39話
私の知るエルフリーデ・ヴェスラーは、ゲーム内におけるライバルキャラだ。
しかし、見方によっては主人公を導くお助けキャラとも取れる。……いや、お助けキャラは言い過ぎかもしれないが。
ともかく、作中での彼女の立ち位置は、攻略キャラの婚約者としては少し特殊だ。
初めはアメリアを小馬鹿にし、嫌がらせをしてくるモブ集団を牛耳る悪の親玉。そんな印象しかない。
しかし、話が進むにつれて、エルフリーデの目的というものが見えてくる。
それは、ヴェスラー家の繁栄。
高位の貴族と懇意になる為、自らの身を捧げ、家の名を世に示す。貴族の娘として、正しくその役目を果たすことが彼女の本懐であり、最終的な望みである。
彼女が、反りの合わなさそうなディートハルトと婚約をしている理由もそうだ。彼が最高権力者である、国王の座に最も近い男だからに他ならない。
そんな彼女が、婚姻を拒むことなどある筈もない。
私の問いは、前提が間違っていた。私の求める答えは彼女に無い。そんなことも気付かず相談し、あまつさえアドバイスを貰おうだなんて……。
あのエルフリーデが甘い態度を取ってくれるはずもない。
そんな事も考えず、私は彼女のところに向かってしまった。
温室を飛び出すように逃げ出した私は、一人、人気のない木陰に隠れるように座った。
本当なら膝を抱えたい気持ちだった。しかし、惨めさの中に残った僅かばかりの令嬢としての矜持が、そんな姿勢を許さなかった。
草葉の上に座り、険しい顔で頭の中を整理する。
さわさわと春風が揺らす木々の音も、小さな小鳥の鳴き声も、今は耳に入って来ない。ただ、ぐるぐると心の中を濁らせる嫌悪感が、五感に触れる全てを不快な物にさせた。
つい先程言われたばかりの、ディートハルトの言葉が蘇る。
『物分かりの悪いお前にも理解できるように言ってやる』
それは、まさしくその通りだった。
いつもならば、示された言葉の真意を問いながらも、その中身を少しでも想定しようと考える。しかし、今日の私はしなかった。
それどころか、与えられた言葉をそのまま受け取るしか出来ず、ディートハルトにも、エルフリーデにも気を使わせた。
ストレート過ぎる二人の言葉は、考える事を放棄した私への、回りくどい優しさだったのだ。
何故? どうしてこうなった? いつから私の調子は悪くなったのだろう。
そう自身に問いかけ、過去を振り返る。ゆっくりと、走馬灯のように自身の記憶を探り……どれくらいの時間が経っただろうか。
少しばかり落ち着いた頭が出した答えは、ひどく単純なものだった。
ストレス。
答えはそれに尽きる。
思い返せば、これまでの騒動————それこそ、刻印が現れ、名前が変わり、義弟に嫌われ、エルフリーデと対峙する。
それは、私の中で既に決まっていた出来事だった。
アメリアの人生として、起こることがわかっていた事象だ。多少の違いやズレに戸惑うことはあれど、基本的には己の中で対処しきれる規模のトラブルだった。
それらだってぽたぽたと垂れる水滴のような、小さなストレスだ。けれど、それ程の苦痛や心労にはならない。
だが、今度はそこにルイスという存在が加わった。
彼の事も当然私の中では想定の範囲内であり、覚悟もしていた。彼の問題を、出来るのであれば解決しようと決めていた。
けれど、私はルイスの————友の命を背負うという事がどういう事か、きちんと測りきれていなかった。
求める情報も得られず、方法も確立しない現状に、知らず識らずのうちに、プレッシャーを感じていたのかもしれない。
極め付けは、きっとあの手紙だったのだろう。
想定していなかった婚約の話も勿論だが——認めたくない。認めたくはないが——そうだ。
私が、最もストレスを感じたのは、傷付いたのは…………何よりもどれよりも、あの追伸だった。
期待していないと散々言いつつも、心のどこかで————私はリヒャルトという義父に、己の努力を評価して欲しかったのだ。
頑張ったと褒められなくとも、こんな才があったのかと見直されなくとも、いい。ただ、私の興味がある事を、興味を向け続けても良いと、許容して欲しかった。
婚約をしたら、きっと今まで通りにはいかないだろう。
婚約者がいる淑女として行動は制限され、卒業後の進路が貴族夫人という立場に確定する。それは、私にとってどうしようもない苦痛だ。
貴族の女性が社交界ばかりをしているというのは、イメージとして概ね正しい。というのも、彼女らの役割は、一家の勢力維持と拡大、その為の人脈作りであるからだ。
