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真面目で何が悪い  作者: 桜庭


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3話−2

 

「こっちこっち」


「……ねえ、ギルベルト。本当に入っていいの?」



 いつもお邪魔するのは応接室。それからギルベルトの私室と開放的なお庭。広い子爵邸で私が知っている場所はせいぜいそれくらい。


 しかし、ギルベルトはそのどれも素通りし、通ったことのない階段をくるくると登る。木で作られた手摺は滑りが良く、長い階段を上がるのにも苦を感じさせない。


 数段上からこちらを見下ろしたギルベルトは「大丈夫大丈夫」と笑う。本当かよ。



「父上にバレなきゃ大丈夫だって」


「それ駄目なやつ」



 やっぱり戻る、と言い出す私の手を、ギルベルトは「もうすぐだから!」と引く。そういう問題ではない。


 ギルベルトを窘めように呼ぶが、ギルベルトはギルベルトで引こうとはしない。頑なに私に何かを見せたいらしい。



「その見せたいものをここに持ってくるんじゃ駄目なの?」


「持って来れるようなものじゃないんだよ」


「……何を見せたいの?」



 珍しく言葉に詰まるギルベルト。どうしても言いたくないらしく、彼はただ「お願い、ついて来て」と眉を下げた。

 そんな顔を見てもまだ二の足を踏んでしまう私は、本当に融通が利かない。


 暫し悩んだ末に、私はギルベルトに問いかける。



「見たら、すぐ戻る?」


「うん」


「本当は見せたらいけないものとかじゃない?」


「それは大丈夫」


「……それ"は"?」



 うっと言葉に詰まるギルベルト。少し視線を彷徨わせた後、取り繕うように「大丈夫だって」を繰り返した。


 基本的に善良なギルベルトがここまで言うのだから、そこまでの大事ではないのだろう。彼だって馬鹿ではないのだし、駄目なものを良いと言える悪辣さもない。


 ならば、そこまで警戒しなくても良いのだろうか。


 それに……、とそこまで考え、ゆるく唇を噛む。しかし、跡がつく前に口元を緩めると、繋いだままだった手に少しだけ力を込めた。


 ギルベルトはパッと表情を明るくさせる。再び引かれる手。私は導かれるままに歩を進めたのだった。







 着いた場所は、小さな屋根裏だった。あまり足が運ばれる場所ではないのか、やけに埃っぽい。それでも物がある程度整えられているのは、この屋敷に勤める人たちが優秀な証だろう。


 季節の合わないものや古びた書籍、使用用途のわからない道具が並ぶ中、自然と手を離したギルベルトは小さな身体を活かしてスイスイと進む。物珍しさからつい視線をあちらこちらへ向けてしまったが、私もすぐにその背を追う。


 ギルベルトの目的地は、屋根へと取り付けられた出窓だった。明るいところで見るものなのだろうか。

 近付く私を他所に、ギルベルトは椅子を窓辺に置くと、それを踏み台に窓を開け始めた。ちょっと待て。



「ちょっ……まさかとは思うけど、屋根に登るの?」


「うん。オレが先に登って引き上げるから、アメリアも、」


「無理。絶対、無理。私スカートだし」



 嫌、とハッキリ断れば、ギルベルトは今更気付いたような顔でポッと頬を赤らめた。片足だけ外に出したギルベルト。窓枠を支えにしながら頭の後ろをかきながら、あーだのうーだのと唸る。



