53話
肝心の話が聞けなかった事に不満がないと言えば、嘘になる。
しかし、ヴィクトールとの会話で、得るものが何もなかったかと訊かれれば、そんな事はない。
私は得られた僅かな情報を手に、ローラントを訪ねた。
高等教育課に来るのは初めてだ。
見慣れない廊下を歩きながら、教員室を探す。
彼が休日も学校に来ていることは、中等課にいた時に確認している。
教育熱心な彼のことだ。今でもその習慣は変わっていないだろう。
てっぺんを過ぎた太陽が、西向きの窓から明かりを差し込む。後数時間もすれば、教室一帯が真っ赤に染まるだろう。
今日中に会えれば良いのだけど……。
そんな心配をした時だった。
「あ」
視線の先に、見慣れた白衣が映った。
ホッと安堵の息が口から溢れた時だ。
「何を考えているんですか、貴方は!」
何処かで聞いたような男性の怒声が聞こえた。
そっと近付いてみると、そこには先日お会いした騎士がいた。
途端、脳裏にあるイベントが想起された。
ローラントの元護衛騎士、ロータルが彼を訪ねるイベントだ。
そうか、彼がロータルだったのか!
サブキャラクター故にシンプルな顔立ちだった立ち絵を思い出し、驚きが脳を占める。全然違うじゃないか!
誰だこの渋いおじ様は、と地味にショックを受けながら、足を止める。
それにしても、まさかこのタイミングでこのイベントに立ち会うとは思わなかった。
やはり、イベント時期が早まっている……?
会話の内容が気になりつつも、他人の話を盗み聞きする無作法に抵抗を覚える。
アメリアは無遠慮に盗み聞き、そこでローラントの正体を知ってしまったが……。
迷っている間に、彼らは話を終えたらしい。
肩にかけたマントを翻し、ロータルが一人こちらに歩いてくる。
パッと視線がかち合う。
「君は、この間の……」
静かに一礼。彼もまた、学生相手だというのに、恭しく頭を下げた。
「失礼」
とだけ言って立ち去る彼の背を、なんとはなしに見送る。
すると、
「なんだ、フォーゲルの娘は随分顔が広いんだな」
ローラントの揶揄いが背後からかけられた。
振り返ると、彼はどこか不機嫌そうに立っていた。
「先日、図書室でお会いしただけですよ」
「ふぅん」
えらく興味がなさそうなローラント。自分から話しかけておいて、なんだ、その態度は。
呆れたような視線を向ければ、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。
「ああ、くそっ……いや、悪い。嫌な態度を取ったな」
「……いえ、大丈夫です」
申し訳なさそうな声で謝るローラント。
しかし、彼が苛つくのも致し方ない。
もし、ロータルがゲームと同じ理由で来たのだとしたら……ローラントは、叔父のレオンハルト王の病について知らされた筈だ。
城に戻ってきて欲しいと、懇願されながら。
そんな時に、冷静であれと言う方が難しいだろう。心中お察しする。
「……それで、お前も何か用か?」
先生、お前”も”って言っちゃってますよ。
聞かなかったふりをして、私は「ええ」と曖昧に頷く。
「ですが、調子が悪いようでしたら、日を改めますよ」
「………………いや、大丈夫だ。むしろ、何かあった方が助かる」
私から顔を背けつつも、話を聞こうと姿勢を正すローラント。
しかし、どう見てもソワソワと落ち着きがない。
本人がそう言うのであれば、こちらとしてはありがたい限りだが……
「〜〜やっぱりっ! 今日は、帰ります」
「いや、だが……」
「そんな状態で、話なんかできるわけないでしょう!」
明らかに憔悴した様子のローラント。こんな状態で、シュタルクの問題を持ち込むわけにもいくまい。
私はローラントの背を押し、その場から離れさせる。
「私も帰りますから、先生も今日くらい休んでください。休日は休むためにあるんですよ」
「いや、お前が言うな」
私は元気だからいいのよ。
そんな反論を心の中で呟くが、声にはしない。代わりに、じっと前髪に隠れた彼の顔を見上げる。
はあ、と大きなため息を吐いたローラント。しかし、私の言葉に納得したのか、彼はようやっと頷いた。
「わかった、わかった。今日は帰るよ」
「ええ、そうしてください。……明日の放課後、改めて伺わせていただきますから」
悪いな、と苦笑を浮かべたまま、彼はふらふらと歩き出す。……大丈夫かしら?
ローラントの身を案じながら、私は来た道を戻る。
高等課の校舎を離れ、中等課に続く中庭を横断する。風が吹くたび、あちこちで咲いた芍薬が揺れる。
全く、仕方ないとはいえ、とんだ無駄足だ。
今日は厄日だわ、とため息を吐いていると、先ほど見かけた騎士様が立っていた。
それも、一人ではない。
傍らにエルフリーデが立っているではないか。
思わず手近な壁に身を隠す。いや、何かやましいことがあるわけではない。
二人の逢瀬に驚いたわけでもない。
だって、二人は親子だもの。
「………………親子、よね?」
思わず小さな疑問が口からこぼれ落ちる。
視線の先に映るのは、うっとりとロータルを見上げるエルフリーデの姿。
薔薇色の頬はいつもより紅潮し、どこからどう見ても…………恋する乙女の顔だ。
ディートハルトが哀れになってきた。いえ、彼自身は微塵も気にしていないでしょうけど。
平時と異なる同級生の姿に、自然と表情が強張る。
しかし、二人はいくらか言葉を交わし終えると、健全に別れを告げた。
いや、当たり前なんだけど。そうでないと困るんですけども……!
