69話
ローラントから連絡が来るまで、研究は見送ることとなった。
その間、私たちは必要書類の作成を始めとした、事務手続きに励むことにした。
特にディートハルトは、一度ノイマン家へ帰ると言う。
「俺付きではあるが、ルイスの雇い主はノイマン公爵だからな。一度実家に帰って、父上に話を通しておかなければならん」
こうして、魔術研究所への見学から物事はうまく回り始めた。
レオンハルト王も体調を持ち直したらしく、あれから訃報は特に知らされていない。
強いて言うのであれば、一度だけ————珍しくエグモンドが学園に来た。
彼が何を求めてやって来たのかはわからない。
だが、何やらヴィクトールと言葉を交わしていた、という噂をニコラから聞いた。……不穏だ。
しかし、ざわつく私の心中とは異なり、学園は至って平和だ。
令嬢間での下世話な噂は絶えないものの、既に日常に戻りつつある。
ここ最近の多忙が嘘のようだ。
そんなわけで、今日は久し振りにギルベルトたちと放課後を過ごしている。
「あーあ、もうすぐ高等課かぁ……なんか入学してからあっという間だったなぁ」
「そうか? 俺は色々あったせいか『やっとか』って感じがするけど」
ギルベルトとニコラがそんな事を話し合っている。
私はと言うと、持ち込んだ時計がさらさらと砂を落とすのを見ていた。
砂が落ち切るのを見計らって、お茶を温めたカップに注ぐ。
コポコポと琥珀色の液体が注がれ、ふわりと白い湯気が香りと共に浮かび上がった。
「どうぞ」
二人の前にカップを差し出すと、二人は揃って「ありがとう」と笑う。
彼らが口をつける瞬間はいつだってドキドキするが、昔と比べてだいぶ上手くなったんじゃないだろうか。
自分でも飲んでみるが、うん……正直そこまで大きな違いがわからない。
茶葉が良いせいか、普通に美味しいわ。
「ねえ、アメリアは? 来年の楽しみとかある? せっかく高等課に上がるんだし、何か新しいことを始めたくない?」
「新しい事、ねえ……」
そんな余裕があればいいけど。
脳裏を過ぎるのは、数々のイベントたち。
そう、来年はとうとう『愛はすぐ側に』の物語が始まる年だ。
既にいくつかのイベントが前倒しに起き、次イベントへのフラグが乱立している状況だ。
正直、ゲーム自体もプレイして時間が経っているので、記憶も疑わしい。
イベントの時期や順番なんて、もう意味がないのかもしれない。
そこまで考えて、ハッとする。
————私、いま何を考えていた……?
「アメリア? どうしたの、顔色が悪いよ」
ニコラが私の顔を覗き込み、ギルベルトも若草色の目を瞬いた。
二人の案じるような視線を受け、慌てて「なんでもないわ」と繕うが、多分バレている。
全然、なんでもなくない。
だって、私、いま『アメリアと同じイベント』を熟そうとしていた。
あんなにも、アメリアとは違う人生を生きてやる、と意気込んでいたのに……。
頭を思いっきり掻き混ぜたい衝動に駆られ、私はぐっと拳を握った。
未だ不安げな視線を向ける友人たち。彼女らに心配はかけたくない。
「ごめんなさい。少し……心配事があって」
「えぇー……アメリアみたいな優等生が、将来に不安を感じるの?」
進級だって問題ないでしょ、と笑うニコラ。確かに学業には不安はない。
自慢じゃないが、成績は上位だ。特に魔術関連の科目は抜きん出ている自負がある。
だが、将来という大きな枠では、非常に不安だ。
私は『アメリア』と同じ轍を踏む気はない。
誰かと恋に落ち、大きな運命の輪に巻き込まれ、彼らと結ばれる。
そんな未来は真っ平ゴメンだ、と心に誓った。
いや————誓っていた、はずだった。
だと言うのに、気が付いたらコレだ。
自分で選んだとはいえ、いつの間にか大きなトラブルの中心にいる。
……愛だの恋だのはさておき。
「………………世の中って、上手くいかないわね」
「アメリアが言う? 頭も良ければ、顔も良い。魔術も得意で、しっかり者! 他に何が欲しいのさ」
羨ましいくらいなんですけど、とニコラが口を尖らせる。
年頃の女の子らしく、彼女は最近自分のそばかすが気になるらしい。
ニコラらしくて可愛いと私は思うんだけど。
でも、こう言うのって、欲しいのは他人の言葉じゃないのよね。
喉元まで出かかった言葉を飲み込むように、紅茶を一息に流し込む。
あまり褒められた作法ではないが、見逃して欲しい。
「良い飲みっぷりだな」
「揶揄わないでちょうだい、ギルベルト。少し、むしゃくしゃしているのよ」
「そうなのか? なら、悪かったな」
さっぱりとした謝罪に、自分の大人気なさが浮き彫りになる。
唇を引き結び、いえ、と言葉を濁した。
「……こちらこそごめんなさい。今のは八つ当たりだったわ」
「おいおい、そんな真面目に取るなよ。……って言っても、アメリアには難しいか」
肩を竦めたギルベルト。気にしてねぇよと、苦笑混じりに私の額を弾く。
痛くはない。加減をされていると、すぐにわかった。
思わず肩の力が抜ける。
今は、考えても仕方ない、か……。
ふう、と小さく息を吐き出し、ニコラに向く。
葡萄色の目が、一瞬だけ怯えたように揺れた。
「別に、ニコラの言葉に怒ったわけじゃないわ。空気を悪くしてごめんなさいね」
「あ、うん。それは特に心配してないってか……むしろ大丈夫? なんか、体調とか都合とか悪い感じ?」
