42話
実家に手紙を送った数日後、迎えを寄越す旨の連絡が入った。
落ち着かない様子で迎えを待っている私を呼び出したのは、ディートハルトだ。
「エルフリーデには魔術の才がない」
思わず、言葉を失くす。散々探して、結局口から出たのは「そう」という短い相槌だけだった。
ディートハルトは不満気にこちらを見たが、すぐに続ける。
「これでお前の知りたがった『何故エルフリーデの魔術に関する話が一つも無いのか』という疑問は解決出来たな?」
ディートハルトに約束を取り付けてから、それほど経たずに彼は時間をくれた。律儀な男だ。
好奇心に目を光らせる友人二人を置いて、花庭園に移動。帰省前に時間が取れたのは、僥倖としか言いようがない。
燦々と降り注ぐ春の陽射しは暖かく、色鮮やかに咲く花は本当に見事だ。
少し離れた場所では、無理やり連れてこられたアドルフが、その花々を観賞している。
穏やかな日和の中、ディートハルトは眩しそうに目を細めた。
「使えない以上、エルフリーデの魔術を見ることはない。だが、学園にいる魔力持ち——それも、才色兼備と謳われたヴェスラー家の娘——が、下級魔術一つすら使えんと、誰が思う?」
思わない。だからこそ、使わないのだと勝手に思っていた。
だからこそ、その理由を探ろうとしたのだ。
この数年間、本人には勿論、学園中のエルフリーデに関する噂を集めた。
しかし、どれも面白味のないゴシップばかり。
得意な魔術やその属性については、一つもない。
生徒だけならばまだしも、彼女に指導をしているはずの教員ですら、だ。
「ヴェスラー家は、学園に多額の寄付をしているからな。授業の一つや二つ、受けずとも成績には響かんのだろう」
「……アルバイテンは、国営よね?」
「金など、あればあるだけ使い道がある。ただでさえ、金のかかる場所だからな」
ああ、警備費や運営維持費ね。入学前に見た、莫大な施設維持費を思い出し、内心頭を抱える。
「なんだか腐敗の臭いがするわ……」
「上層部の闇だな。どこの国にもある話だ」
なるほど。エルフリーデの印象とは、大きく異なる。
しかし、授業を受けていないのならば、確かにその成績に関する話が出ないのも道理だ。
ましてや、後ろめたい事情があるなら、尚更。
不愉快そうなディートハルトにつられた訳ではないが、確かに気の良い話ではない。
思わず眉間にシワが寄る。
さて、とディートハルトは組んでいた長い足を降ろす。
晴れ渡る空と同じ色をした目が、僅かに好奇心を乗せた。
「俺からの答えは以上だ。しかし、生憎、今の話をエルフリーデにしても、大した脅しにはならんぞ。お前の言う、あいつが持っているであろう情報を引き出すための『取引材料』としては、お粗末な話だからな」
「……そうかしら。世間体がものを言う貴族社会——それも、魔力主義な今。魔術を使えない彼女が、今の評価を保っていくのは、大変だと思うけれど」
「普通ならな。だが、ヴェスラー家の威光は、特別だ。当主であるロータルの地位も勿論あるが……なによりも、エルフリーデが俺の婚約者である。この事実が一番大きい」
「そうだったわね」
目の前の男が、最も玉座に近い男だという事を思い出す。
空回りが多いものの、基本的には生真面目で努力家。
非常に優秀なディートハルトは、その家名に恥じぬ男である。
もちろん、それは今だけの話だ。
天才児だと褒められ、期待され続けた彼は、次第にその期待に応えられない事に焦燥を感じ始める。
そして、物事を先んじようとした結果、勘違いが増え、空回りも増える。
……このままいけば、数年の間に王位を危ぶまれる危機に陥るはずだ。
しかし、その話はまたの機会にしよう。
ともかく、彼の世間の評価は今のところ高い地位にある。
故に、その婚約者であるエルフリーデもまた、その恩恵に与っている。
最も、その地位を得るのも、それだけの要素が必要となるが。
「魔術が使えない、というのは婚約破棄の対象にはならないのね」
「ならんな。王、並びに王妃は魔力持ちである事を前提とする……が、魔術の技量は選定対象にならん。勿論、あるに越した事はない。だが、王妃に求められるのは、魔力持ちを世継ぎとして産めるかどうかだ」
「魔力持ち同士であれば、魔力持ちが生まれる可能性は高いものね」
「無論、必ずでは無いことがな」
「……博打ね」
「そんなの誰が相手でも同じだろう。ノイマン家は、余程不利益にならん限り、エルフリーデを切ることは無いだろうな」
そうか、ならばやはりディートハルトの言う通りか。
彼女と交渉するのなら、脅迫よりも懐柔の方が現実的かもしれない。
私の心理的にも、不利益な情報を餌に取引するより、相手の望むもので話をつける方が遥かに健全だ。
……が、自分に提供できるもので、彼女が求めるものが全く思いつかない。
エルフリーデの求めるものは、王妃の座。
私に与えられるものでもないし、与えられずとも彼女は必ずそれを手に入れるだろう。
折角ディートハルトに時間を貰ったのに悪かったな。
そう思い、謝罪の言葉を口にすれば、彼は「全くだ」とため息をついた。
「お前がエルフリーデを利用すると言うから、どんな策があるのかと思いきや……まさかすっからかんだとはな」
