50話
長閑な初夏の午後。照りつける太陽が、夏の訪れを告げている。
それでも風が吹くと首筋が冷え、まだ春の名残を感じさせていた。
そんな陽気の中、私は一人魔術の練習をしていた。
意識を集中し、翳した両手の間で風を練り上げる。翠色の風がひょうひょうと音を立て、渦を巻く。
右手を軽く振れば、風は霧散する。
しかし、消えたわけではない。見えなくなった魔力が、周囲に充満していくのが知覚できた。
左手で拳を作り、空に向けて高く引き上げる。霧散した魔力が、再び風を引き連れて集まり、強固な障壁を作り出した。
「よしっ……防御壁、成功」
パッと手を開くと、今度こそ魔力は霧散する。
途端、ぱちぱちと気の抜けた拍手が聞こえた。
見られたか、と慌てて振り返ると、そこには懐かしい姿があった。
「ヘア・リヒター」
「相変わらず生真面目だねぇ……こんなところで魔術の練習かい?」
「ええ、ここは滅多に人が来ないので」
貴方は、と聞こうと思ったが、手にしたタバコの箱を見て、全て察した。
向こうも私の視線で理解したのだろう。へへ、と空の手でタバコを持つポーズをした。
「校内は禁煙ですよ」
「校舎からは出てるんだ、別にいいだろ」
あれ、前もこんな会話したな。
ローラントは少し距離を空けた場所で立ち止まり、タバコに火をつけようとした。
しかし、ふと何かに気づいたように動きを止める。
「そういや、お前、ノイマン家の坊ちゃんと婚約するんだって?」
「しません」
言葉を被せないように、しかし、間を空けることもなく否定する。
私の必死さが面白かったのか、ローラントはニヤッと口元だけで笑った。
このやろう……知ってて言ったな。
「まあ、気にすんな。この手の話は、どうしたって年頃になると出るもんだ」
「安易にしていい話じゃないでしょう。特に相手は、すでに婚約者がいるんですから」
疲れたように肩を落とせば、彼も「あー」と脳裏にミルクティ色の彼女を思い浮かべたようだ。
どんまい、と投げかけられた言葉に、そんな無責任な、と呆れた感想が浮かぶ。
今日の朝一番で、ディートハルトが私を訪ねて来た。
どこか苛立った様子でズカズカやって来た彼は、唐突にこう言った。
「お前、俺のことが好きなのか?」
「……」
この時、居合わせたニコラ曰く、
「アメリアの視線で、人が死ぬかと思った」
とのこと。失礼なこと、この上ない。
もちろんディートハルトの話は否定した。
自分でも驚くほど低い声が出てしまったが、その点は許して欲しい。
さすがにこの場では目立ちすぎる、と場所を変え、詳細を訊く。
二人きりを避けるため、一緒についてきてくれたギルベルトには感謝だ。
「それで、どうしてそんな話になったのよ」
「エルフリーデに呼び出されただろう」
「……その噂、もう広まっているの?」
眉根を顰めて訊ねると、彼は緩やかに否定した。
少し言いにくそうであったが、どうやらこの話は人伝に聞いたようだ。
誰だ、そんな話をしたのは!
予想できるのは、あの場にいたエルフリーデの取り巻きだ。
しかし、私がエルネスタに呼び出されたことは、他の人たちも知っている。
彼女がエルフリーデの使い走りをしていると知っている者ならば、知っていてもおかしくはない。
「まあ、いいわ。誰から聞いたかは知らないけど、別にただ話しただけよ」
「ただ話をするためだけに、あの腰の重たい女が自ら動くものか」
「そんな女が、貴方を取り合うためなら動くとでも?」
挑発するように訊ねれば、ディートハルトは鼻を鳴らす。
「あの女が動くのは、いつだって家のためだ」
俺じゃない、と憎々しげに呟くディートハルト。
その歯噛みする顔に、ふとゲーム内で彼が言ったセリフを思い出す。
『誰も俺を求めているわけじゃない。求められているのは”次期国王”だ』
いつだって周囲から『完璧であること』を求められたディートハルト。
愚直で努力家な彼はそれに応えようとしたが、すればするほど彼は理想と現実の狭間で苦しんだ。
しかし、完璧主義で、プライドの高いディートハルトはそんな自分が許せなかった。
不遜な態度の裏で、彼は常に酷い自己嫌悪に苛まれている。
そんな彼が、作中でアメリアに漏らした本心が先のセリフだ。
プレイ当初は「当たり前だろ、社会に出たら求められるのは役割であって、個人じゃない」なんてことを思った。……今でも若干思っている節はある。
とはいえ、それを口にするほど、私も鬼じゃない。
「わかりやすくていいじゃない。貴方だって、別にエルフリーデを心から愛しているわけではないのでしょう」
え、とギルベルトが声を上げたが、すぐに口を抑えたからだろう。
ディートハルトは不愉快そうに一瞥しただけで、何も言わなかった。
「もちろん親同士が決めた関係ではある————が、現状は生涯を添い遂げる予定の相手だ。相手にストレスが溜まるようでは、私生活に支障が出るだろう」
…………?
