36話
ローラントが中等教育部を去り、初春のどこか落ち着かない様子を残す学園内。私たちは十四歳になった。
ひとつ歳をとったところで、私たちの生活はやはり変わらない。日々の勉強も、エルフリーデとの言葉遊びも、友人たちと楽しむお茶も。
ローラントに教わっていた魔術の勉強も、固定の先生がいなくなったというだけで、度々適当な先生を見つけては質問責めにした。
大体の先生が「そういうのは授業中に聞いてくれ」と返すので、少しだけ彼が恋しくなったりもしたが。
そんな、変わらない日々に終わりを告げたのは、一通の手紙だった。
「あら」
教室移動から戻って来た私はそう声を上げた。珍しい、と口には出さず、心の中で続ける。
というのも、入学時の挨拶以降、自ら私のところに来る事のない義弟が、教室の入口に立っていたからだ。それも、やけに真剣な面持ちで。
す、とこちらを向く湖水色の澄んだ瞳。私の手元にある勉強具を見ると、教室が空だった理由に思い当たったのだろう。納得したように小さく頷いた。
「ご機嫌よう、義姉上」
「ご機嫌よう、アドルフ。うちの教室に何かご用かしら?」
「ええ、義姉上に渡したいものがありまして」
「私に?」
珍しい、と今度は隠す事なく呟く。
アドルフが「少し良いですか」と問うので、私はニコラを見る。いっておいでよ、と手を出すニコラに、礼と共に教本を預けた。
次の授業までの時間を確認し、どこか落ち着かない様子のアドルフについてその場を離れる。
間も無く人通りの少ない廊下まで移動すると、彼は一通の手紙を無言のまま差し出した。品のある厚い紙に、箔でサルビアが押されている。
差出人の名はなく、宛名のみ、硬い筆記体で私の名が記されている。封蝋に記された紋はフォーゲル家の物だった。
カロリーナからだろうか?
いい加減家にも顔を出さないと、と封に指をかけた時だった。
「お父様からの手紙に同封されていました。義姉上に話があるから渡すように、と」
開封の手を止め、思わずアドルフを見る。
しかし、彼は軽く首を横に振るだけだった。内容についてまでは、書かれていなかったらしい。
「……わざわざありがとう、アドルフ。部屋に帰ってから読むわ」
「余計なお世話かと思いますが、返事は早めに書いた方が良いですよ」
「ええ。その時は、貴方の物と一緒に出してもらっても良いかしら」
「構いません」
ありがとう、と再度礼を述べる。
では、と自身の教室に向かうアドルフの背を見届けてから、私も自分の教室へと急いだ。手紙を鞄の中にしまったのは、チャイムが鳴る直前であった。
授業が終わると同時に、ニコラが「アドルフ、何だって?」と聞いてきた。手紙を預かった事を告げれば、へえ、と軽い声を上げた。
「アメリアのお父さんから手紙って、珍しいね。新年の挨拶……にしては遅いし、らしくないよね」
「全くだわ。何が書いてあるのか、想像がつかないわね」
「まだ読んでないの?」
「……まだよ」
私の返事に呆れた顔を浮かべるニコラ。急ぎだったらどうするのさ、と責められる。
本当にその通りだ。
その通りなのだが……正直なところ、読みたくない、と言うのが本音だ。
どうせろくな事が書かれていない。親らしい心配や学業に対するお褒めの言葉なんて記されていないだろう。
前年度の成績はこれまでで一番良かったのだが、きっとそんなのは彼にとって夕飯のメニューより興味の外に違いない。
小首を傾げるニコラに私は苦笑を浮かべる。
「ペーパーナイフを自室に置いてきてしまったから。戻ってから開けようかと」
「それなら、私持ってるから貸すよ。待ってて」
そう言ってスカートを翻すニコラ。ああ……これはこの場で読まなくてはいけない流れだ。
内心肩を落としながらも、断る理由が見つからない。仕方なしに、ニコラの差し出すナイフを有り難く受け取った。
手紙を開け、上等な便箋を二枚取り出す。宛名と同じお堅い文字が記されている。読みやすくとも、どこか威圧的なその文字を追って、視線を右から左へと視線を動かす。だんだんと文字がリヒャルトの声で聞こえ始め——……
私は勢いよく立ち上がった。
「あ、アメリア……?」
いつの間にか来ていたらしい、次の授業担当がその勢いに肩を揺らす。
知らぬ間にニコラは自席に戻っており、あまり教員歴の長くない担当教師が私の様子を伺うように「もうすぐ授業が始まるけれど、どうかしたかしら」と問う。
きっと、今の私は険しい顔をしている事だろう。ぐっと寄せられた眉を自覚しつつ、私は「失礼ですが、」と常より低い声で答える。
「義父より急ぎの報せが参りまして。その返事を記したいので、次の授業をお休みさせて頂いてもよろしいでしょうか」
「え、ええ……構わないわ。その代わり、後で講義内容を残しておくので、受け取りにいらしてね」
「はい、先生」
失礼します、と頭を下げ、足早に教室を出る。友人たちの案じるような顔が一瞬、視界に入った。
後で話す、と心の中で答えながら、私は寮までの道のりを急いだ。
『アメリア
余計な前置きは省き、用件だけを述べる。
来年でお前は世間的に成人する年となる。そろそろ正式な形で婚約者を定めるべき時期となるだろう。
近日中に、こちらで適当に見繕う。相手の要望があるならば、考慮しよう。早めに手紙を寄越せ。
相手が決まり次第、こちらからまた連絡をする。お前はただ無難に学園を卒業すれば良い。
以上だ。
追伸
私はお前の成績に興味はない。よって、毎年評価表を送る必要はない。余計な手紙を増やすな。
リヒャルト』
寮に戻った私が、自室の壁を破壊する勢いで拳を叩きつけたのも、しょうがないと思って欲しい。
父親から初めて頂いた手紙の内容がこれである。くそ親父め。
跡継ぎでない娘の成績なんてどうでも良いって事か。
それよりさっさと結婚して自分の名を売れってか。
「っ……ふざけるな」
褒められる為に勉強したわけじゃない。
認められたくて頑張ったわけじゃない。
確かに、努力に応じてリヒャルトの見方が少しでも変わればとは思ったが、全て自分の為の学びではあった。
けれど、しかし、これはないだろう。なんて一方的で勝手な手紙だろうか。
ヒリヒリと痛む拳をゆっくりと解き、赤くなった指の付け根を摩る。
自業自得とは言え、動かすのが億劫になった手でペンを握ると、私はすぐさま返事を書く準備をした。……怒りで紙に押し付けたペン先が歪みそうだ。
拝啓くそ親父と書き出さなかった私は、まだ冷静であったと思いたい。




