45話
翌朝、帰宅準備を整えた私とアドルフは玄関先へと出る。カロリーナが寂しげな顔を浮かべながら、別れの挨拶をした。
「次に顔を見られるのは成人の時かしら」
なるべく帰るようにしますと答えたものの、思わず笑みに苦いものが混じってしまった。
カロリーナもそれを察したのだろう。成績表以外の手紙くらい出すよう、言い付けられてしまった。
逃げるように馬車へ乗り込み、何を書こう、と今から手紙の内容を考える。
すると、外からアドルフの声が聞こえ始め、やはり彼もすぐに乗ってきた。
馬車の中で、私とアドルフは殆ど言葉を交わさなかった。時折窺うような視線を向ける彼に、私はまだ答えを出せずにいる。
王都に戻り、再び常変わらぬ日々が始まった。
休んだ分の課題を各担当教員に出し終えた私は、友人たちの誘いを断り一人中庭を歩く。
少し伏せた目の先に映るのは、手入れの行き届いた学園の敷地ではなく、先日の義弟とのやり取り。
ギュッと引き結んだ口元で、小さく唇を噛んだ。
春の陽射しは心地良く、そよぐ風が若草と土の匂いを運ぶ。
時折すれ違う学園の生徒たちが楽しげな声で歓談し、穏やかな春のひと時を感じさせる。
私の心とは大違いだ。
柔らかいとはいえ、天気の良い中を無心に歩いたせいだろう。
少しだけ体が火照り始め、私は足を止めた。汗を掻く前にどこかで一休みをしようと、周囲を見渡す。
特別授業等で使用する教室が集まった校舎が一棟あり、その影に丁度良さそうな低木を見つける。
白い小さな花の下へ潜り込むと、スカートが汚れるのもお構い無しにその場で座り込んだ。
ホッとついたひと息が、思いの外気持ち良かった。
幹に背を預け、ぼんやりと艶のある葉を見つめる。頭の中だけは変わらず思考が駆け巡っている。
アドルフの言いたかったことは何であったのだろう。
「……フォーゲルの……貴族の、自覚」
ポツリ、と零すように呟く。
あの冷ややかな目が、声が、私に告げようとしたのは、何なのだろう。
————父様
ふと、頭に声が過ぎる。
それは聞き慣れた声であると同時に、それよりも幾分か大人びた雰囲気が感じ取れた。
————父様、貴方の目的は
ああ、そうだ。これは、アドルフルートで聞いた声だ。
彼のルートで、無理矢理婚約を取り付けられそうになったアメリア。
それを、アドルフが妨害しようとした時のものだ。
そうか。そうだ。
勢い良く背を伸ばし、手を口元へと当てる。ばくばくと心臓が大きく動き始める。
私は知っている。リヒャルトが勝手に進めたアメリアの婚約をどう破棄させるのか。
アドルフのルートが示していたではないか。
近親愛の良さが全く理解不能で、速攻でクリアをしてしまった為、殆どその内容も覚えていない。
しかし、それでも全スチル回収の為に幾度かプレイした身である。
遠い記憶を遡り、アドルフがリヒャルトへ仕掛けた交渉を思い出す。
そう、確かあれは、
「こんにちは、お嬢さん」
ぱちん、と夢から覚めるように思考が遮られた。
甘い蜂蜜のような声が、低い木の葉の陰から囁くように降り注ぐ。
私が座っているせいもあるだろう。
だが、それ以上に、枝葉に打つからないよう屈んで、尚も彼は背が高いように見える。
ギルベルトとは違う、柳のようにしなやかな体。
それを緩やかに折り曲げ、彼はザクロのように赤い目を溶けるように和らげた。
「隣、いいかな」
「…………ええ、勿論ですよ」
ヘア・ベルトラム、と呼べば、彼は嬉しそうに口角を上げた。
ヴィクトール=ベルトラム。以前少しだけ触れたが、彼が最後の攻略対象者だ。
絹のように滑らかな長いブロンドの髪。
それを翡翠石のようなパステルグリーンの髪飾りが緩く纏めている。
筆で引いたような細い眉と薄い唇が柔らかな弧を描く、女性受けの良さそうな甘い顔立ち。
その中で、深い赤の目だけが妖しく映る。
モデルのようなバランスの良い体型といい、何をしても華のある男だ。
アメリアにとっては一学年上に当たる彼は、物語スタート時から既に知り合いとして描かれていた。
その為、おそらく中等部のどこかで出会うのだろう。そう覚悟はしていた。
しかし、なんてタイミングだ。彼が悪いわけではないのは、わかってる。
だが、折角思い出しかけていたのに、とつい責めるような気持ちになってしまう。
