34話
「ギルベルト、手を見せて」
ルイスが空になったお湯を取りに行ってくれると言うので、その申し出を有り難く受ける。ニコラもお手洗いにと、席を離れた。
二人の姿がテラスから見えなくなったタイミングで、私はそっとギルベルトに声をかける。げ、とギルベルトの表情が曇った。
「バレてた?」
怒られる前の子供のような顔で、ギルベルトは先程ルイスと握手した手を差し出す。握った際に爪が刺さったのだろう。小さな赤い傷がその甲を点々と彩っている。血は既に乾いていた。
「大したことないよ。そんな痛くもないし、治癒術をかけてもらうほどでもない」
「それでも傷口は洗っておいた方が良いわ。血も洗い流していらっしゃい」
そうする、と素直に立ち上がるギルベルト。そのまま行くのかと思いきや、彼は少しだけ真面目な顔で私を見つめた。
なんだろう、と視線で問えば、少しだけ言いにくそうなギルベルト。恐る恐る口を開く。
「これ、ルイスにもバレてるかな?」
「……もしそうなら、今頃あの子は首が落ちるんじゃないかってくらい、貴方に頭を下げていると思うわ」
「なら良かった」
ふ、と若草色を和らげて、ギルベルトは今度こそその場を離れた。
誰も居なくなったテラスで、少し大袈裟に肺の中身を吐き出す。姿勢を崩す事はしないが、保っていた外面を剥がすくらい許されるだろう。
目を伏せ、少しだけ思考に耽る。思い出すのは、この世界におけるシュタルク————特に、竜種に関する事柄である。
これまでに何度か触れたが、シュタルクはクルークと異なり、全ての人に魔術刻印があるとされる。その魔力の属性は種族によって偏りが生じており、竜種は主に水の属性を授かる事が多い。
アメリアの先祖が見つけたミーミルの泉があったというのも、竜種の住まう国、アンファングラントの何処か、という話だ。
水に深い縁のある竜種は、ミーミルの泉に近い、清らかな水でないと体の中に吸収される事がない。故に、今のルイスは生まれてから一度も、まともに水分を取っていないのと同じだ。
ゲームの通りなら、あと数年は平気だろう。
しかし、ゲームの通りに彼を救う事が出来ないのは、泉の加護を受けた私が、水の属性魔術である浄化魔術を一切使えない事にある。
ゲームでは、泉の加護を受けたアメリアの浄化した水を飲み、初めて命を繋ぐルイス。そもそも水の属性魔力を持つ魔力持ちが少ない中、泉の加護を受けたアメリアと同等の力を持つ人物がどれだけいるだろうか。
正直、浄化魔術に関してのみならば、彼女はシュタルクを凌ぐ効果を発揮するだろう。主人公補正とはなんと素晴らしい力か。
竜種を生かすだけの清らかな水場を、自然の中で————国内で探す方が早いのかもしれない。
なにしろ、ルイスが抱える問題はそれだけでない。
シュタルクの中で最も古い種族とされる竜種は、シュタルクの中では他の種族からも一目置かれる。最も古く、最も賢く、最も優れた種族————ドラゴンを祖とする者だ、と。
クルーク内ではただの『珍しいシュタルク』で済む話だが、彼の存在がシュタルクに知られれば、きっと彼らは疑問に思う事だろう。
何故、我等の誇る竜の子が、クルークなんかに仕えているのか。
それを調べられたら、十中八九戦争になる。
アンファングラントから攫うようにルイスの母を連れて来たノイマン家の行動は、シュタルクへのこれ以上ない侮辱と取られてしまう。少なくとも、ゲームのシナリオではそうだった。
つまり、彼のために私がしなければならない事は二つ。
ルイスを生かす為の清らかな水を確保する事。そして、戦争を回避する為、ルイスの出自を正しく明らかにする事。
泉の加護が働かない私に、始まった戦争を止める力はない。ならば、その前に手を打たなければ。
いずれも、私一人ではどうにもならない。最低でもルイス本人の協力が必要になるだろう。
ふう、とため息を吐いた時、ニコラが不思議そうな顔で戻って来た。
「あれ? ギルベルトは?」
「少し席を外しているわ。そろそろ……戻って来たわね」
「本当だ。ルイスも来たね」
少し離れたところにある姿を視界に収め、そうね、と頷く。ニコラの目が私を向いた。
そして、そっと顔を寄せて、囁くように言った。
「ありがとう、アメリア」
「何の話かしら?」
「ルイスを連れて来てくれて。……私が嫌な態度取るんじゃないかって心配だったでしょ?」