「いえ、ちょっと……将来を思い描いたら、自己嫌悪を起こしてしまって」
え、なんで、とニコラが少し引いたような声を出した。
何で引くのよ。いろいろ考えた結果、そうなる事だってあるでしょうが。
理解を放棄したニコラ。まあいいや、と話を再び急転換。
彼女との会話では珍しいことじゃない。私たちは慣れたように会話を続ける。
こんな平和な日が、永遠に続けば良かったのに——……
穏やかな秋が終わり、冬の足音が近付いて来た。
フンベルクの山々では、獣たちが冬籠もりの最終調整を始めている頃だろう。
有難いことに、バルドブルクの冬はフンベルクほど厳しくない。
乾風が吹くことはあれど、雪が降ることは珍しいそうだ。
だから、早朝に窓を開けると同時に広がる銀風景は久し振りだ。
吐き出した息が白い煙となって、赤くなった鼻先を包み込む。
「そんな寒空の下、何のご用でしょう」
ヴィクトール、と問いかけると、彼はニンマリと猫のように笑った。
モコモコに着込んだ防寒服が、細身の彼をいつもより大きく見せている。
高等教育課に上がってから、殆んど顔を合わせることのなかった先輩。
そんな彼に呼び出されたのは、登校してすぐだった。
『ホームルーム前に、中庭へ』
たったそれだけの手紙。無視したって良かった。
しかし、紙から香る匂いがあまりにも甘ったるく、嫌な予感がしたのだ。
「よく僕だってわかったね。もしかして、愛?」
「いえ、香りです。この香水、フラウ・リッターの物でしょう?」
机の中に忍ばされた手紙を振れば、彼は「ご明察」と喜んだ。
肩を落とし、趣味の悪い男だと眉根を寄せる。
きっと彼は知っているのだろう。彼女が今、どんな精神状態か。
ヴィクトールは柘榴のような真っ赤な目でゆっくりと笑う。
「意外だね。君はあまりこの手の噂に興味がないものだと思っていたよ」
「貴方との関係なら、彼女自身が口にされてましたから」
————わたくしのヴィクトールも……貴女が誑かしたのでしょう?
あの日、彼女は仄暗い目でそう言った。
すぐに何かしらのアクションがあると思ったが、存外彼女は大人しい。
諦めたとは思えないが、何かしらのトラブルでもあったのだろうか。
いや、それよりも今は目の前の男だ。
困ったような笑みを浮かべ、やれやれと芝居がかった動きで肩を竦めるヴィクトール。
「彼女とは別れたんだけどね。どうやら君を逆恨みしているらしい」
「……そのご忠告、春頃に欲しかったですね」
「そりゃ失礼。僕には関わりがなかったもので」
元凶がよく言うわ。
責めるようにジトっとした目を向けるが、気にした様子はない。
それどころか、興味なさげに「それはさておき」なんて話を変えやがった。
「さっさと本題に入ろうか。寒いのは嫌いなんだ」
呼び出したのはお前だと言う気持ちを飲み込み、もう好きにしてくれ、と肩を落とす。
確かに私もヴィクトールも、鼻先が真っ赤だ。早く温かい飲み物が飲みたい。
「シュタルクのことは、何かわかったかい?」
何の前置きもなく、彼はそう訊ねた。
ヴィクトールは寒そうに両手を擦り合わせながら、時折息を吐きかけている。
赤い瞳はこちらを見ない。が、彼の意識がこちらを向いているのは確かだ。
私は僅かに眉を寄せ、白い息を吐き出す。
「そんな事を聞きに来たので?」
「そりゃあ、以前相談を受けた身としては、その後が気になるのは当然だろう?」
確かに彼の言う通りだ。
しかし、彼に情報を漏らすということは、エグモンドに筒抜けるということ。
迂闊なことは言えない。
「残念ですが、貴方に教えてもらった『呪い』にまつわる文献は見つかっていませんよ。高等課に上がれば、図書室で閲覧できる本も増えるので何か見つかるかもしれませんが……」
嘘ではない。彼の話の裏を取ろうと、色々読み漁っているのは事実だ。
優先順位の高いものではないが、時間があれば詳しく調べたいとも思っている。
ヴィクトールは冷めた目で「君は馬鹿なのかい?」と言った。
「あれはただの噂だって言っただろう?」
「ただの噂に縋りたいほど、何の情報もないんですよ」
「おや? 研究所に行って、一悶着起こしたって聞いたけど?」
誰からだ、と聞くのは野暮だろう。どうせあの老獪な男に決まっている。
「別に大したことじゃありません。知人がいたので、挨拶をしに行っただけです」
「ふぅん? まあ、あまり勝手なことはしない事だよ」
彼処は怖いところだから、とヴィクトールは雪に溶けてしまいそうな声で付け足した。
続きを待つようにじっと見つめると、彼は作り物の笑顔で誤魔化す。
深く語りたくはないらしい。それなら最初から言うな。
私が大した話をする気がないとわかったのだろう。
ホームルームの時間が近いこともあり、ヴィクトールは「またね」と軽やかに背を向ける。
新雪に足跡をつけながら、彼は教室棟に向かう。
来年から私たちも通う場所だ。
彼の背を睨みつけ、私も踵を返す。きっと彼はただの遣いだ。
エグモンドが私たちを探っているのだろう。
これからは、もっと慎重に行動しなければならなそうだ。
そんな決意をした数日後。
珍しく真面目な顔のエルフリーデが、私を呼んだ。
「少し良いかしら」
緊迫した彼女の表情は、ただならぬ事態を予見させる。
今度は一体なんだと言うんだ……!




