47話
ヴィクトールとの昼食会は、嵐のように始まり、春風のように終わった。
結局、彼から明確な答えはもらえなかったが、最終的にはそれなりに良好な関係が築けたのではないだろうか。……もちろん、フラグ的な意味ではなく。
万が一、私の態度をアーデルハイト先生に見られていたとしたら、それこそ指導用の鞭でしばかれていただろう。
淑女として、いや、初対面の人間として、私の態度はちっとも褒められたものではなかった。
しかし、それが、対ヴィクトールでは功を奏したらしい。
別れの前に私が投げかけた質問に、彼はこう答えた。
「キミみたいな子が、二度とボクに関わらなきゃ良いのにって気持ちかな」
と。
ヴィクトールとの関係は、正直このまま緩やかに切れていくのが望ましい。
以前も言ったが、ヴィクトールの死亡イベントは、彼との関係が進めば進むほど起こりやすい。
ならば、私とヴィクトールが他人であれば、そのイベントの発生率は下がり、人死は避けられるだろう。
現状、回避ルートが見当たらないルイスの死亡フラグと異なり、こちらはなんとかなりそうだ。
嫌いな人間だからって、死んで欲しいとは思わない。
ましてや、私のせいで——とまで言うつもりはないが、知っていたにも関わらず避けられないのは、心が傷むから。
ホッとした気持ちで教室に帰った私を迎えたのは、過保護な友人たちによる質問責めだった。
まあ、このくらいの苦労は、甘んじて受け入れよう。
…………そう、思っていたのだが。
「やあ、アメリア嬢。先日振りだね」
いつものように友人たちとお茶会をしようと確保した温室にて、私を待っていたのは柳のように美しい青年だった。
優雅にカップを掲げる彼の横で、ルイスが気まずそうに体を小さくしている。
私はツカツカと二人に歩み寄り、ヴィクトールが着席しているテーブルの表面に勢いよく手をついた。
「何故、貴方がここにいるのかしら、ヴィクトール」
「おや、愛らしい顔は怒っていても魅力的だね」
「人の話はちゃんと聞きなさい。ていうか、答えなさい」
威圧するように上体を乗り出せば、彼はくすくすと喉を鳴らすように笑った。
背後でニコラが私を諌めるような言葉をかけてきたが、今はそれどころではない。
「貴方、私ともう関わりたくないって言っていなかったかしら」
「え、アメリアそんなこと言われたの……?」
後ろで友人が引いたような声を出したが、それも今は無視しよう。ただし、弁明は後でさせて欲しい。私の名誉のためにも。
私がじっと彼を見つめると、彼もまた真正面から私を見据える。緩やかな弧を描く薄い唇が、ふ、と小さく息を吐いた。
しかし、
「えっ……?」
ぐいっと、両肩が後ろに引かれ、眼前にあったヴィクトールの顔が離れる。
急な引力にバランスを崩しそうになった体は、そのまま背後の誰かに支えられた。
「ぎ、ルベルト? ど、どうしたの?」
誰かは、ギルベルトだった。青リンゴのように艶やかな目が、今は不満げにヴィクトールを睨みつけている。
「あの、ギルベルト……?」
「ごめんな、アメリア。でも、ちょっと……近過ぎ」
視線を外さず、彼は申し訳なさそうに言った。
ちかすぎ、と言われた言葉を反芻し、ようやくヴィクトールとの距離感についてだと気付く。
思春期のギルベルトにとって、突き出しあった私たちの顔の距離は、少し刺激的だったかもしれない。
なんだか申し訳ない気持ちだわ。
「ふふっ……モテモテだね、アメリア嬢」
「茶化すのはやめて頂戴、ヴィクトール。失礼よ」
「ああ、ごめんね。悪気はないんだ」
えっと、と言い淀むヴィクトールに、渋々ギルベルトとニコラを紹介する。
戸惑うニコラと不機嫌そうなギルベルトが、それでも礼儀正しく挨拶をする一方で……
「ボクはヴィクトール。通りすがりの色男さ」
この調子である。しばいてやろうか。
から笑いを浮かべるニコラに対し、虚を突かれたような顔のギルベルト。
唯一ルイスだけが、ギルベルトの横で申し訳なさそうに首を項垂れた。
そういえば、ルイスはヴィクトールのことを知っているのだろうか?
「二人は知り合いなのかしら」
俯いたままのルイスに問えば、彼はパッと顔を上げた。
黄金色がヴィクトールを一瞥し、すぐにぷるぷると小動物のように首を横に振る。
「あの、えっと……ヴィクトール様とは、先ほどご挨拶をしたばかりでして、」
「彼が温室の鍵を開けるのに手間取っているようだから、少しお手伝いをしただけだよ」
ね、とヴィクトールがルイスに語りかけると、彼は「あ、その……はい」と申し訳なさそうに頷いた。
ああ、そうか。確かに鉤のような爪の伸びたルイスの手では、古い錠前を鍵で開けるのは難しいかもしれない。
特に、彼は手先が不器用なところがあるから。
「そうだったの……それは、ありがとうございます」
「いえいえ、大したことじゃないよ」
渋々お礼を言う私にも、屈託のない笑みを浮かべるヴィクトール。
その笑顔に絆されたらしいニコラが、ギルベルトにぼそりと「思ったより良い人みたいだね」と言った。
……ギルベルトの返事が聞こえないんですけど。彼、今どんな顔してる?