「……大丈夫だよ」


「何が! 適当なこと言うんじゃない!」



 ようやく絞り出すようにして出された答えに、思わず噛み付く。叱られたギルベルトは慌てて根拠のない"大丈夫"を、言葉で補強し始める。



「だ、大丈夫だって! 今下に誰もいないし、オレも上から引き上げるから」



 ね、と誤魔化すように笑うギルベルト。だからそういう問題じゃ、と言いかけたものの、続いたギルベルトの「早くしないと父上にバレちゃう」という言葉に思わず飲み込む。



 最後の抵抗とばかりにうぐぐ、と唸ったものの、既に私の腹は半分くらい決まっていた。

 私は「本当に大丈夫なんでしょうね」と低い声で最終確認をした。



「大丈夫。いつも登ってるオレが保証する」



 それは理由にならない。

 そんなツッコミも意味をなさない程、ギルベルトは無邪気な笑みを浮かべた。



 私は、意地でもここでギルベルトを止めておくべきだった。







「オレが先に登るから、アメリアはオレが呼んだら準備して」


「……気を付けてよ」



 にっと屈託無い笑みをこちらに向け、私の心配を他所に軽やかに窓の外へ出るギルベルト。どうやらいつも登っていると言うのは、嘘ではないらしい。


 貴族らしくないとは常々思っているが、どうやら彼のヤンチャぶりは私の予想以上らしい。


 椅子に乗り、窓から顔を出す形でギルベルトが登るのを見守る。三角を描く出窓。その屋根にバランス良く乗ると、ギルベルトは少しだけ屈み、こちらに手を伸ばす。



「ほら、アメリア」



 差し出された手に向かい、私は恐る恐る身を乗り出す。あと数センチで手が触れる。


 そんな時だった。


 私は気付くべきだった。

 いつも一人で登っている屋根に、誰かを引き上げるなんて、七歳の子供にできるわけがない事を。

 どれだけバランス良く座ったとしても、屈んでしまえば重心が頭の方に向くと。


 そして、風は高いところの方が強いのだと。


 風が一際強く吹いた。幼いギルベルトの身体を浮かすには充分だった。バランスの崩れた体勢を整えられる程、ギルベルトの体は育ちきっていない。


 若草色が驚愕に染まる。小さな悲鳴がやけに大きく聞こえた。



「っギルベルト!!!!!」



 とっさに慌てて伸ばした手は、あと数センチのところで空振る。いや、仮に触れられても非力な私ではギルベルトを支えきれるわけがない。


 それでも伸ばさないわけにはいかなかった。


 伸ばさずにはいられなかった。


 後悔。絶望。悲嘆。


 一瞬で様々な感情が頭を過り、気付いた時には自らも窓枠を蹴り、空中へと飛び出していた。


 重力に逆らう術のないギルベルトの身体をどうにか抱き止め、撃墜の衝撃から守るように抱え込む。無意識にか、目を瞑ったままのギルベルトも縋るように私の背に手を回す。


 およそ十メートル。


 子供どころか、大人だって怪我じゃ済まない高さだ。風を切る音が耳元で鳴り、頭が割れるように痛くなってきた。

 助けて、とたった一言叫ぶことも出来ず、走馬灯のように巡る後悔が胸をつく。


 もっとしっかりギルベルトを止めれば良かった。

 あの時気を使わせるような態度を取らなければ良かった。

 最初から父さんを手伝っていれば良かった。


 私が、アメリアにならなければ——……


 ギルベルトの小さな手が助けを求めるように力を増す。目を瞑っていても、地面が近付いていることがわかった。

 傍から見ればほんの僅かな落下時間であっただろう。しかし、やけに長く感じたその間に私はどうしようもなく悔いた。

 アメリアなら——私でないアメリアなら、こんな事態にはならなかったのに、と。


 熱を感じたのはその時だった。


 腕を焼くようなその痛みに、初めは地面にぶつかったのだと思った。けれど、直後に聞こえた耳の奥を震わせるような風の音。恐る恐る目を開けると、地面にはまだ幾許かの距離があった。


 思わず息を飲む私。その音に目を瞑ったままのギルベルトが手の力を強める。

 ギルベルトには見えていないだろう。

 しかし、私たちを包む風は、先程の非情な空気の塊と違い、暖かな新緑色をしていた。







 風に意思があるならば、それは私たちを抱き上げるように持ち上げ、そしてゆっくりと地面へ降ろしたと表現できる。まるで羽が落ちるかのような速度で、地に足をつけた私たちは、そのまま抱き合う形で座り込んだ。


 ばたばたと私の頬を叩いてはあらぬ方向へ投げ出されていた長い髪が、まるで寝起きのように、好き勝手に落ちてきた。けれど、そんなことはどうでもいい。



「今のは……」



 呆然としながら、呟いたのはギルベルトと私のどちらだろうか。それくらい同じことを考えていた。



「アメリア!! ギルベルト様!!」



 放心していた私たちを、聞き慣れた父さんの声が呼ぶ。


 真っ青な顔でこちらに駆けて来る父さんの後ろからは、足早に駆けて来るギルベルトの兄——エーリアスが続く。日頃はギルベルトより落ち着きのある面立ちをしているが、さすがに今は驚きを浮かべていた。


 一直線に私たちの側へ寄った父さんは、一瞬だけ手を彷徨わせた後、すぐに優しく私を抱き寄せた。



「怪我は? 痛いところはないか? ああ、アメリアっ!」



 私と同じ黒い瞳は今にも泣きそうな程濡れている。

 大丈夫、と返そうとしたが、口元が震えて声が出ない。唇を噛み、震えを抑えようとしたが、駄目だった。


 頭の中が真っ白になる。


 一瞬、エーリアスが何かを言った気がした。それが私たちに向けてだったのか、父さんに向けてだったのかはわからない。


 わからないくらい、私の耳にはもう何も入らなかった。



 父さんの腕を払い退け、私は大きく右手を振り上げる。








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