「そこにいるんでしょう、フラウ・フォーゲル」
不意にかけられた声に、肩が飛び跳ねる。
いつの間にか外していた視線を、エルフリーデに戻す。そこにはいつもの微笑を湛えた彼女がいた。
「ご、御機嫌よう、フラウ・ヴェルナー」
「御機嫌よう。鼠のようにコソコソして、どうしたのかしら?」
「いえ、少し……目を疑うようなものがあったものだから」
そう、と小首を傾げるエルフリーデ。
すでに被せられた仮面は完璧で、本当にさっきの少女と同一人物か疑わしい。
「…………」
無言で向けられる視線。それが責めているように感じるのは、先ほどの光景を見たからだろう。
沈黙は金、雄弁は銀。わかっている。見て見ぬ振りが、この場では正しいのだろう。
しかし、
「貴女…………お父様の前では、随分、様子が違うのね」
触れずにはいられなかった。
パッと、仮面が崩れる。
その下から顔を覗かせたのは、白い肌に映える美しい赤。
耳まで真っ赤に染まるその顔に、私はどうしてだか泣きたくなってしまった。
「フラウ・ヴェルナー……貴女、まさか、本気で……?」
「…………嫌な相手に見られたものね」
最悪だわ、と珍しいストレートな物言いのエルフリーデ。ピリッとした視線で私を睨むが、逆に私は脱力した。
「そんな可愛らしい色の頬で睨みつけても、怖くないわよ」
悔しそうに唇を引き結ぶエルフリーデ。感情を押し殺そうと、瞼の下に蜂蜜色の瞳を隠した。
太陽が、西に傾き始めている。
「もう少し、時間が遅ければ夕日のせいにできたかしら?」
「相手が悪かったわね。流石に、そんな常套句には騙されないわよ」
揶揄うようなエルフリーデの言葉に、笑いを含んで返す。
適当なベンチに一人分の距離を空けて座った私たち。互いの視線は交わらない。
相手を見ずに話すのは苦手なのだが、きっと彼女は今、私の顔を見たくないだろう。
「誰にも言わないわ」
ぽつり、と落とした言葉を、彼女は「どうでもいいわ」と切り捨てた。
「そんな口約束、信用できないもの」
「あら、随分な言葉ね。血判書がお望み?」
エルフリーデはくすりと笑みを落とし、いらないわ、と言った。
横目で彼女を盗み見ると、そこにあったのはいつもと変わらない笑みだった。
「そう」
「ええ。貴女からの施しはいらない。代わりに、私から差し出せるものは何でも渡すわ」
何でもね、と繰り返しながら、エルフリーデは私を見た。
蜂蜜色の瞳に子供らしからぬ覚悟を感じ、思わず腰が引けてしまう。
彼女の想いは、思春期の少女が抱く憧れと恋慕の混同なんかじゃない。そう思わせる、強い眼差しだった。
…………私は、誰かをこんな風に思ったことはあっただろうか?
「何でもって……」
「何でもよ。お父様に迷惑をかけずに済むのなら、何でもする。貴女が望むのなら、私は貴女を神のように崇め、王のように守り、我が子のように慈しむわ」
そんなこと望むわけないじゃない。
そう、口元まで出かかった言葉を、私は深呼吸と共に飲み込む。
冷たい風が、伸びた前髪を攫う。段々と陽が落ちて、気温も下がってきた。そろそろ帰らねば。
しかし、これはチャンスじゃないか?
耳元で悪魔が囁く。偶然とはいえ、彼女の弱みを知ることができた。
これまではぐらかされていたあれやこれやを、私は彼女から聞き出す手段を得たのだ。
この機会を逃すわけにはいかない。
だが、しかし、
「………………っ私が、そんな風に誰かを脅すとでも?」
「あら、ディートハルトから私のことを聞いておいて、今更そんなことを言うの? おかしな人ね」
くすくすと笑うエルフリーデの言葉は、どこまでも毒だらけだ。ぐう、と喉の奥で悲鳴が上がる。
お互い譲る気のないまま、数分の間が空く。
ふと、エルフリーデが珍しくため息を吐いた。
そして、ミルクティ色の髪を掻き上げ、彼女は「わかったわ」と諦めたように言う。
「プライドが高くて、傲慢で、愚かな貴女のために、私から譲歩してあげる」
「何の話よ?」
「貴女が私を『脅しやすく』してあげる、と言ったのよ。お馬鹿さん」
なっ……と言葉を失う私に、彼女はいつもと同じ綺麗な笑みを浮かべる。
そして、白魚の人差し指を一本立て、口元に当てた。
「私は貴女に『沈黙』を要求するわ。今日見たこと、知ったことは、生涯誰にも言わず、墓まで持って行きなさい」
その代わり、と艶やかな唇がわずかに窄められ、
「貴女が知りたいこと、何でも教えてあげる。貴女が困っていたら、お友達のように、いつでも手を差し伸べてあげるわ」
どう?
傾げられた小首に、私はひくりと口元が引き攣った。
明らかにバカにされている。わかっているが、彼女の申し出を断るのは、もっとバカだ。
ああ、くそっ……! 勝てない!
項垂れる私に差し出される小指に、私は自分の指先を絡めた。甘い芍薬の香りが、ふわりと香る。
ベンチに落ちる影がどんどん長くなる中、私たちは小さな「ゆびきりげんまん」を交わした。




