61話
私とディートハルトがルイスのため——ひいてはシュタルクのために始めたこと。
それは、彼らへの理解だ。
とはいえ、だ。
コーネンプレッツェルで生まれ育ったルイスは、シュタルクのことを知らない。
彼にわかるのは、彼自身のことだけ。
それも、自覚のあることのみ。
なので、私は彼らに魔術研究所見学への参加を提案した。
魔術研究所は十五歳から見学が可能になる。
そこで、ルイスの健康診断を行えないだろうか、と。
勿論、検査結果で彼の脱水がわかるかは賭けだ。
もしかしたら、基準となるシュタルクの数値が無い可能性もある。
しかし、私が突然「ルイスの体調がおかしいのでは?」と言うよりも、説得力がある。
少なくとも、彼の症状は表に出てこないのだから。
「……これでどうにもならなかったら、どうしようかしら」
ポツリと落とした言葉に、前席のニコラが振り返る。
なんでもない、と手を振れば、彼女はまた授業に集中し始めた。私も板書しないと。
黒板の内容をノートに書き写しながら、やっぱり脳裏に浮かぶのは先日の話。
ディートハルトには、ルイスを伴っての研究所見学を依頼した。
勿論、ただ見学を頼んだだけでは意味がない。
ノイマンの家から手を回し、国の取り組みとして『シュタルクの健康調査』を行ってもらう。
そして、エルフリーデには——本当に申し訳ないが——ルイスの比較対象になってもらいたい、と頼んだ。
クルークとシュタルクという違いはあるだろう。
しかし魔力量でいえば、最もシュタルクに近い筈。
……というのは、あくまで口実だ。もちろん、彼女にその役割を期待していないと言ったら嘘になる。
が、あくまで私がエルフリーデに期待したいのは、この後だ。
もし、この健康診断でルイスの脱水が発覚したら?
次は、彼が飲める清い水を探さなければならない。
大地の声を聞けるエルフリーデ。
その特異なその性質は、とても心強い味方になる。
是非とも、力になって貰いたい。
そう思うと同時に、私は密かな自己嫌悪を催す。
結局、私は自分の為に、他人を利用している。
真面目だなんだと言われても、私だって利己的だ。
その事実に、吐き気がする。
机に突っ伏したい気持ちを堪え、私はひたすらに『今できること』に視線を向ける。
少しずつ、時計の針は進んでいく。
そして、十五の年が来た。
ヴィクトールは高等教育課に上がり、私たちは魔術研究所への入所資格を得た。
担任教員から見学手続きの説明を受け、早速事務室へ向かう。
「……では、再来月の頭頃ですね。予定を調整するよう依頼しておきますので、詳細が決まり次第、ご連絡いたします」
「再来月、ですか。そんなに待つんですね」
「ええ。研究所の予定は勿論、同行する教職員の都合なども合わせないとなりませんから。実際に行けるのは、夏頃になると思いますよ」
事務員の淡々とした答えは、もどかしさを増すばかりだ。
だからと言って、文句を言って早まるものでもない。
私に言えるのは「よろしくお願いします」だけ。
頭を下げて退室すると、そこにはギルベルトが立っていた。
「無事に申請できたか?」
「ええ。……でも、本当に良かったの?」
見学にあたって、ディートハルトと予定を合わせた。その方が都合が良さそうだからだ。
ついでに二人も、とギルベルトとニコラを誘った。
しかし、二人には「興味がない」と断わられてしまったのだ。
興味がないならないで良いのだが、
「事務室に行くんだろ? 俺も一緒に行っていいか?」
と、申請手続きについてきたギルベルト。本当は、行きたかったのではないだろうか。
そう思って問いかけたのだが……。
彼は「別に興味ないしなぁ」と、変わらない感想を述べた。
「なら、何か事務室に用が?」
「いや? ただ、アメリアとだらだら話したかっただけだけど?」