「ごめんなさいね。折角、貴方が先日の口論の腹いせにと、婚約者の秘密を売ってくれたのに」
「秘密という程のものじゃ無いがな。せいぜい野良犬らしく、女狐の腹にでも噛みつく事だ」
「励ましの言葉をどうもありがとう。貴方こそ、いつの間にかリードを持つ手が、エルフリーデと入れ替わらないように気を付けて」
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。互いの脳内にそんな言葉が過ぎる。
アメリアのようにニコニコと、彼の嫌味を流せれば良いのだろう。だが、私の心はそこまで広くない。
軽口に軽口を返せば、ディートハルトは神経質そうな細い眉を不機嫌そうに寄せた。
話し合いは終わりだ。そう言いたげに立ち上がるディートハルト。
ああ、せめて呼び出した手前、感謝の意を示して終わりたかった。
いや、今からでも遅くはない。短気を謝り、終わりだけでも綺麗に、と思った矢先だった。
「おい、芋女」
「今度その呼び方をしたら、私はまた貴方の売り言葉を買ってしまいそうだわ」
「買い物好きは女の業だな。そんな事はどうでも良いが、俺からも一つ、お前に話がある」
何かしら、と問う私の前に立ったディートハルト。
見下ろされるのが嫌で、私も立ち上がると、彼はその分を空けるように半歩距離を取った。
……思ったより近かったのね。
「ルイスの事だ」
「……ルイスに、何かあったのかしら?」
ひやり、とした私とは裏腹に、彼はそうでないと首を横に振る。
「ルイスから度々お前らの話を聞くが、その大半がお前の話だ」
「私の?」
「そうだ。……これは、俺の独り言と聞き流してくれて構わん話だが、あいつは使用人の中でも少し特殊らしくてな。あまり周囲とウマが合わんようだ」
それはシュタルクだからでは、と問いかけそうになって、止めた。
まるでノイマン家の使用人が、「みんなが差別的だ」と決め付けているようにも聞こえるからだ。
ディートハルトがそう明言しない限り、こちらからは触れるべき話ではないだろう。
しかし、そうなの、という無難な相槌は、彼のお気に召さなかったらしい。
「しらばっくれるな。お前がオットーたちの指導をきちんとするよう、俺に提言したんだろうが」
「提言だなんて恐れ多いわ」
「わざとらしい謙遜をするな、薄ら寒い」
嫌なものを見るような目をされてしまった。失礼な。
肩を竦め、それで、と続きを促す。彼は少しだけ肩を落とし、話を戻した。
「お前たちと茶をするようになって、ルイスは少し変わった。相も変わらずミスは多いが……そうだな、笑うことが増えた」
やんわりと目を細めるディートハルト。
その顔はどこか優しげで、ほんの一瞬、見惚れてしまう程の美しさを感じさせた。
「これまで同僚すら避けていたんだが……最近では、煙たがられながらも、どうにか距離を詰めようとしている。……そうなったのは、お前らのお陰なのだろう」
「私は何もしていないわよ」
「無自覚なだけだ。人は誰かの何気無い言葉で傷付きもし、励まされもする」
長い金色の睫毛の下で、空色が僅かに逸れる。が、すぐにそれは私を見つめ直した。
「礼を言う。お前らとの日常が、ルイスに良い影響を与えているらしい」
まさかの言葉に、なんて答えれば良いか迷ってしまった。
いつものように軽口を叩こうかとか、突然の感謝に熱でもあるのかとか。
いろいろな思いが脳裏をよぎったけれど、すんなり口から出たのは————そんな言葉ではなかった。
「とんでもない事だわ……私はただ、友達とお茶をしていただけよ」
礼を言われることではない、と思ってしまった。
「…………そうか。なら、良い。忘れろ」
そんな私の捻くれた心を、やはり捻くれたディートハルトは上手く汲み取ってくれたようだ。
風が出てきたと、出口へ歩き出すディートハルト。私もアドルフを呼んで、その背を追った。
「話は終わりましたか?」
「ええ、待たせて悪かったわね」
「お気になさらず。手紙を届けるついでに、庭園まで散歩できたのですから。母様に良い土産話ができましたよ。噂通り、学園の花庭園は素晴らしかった、と」
無理矢理連れて来たことを根に持っているな、と思わず閉口する。
友人二人を置いて来た私と同様に、ディートハルトも従者を一人も連れて来なかった。
流石に婚約者のいる彼と二人きりはまずいと、運良く——本人からしてみれば運悪く——両親からの返事を持って来てくれたアドルフに、同行を頼んだのだった。
嫌味が続く前に、私は前を行くディートハルトに声をかける。
「貴方はこの後、帰省準備に戻るのかしら?」
「いや、支度はオットーたちが終わらせている筈だ。俺は母上たちへの手土産を選びに行く」
「あら、孝行者ね」
「息子の義務だ」
わかると頷くアドルフ。そういうものなのか。
ディートハルトが、参考までにと流行りの物を訊いてくる。が、残念ながら私はそういう話に疎い。
悪いわね、と言えば、彼は予想の範囲内だという顔で「だろうな」と笑った。
「呼び方を変えて欲しければ、その辺りから己を見直す事だな」
「余計なお世話よ」
ふ、とどこか意地悪そうに笑うディートハルト。
珍しい表情に目を見張れば、彼は「なんだ」とすぐにまた不機嫌そうな顔をした。
なんでもないわ、とゆるく首を振り、私たちは花庭園を後にする。




