64話
十五の夏と言えば、曲の歌詞になるほど多感な時期。
そんな時分に、私の頭の中は研究所見学の事でいっぱいだった。
初夏の太陽がリネンの生地越しに腕を焼く。
「とうとう来たわね、この日が……」
「……何をそんなに意気込んでいるんだ」
呆れたようなディートハルトの視線を受けつつ、私はルイスの腕をガシリと掴んだ。
ビクッと震える友人を横目に「行くわよ」と気合を入れる。
「……え? 許可が降りていない?」
私たちを出迎えた職員の言葉に、思わず聞き返す。
嗜めるように引率教員が私を見たので、口を噤む。が、納得したわけじゃない。
私が口を挟むのが駄目なら、そっちから聞いてくれ。
そう言わんばかりの視線を向けた。
眉を顰めた引率教員だったが、軽く喉を鳴らし、研究所の職員へと向き直る。
「失礼。ですが、申請時にきちんと従者クラスの者が一名付き添うことを、お伝えした筈ですよ」
「ええ、そちらは伺っております。ですが、それがシュタルクであることは伺っておりません」
「……だ、そうだ」
ちらりと視線がこちらに向き、私は思いっきり眉を顰めた。
ディートハルトと顔を合わせると、彼もまた厳しい顔付きをしている。
視線を交わし合い、この場は彼に譲る。入所拒否にあっているのは、彼の従者だからだ。
ディートハルトが一歩前に出て、凛とした声を張る。
「その件に関しては、父を通して事前に王宮魔術師より許諾を頂いております。ノイマン家より申し出がなかったか、早急に確認をしていただきたい」
拍手をしたいほどの堂々たる姿だ。
ノイマンの名前を聞いて、慌て始める職員。
バラバラと手元の資料に目を通しながら、責任者への取り次ぎをしようとした。
その時だった。
「その必要はない。ノイマンからの申し出は、私の一存で取り消した」
低く嗄れた、権威者の声がした。
バッとその場にいた全員の視線が、その男に向く。
丁寧に撫でつけられた真っ白な頭。露わになった額は広く、年齢通りの皺がいくつも刻まれている。
毛の長い白眉の下に潜む灰色の瞳は、酷く冷たかった。
「エグモンド=ベルトラム様……」
誰かが、彼の名前を呼んだ。
周囲の者が恭しく頭を下げ、私たちもそれを真似る。
良い、と短い返事があり、姿勢を戻す。しかし、ピリついた空気は変わらないままだ。
「ヘア・ノイマン。貴殿の父君から頂いた申し出は、我が同胞が勝手に受け入れてしまったようでね。私の方から取り消させて貰ったのだが、連絡が遅れているようだ」
すまないね、と悪びれる様子もなく、エグモンドは言う。
黙り込む私たちを前に、引率担任が慌てて「そうでしたか」と声を取り繕う。
「そうとは知らず、失礼いたしました。当該生徒は直ちに帰らせますので、残りの生徒たちだけでも……」
「ああ、それは勿論。未来ある若者たちだ。存分に見学するといい」
手を広げ、中へ誘導するエグモンド。私たちの表情なんて、これっぽっちも意に介していないようだ。
あまりの態度に奥歯が軋む。思いっきり、あのしわくちゃの喉に噛みついてやりたかった。
でも、できなかった。
ルイスの主人であるディートハルトが、誰よりも悔しそうな顔で言葉を飲み込んだからだ。
「……承知した。今日のところは下がれ、ルイス」
短いディートハルトの命令に、ルイスは大人しく去る。
その背を追うべきか、私が迷いを見せると彼は小さく囁いた。
「お前はいろ。人手が必要だ」
「……何か考えがあるの?」
この状況に納得はいかない。だが、不法侵入の手伝いは御免だ。
そんな感情が乗ってしまったのだろう。ディートハルトが馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「何も規則を破るわけじゃない。黙ってついて来い」
偉そうに言うな。私はお前の部下じゃない。
そう言いかけたが、彼と手を組んだことも事実。そして、社会的立場は彼の方が上だ。
まだ学生の身分。本来は対等だ。
しかし、
「……わかった。貴方を信じるわよ」
きっとこの先、こんなことは幾度もあるだろう。
ふ、とディートハルトが小さく笑った。
エグモンドの案内で、私たちは研究所内を見て回る。
権威者の案内に、教員は随分腰を低くしていたけれど……
「なに、ノイマン家の従者を追い返してしまった詫びだ。気にすることはない」
と、当人は白い口髭を歪めて笑っていた。
広い魔術訓練場、術式がびっしり記された黒板のある講義室。試験管や薬品棚の並んだ実験場。
大学みたい、というのが正直な感想だった。
時折、白衣を着た職員や厳しいローブを纏った魔術師とすれ違う。
その度に誰もが頭を下げ、教員は随分と鼻を高くしていた。間抜けめ。
彼らが頭を下げているのは、先頭を歩くエグモンドに過ぎない。
魔術師の最高権威。ヴィクトールの父親。
そして、シュタルクを便利な道具くらいにしか思っていない、差別主義者。
…………苦手だ。同じシュタルク嫌いでも、かつてのニコラとは明確に違う。
少なくとも彼女は、シュタルクを人と認めていた。
だからこそ、同じ『人間』なのに『違うこと』が嫌だった。
しかし、エグモンドは違う。
彼らを人として認めておらず、完全に見下している。
だから、彼らが『人間として扱われること』を嫌がっている。
こういう人間は反吐がでる。
自分たちが特別だと思っているのだろうか?
