43話
「ルイスの話が出たついでに話しておくけれど、あの子のミスは、あの子の生態に関係しているかもしれないわよ」
そう言った時、ディートハルトは不可解そうな顔をしていた。
しかし、次いでそう思った理由を付け加えると、彼は意外な程あっさり頷いた。思い当たる節があったのかもしれない。
彼の体調も、刻一刻と変化をしているだろう。シュタルクの生態について、もっとよく知ることができれば良いのだが……。
いや、今は置いておこう。
カタコトと揺れる馬車の中、そっと目を閉じる。
積み重なる問題から、目の前の————婚約者問題へと頭を切り替えるために。
「義姉上、着きましたよ」
数日の馬車旅の後、アドルフと私は無事フンベルクへと到着した。
フォーゲルの屋敷が見え始めると同時に、玄関先にカロリーナの姿が見える。
迎えに来たドーリスから、楽しみにしていたとは聞いていた。しかし、本当に待ちきれなかったんだなぁ……何年も帰らなかったことが申し訳ない。
馬車から降りたアドルフと私をそれぞれ抱き締め、カロリーナは相変わらずの青白い顔で柔らかく微笑む。
「おかえりなさい、アメリア。少し見ない間に、大人っぽくなってしまったわね。用意して置いた服は、もう幼過ぎるかしら」
「ただいま戻りました、お義母様。だいぶ日を空けてしまったこと、申し訳なく思いますわ……魔術の勉学が楽しくて」
「ふふ、どうやらそうみたいね。届いた成績を見ましたよ。私も鼻が高いわ」
微笑みを交わし、互いの体調を気にかける。それから、私たちはゆっくりとした足取りで家の中へ入った。
帰宅した旨を伝えに、アドルフとリヒャルトの書斎へ赴く。
ついでに話したい事があるから、後で時間を頂けないかと問うた。
久方振りに顔を見た義父は、アドルフのそれより遥かに温度の低い湖水色の瞳をこちらに向けた。
「婚約の事か」
「はい」
「……夕飯の後に時間をつくる。その時に改めて来い」
「ありがとうございます」
頭を下げて、退室する。挨拶をしただけなのに、何だか神経をごっそり削られた気分だ。
嫌なため息が口から出た。咎めるようなアドルフの視線を頂戴したが、許して欲しい。
これからが本番だと思うと、気が重たくて仕方ないのだから。
夕食を終え、一度自室に戻り身なりを整える。久し振りにドーリスの手を借りた私は、いつも以上に身綺麗になった。やはり本職は違う。
重厚な扉を指の関節部で、四回ノックする。入室の許可を得て、ルッツが開けた扉の向こうに足を踏み入れた。
昼間と変わらず、姿勢正しく椅子に腰掛け、古い本に目を通すリヒャルトが居る。
軽く挨拶をし、ルッツに席を外すようお願いする許可を取る。僅かに視線をやったリヒャルトは、一言「好きにしろ」と答える。
目配せでルッツに退室を促し、ようやく話す準備が整った。
二拍、呼吸を空けて、比較的お淑やかにリヒャルトを呼ぶ。
「お義父様。本日はお時間を頂き、誠にありがとうございます」
「構わん。フォーゲルの名に関わる事だ」
お前の為ではない、と言外に聞こえるのは、私が卑屈になっているからだろうか。
さすがに視線はこちらにあるものの、リヒャルトの意識は殆んど私に向いてないように思えた。
目を伏せ、改まった調子で私は声を張る。
「お義父様、本日私は、婚約者を探す上でもう少しお時間を頂けないかと思い、参りました」
「……理由を聞こう」
「お話を頂いて、すぐに答えが出せる程、私の身近にはお義父様の望むような方がおりません。かと言って、お義父様のご紹介であれば、それは結局のところお義父様の既知たる方の親族……又は、所縁のある方でしょう」
「だろうな」
「それでは既にある縁をより強固にするだけに過ぎません。私は、フォーゲル家の繁栄の為、新たな縁を呼び込みたく思いますわ」
リヒャルトが、初めて本を閉じた。どうやらまともに聞く気になったらしい。良い傾向だと、私は姿勢を改める。
湖水色の瞳を見据え、怯まぬよう腹に力を入れた。ヒロインらしからぬ、険しい表情をしている事だろう。
そして、心の中で見知った顔に密かに謝った。
「昨年度より、私はノイマン家の方と親交を深めさせて頂いております。こちらに来る前には、嫡子のディートハルト様ともお話をさせて頂きました」
「ほう、エーリッヒの息子か……確か婚約者がいたはずだが?」
「はい。ですが、彼との繋がりが、より良い縁を結ぶきっかけになるかと」
暫し思案するように目を伏せるリヒャルト。灰褐色の短いまつ毛が洋燈の灯りに少しだけ影を落とすが、すぐにそれは持ち上げられる。
そして、唐突に「どのくらいだ」と問う。
何がだ、と聞き返したら最後、彼の中で私は自分で持ちかけた話すら忘れる阿呆と思われる事だろう。余り間を空けず、私は答える。
「できる事ならば、卒業までお待ち頂きたく、」
「成人の儀まで、だ」
それ以上は待たん、と跳ね除けられる。なっ……、と思わず声が漏れた。
「成人の儀はっ……来年、ではありませんか」
「そうだ。一年あれば、それなりの相手を見繕う事くらい容易いだろう」
「お言葉ですが、私はそれ程、」
「謙遜するな。お前は、魔術にうつつを抜かしつつ、それでも尚ノイマンとの親交を深めた。ならば、その気になれば一年でお前の言う新たな縁を結ぶ程度造作もない事だろう」
アメリア、と厳格な声が私を呼ぶ。氷のような瞳が、芯まで冷やすようにこちらを見る。
「何の為にお前をフォーゲルに迎えたか、ゆめゆめ忘れるな。今お前が私の前に立っていられるのは、シャルロッテが果たす事のなかった、貴族の娘としての役割がある故だ」
「っ……、ですが、」
「話は終いだ、アメリア。それ以上の口答えは反抗と見做す。従うしか能の無いアドルフと違い、交渉するだけの器量を見せた、その評価を無に帰す気か?」
あんまりな物言いに、思わず叫び出しそうになった。しかし、私が取り乱したところで彼の言葉は覆らないだろう。
むしろ、自身の評価を大きく下げ、ますます彼への対抗手段を失くすだけだ。
大きく息を吸い込み、怒りと共に喉の奥に押し込んだ。
「…………お忙しい中、ありがとうございました。寛大な処置を受け賜わり、恐縮です。お義父様のご期待に応えられますよう、明日より一層心して掛かりますわ」
おやすみなさいませ、と頭を下げれば、少しだけ間を空け、ああ、とリヒャルトは言った。
おやすみ、という声を遮るように扉を閉め、今にも走り出しそうな気持ちで廊下を歩んだ。
強く噛んだ下唇が痛い。けれど、次に口を開くのは部屋についてからだと己に言い聞かせる。
ああ、本当に……腹わたが煮え繰り返りそうだ。