……ああ、お世継ぎ問題か。え、もうそんなことまで想定しているの?
「は、早くない? 貴方、まだ十四よ?」
「何を戸惑ってるんだ、お前は」
いや、だって、としどろもどろしていると、ディートハルトはフンッと再び鼻を鳴らした。
「貴族の務めだ。お前も覚悟を決めておくことだな」
「…………肝に銘じておくわ」
貴族ってすごい。
タイムリーすぎる助言に、思わず言葉を飲み込む。
なんとか捻り出した言葉を最後に、ディートハルトとは別れを告げた。
傍で見ていてくれたギルベルトが「お疲れ」と肩を叩いて労ってくれる。
…………本当に、変な汗をかいたわ。
そんなディートハルトとの会話をかい摘んで話すと、ローラントは面倒くさそうに空を仰ぐ。
「っかぁー! どいつもこいつも真面目だねぇ」
「教師のセリフとは思えませんね」
本当に教師らしくないな、この人は。
「というか、ヘア・リヒターこそ、その話をどこで?」
「ん? ああ……」
思い出すように視線を彷徨わせた彼は、紫煙をくゆらせながら答えた。
「あー……あの、アレだ。エグモンドんとこの坊ちゃん」
予想していなかった名前に、思わず渋面を浮かべる。何故、ヴィクトールが?
と、同時に、脳裏に蘇るのはエルフリーデの言葉。
彼女の言う『新しいお友達』とは、ヴィクトールのことだろう。……別に友達ではないけれど。
逡巡したのは、ほんの数秒。私は、改まってローラントの名前を呼んだ。
彼の目が錆色の向こうからこちらを覗く。
「エグモンド=ベルトラム様とは、親しい仲なのですか?」
「どうしてだ?」
「高等部に上がると、王宮魔術師を講師として呼ぶことがあると聞きました。彼はその筆頭でしょう?」
それに、と言葉を続ける。
「いま、お名前を呼び捨てにしていらっしゃいましたから」
突きつけるような言葉に、ローラントはあからさまに顔を歪めた。
はーあ、と大きなため息をつき、加えていたタバコを携帯灰皿の中に捨てる。
「そーゆーのは、聞いて聞かぬふりをするもんだぞ」
「すみません。真面目なもので」
「できませんってか? 都合のいい真面目ちゃんだな」
これは見逃してるくせに、と二本目のタバコを振るローラント。
いや、口頭注意を聞かない教師相手に、一体どうしろって言うんだ。
「主任に言えばいいのかしら?」
「おいおい、冗談だろ。勘弁してくれ、ほら、飴ちゃんやるから」
汚い白衣のポケットから、半ば溶けかかったキャンディーを差し出すローラント。
いりません、という言葉は聞き入れてもらえなかった。
ローラントの大きな掌が私の手を無理やり開き、中に飴玉を落とす。包み込むように握らされた。
「はい、交渉成立ね」
にいっと引き上げられた唇に、私は思わず呟いてしまった。
「…………セクハラだわ」
ごめんなさい、とローラントが両手を合わせるまで、そう時間はかからなかった。
シュッとマッチをする音がして、パッと火がつく。
二本目のタバコに火をつけたローラントは、さて、と話を改めた。
ようやく本題に入れそうだ。