「いいえ。ニコラもルイスも良い子だもの。互いに素直になれば、大丈夫だと思っていたわ」
「良い子って……子供じゃないんだから」
もう、と口を尖らずニコラにくすりと笑みを漏らす。戻って来たルイスとギルベルトが、どうかしたのか、と話に加わる。
何でもないよ、と言いながら、ルイスの持って来たお湯を受け取ろうとするニコラ。
躊躇うルイスが「俺が淹れますよ」と言い、ニコラが「さっきからルイスが淹れてばっかりじゃん」と口を尖らせる。
「お茶を淹れさせる為に呼んだんじゃないんだから、少しは座ってなよ」
「しかし、」
「お茶を淹れるのが好きなら、今度ディートハルトに好きなだけ淹れてあげて! 今日は! お客さんもするの!」
はい座る、と椅子を引き、着席を促す。狼狽えながらも、はにかみ礼を言うルイスに、ニコラはどういたしまして、と素っ気なく返した。
素直じゃない、と茶化すギルベルトに噛み付くニコラ。
そんな友人たちが可愛らしくて、つい笑みが浮かんでしまう。守らなければ、と強く感じる程、この世界はひどく暖かい。
テラスや温室の使用は、使う前に許可を取り、使用後に終了した旨を指定の紙に記帳する事で管理される。
使用許可などを全てニコラたちに任せてしまった為、後始末は自分がやると引き受けた。
最後までルイスは申し訳なさそうにしていたが、ギルベルトに肩を組まれ、成す術もなく私に見送られる事となった。人に任せる事を、彼は少し学ぶべきだ。
終了時刻と記帳者の名前、その他必要事項を記入し、鍵を包んで、纏めて指定の箱へと入れる。鍵が箱の底を叩く音がしたのを確認し、管理室を出る。
さて、私も帰るか。
荷物を持ち、事務棟を出る。夕食の時間までに余裕があるとはいえ、一部の部活生を除き、校舎付近に生徒は殆ど残っていない時間だ。
人の気配がしない学校というのも馴染みがないな、なんて思いながら歩いていると、ふと人の話し声が聞こえた。
これが普通の語調ならば、部活生か教員かだろうと見向きもしなかっただろう。
しかし、私の耳に届いたのは、どこか声高な女性の声だった。内容までは聞き取れない。しかし、必死さを感じるそれに、私は方向転換した。助けを求める声だとしたら、無視はできない。
結論から言おう。余計なお世話だった。
「何故ですの? 私は貴方をこんなにも愛しているというのに!」
声高に叫ぶ女性は、見覚えこそないが、見るからに良家のお嬢様。まあ、この学園の女性は殆どがそうなのだが、その中でもハイクラスに所属していそうな顔付きをしている。
少なくともモブで終わりそうな顔ではない。アメリア以上のヒロイン顔だ。
そんな彼女がドラマのようなセリフを向けている相手は、こちらに背を向けている為、顔は伺えない。
が、夕陽の明かりを受け、水面のようにキラキラと輝く滑らかな長髪と、しなやかな身体つきがモデルのように美しい。
彼が何かを言ったようだが、彼女に比べ穏やかに話しているのだろう。距離も多少あり、声までは聞こえなかった。
けれどわかる。ベタな修羅場だ。
人一倍長い人生の経験上、この手の話は、事情を知らない部外者が口を挟むと、十中八九話が明後日の方向に拗れるものだ。余程過激な展開を起こしていないようであれば、放っておくのが吉。
よし、関わらないでおこう。
当人同士で良く話し合ってくれたまえ、と心の中でアドバイスをし、私は来た道を戻る。野次馬根性があるわけでもないし、早々に退散しよう。
そう思ったのは、私だけではなかったらしい。
女性との話に区切りを付けたのか、男もまたその場を離れようとしたようだ。
焦る女性の声が、一際大きくその場に響く。
「行かないで! ヴィクトール!」
思わず振り返った。
しかし、男————ヴィクトールは、既に私とは別の方へと歩いて行ってしまったようだ。小さくなる背を見つめ立ち尽くす女性越しに、私も彼の背を見据える。
ヴィクトール。そうか、彼が最後の攻略対象、ヴィクトール=ベルトラムか。
いつの間にか握り締めていた拳をそっと開く。ひんやりとした指先が、微かに震えた。
「できれば、関わり合いたくないのだけど……」
思わず口をついて出た言葉は、誰の耳に届くことなく消える。
しかし、私の願望がどうであれ、彼とのご対面は遅かれ早かれ訪れるだろう。その時まで、多少なりと外面を整えられるようにしておこう、と心に決めた。
日は、だんだんと落ち始めている。




