37話
血迷っている、という自覚はある。
けれども、他に適切なアドバイスをくれそうな相手が思い浮かばなかったのだから、致し方あるまい。
見慣れた温室の戸を前に、少しだけ気持ちを落ち着かせ、いざと中に入る。
リヒャルトが強引に進めようとする婚約話をどう潰そうか、相談しに来たのだ。温室の主、エルフリーデに。
普段なら、悩み事は親しい友人に、家族の事ならアドルフに相談する。
しかし、ニコラの家もギルベルトの家も、うち程婚姻に関して積極的ではない。気持ちは晴れても、解決策を見出すのは難しいだろう。
アドルフに至っては、相談したところで「義姉上を貰ってくれる家があるだけマシじゃないですか? まあ、あれば、ですけど」とか言い出しそうなので、今は無視。
とは言うものの、エルフリーデも正直、相談に乗ってくれる気は全くしない。
しないが、解決策がある可能性が最も高いのも彼女だ。それなりの代償を払ってでも、この婚約者問題は解決しないといけない。
少なくとも、在学中は余計な問題に縛られていたくない。
茂る植物を抜けた先に、目当ての姿を見つける。が、それより早く視界に飛び込んだのは、その婚約者の姿だった。付き従うようなルイスの姿も見える。
あら、と驚きの声をあげれば、揃って視線がこちらを向いた。どことなく、剣呑な雰囲気である。
「ご機嫌よう、ヘア・ノイマン、フラウ・ヴェルナー。もしかして、お邪魔だったかしら?」
「いいえ、お気になさらないで、フラウ・フォーゲル。ディートハルトとの話は、もう終わったところですから」
ねえ、と小首を傾げる先は、長い脚を組み、両手をその上で組むディートハルトの端正な顔。渓谷のように深く刻まれた眉間のシワが、忌々しげにエルフリーデを見る。
およそ婚約者へと向けるべき表情ではないが、彼は舌打ちしそうな様子で立ち上がる。
直後、脅かすように手のひらを、ティーセットが乗ったテーブルへと叩きつけた。
ルイスの肩は跳ねたが、エルフリーデの眉はピクリとも動かない。
「……明日、話の続きをしに来る。良いな?」
「続き? 私は『話は終わった』と言ったと思うのだけれど?」
「勝手に終わらせるな。まだ話は途中だろうが」
良いな、と再度繰り返すディートハルトに、彼女は仕方ないわね、と言いたげに微笑んだ。どうやら本当に邪魔をしてしまったようだ。
睨み合う……基、見つめ合う二人に、私は「やっぱり改めるわね」と半歩引いた時だった。くるり、とこちらを向いた鋭い空色の目が、私を捉える。
「おい、芋女」
「何よ、ポンコツ貴族」
うっかり、予想外の呼び止めに、不意をついて出た心内の呼び名。ルイスがサッと顔色を落とす。
しまった。つい癖で。
やっべ、と思ったが、言ってしまった言葉はなかった事に出来ない。ひくりとディートハルトの口元が引きつった。
視界の端でエルフリーデが小さく笑った気がする。
「……誰が、何だと?」
「ごめんなさい、つい。売り言葉に買い言葉だったわ」
先にケンカを売ったのはお前だ、と言外に含めれば、ディートハルトは苦々しげに「まあ、良い」と——恐らく苦情であっただろう言葉を——飲み込んだ。
まあ良いんだ。
意外な寛容さに驚きを覚えつつ、ディートハルトの話を視線で促す。
エルフリーデを一瞥したディートハルトは、わりと乱暴な手つきで私の腕を掴む。低い声でちょっと来い、と囁くと、離れた場所へと移動した。
態度はともかく、所作はそれなりに紳士的な彼にしては珍しい挙動だ。
たたらを踏みつつ、エルフリーデの様子を確認すれ。が、彼女は気にした様子もなくカップを傾けていた。物凄く興味がなさそう。
声を潜めれば、エルフリーデに届かないであろう位置まで来ると、ディートハルトは再び睨むような視線をこちらに向ける。
なによ、と人形のような顔を見上げれば、彼は「ひとつ忠告をしておいてやる」と低い声で言った。
澄んだ碧眼は、やけに真剣な色を灯している。
「あまりあの女を信用するな」
「……それは、どういう事?」
恐らく、私は今ディートハルトと似たような表情を浮かべている事だろう。
しかし、含む意味合いは異なり、警告をするディートハルトに対し、私はその彼を怪しんでいる。私がエルフリーデに相談事をしようとしているのを知っているのだろうか。
私の問いに、ディートハルトは馬鹿にしたような目をこちらに向ける。
エルフリーデを一瞥し、彼女の意識がこちらに無い事を確認したディートハルト。
「物分かりの悪いお前にも理解できるように言ってやる」
