31話−2
教室に置きっ放しにした荷物を取りに戻ると、半分予想していた通り、ニコラもギルベルトも談笑しながら教室に残っていた。
あれから短くない時間が経っているというのに、二人共暇なのか、それとも私に対して過保護なのか。……おそらく後者だろうな。
私が教室に入ると、二人は揃って声を上げた。
「アメリア! 良かった、戻って来た。呼び出されたままどこか行っちゃったから、心配してたんだよ」
「探しに行こうかと思ったんだけど、荷物も置いたままだったしな」
どうだった、と問うギルベルトに、私は「心配性ねえ」と苦笑しながら、答える。
私を探していたのはオットーでもデニスでもなくルイスだった事から始め、お礼を言われただけだった事とニコラにも感謝をしていた事、そして、良ければ二人にも紹介したいという事を伝えた。
始めに反応を示したのはギルベルトだった。若草色の瞳を輝かせ、良いんじゃないか、と笑う。
「ヴァイツェンシュタットじゃシュタルクは殆んど見ないし、シュタルクの生活ってどんなのか興味あったんだ。話聞けるかな?」
「どうかしらね。案外私たちとそんなに変わらないかもしれないわよ」
聞けないと思う、と彼の事情を知っている私は心の中で答えつつ、ニコラはどうかしら、ともう一人の友人の顔を窺う。
しかし、そこにあったのは、私の予想に反し、滅多に見ることのない渋い顔だった。
自身を庇うように、両肩を抱き、私たちから僅かに視線を逸らすニコラ。思わず私とギルベルトは笑顔を消した。
「ごめん、私はちょっと……」
嫌かも、とどこか嫌悪感を滲ませ、ニコラがそう言った時だった。
カタリ、と教室の入り口から音がし、思わず振り返る。あ、と声を上げたのは誰だったかわからない。
しかし、その場にいた全員が同じ事を思っただろう。最悪のタイミングだ。
「っ……、あ、アメリア様……あの、俺、」
自身の教室まで荷物を取りに行っていたルイスが、そこに居た。
ルイス、とその名を呼ぶ前に、彼は一瞬だけ悲しそうな顔を浮かべ、すぐに笑みを取り繕った。
「すみません、俺、急用を思い出しまして……今日は失礼致します」
早口でそれだけ残すと、私の言葉も待たずに背を向けた。待って、と廊下に飛び出た私の視界の端で、ルイスは道を外れ、走る彼の靴音だけが残った。
視線を教室に戻すと、ニコラがくしゃりとその顔を歪めた。
「ごめん、アメリアが怒ってるのはわかる。今のは私が悪かった」
ニコラは素直にそう認めた。そうね、と同意をすれば、ニコラは私たちから目を背けたまま、少しだけ身じろいだ。そして「少し頭を冷やしてくる」と、私たちの視線から逃げるように教室を出て行く。
その背を見届けて、ギルベルトは困ったように訊いた。
「どうする?」
「何を?」
「ルイスとニコラ。追うか?」
この状況で追えるわけないだろう、とギルベルトを睨むように見上げれば、彼は黙って肩を竦める。
ニコラの反応は予想外だった。ゲームの中で、アメリアのアドバイザーとして登場する彼女は、いつだってアメリアの選択に対し、肯定的だった。もちろん、彼女がシュタルクであるルイスに好意を抱いた時もだ。
だからこそ、彼女ならルイスとの茶会も喜んで受け入れてくれるだろうと思った。しかし、それは全くの見当違いだった。
「申し訳ないことをしたわ。もっとちゃんと、貴方たちの意見も聞くべきだったわね」
「俺のことは気にしなくていいよ。アメリアの紹介なら、どんな相手だって気にしないさ」
「それもどうなのよ」
自分の意見を持ちなさい、と言えば、彼は「信用してるんだよ」と屈託なく笑う。呆れたものだ。
その日の夜、私は女子寮にあるニコラの部屋を訪ねた。彼女は少し気まずそうであったが、それでも私を招き入れてくれる。
家具や間取りの殆んどは私の部屋と変わらないが、壁や棚のあちこちに、異国情緒溢れる小物が飾られている。馬を模した置物や奇妙な形のタペストリー、得体の知れない人形。いずれも、貿易相を営む父からの贈り物だろう。
ニコラが二組のカップをお盆に乗せ、戻ってきた。差し出される一対を受け取る。
