65話
研究所の見学が始まって一時間ほどが経った。
職員が小難しい術式について議論をする傍ら、私たちはエグモンドの解説を受ける。
「こうして、我々は日々新しい魔術の生み出しに従事している。シュタルクの使う魔術は、その凡そが既存の文明で事足りる。わざわざ火を起こすのに、火の刻印を持つ魔術師を探す必要はない」
そう言って、彼は胸ポケットからマッチを取り出した。教員だけが一人笑っている。
「喫煙しない学生諸君には、馴染みのない冗句だったかな?」
「いえ、大変ユーモラスでした。ですが、やはり俺たちには少し早かったみたいです」
少し理解が遅れました、とらしくない言葉を紡ぐディートハルト。
コイツ……お世辞が言える、だと……?
やはり私の知るディートハルトよりも、ずっと大人びている。
いつの間にそんな成長を遂げたんだ?
困惑する私の肩に、軽く腕をぶつけるディートハルト。集中しろと言いたいらしい。
わかってるっての。
「質問をしても宜しいでしょうか」
す、と軽く手をあげれば、エグモンドが「勿論だとも」と口先で笑う。
内心イラっとしつつも、私は「では」と遠慮なく言葉を切り出した。
こうして、淡々と進む真っ当な施設見学。
それが崩れたのは、通常の学生では入ることの叶わない——禁書室に案内された時だ。
「ガラス戸に入った貴重書以外は好きに見てもらって構わない」
せっかく成績優秀者が揃っているのだからと案内された書庫で、エグモンドはそう言った。
私とディートハルトは目を合わせた。ディートハルトが小さく顎を引き、頷く。
本を手に取りながら、私はディートハルトの隣に並んだ。
「どう?」
「駄目だ。幾人かに声をかけてみたが、それらしい人物はいなかった」
「……そもそも、彼の目があるものね。大っぴらに聞けないのが不便だわ」
チラリと横目でエグモンドを示す。彼は今、教官のおべっかをつまらなさそうな顔で聞いている。
視線を向けず、ディートハルトも気難しげに眉を顰めた。
手にした本をこちらに傾けるディートハルト。本を見せ合う振りをしながら、密談は続く。
「駄目元で訊くが、お前は?」
先ほどより近くなったディートハルトに隠れながら、私はエグモンドを盗み見る。
こちらを伺う灰色の目。その視線から逃れるよう、人差し指で本の一節を差し示した。
『……発見した』
ギョッとしたディートハルト。
背を向けている為、わかりやすい彼の顔はエグモンドから見えていない。
が、私の態度で察したのだろう。すぐに表情を引き締めた。
「せめてあの男の視線が外せればな……」
ため息混じりの声が、そう呟いた時だ。
閉じていた書庫の扉が開き、そばかすだらけの年若い魔術師が飛び込んできた。
慌てた様子の彼は、教官の姿に目を見張りつつ、エグモンドに駆け寄る。
ヒソヒソとした会話が続き、エグモンドの顔がわかりやすく歪んだ。
「……申し訳ないが、急務が入ってしまってね。すぐに代わりの者を寄越すので、このままお待ちいただけるかな?」
そう言うや否や、エグモンドはマントを翻した。
バタバタと忙しなく消えていく二人の魔術師に、私たちは再度顔を見合わせる。
好機だ。今しかない。
二人して書庫を飛び出す。教官の「あ、おいっ!」という声が聞こえ、私は「ご不浄ですっ!」と叫んだ。
「いいのか、優等生。そんな嘘を吐いて」
しかも大声で、と言われ、少しだけ頬が熱くなる。大声が出たのは、不本意だ。
しかし、
「嘘じゃないわ。本当に行くのよ。……そのついでに、ちょっと別の場所に寄るだけで」
「……屁理屈め」
への字に曲がっていようと、理屈は理屈。嘘は吐いていない。
走る一歩手前の速度で、私とディートハルトは来た道を戻る。
どこだ、という短い問いに、私は「三つ前の研究室よ」と答えた。
正確に言えば、見つけたのは当人ではない。
心当たりのありそうな職員を発見しただけだ。
それを告げれば、ディートハルトは短く「十分だ」と言った。
長い廊下を進み、小さな研究室の並びを足早に駆ける。一つ二つ、と見覚えのある部屋を通り過ぎ……
「ここだな?」
ディートハルトの問いに、短く肯定する。
深呼吸を二回。どちらともなく視線を合わせ、頷き合った。
ノックをすると、中から「どうぞ」と声がする。扉を開けると、一人の研究員がいた。
私たちを見ると、おや、と目を瞬いた。
「君たちは先程の……」
「アルバイテンのディートハルト=ノイマンと申します」
「同じく、アメリア=フォーゲルです」
恭しく頭を下げると、彼も丁寧な礼を返してくれた。
手にしたバインダーを他所に置き、彼は「どうかしたのかな?」と穏やかな調子で問う。
ディートハルトが促すような視線を向ける。
小さく頷き、半歩前に出る。
「お忙しいところ申し訳ありません。先ほどのお話なのですが……」
「先ほど? ……ああ、学園からの申請を受けたって話かな?」
うん、と小さく頷いた彼は「確かにその連絡を最初に受けたのはうちの研究室だよ」と答えた。
ディートハルトの顔に、期待の色が浮かんだ。
「そのお話、詳しく聞かせてもらえますか?」
「え? あ、ああ……それは構わないけど」
困ったな、と頬を掻いた研究員。
何を躊躇うことがあるのろう、と疑問に思う私たちに、彼は言った。
「担当の魔術師は、今ちょうど席を外していてね。暫く戻って来そうにないんだ」
なんだと……?
