58話
「傲慢ですね」
ピシャリと私を叱ったのは、義弟のアドルフだ。
何よ、と眼前の湖水色を睨みつければ、彼は負けじと睨み返してくる。随分と逞しくなったものだ。
「一介の貴族令嬢——それも元は平民の子が、国の方針を変えようだなんて、驕りが過ぎます」
「最初に立ち上がる時、基本は誰もが一人よ。その一人に続く者が現れて、大きな徒党になるのだわ」
「貴女にそれだけの器があるとでも?」
ハンっと鼻で笑うアドルフ。なるほど、確かに傲慢だと言われても仕方あるまい。
しかし、その傲慢さで救われる者がいるなら、私は喜んでそのレッテルを受け入れよう。
アドルフとこんな話になったのは、彼に報告したいことがあったからだ。
というのも、魔術師になる旨をリヒャルトに告げ、彼からようやく返事が来た。
いつものように、アドルフの手紙に同封されていたらしい。
切手やら宛名書きやらの手間を省きたいという、義父の意思がひしひしと感じられる。
お礼も告げ、受け取った手紙を自室に持って帰る。何となく、あの人からの手紙は一人で読みたい。
恐る恐る開けた手紙には、挨拶もそこそこに、たった一言だけ。
『好きにしろ』
ホッと肩の荷が降り、柔らかなベッドの上で一人姿勢を崩した。
ふつふつと湧き上がる高揚感が、これまで沈んでいた心を浮き足立たせる。
もちろん、前途は多難だ。
シュタルクの協力を得るには、最も身近なシュタルク————ルイスの協力が必要となる。
しかし、ただ協力して貰えばいい、という話でもない。
彼を実験動物にしていると、他のシュタルクたちに誤解されては、本末転倒だ。
いや、そもそもルイスが協力してくれるかさえ、現段階ではわからない。
それでも、そうだったとしても——……
「はあ……良かったぁ」
私の未来は、ほんの少し——息を吹き替えした。
そう思っていたのだが……、
「父上の言葉一つで、そこまでご自分に自信が持てるとは……良いですね、脳の作りが単純な人は」
「突っ込みたいところは沢山あるけれど……取り敢えず、私が自分に自信を持っていることと、お義父様の返答は関係ないわ」
仮にリヒャルトからのゴーサインがなくても、私は私の行動に自信満々だ。
……いや、勿論、彼の許可に喜ぶ心が無かったと言ったら、それは嘘になるが。
「私は、私の考えが間違っているなんて、思ってないわ」
ただ、それがみんなにとっての正解とは限らない。それだけの話だ。
心中で付け足した言葉なんて知らないアドルフは、ほら見ろと言いたげな表情を浮かべる。
「だから、傲慢だって言ってるんですよ」
ため息を吐き、リヒャルトへ認めた感謝の——勿論、儀礼的な——手紙を受け取るアドルフ。
手紙を預けるついでに、散々心配……基、迷惑をかけたアドルフにも手紙の内容を伝えたのだが……。
こんな反応をされるなら、伝えなくても良かったかもしれない。
とはいえ、相談相手に対する結果報告は、相談を持ちかけた側の義務だ。
私は肩を落とし、何とでも言いなさい、と諦めた。
「……それで、ルイスの方はどうするんですか?」
落ちてきた前髪を耳にかけながら、アドルフが訊ねてくる。私は少し言葉に詰まった。
だいぶ伸びてきたわね、と前髪に手を伸ばすと、彼は「話を逸らさないでくださいよ」 と眉根を寄せた。
昔から変わらない表情に、ほんの少し愛らしさを覚える。
「ごめんなさい、逸らしたわけじゃないの。……ただ、私の中でもまだ答えが出ていなくて……」
「後先考えずに動いたってことですか?」
「時々ね。こんな私でも、良心の呵責に耐えられなくなる時があるのよ」
肩を竦めると、アドルフは物凄く嫌そうな顔をした。
それから、
「嘘も大概にしてください」
と言って、くるりと私に背を向けた。
それから付け足すように、彼は「そもそも」と言葉を続ける。
「良心が痛むようなことを、貴女はしないじゃないですか」
「……それは、私を買い被り過ぎだわ」
「そうですか」
アドルフはまだ何か言いたげだったが、すぐに視線を外した。
今度こそ振り返ることなく、彼は自身の教室へと帰って行く。
辛口な義弟の思わぬ言葉に——不意に、なんだか泣きたくなってしまう。
私は、彼の思うような『立派な義姉』であれているだろうか、と。
意外な形で励まされた私は、義弟の評価に恥じぬ人間であろうと奮起する。
というわけで、ずっと目を逸らし続けていた問題に直面しよう。
そう思った途端だった。
「おい、フォーゲルはいるか」
威圧的な男が、いつぞやのようにやって来た。
「御機嫌よう、ヘア・ノイマン」
「つまらん挨拶はいい。ちょっと顔を貸せ」
背後にルイスがいることを確認し、私は小さく頷く。
人気の無いところまで来ると、彼は途端にくるりと身を翻した。
そして、
「アレはどういうことだ?」
随分威圧的な態度で、ディートハルトはそう言った。
「アレって何よ。ちゃんと言語化して頂戴」
すっぱりと返した刃に、彼は顰めっ面を更に険しいものへと変える。