いつかは、私もそうなるのだろう。
貴族の娘として嫁ぎ、貴族の夫人として、その役割を果たすのだろう。
けれど、出来るのならば、叶うのならば、私はもう少し自由でありたい。
学生のうちだけでもいい。魔術という、この世界で初めて触れる新しい学問に、意識を、時間を、興味を、割いていたいと思うのは、いけない事なのだろうか。
草を踏む音が聞こえ、落とした視線の端に見慣れた靴が映る。顔を上げずとも、それが誰であるかわかった。
すとん、と無言で私の隣に腰を下ろした彼は、顔を上げない私を不審に思っただろう。探るように声をかけてきた。
「……アドルフから話は聞いたよ」
そう言ったギルべルトの声はどこか硬い。
エルフリーデを訪ねる前、義父への返事をアドルフに預けに行った。彼は手紙の内容を察していたようで、黙って私の返事を受け取った。
彼はギルベルトに相談したのだろう。きっと私の様子がおかしかったから。
普段なら、そんな彼に「口の軽い義弟だこと」と冗談の一つでも入れていただろう。しかし、今の私には「そう」と相槌を打つ程度の余裕しかなかった。
脳内は、反省と自己分析で手一杯。誰かを気遣う余裕なんてこれっぽっちもない。
だから、ギルべルトが落ち着かない様子でこちらを気にしている事にも、私は気付かなかった。
あのさ、と声がかかる前に、私は「ギルベルト」とその名を呼んだ。
「本当にごめんなさい。けれど、私、今とても心が狭くなっているの。……このままだと、貴方にも噛み付いてしまいそうだわ」
少し一人にしてくれないかしら、と我ながら酷い言葉が出た。ギルベルトの顔が見れないくらい、私はどうしようもなく情け無い。
しっかり者だと褒められ、良い気になっていた私の粗末なプライドは、エルフリーデに指摘された事で容易く砕けた。
何が、どこがしっかり者か。物事が上手くいかないからと考える事をやめ、人に都合の良い言葉を求める。
挙句、それを見抜かれ、勝手に期待しておきながら勝手に傷付いて————八つ当たりまがいの怒りを抱いた。
幼いだけの子供よりずっとタチが悪い。
そんな自己嫌悪を抱く私の心情など知らないギルベルトは、私の拒絶にいつものような困った笑みを浮かべる。
その顔が、より私の心を惨めにした。
「貴方にもって事は、既に誰かに噛み付いた後か?」
「……そうよ。エルフリーデに噛み付いて、……コテンパンにやり返されたわ」
「エルフリーデのところに行ってたのか。そりゃ、大変だったな」
笑みに苦味を深め、ギルベルトはゆっくりと私から視線を外す。けれど、腰を上げようとはしなかった。
ますます自分の幼さに腹が立って、唇を噛む。固く握った拳が微かに震える。
風が長く伸びた髪を揺らす。顔にまとわりつくそれが煩わしくて、切ってしまおうかと考えた。
不意に、ギルベルトが口を開く。
「オレは、噛み付かれても良いよ」
カッと頭に血がのぼる。
「っ……なによ、それ! 私はっ!」
「うん」
「私はっ……私が、嫌なの。こんな、子供みたいに、誰かに八つ当たりをしてっ……そんなの、」
「うん。わかるよ」
わかってる、と、やはりこちらを見ずに答えるギルベルト。私が何を思い、何に苛ついているかも知らないのに、彼は、私の気持ちを理解していると言う。
ゆっくりと、見慣れた若草色が私を向く。目を合わせるのが嫌で、思わず顔を背けた。
アメリア、と落ち着いた声が私を呼ぶ。
「アメリアが何に苛ついているのはわからない。けど、やり場のない気持ちをどこかにぶつけたくて……でも、ぶつけたら相手を傷付けてしまう。それが怖いって気持ちは、わかるよ」
穏やかで、優しい声が、ゆったりと鼓膜を刺激する。
ああ、嫌だ。十四の子どもにできる気遣いが、今の私にできない事が、ひどく情けない。違う。これも八つ当たりだ。
ああ……本当に、格好が悪い。
「大丈夫。オレは、アメリアが傷付けたくないって思ってるなら、傷付かないよ」
だから話してよ、とギルベルトは困ったように眉を落とす。かさり、と小さな音を立て、ギルベルトは地に手をつく。気持ちばかり、彼は体をこちらに傾けた。
アメリア、と先程より近い位置で呼ばれる。
その呼び声があまりにも優しいから、私はますます自分が許せず————けれど、その声を蔑ろにする事もできず————最終的にそろりと、情けない顔を見せた。
ギルベルトの、安堵したような若草色の目が、私を見ていた。