と、ありがたい申し出をしてくれた。控えめに言ってくたばれ。
「あいつにとっての人間関係は、全て打算で成り立っている。お前にあの女は口説き落とせん。お友達ごっこなら、お前と同じ芋臭い連中とやっていろ」
これでわかったか、と片眉をあげるディートハルト。その得意げな顔に、ため息がうっかり出そうになった。
ディートハルト、と呼べば、彼は何だと言わんばかりの顔をした。
「……ご忠告はありがたいのだけれど、貴方、本当に勘違いがお得意ね」
そういうところがポンコツなのよ……とはさすがに続かなかったが、そのくらい脱力してしまった。
ゲーム内でも彼は勝手な勘違いで、ギルベルトをアメリアの恋人だと思い込み、キツイ当たりをするシーンがある。あの時は、話をちゃんと聞け、と叱りたくなった。
というか、数分前の緊張感を返して欲しい。的外れもいいところだ。
大丈夫よ、その肩を軽く叩き、詰められた距離を空ける。どうでも良いが、近い。ギルベルト程背が高くないにしろ、態度も相まって圧迫感が凄い。
不機嫌そうな顔をますます顰めたディートハルトは「勘違いだと?」と聞き返す。
「ええ。別に私とエルフリーデは友達なんかじゃないわ」
「度々ここに通っているそうだが?」
「そうね。共に話すし、共にお茶をする事も……稀だけれどあるわね」
「……それのどこが友達じゃないんだ?」
呆れたようなディートハルト。疑問はごもっとも。けれど、婚約者という肩書きを持ちながら、まるで仇のように睨みつけていた彼には言われたくない。
そうね、と少しだけ考えるような素振りを見せ、少しだけ肩を落とす。
「友達と話すのは楽しいけれど、エルフリーデと話すのは寿命が縮む気がするわ」
「ならやめればいいだろう。バカかお前は」
「悪態をつかないと話せないのなら、口を閉じていたらどうかしら。寿命を縮めてでも、私は彼女と話をしたいのよ。……私の知りたい事を、おそらくだけれど、エルフリーデは知っている」
知らなきゃいけないのよ、と声を低めれば、ディートハルトは僅かに目を細めた。
初めは、私のことをどこまで知っているかを探る為。けれど、ルイスを救うと決めた今は、どうやって彼女が情報を集めているかを知らなければならない。
多くの魔術を調べて尚、私はまだ彼女の情報源を知り得ていない。ならば、おそらく彼女は魔術を用いていないのだろう。そう断言できるだけ、魔術を紐解いた自信がある。
だとしたら、属性の違う私にも同じように情報を集めることができないだろうか。
ルイスを救おうと決め、まずはできる限りの水場を調べた。しかし、現代と違いインターネットもなければ、正式な調査局もないこの地で、どうやって各地の水質を知れば良いのだろうか。
風読みの魔術は、人の話す声を拾う魔術だ。その信憑性は高くなく、ましてや範囲も限られている。
つまり、情報を集めようにも、私は情報収集の仕方さえ知らなかった。
魔術を調べるのは簡単だ。学べる場所が学園しかない以上、魔術に関するありとあらゆる書物は学園に集まる。それを丁寧に調べ、分析すれば良い。
けれど、水は? 生活に必要な生命の源を管理するのは、その地を治める領主だ。記録こそすれど、逐一それを他に報告する必要はない。
なにより、全ての土地の領主が、生真面目にそれら全てをきちんと管理し、把握しているとも限らない。野放しにされている土地だってある事だろう。
故に、私は知らなければならない。
本人さえも知らない情報を得るだけの、その諜報手段を。
もし、それが彼女にしか使えない手段だと言うならば、その力を借りられるだけの関係を、彼女と築く必要がある。
エルフリーデが打算でしか関係を結ばないと言うのなら、私はそれでも構わない。
状況は変わった。私を利用するというのなら、それで良い。その代償は、きちんと情報という形で頂くだけだ。
決して心地の良い関係ではないけれど、痛む心もあるけれど、私はその痛みを甘受する。
とは言うものの、今回はその話ではないけれども。
難しい顔をしたディートハルトに、私は真剣な顔を解き、まあ、と心中と同じ言葉を口にする。
「今日は別件で相談があって来たのだけれどね」
そう苦笑する私に、ディートハルトはやはり呆れたようにため息を吐いた。眉間に寄せられたシワと長い睫毛と共に伏せられた目が、これ以上ない程物語る。
「相談事を持ち込む相手を、友と呼ばず何と呼ぶ気だ、お前は」
強いて言うなら『相談窓口』かしら、と答えた私を、ディートハルトはつまらなさそうな目で見返した。勝手にしろ、と言われた気がした。