視界の端でルイスが物言いたげに口をパクパクさせた。何となく、察しがついた。
への字に曲がった口元で、彼は改まったように「ルイスのことだ」と言う。
やっぱり、そうだったか。
「ごめんなさい。貴方の従者を勝手に口説いてしまったわ」
「アレがただの色ボケなら、わざわざこんな風に呼び出したりするものか」
何があった、と訊かれ、私は口籠る。ちらりとルイスを伺えば、彼は視線をついと背けた。
……さて、どうするべきか。
当然、従者の所有権は主人であるディートハルトにある。勿論、それは私も承知している。
しかし、だ。
私の前世の記憶がこう叫ぶのだ。従者にも人権がある、と。
わかっている。ここは前世と違うルールの敷かれた世界だ。
私の知る『当たり前』を持ち出すのは、マナー違反も甚だしい。
だからと言って、私の良心に背く行為はしたくない。
苦渋の末、私は絞り出すようにこう言った。
「詳細は省くけれど、貴方の許可なく、ルイスに無理なお願いをしてしまったの。……本当にごめんなさい」
深く——心の底から、深々と頭を下げる。
ルイスにも、ディートハルトにも、私は不誠実な面があった。
その時の判断の全てが間違いだったとは、言わない。
しかし、配慮に欠けていた部分があったのも事実。
ディートハルトへの相談も、ルイスへの気遣いも、もっともっとできた筈だ。
いや、しなければならなかった筈だ。少なくとも、彼らの繊細な部分に踏み込む以上、絶対に。
静かに、ディートハルトの審判を待つ。
もし彼が駄目だ、許さない、と言ったら、私の望みはその場で絶たれるだろう。
この場において、彼の決定権はそれほどの力がある。
しかし、
「あ、謝らないで、くださいっ!」
私の耳に届いたのは、震えるような青年の吃り声だった。
ゆっくりと、下げた頭を持ち上げる。
視界から地面が消えた頃、目の前に黄金色の目が飛び込んだ。
今にも泣きそうな程潤んだ瞳が、眼窩からこぼれ落ちそうだった。
ディートハルトが不機嫌そうにルイスを睨む。しかし、ルイスは彼を見ていない。
黄金色に映るのは、アメリアの姿をした私だ。
「お、俺は……貴女に頼られて、嬉しかった!」
嬉しかったんです、と重ねられる言葉に嘘はない。
だと言うのに、ルイスの表情は依然として泣き出しそうな——今にもごめんなさいと断られてしまいそうな空気だ。
「……なら、貴方は何を考えたかったの?」
考えさせて欲しい、と彼は言った。その理由が、きっとルイスの表情の原因なのだろう。
口を噤み、視線を落とすルイス。言葉を探しているのではない。
言葉を閉じ込めているのだと、態度ですぐにわかる。
「私に、言いたくないのね?」
責めるのではなく、確認をするように。できるだけ優しく問うたつもりだった。
しかし、彼にはそうは聞こえなかったらしい。私より一回りも大きな体が、キュウと縮こまってしまった。
不意に落ちた沈黙の空間。それまで静かだったディートハルトが、突然口を開く。
「主人の会話に突然口を挟むとは、随分と偉くなったものだな」
ルイスの顔がハッとディートハルトを振り返る。可哀想なくらい血の気が引いたルイス。
回らない舌で謝罪の言葉を口にし、二歩も三歩も後ろに下がった。
フンっとディートハルトが鼻を鳴らし、再び私に向き直る。
「で、何を頼んだんだ?」
「貴方、私の話を聞いていた?」
詳細は省くって言ってんでしょうが。
しかし、ディートハルトはこちらが口を割るまで話を終える気はないようだ。
苛立たしげに、顔を顰めたまま私の返答を待つ。が、そんな顔したって、私の答えは変わらない。
睨み合う頑固者が二人。先に根を上げたのは、私の方だった。
……仕方ないじゃない。視界の端で、ルイスが困った顔でおろおろしていたんだもの。
肩を落とし、ルイスに話しても良いかと許可を取る。彼は戸惑い気味に頷いた。
「……成る程な」
事情を聞いたディートハルトは、思案するように顎に手をやる。
それからチラリとルイスを見やり、彼は突然、ルイスに席を外すように言った。
「え、ちょっ……二人きりにする気!?」
「今更、構わないだろう。妙な勘ぐりをする奴は、何をしてもする。身に沁みてるだろう」
「なら、それを増長させるようなことしないで頂戴!」
私の主張も虚しく、ルイスは主人に従いすごすごと席を外す。ああ、もう、頭が痛い!
こめかみを抑える私を前に、ディートハルトはようやくといった様子で大きなため息を吐いた。
「まったく、頭痛の種ばかり持ち込んでくるな、お前は」
「ブーメランを投げないで。たった今、この場をそうしたのは貴方よ」
じとと睨み合う。が、すぐにディートハルトは「まあ、いい」と話を流した。
「本題に戻るぞ。話を聞いて、俺の意見を率直に言う」
「……今度は何かしら?」
どんな不平不満が飛び込んでくるのだろうか。
そう身構えた私に投げかけられたのは、意外な言葉だった。
「お前、俺の下に付かないか?」