またこの子は……さらっとそういうことを言う……。
私以外の友達がいないのか、と少し心配になったが、社交的な彼のことだ。
男女問わず、友達がたくさんいることは知っている。
そこで、はたと気付くり
……ああ、そうか。ここ最近、ルイスのことにかかりきりだった。
ディートハルトやエルフリーデと過ごすことが多くなり、寂しかったのかもしれない。
得心がいき、私はすっきりとした気持ちで提案する。
「そういうことなら、次のお休みに少しお出掛けでもしましょうか?」
「は…………はあ?」
ギョッとギルベルトが目を剥く。話したいんでしょ、と言うと、彼は「そうだけど」と頭を掻く。
「別にそんな、改まって話すようなことはないぞ? ただ、こう……適当にさぁ」
「わかってるわよ。でも、学校だと落ち着いて話せないでしょう? 寮の部屋には規則的に行けないし」
そこは行けても行くなよ、と呆れた顔のギルベルト。
流石に誰彼構わず「部屋に行こう!」とは思わない。同性だとしても、ちゃんと人は選んでいるつもりだ。
私の主張に、何か言いたげな表情を浮かべる。
しかし、ギルベルトはすぐに「まあいいか」とため息を吐いた。
「よっし、たまには街に出るか!」
「じゃあ、今週末のお休みに。詳しいことは後で決めましょう」
楽しみにしてる、と若草色を細めて笑うギルベルト。
ここ最近は気を張り詰めてばかりだったから、私も楽しみだ。
その日の放課後。
「おや、君は……」
図書室で、聞き覚えのある声がかかる。
パッと視線を上げた先にいたのは、騎士団服を纏った端正な顔立ちの男——ロータルだった。
慌てて起立し、深々と頭を下げる。
ロータルは悠々とした立ち居振る舞いで、顔を上げるように言った。
「以前もここで会ったな。勤勉なんだな」
「いえ……勿体無いお言葉です」
改めて名乗りあった私たち。しかし、図書室ということもあり、早々に別れを告げる。
いや、告げる、つもりだった。
ガッと手袋に包まれた白い手が、私の手を勢いよく掴む。え、何、なになに!?
改めて見ると、エルフリーデによく似た蜂蜜色の瞳。そこに驚愕の色が映し出されている。
「それを、どこで……!」
彼の目に映るのは、私が握る羽飾りのペンダント。
それがローラントの物だと、彼は知っているのだろう。
私は落ち着きを取り戻し、借り受けたことを告げる。
が、話しながら少し思ってしまった。
——あれ、これってもしかして、妙な勘違いを生むんじゃ……。
私の心配した通り、ロータルは「ほう」と意味深な声をあげた。
「彼が、君に……?」
「……私の知的好奇心に、ヘア・リヒターが協力してくださったのです。善意で」
念を押すように言うと、彼は「善意で」と復唱した。……本当にわかってる?
じろじろと、どこか不躾な目で私を見るロータル。しかし、すぐに目を伏せた。
「いや、失敬。彼がそれを手放すとは思えなくて、つい取り乱してしまった」
盗んでないし、特別な関係でもない。神に誓って。
そう心で付け足しながら、私は「いえ」と短く返す。
触れないのも変だろうと「ヘア・リヒターとは親しいのですか?」と問いかけた。
ロータルは悪戯っぽい目で、微かな笑みを浮かべると、
「少し縁があってね」
と言った。
別れ際、彼は言った。
「あの方が信頼して、そのペンダントを預けた君に一つ忠告を」
「なんでしょう?」
「もしかしたら、近い将来——思わぬトラブルが舞い込むかもしれない。
君には無関係なまま終わるかもしれないが……もし何かあれば、信頼できる身近な大人に頼るといい」
柔らかな笑みの中で、ロータルの目は酷く真剣だ。
私は小さく頷き、似たようなことを先日言われたばかりだと告げる。
——ちゃんと大人を頼りなさい。
耳に残る声を思い出せば、ロータルは少し照れたように笑った。