思わず眉根が寄った。それじゃあ話が聞けないじゃないか。
せめて名前だけでも……。
そう思ったのは、私だけじゃなかったようだ。
ディートハルトもまた「その方のお名前を伺っても?」と訊ねる。彼はパッと顔を明るくさせた。
「ああ、勿論。ノイマン家とフォーゲル家の方に覚えて貰えるなんて、きっと彼も喜ぶよ」
そう言って、彼は棚から名札——いわゆる名刺のようなもの——を二つ取り出した。
「うちの研究に興味があれば、いつでもご支援を」
記されていたのは、簡単な所属と名前だけ。
だがしかし、それを見た私は、思わず「げっ……」と声をあげてしまった。
淑女らしからぬ私の反応に、不快そうな表情を浮かべるディートハルト。
棘のある声で「知り合いか?」と訊ねて来た。
「知り合い……ええ、そうね。知り合いといえば知り合いだけど……」
多分貴方も知ってる筈よ、と告げる。
ディートハルトが再び視線を名札に落とす。しかし、不可解そうな目は変わらない。
『王立魔術研究所 医療魔術専門研究室室長
王宮魔術師 カレステン=ティーリマン』
聞かん名だな、とディートハルトが鼻を鳴らしたので、私は呆れたように「嘘でしょ?」と言った。
「彼、何度も学園に来てるわ。臨時講師としてね」
ディートハルトの空色が、大きく見開かれた。
前述の通り、学園はごく稀に王宮から魔術師を呼び、特別講義をする。
参加自体は任意だ。当然私は全授業に参加している。
そして、隣に立つ彼も同様だ。
特別な事情がない限り、彼もいつも出席していた。
だから知っている筈だ。
カレステン=ティリーマンという奇人を。
「やあ、フラウ・フォーゲル! よく来たね、三十二分十五秒前振りじゃないか! 今度はどんな無理難題を訊きに来たんだい? はっはーん、さてはまた魔術刻印とその属性についてだね? だが、残念なことにそれはまだわかっていないままだ! というわけで今日は別の話をしよう! さあさ、席につきたまえ! 時間が許す限り言葉を交わそうじゃないか!」
目の前で濁流のような言葉を吐き出したのは、へらへらとした笑みを浮かべる男。
白と金の豪華なローブを身に纏い、怪しげな丸眼鏡の奥で、鳶色の瞳が鋭く笑っている。
絶句するディートハルトの横で、私は言った。
「彼がカレステン=ティリーマンよ」
「授業中と態度が全く違うじゃないかっ!」
声を荒げるディートハルトに、ルイスが小さく肩を震わせた。そんなの、私に言われても困る。
研究所見学から半月が経った。
結局、あの日はカレステンと会えず、すごすごと書庫に戻った。もちろん教官にはガッツリと怒られた。
次回以降の研究所見学に、ペナルティが付きそうだ。
規則を破ったのはこちらなので、甘んじて受けよう。
それはさておき。
当日こそ会えなかったものの、カレステンは元々学園に出入りする講師。会うのはそんなに難しくない。
「いやぁ……見学の日は悪かったね! 突然、王宮の方に呼び出されちゃってさ! もう、バッタバタ!」
止まらない早口にドン引きのディートハルト。
……確かに彼、授業中はまともだものね。
私は、よく授業終わりに質問しに行っていた。
多忙な彼はなかなか捕まらなかったが、時間のある時はいつもこんな感じ。
「たくさんの人がいると、緊張しちゃうんだよね!」
とのこと。
それはさておき。
今、王宮に呼び出されたって言った?
ということは、あの時エグモンドが席を外したのも、同じ理由だろうか。
医療魔術専門のカレステンが呼び出されるなんて……。
もしや、レオンハルト王の容体はそんなに悪いのだろうか?
悶々とする私の腕を、ディートハルトが肘でついた。
おい、と低い声が私を呼ぶ。
ハッと顔を上げると、うんざりとした顔であった。
「早くコイツに事情を説明してやってくれ」
辟易とした表情のディートハルトに、思わず笑ってしまった。