後ろを振り向くのが怖く、私はヴィクトールに視線を向けたまま「それで」と話の続きを促した。
「そのまま居座った、と」
「一人で待つのも可哀想だろう? 友人が来る間の話し相手くらいにはなってあげようと思って」
「あら、それならもうお役目は済んだんじゃなくて?」
「そうだね。このカップを空にしたら、もうお暇するよ」
綺麗なウィンクを飛ばすヴィクトール。気障ったらしいことこの上ない。
呆れる私をよそに、ルイスはどこか憧憬の眼差しでヴィクトールを見つめる。
頼むから、こんなのは目指さないでほしい。
「いやあ……『パウロ・ヴィクトール』の名に恥じぬ顔立ちだったね。うん、あれは多くの女が泣くわ」
「パウロ?」
「そう。『泣く女』と言えば、パウロでしょ」
「……ああ、画家の」
誰が考えたんだ、そんなあだ名、と思わず閉口する。
ヴィクトールが去り、ようやくいつもの光景が戻ってきた。
と、言いたいところだが、残念ながらギルベルトのご機嫌はいつも通りと言い難いようだ。
珍しく眉間に皺を寄せたまま、私の注いだお茶を黙ってへの字口に運んでいる。
ニコラが呆れたようにため息を吐いた。
「いつまでへそを曲げてるのさ。もう帰ったんだから、いいでしょ」
「そうですよ、ギルベルト様。せっかくアメリア様がお茶を淹れてくださったんですから、ご機嫌を直してください」
幼子を宥めるような二人の声色に、ギルベルトも気恥ずかしさを覚えたようだ。
少しばかり頬を赤らめ、いつもより乱暴にカップをソーサーに置いた。
「子供扱いはやめろよな。別に不貞てるわけじゃねぇって」
「どの口が言ってるのよ。完っ全にヤキモチモード全開、不貞腐れギルベルトだったじゃん」
ねえ、とニコラが振り返る。しかし、否定も肯定もできないルイスは、困ったように視線を彷徨わせた。
そして、私と目が合うと、助けを求めるように眉を下げる。
いや、私も困るんですけど。
「まあ……ギルベルトにも、思うことがあったのよ。多分」
「思うことって?」
「…………いや、その……私に聞く?」
答えにくいでしょうが、どう考えても!
伺うようにギルベルトを見れば、彼もちょうど私を見ていたようだ。
若草色がパッと華やぎ、何かを期待するように笑う。うっと息が詰まった。
「いや、だから、その……要は、仲の良い私が、ヴィクトールと親しげなのが……嫌だったんでしょう?」
ああ、嫌だ。こんな言い方、とても自惚れているみたいだ。じわじわと、頬が熱くなるのがわかる。
確かに、私はギルベルトに好かれている自覚がある。
だが、それは幼馴染として、友人としての親愛に他ならない。わかっている。……わかってはいても、気恥ずかしいのだ。
だって、ギルベルトの拗ね方が、母親を取られた子どもみたいなんだもの。
そこまで懐かれていたのか、という喜びと、それを自ら口にしなければならない羞恥。照れも入ろうってもんだ。
「…………なに、笑ってるのよ」
さっきまで口を尖らせていたギルベルトを、じろりと見やる。
人の照れる姿を見て、すっかり機嫌を直したようだ。そんなにリンゴみたいな私が面白いか?
ギルベルトは「いやぁ?」なんて惚けているが、緩んだ頬は誤魔化しきれていない。
もうっと彼の肩を軽く叩き、同じようにニヤニヤとした笑みを浮かべるニコラを睨む。
「もう良いでしょ。ギルベルトの機嫌も直ったようだし、この話はおしまい。……いいわね?」
「んっふふー、アメリアの珍しい顔見ちゃった」
「ニコラ」
嗜めるように呼べば、彼女は「冗談、冗談」と、からから笑った。まったく、困った子だ。
ふう、と肩を落とすと、ルイスもようやく安堵したようだ。ホッと息を吐き「ありがとうございました」と耳打ちしてきた。
大したことはしてないわ、と返しながら、ふと思う。
ルイスがこうして顔を近づけても、ギルベルトは何も言わない。
なら、どうしてヴィクトールにだけは、あんなに反応したのだろう。
ちらりと盗み見た彼の横顔は、いつもと変わらず、屈託のない笑みを浮かべている。
そう、いつもと変わらない、ずっと変わらない————子どもの頃から同じ、笑顔だった。