「ありがとう。いい香りね」
「実家から送られてきたの。口に合うといいんだけど」
この気持ちを穏やかにさせてくれる香りは、ジャスミン茶だ。コーネンプレッツェルではハーブティーか紅茶が主流なため、ジャスミン茶は殆んど口にする機会がない。
嬉しいわ、と答えれば、ニコラは照れくさそうに笑った。
「今日はごめんなさい。貴女を不快にさせる気はなかったの」
しばらくお茶を楽しんだ後、私はそう切り出した。ぴくり、とカップを持つニコラの手が揺れる。
「どうしてアメリアが謝るの?」
「貴女たちの意見を聞いてから、ルイスを誘うべきだったわ」
だからごめんなさい、と重ねれば、ニコラは鼻の上に皺をつくる。唇を引き結び、言葉を探すように視線を彷徨わせている。
ややあって、ニコラが「あのね」と言葉を紡ぎ始めた。
「昔の話なんだけど、してもいいかな」
「ええ、もちろん」
ただの思い出話ではないだろう。きっと、今日ニコラがルイスに向けて発した言葉————それにまつわる話だ。
もちろん、私たちはニコラが悪意だけで、あの言葉を発したのではないと理解している。だからこそ、ニコラもまた、自分の話を聞いてもらいたいのだろう。
私はカップを置いて、姿勢を正した。
「私の家って、貿易商でしょ。だから、重い積み荷を運ぶ時、シュタルクの人たちにお願いすることがあるわけ」
一般的に、シュタルクはクルークより力に優れる。体の使い方を、クルークよりも熟知していると言う方が正しいのかもしれない。
人口のほとんどがクルークとはいえ、コーネンプレッツェルに出稼ぎに来ているシュタルクもおり、彼らは自身の特性に合った仕事に就く事が多い。
ニコラの知るシュタルクもそういう人たちなのだろう。
「仕事は良いんだけどさ。なんか、態度がね。……クルークが全員シュタルクを見下してるって思われてるみたいで、すぐに難癖つけてくるんだよ」
「それは、随分な偏見ね。でも、」
「わかってる。私も同じ事をした。シュタルクってだけで、みんながみんな、そうじゃないってわかってる」
わかってるんだけど、と目を伏せるニコラ。カップを包むニコラの手に力が入り、中身が波立った。
誰に対しても明るく優しい彼女ですら、こうしてシュタルクとの間には溝がある。それを理解できない私は、やはりこの世界に生きながらこの世界の人間ではないと思い知らされた。
言葉を探す私に、ニコラが「むしろさ」とどこか不貞腐れたように続けた。
「私からすれば、アメリアやギルベルトの方がおかしいんだよ。なんで、そうやって普通に受け入れられるの?」
「なんでって訊かれても……だって、彼らだって同じ人間でしょう? 同じ社会の中で暮らして、秩序と文化を持った、二足歩行の生き物だもの。人権だって認められてるし」
「誰がそんな『人の定義』の話をしてるかね」
呆れたようなニコラが「私が言ってるのは、感情の話」と語気を強める。
「怖くないの? 同じ人間だって言ったって、全然違うんだよ?」
いつもなら、身を乗り出すように尋ねていただろう。しかし、珍しく本気で悩んでいるらしい彼女は、腰を引き、俯いていた。猫のような悪戯っぽい目は、こちらを見ていない。
ああ、これは本音で話さなければいけないようだ。
「もちろん、怖いわよ」
私のあっけらかんとした声に、ニコラが戸惑うような声を上げた。しかし、口を挟まれる前に、私は「でもね」と言葉を続ける。
「それはシュタルクだからじゃない。相手が誰であれ、よく知らない相手と話すから怖いのよ」
「……そ、それはそうかもだけど、そういう話でもなくて、」
「いいえ、そういう話よ。だって、初めてニコラと話した時もそうだもの。私は偏屈で面白みのない人間だから、明るくて社交的な貴女を退屈させないかしらって、不安だったわ」
ニコラが良い子なのは知っている。ゲームを通じ、知っていた。
だが、それはあくまで相手がアメリアだからだ。善良で、明朗な相手だからこそ、ニコラの親愛を引き出せていた。
なら、私は? 頑固で説教臭く、短気で面白い話なんて一つもできない私なら?
