影と白い円がゆらゆら動きながら、遠ざかっていった。
最後には、オレとリッキーだけが残った。閉じたゲートの前から、なかなか動けなかった。
「子供時代にサヨナラだね」
リッキーがしみじみしたように言った。
オレも、泣くほどではないが、寂しさが込み上げてくるのが分かる。とうとう終わってしまった。
「リッキーはもう高3だしね。受験生だよ」
もう、あんまり遊べなくなる。
今のところ、本人からやる気は感じられないが、同級生がやり始めれば、自覚も湧くだろう。最悪の場合は、オレが見てやる。
「おれも、東京の大学受けようかな」
リッキーが言った。オレが東京に帰るつもりだという事は、昔から何度も伝えている。
「なんかオシャレなカフェとかでバイトして、年パス買ってさ。そしたら毎日でも行けるよね」
「ちなみに千葉だよ、あそこ」
分かっているか怪しかったので、一応、伝えた。
「えっ? 東京じゃないの? 東京都千葉市」
「ないでしょ、そんな地名」
高校生にもなって、千葉県が東京都にあると思っているのが恐い。天気予報をどんな目で見ているのか。
リッキーは少し黙った後、うつむいて、ぽつりとこぼした。
「……まだ本命校決まらないの、まずいんだよね」
悩みなんか無さそうだが、やらなければいけない事は、分かっているらしい。
「しっかりしてよ。オレそこまで面倒見れないからね」
でも、すぐに顔を上げて、いつものリッキーに戻るのだ。
「おれが東京行ったらマサが遊びに来れる?」
「そんな理由で志望校決める人、聞いた事ないよ」
つい言ってしまったけど、嬉しかった。
先に大学生になって、東京で待っていてくれれば良い。そうすれば、オレはまた一緒にいられる。たった1人の親友と。
2人で山道を下り始めてすぐ、
「あ!」
と、リッキーが何かに気付いて大声を上げた。
「おれマフラーどうしたの?」
そんなこと、オレに言われても。
「知らない。今日、マフラーしてなかったんじゃない」
「してたよー! ほら、あれあれ! 黒のモコモコで、ここだけスベスベで、シカのマークが付いた……」
必死に手を動かしながら説明してくる。
どれのことを言っているのかは分かる。確かに着けているのを見た記憶もあるし、そこまで具体的に言われると、信じそうになる。
「リスの所のベンチに掛けっぱなしかも。あー、シカがリスのマークになっちゃうよー」
「マジで言ってる?」
見てないはず、ないと思う。
リッキーは忘れ物が多いというのはオレもよく知っているから。こういう事が起きないように、オレがしっかりしないとと思って、やってきたのだから。
「こういう時、どうしたらいいのかな」
リッキーはゲートの方を見て悩んでいる。忘れて来たのは確定らしい。
もうすっかり閉められて、人の影はない。警備員や駐車場の誘導係すら帰っているように見えた。
何より、暗いから、危ないから、怖い。
「運営会社調べて問い合わせるとか?」
ひとまず常識的な範囲で、解決方法を考えるのがオレの仕事だ。
「えー、やだメンドくさいよ」
リッキーが断ったので、それ以外の選択肢はない。
「じゃ諦めな。マフラー1本、無くても死なないよ。別の持ってるでしょ」
「やーだ! あれ気に入ってるの! 今年3月まで寒いんだもん」
天気予報やニュースは見ているようだ。千葉がどこにあるかも分からないくせに。
「同じやつ新しく買ったら」
「買うまで寒いじゃん! おれバカだけど風邪ひいちゃうぞ」
「もー……問い合わせよりリッキーが面倒くさいよ」
急に、リッキーが何も言わなくなった。
無言で、じっとオレを見てくる。
「……えっ」
思わず声が出た。
面倒くさいと言われて傷付いているんじゃない。何をしてほしがっているのか、オレは分かってしまった。
「いやいや、ダメでしょ。閉園してるんだから。もう遅いし」
保護者として止めるが、リッキーは顔の前で両手を合わせて来る。
「お願いお願い! もう場所まで分かってるんだからぁ、パッと取ったらすぐ帰るからぁ」
1人で行ってこいとは言えない。そこまで冷たくない。
「もー……」
まったく仕方のないお兄さんだ。オレがいないと、何にもできないんだから。




