63話
すでに自室に戻っていたアドルフ。
寮母に呼び出してもらい、一階のラウンジで顔を付き合わせる。
私の救援要請に、彼はものすごく嫌そうに顔を顰めた。
「今度は何です」
冷めた湖水色の瞳が私を射抜く。そんな顔をしなくたって良いじゃない……。
うぐ、と躊躇いを覚えながら、私は今あった出来事を口にした。
はあ、と小さくないため息を吐きやがった義弟。
義姉のピンチになんて反応だ。
彼は「ピンチ?」と眉根を寄せた。
「ピンチに陥っている人間が、威風堂々と立ち続けてるわけないでしょう」
「……まるで見てたみたいに言うじゃない……」
「義姉上のことですからね」
想像つきますよ、と肩を竦める。それで、と片目を瞑り、話を促したアドルフ。
自分に何を求めているのか、という意味だろう。私は捲し立てるように本題に入る。
「貴方の持っている魔石をお借りしたいのよ」
退屈そうだった湖水色の目が、ゆっくりと見開かれた。
がたん、と椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がるアドルフ。珍しく取り乱した様子だ。
周囲の視線が集まる中、アドルフは気にした様子もなく叫ぶ。
「なん、でっ……!」
「義弟の宝物くらい、把握してるわよ」
義姉だもの、と言ったが、私の場合は違う。前世の記憶のおかげだ。
ローラントから借り受けた『羽飾りのペンダント』。
アドルフにも、それに当たる『思い出の品』がある。
彼の場合、それは『魔石のお守り』だ。
今は亡き姉のシャルロッテの私物であり、アドルフが彼女に贈ったお守りだった。
そんな大事なものを貸してくれ、と言うのは、とても心苦しい。
だが、
「嫌な予感がするの。一年……いえ、二年ほど貸しておいてくれないかしら」
エルネスタのイベントがあった以上、念には念を入れておきたい。
いつにない真面目な声色の私に、アドルフも何か感じることがあったのだろう。
呼吸を一つ二つと繰り返し、倒した椅子を起こして座る。
ふう、と最後に息を吐き、彼は努めて静かに訊ねた。
「……何のためにか、お聞きしても?」
私はぐっと眉間に皺を寄せる。脳裏に過ぎるのは、ロータルの言葉。
——思わぬトラブルが舞い込むかもしれない。
それは、おそらくレオンハルト王の崩御による影響のことだろう。
ローラント周辺で起こるトラブルと言えば、そのくらいしか思いつかない。
だが、これだってエルネスタの呼び出しと同じだ。
本来なら、アメリアが十六歳になってから起こるイベントの筈。
それが、今、このタイミングで起こった。
もう疑いようがない。少しずつ、イベントが前倒しになっている。
この先に起こる重要なイベント——それらの全てが、一様に早まる可能性がある。
例えば、ヴィクトールの死亡イベントや、ノイマン家の不祥事発覚イベント。
ルイスの体に限界が来る日も、すぐそこに迫っているかもしれない。
思わず、唇を噛み締める。
もし、私に水の刻印があれば、こんな不安は抱かなかった。
致命傷を負ったヴィクトールの命も、心無い言葉に荒れるディートハルトの炎も……。
清純な水を求めるルイスの体だって——全部救えたのに。
でも、私にはそれができないから。
「貴方の持つ、魔石で……私の魔力を底上げするわ。有事の時に、いつでも動けるように」
風の刻印で使える魔術の殆んどは諜報魔術だ。
しかし、防衛魔術がないわけではない。もちろん、地の属性の魔術に比べれば、温い防壁ではあるが。
アドルフからしてみれば、冗談じゃないだろう。
ただの異性トラブルに、大事な姉の遺品を使わせろと言っているのだから。
案の定、彼は筆で書いたような細い眉をわずかに顰める。
「何故、たかが女生徒間のトラブルを、そこまで警戒するのです。第一、あれは魔石とは名ばかりで……ただの屋台で買った玩具ですよ?」
「たかが女生徒とのトラブルで終わりそうにないからよ。言ったでしょ、嫌な予感がするって」
それと、と言葉を区切り、私は少し視線を外す。
しかし、すぐに視線を戻し、私はじっとアドルフの目を見つめた。
「貴方の持つお守り……あれ、本物よ。本物の魔石なの」
確か、『魔石のお守り』は、アドルフ編を終えると『ミーミルの泉のお守り』に名称を変える。
だからなんだという話だが、物語的には重要なアイテムだ。
泉の加護を受けた血筋のアメリアが持つことで、その魔石は本領発揮する。
アメリアの魔力を増幅し、彼女の魔術の効果や威力を大きく広げた。
具体的に、魔石の効果がどれほどかはわからない。
シナリオでは、そこまで明記されていなかったと思う。
ただ、もし私でもその恩恵に預かれるのなら……
「私は、誰も巻き込みたくないの。『私』が引き起こしたトラブルに」
これから降りかかる出来事。
それは、私が『私』でなければ、救われた物語だ。
私がアメリアでない以上、その責任は『私』が取らないといけない。
アドルフはふ、と肩の力を抜くように息を吐いた。
「……相変わらずの石頭ですね」
「ただの性分よ」
今度は静かに立ち上がるアドルフ。
その様子を静かに見つめていると、少し困ったように眉を落とす。
「そんな目で見ないでください。……事情はわかりましたから」
「っ! なら、」
「ええ、差し上げます」
え、と返された言葉が一瞬理解できず、思わず固まった。
照れ隠しだろうか。くるりと背を向けて、彼はそのまま言葉を続ける。
「元々あれは姉様の物ですから。……魔力なしが持っていても、仕方ないですしね」
どうせ玩具ですし、とどこか不貞腐れたような声のアドルフ。
”どうせ”なんて思っていないくせに……本当に素直じゃない義弟だ。
「ありがとう、アドルフ。本当に、助かるわ」
「別に良いですよ。お礼なんて」
フン、と小さく鳴らされた鼻も、今はなんだか可愛らしい。
こうして、全ての準備は整った。
平和な日々は矢のように通り過ぎ————あっという間に、魔術研究所見学の日となった。