画面の向こうで見た、愛らしい笑顔は向けてもらえないかもしれない。それどころか、一言目で拒絶をされるかもしれない。
初めてニコラに話しかけた時、そんな恐怖がなかったと言ったら嘘になる。
そして、その恐怖は今もなお消えない。私は————アメリアではない私は、いつ彼女たちに愛想を尽かされてもおかしくないのだから。
「もし、初めてニコラに声をかけた時『二度と話しかけないで』なんて言われたら、きっと立ち直れなかったわ」
「そんなこと言わないよっ!」
「ええ。今ならそれもわかるわ」
仲良くなったもの、と付け足せば、反射的に顔を上げていたニコラはぐっと言葉を飲み込んだ。
人と関わるということは、いつだって恐怖の連続だ。
目の前の人間が必ずしも善良な人間であるとは限らない。自分の言動が、知らぬ間に相手を傷付けているかもしれない。そんな不安が常に付きまとう。それはクルークもシュタルクも同じだ。
だからこそ、私たちは知らなければならない。相手がどんな人間で、どんな考え方、感じ方をする人間なのか。どう伝えれば、どう接すれば、自分たちはお互いに歪み合うことなく接することができるのか。
そうして一歩一歩近づいていくこと————人はそれを『歩み寄り』と言う。
「ねえ、ニコラ。もし、貴女が本当に嫌なら、それでもいいわ。みんなでのお茶会は諦める」
指先が白くなるほど、カップを強く握るニコラ。その手にそっと触れる。
「友達の友達だからといって、無理に仲良くなる必要はないし、好きになる必要もない。貴女には貴女の価値観があるんだもの。全部が全部、私と同じである必要はないわ」
「……なにそれ、そんなのズルいよ。アタシだけ悪いヤツみたいじゃん」
「そんなことないわよ。私だって嫌いな人や苦手な人はいるし。そういう人を自ら避けようとすることは、トラブルを避けようとする行為だもの。悪いことじゃないわ」
今回のことは、言い方やタイミングが悪かっただけだ。ニコラにだけ原因があるわけじゃない。そもそも、相手の許可を得ずに誘ってしまった私にだって問題がある。
でもね、と私はニコラの手を握る。彼女の手が、ゆっくりとカップから離れた。
「私はこれからもルイスと関わり続けるわ。だって、私はあの子とも仲良くなりたいのだもの。ルイスもニコラも、私の友達であることは変わらない」
ニコラに言ったように、『友達の友達は友達』だとは思わない。それと同じで、友達が私の他の友達を避けようと、私はその子を避けるつもりはない。
みんなで仲良くできれば良いけれど、できないなら、個別に親しくあれば良いだけだ。私はニコラが好きだし、ルイスも好きだ。二人とも大事な友人で、避ける理由も嫌う理由もない。
だから、もしニコラがどうしてもルイスと仲良くできないのなら、それはもう私が口を挟む話ではない。それは、ニコラが決める事だ。
再び手元に落とされていた視線がゆっくりと私を一瞥し、それからポツリと落とすように言った。
「……アタシ、オットーたちと同じこと……したんだね」
自嘲気味な声に、私は迷わず反論する。
「あれとこれとは話が違うでしょう」
「同じだよ。オットーたちは行動で傷付けて、アタシは言葉で傷付けた」
おんなじだ、と俯くニコラ。
彼女の中に渦巻く二つの感情。シュタルクへの複雑な思いは、彼女だけが抱くものではないのだろう。きっと、この世界に生きる人の多くが、胸の内に秘めている。これはもう、私がどう言っても変わらない。
黙り込むニコラ。これ以上の言葉は、彼女の思考を邪魔するだけだろう。言いたいことは言い終えたし、夜もいい時間だ。
部屋に戻ることを告げようと、彼女の名前を呼ぼうとした。その時だった。ニコラがバッと伏せていた顔を上げる。
「ねえ、アメリア。ルイスは、もうアタシのこと嫌いになっちゃったかな?」
どこか試すような、甘えた視線。葡萄色の瞳は潤んでおり、目の周りが少しだけ赤かった。しかし、涙だけは溢すまいと懸命に眉根を寄せるニコラは、とてもいじらしく見える。
ニコラの視線は、もう逸らされない。
私は離しかけたニコラの手を、しっかりと握り直す。
「それは、ルイスにしかわからないわ」
「……イジワル。そこは嘘でも『そんなことないよ』って言うところだよ」
「ごめんなさいね。私、嘘がつけない性格なの」
小さく笑うと、それはそう、と真顔で返され、肩を竦める。自分から言ったことだが、地味に傷付いた。
しかし、まあ、いいや。私の心配をよそに、ニコラは自分の気持ちに白黒をはっきりとつけたようだ。その証拠に、彼女はすっかりいつも通りだ。
ニコラが「お願いがあるんだけど」と話を切り出し、私は小さく頷いた。
「アタシ、ルイスとちゃんと話してみたい」
「わかったわ。明日、もう一度ルイスを誘ってお茶にしましょう」
「……来て、くれるかな」
「大丈夫、連れて来るわ」
任せて、と言えば、ニコラはようやく「頼もしい」といつものように笑みを浮かべ、私の手を握り返してきた。