そんな私の心内に、気付いているのかいないのか。
ヴィクトールは腰を下ろしながらも、喜色を隠さない声色で笑うように話す。
「嬉しいなぁ。将来有望と、先生方の間でも噂のアメリア嬢に、名前を覚えて頂けているなんて」
「それは……敬愛すべき王宮魔術師の長、エグモンド=ベルトラム様のご子息でいらっしゃいますもの」
くすり、と笑うヴィクトール。
妖しい美しさという表現を体現する彼の笑みは、柔和な彼の態度とのギャップが凄まじい。
その破壊力は、彼の本性を知って尚、うっかり見惚れてしまいそうな程だ。
蠱惑的な笑みを浮かべながら、彼は「うそつき」と言った。ギョッと彼を見れば、赤い瞳が笑う。
「あ、図星?」
「っ……、先輩ご自身も、著名な方ですから」
「ふふ、どんな噂か気になるなぁ」
ニコニコと微笑み、覗き込む彼に言葉を閉ざす。
咄嗟に、出来ればあまり触れたくなかった話題を自ら口にしてしまったが、これ以上は言えない。
あくまで私と彼とは初対面で、彼は私の上級生なのだから。
本当かどうかもわからない——例えそれが本当であるとわかっていても——醜聞を本人に確かめるわけにはいくまい。
勘弁して下さい、と言葉を濁せば、彼は仕方ないと言わんばかりにこちらに傾けていた体を起こした。
「まあ、大体想像はつくけどね」
「……ヘア・ベルトラムは、」
「ヴィクトールで構わないよ、アメリア嬢。堅苦しいのは苦手なんだ」
「では、私の事も、」
「ボクのは癖みたいなものでね。キミを揶揄っているわけじゃないから、気にしないで。それより続きを」
人の話は最後まで聞かんかい。
じととした目を向けても、彼の笑みは崩れない。
吐きたいため息を飲み込み、ではヴィクトール、と彼の言葉に随う。
彼が先輩でなければ、いつぞやのように呼び方を頑として咎めたかもしれない。
しかし、魂に刻まれた年功序列の意識は、その言葉を喉の奥に押し込めた。
「私に何かご用向きが?」
「窓の外に神妙な面持ちで歩くキミの、美しい憂い顔に誘われてね」
無言で見返せば、彼は「本当だよ」と笑う。
本当なのだろうからタチが悪い。不身持ちだという噂ばかりの彼は、事実違わぬ行いをする。
あっちで女を誑かし、こっちで女を唆かし、最終的に全ての女を泣かせるのだ。
それらを全て、相手を貶める言葉をひとつも使わずにやってのけるのがこの男であり、彼が最低だと思うところでもある。
いや、最も酷いのは、これがただの好色魔でないところだろう。
女性が好きだから、という理由ならばまだ彼を責める余地があるというものだ。
私は人の良さそうな笑みを一瞥し、お気遣いなく、と跳ね除ける。
「大した事ではありませんから」
「なら、話しても問題がないんじゃない?」
「このような些事で、貴方の貴重な時間を頂くわけには参りませんから」
「女性の顔を曇らせるような一大事に割く時間もない程、余裕のない男だと思われるのは心外だなぁ」
例えそれが本人にとってどんな些細な事でもね、と笑うヴィクトール。
鬱陶しい、と顔に出てしまったのだろうか。返答を探す私に、彼は少しだけ肩を竦めた。
「まあ、気が向いたら話しておくれよ。貴女を不快にさせたいわけじゃないんだ」
押しては引いて、さざ波のように女性の心を揺さぶるヴィクトール。
こんな言い方をされたら、意固地になっているこちらが馬鹿みたいだ。
しかし、ここで余計な相談を持ちかける程、私だってうっかり者ではない。
これが計算だとわかっているならば尚更だ。
「お気持ちだけ頂いておきます」
そう返し、話すのを待っていたであろうヴィクトールから視界を外す。
ヴィクトールは肩透かしを食らったであろう様子をちらりとも見せず、やはり小さく笑う。
そして、私を真似るように視線を外へ向けた。
「天気が良いね」
「そうですね」
「雑談はお嫌いかい?」
「少し考えたいことがありますので」
「ボクがここにいると、思考の妨げになるかな?」
「……いえ」
ここでハイと頷ける程図太くないのが恨めしい。
ヴィクトールは私が空けた間の意味をわかっているだろうにも関わらず、良かったと微笑む。
ごろりとその場に寝転がると、彼は「今日は風が気持ちいいね」と言って目を伏せた。
「そうですね」
短い私の返答に、彼はくすりと笑ったきり、何も言わなかった。
ああ、本当にこの男は苦手だ。