才能があるから? 努力をしたから?
だとしたら、それは間違っている。
優れた力も積み重ねた努力も、驕る為にあるのではない。
先ほど別れたルイスの顔を思い出し、手のひらに爪が食い込む。
あともう少しでプツリと皮膚が切れるかもしれない——そんな時、エグモンドの目が私を見た。
「フラウ・フォーゲル。貴女は確か、魔術教科において優秀な成績を収めておられたな?」
「え、……あ、いえ。まだまだ若輩者で、大した素養は御座いませんわ」
思考が飛んでたため、言葉に詰まった。
しかし、なんとか謙遜混じりの言葉を口にする。
エグモンドが「そう畏まらずとも良い」と眦を下げた。
けれど、灰色の瞳はちっとも笑っていない。
それどころか、
「講師として授業に参加したうちの部下が褒めておったよ。将来有望だとな」
ひどく冷たいその目は、私を値踏みしているようだ。
カッとプライドが傷付けられ、頬が紅潮する。
思わず眉根が寄りそうになった時、眼前にホワイトの制服が立ち塞がった。
ディートハルトだ。
キリとした空色の瞳が、少し低い位置にあるエグモンドの顔を涼やかに見つめている。
どうかされたか、と問う老齢の声。若き青年の声が、それに答えた。
「老師よ、あまりこの者を褒めないでやってください。首席でもない者に、調子に乗られては困る」
「ははっ……そういえば、この場にはもう一人優秀なのがおったな。これは失敬」
表面上は愉快そうなエグモンド。再び背を向けて、数歩先を歩き出す。
教員が慌ててその背を追う。
その後ろでドッと冷や汗を吹き出す私に、ディートハルトが小さく囁いた。
「痴れ者が。貴族なら、もう少し上手く表情を隠せ」
「……ごめんなさい。腹芸は苦手なのよ」
ふん、と鼻を鳴らすディートハルト。できなきゃ困る、と低く呟かれた。
肩を落とす私に、彼は突き放すように言った。
「この先、足を引っ張るようなら捨て置くぞ」
「……そう言うわりに、さっきは助けてくれたみたいだけど?」
ありがとうね、と言えば、彼は薄気味悪いと口元を歪めた。失礼な。
私だってお礼くらいは言うわ。
無機質な廊下を闊歩しながら、ディートハルトは再び小声で言った。
「人を探したい。俺一人では難しいが、お前の手があればなんとかなるやもしれん」
「人?」
知り合いでもいるのだろうか、と怪訝そうな顔を向ける。
すると、彼は横目で私を見下ろした。忘れたのか、とでも言いそうな目だ。
「入口での言葉を思い出せ。エグモンドが言った言葉だ」
————貴殿の父君から頂いた申し出は、我が同胞が勝手に受け入れてしまったようでね。
あ、と声を上げると同時に、ディートハルトが「そうだ」と低く唸った。
「研究所内に、シュタルクに対し好意的な魔術師がいる。そいつを探し出せば、ルイスの研究が少しは進むかもしれん」
ズカズカと私を引き離すように歩くディートハルト。
身長差からできるコンパスの差は大きい。
だが、
「そうね。まずはその人を探しましょう」
半歩先を歩くディートハルトに追いつくよう、私は少し歩幅を大きくした。




