3話−1
その日は突然やって来た。それも、最悪のタイミングで。
眼前で、突風とも言えるそれはギルベルトの小さな身体を宙に放り投げ、無情にも、無責任にも、そのまま霧散した。
困惑に近い、恐怖の声が彼の小さな口から漏れる。
見開かれた若草色の瞳。助けて、と請われている気がした。
反射的に伸ばした手は、あと数センチ届かない。
「っギルベルト!!!!!」
生まれて初めて、喉が裂けるほどの大声を出した。
足場を蹴り、助けられるはずもない身体を目指す。
しかし、およそ十メートルの高さから落ちる子供を、どうやったら同じただの子供が助けられるというのだろうか。
アメリアなら、助けられるのだろうか。
いや、ここに居たのが本当のアメリアなら、そもそもこんな事にはならなかったかもしれない。
いろんな考えが、一気に頭の中を駆け巡る。
それが、私が初めて魔法を使ってしまった日の出来事。
その日は、いつも何ら変わりのない一日だった。
運命の年を迎え、その三分の二が過ぎようとしていた。魔術に目覚める気配もなく、少しだけ、ほんの僅かではあるが、不安を抱いていた。
アメリアが魔術に目覚めた時のエピソードは、そう深く語られてはいない。七歳の頃、薬でも冷めぬ程の高熱を出したギルベルトに、アメリアが魔術を使い症状を落ち着かせた、という一文で終わる。
いや、ギルベルトが高熱出すとか今まで一度もないから。彼ぴんぴんしてるから。
元気なのは勿論喜ばしいことだが、もしかしてこれ、一生体内に魔力を宿したまま、機会なく終えるのではないだろうか。……まあ、それはそれでいいか。別にお貴族様ルートに入りたいわけでもないし。
そんな事を考えながら日々を過ごしていたある日、子爵邸より父さんに依頼が入った。
ギルベルトの服を新調したいという、子爵夫人の申し出に二つ返事で了承した父さんは、いつも通り私を手伝いに呼び、ヴァイツゼッカー邸を訪れた。
軽い挨拶を夫人と交わし、いくつかデザインを確認して頂く。夫人よりお許しを頂いたものを仕分け、すぐさまギルベルトの採寸へと移った。
父さんの読み上げる数値を私は大人しく記す。
「おや、ギルベルト様。また少し大きくなられましたな」
「本当に? 嬉しいな」
「ええ、袖丈も伸びておりますし、今までのお召し物も少しキツくなってきたのでは?」
「そうかも」
そんな微笑ましい会話を耳にしながら、最後の数字を書き込んだ。確かに彼は全体的に大きくなったようだ。上背はまだ私の方があるけれど、きっと数年後には追い越されてしまうだろう。
その成長に物悲しさを覚えつつ、記録紙を父さんに渡す。それにサッと目を通した彼は、私とギルベルトを交互に見た後、いつものように笑って言った。
「さて、暫し仮縫いに入りますので、ギルベルト様は少しの間アメリアとお待ち頂けますか?」
「わかった。行こう、アメリア」
差し出されたギルベルトの手に自分のものを重ね、じゃあ、と父さんを見上げる。やんわりと微笑んだ父さんは少しだけ困ったような顔をした。心配しなくても、失礼のないように致しますよ。……できるだけ。
まるでお城のように広い子爵邸。そう思ってしまうのは、私が本当のお城に行ったことがないからだろう。家の中なのに迷ってしまいそうだとこぼす私に、ギルベルトは「そう?」と首を傾げた。嫌味か。
いつもはウチが丸々入ってまだ余る程広い庭に出たり、私の部屋とは比べ物にならないくらい品位のあるギルベルトの部屋でお茶をしたりする。
仕事できている以上、本当は私も父さんの手伝いをした方が良いのだろう。しかし、貴族子息らしくない目の前の少年が、身分など関係ないような顔で遊びに誘うものだから、いつの間にかそれが当たり前になってしまった。
いつの間にか離された手をぷらぷらと揺らしながら、先を行く少年の背を見つめる。まだまだ子供らしさを残した、小さな背中。ノリのきいた白シャツの上から皮のサスペンダーがクロスしている。
ふと、思い出してしまった。
「ギルベルトもいつかは大人になるんだね」
なんとなく呟いた言葉に、彼はパッと振り返る。丸い目が更に大きく驚きの表情を浮かべていた。え、なんで。
「……私そんな変なこと言った?」
「いや、その……突然だなって思って」
「それは確かにごめん」
でも、そこまで驚かれると何かやらかしたかと思うじゃないか。まあ、確かに突然だったし、何を当たり前のことを思うかもしれないけど。……あれ、そう考えると、やっぱり私結構変なこと言ったな。言ったわ。
しかし、ギルベルトは呆れた表情を浮かべることなく、私の言葉を待つ。どうかした、と問うような視線を向ける彼に「大した事じゃないんだけど」と前置きをする。
「ギルベルトが大きくなったって聞いて、ちょっと……不安になったのかも」
アメリアと私は別だと、自らに言い聞かせつつも、きっと私はどこかで彼女と同じ道を辿るのだと思っていた。当たり前のように魔力に目覚め、いつかこの町を出て行くのだと。
しかし、現実には、まだその兆候すら現れず、目的地を見失いそうになっている。
魔術が使えないなら使えなくても良いや、と。
それなら父さんの跡を継ぎ、この町で仕立て屋になろう、と。
——そう、言い聞かせてきた。
けれど、やはり私は不安なのだ。周りばかりが当たり前のように筋書きを辿る中、私だけがそこから切り離されている。
ギルベルトが正しく成長しているのに、私は正しくあれているのだろうか。
私が本当のアメリアならば、きっと同じ速度で成長することができたのだろう。私でなく、アメリアならば、と。
どうにもならない感傷を、言葉にできるはずもなく、何も悪くないギルベルトを意図とせず責めてしまった。
それに気付き、再度謝ろうと視線をギルベルトへ向けようとした時——……
「もっと、大きくなるよ」
ふわり、とギルベルトの温かな両手が私の手を包んだ。
数センチ下から見上げてくる黄緑色が、どうしようもなく優しい色をしている。しかし、その口元がどこか勝ち誇っており、なんだか珍しく小憎らしい。
「オレ、男だから。すぐにアメリアより大きくなるよ。アメリアが頼れるような男になるから。だから、楽しみにしててよ」
「……そう、だね。うん、それは楽しみだわ」
きっとギルベルトは私の悩みなんて知らない。私の言葉も、背を抜かれそうになって焦っている幼子のものだとでも思っているのだろう。
気遣いが私の良心を苛む。
私の方が大人であるにも関わらず、子供のギルベルトに気を使わせた。その挙句、彼の心配が的外れなものである事に安堵を覚えている。
なんて、ひどい大人だ。
つまらない自虐に、上手く笑うことができなかったらしい。
私を案ずる顔を浮かべたギルベルトは、突然、何かを思い付いたように目を輝かせた。そして、握ったままの手を引き、悪戯っ子の顔で私の名前を呼ぶ。
「ついて来て、アメリア! 見せたいものがあるんだ」
今までの、エスコートをするような手の引き方とは違うそれに、少しばかりの困惑を覚える。しかし、足は自然とギルベルトの歩調に合わせ、絨毯の敷かれた廊下を駆け出した。
長いので3分割しております。




