31話−1
朝、教室に入るとざわりと音を立てて、数え切れない数の目がこちらを向いた。
「ご、機嫌よ、う……?」
騒つく教室に、思わずたじろぐ。困惑していると、いつもの二人が真っ青な顔で駆け寄って来た。怖い怖い怖い!
「呑気に挨拶してる場合じゃないよ、アメリア!」
「ニコラ……おはよう」
「おはよう! もう! そうじゃなくて!」
ああもう、と声を荒げるニコラを横目にギルベルトへ朝の挨拶をすれば、彼も挨拶を返しながら、続けてこの奇妙な朝の様子を説明してくれる。
「昨日、オレたちが帰った後、ノイマン家の使用人が訪ねて来たらしい」
「あらまあ」
「絶対、一昨日の事だよっ……意趣返しに来たんだよ!」
「アメリアの居場所を訪ねて、残ってた奴が知らないって言ったらすごく怖い顔で帰って行ったらしい」
「オットーかな、それともデニス? 後は……ああ、名前わかんないけど!」
落ち着こうぜニコラ、とギルベルトが彼女の肩を叩く。唸りながら、深呼吸を一つしたニコラは私の肩をがしりと掴むとやけに険しい顔を向ける。
「変な呼び出しの手紙とか、そういうのについて行ったりしたら駄目だからね。ちゃんと何かあったら相談してよ」
「わ、かったわ……あの、ニコラ、ちょっと怖いわ」
「ごめん、だけど……流石に公爵家に恨まれるのは私もちょっと焦る」
「爵位はともかく、確かに人に恨まれるのは怖いわよね。……何されるかわからないし、出来るだけ今日は三人で行動して貰っても良いかしら」
仲が良いとはいえ、それぞれの都合もあり別行動も珍しくない。ニコラとギルベルトの様子を伺えば、二人は当然だと言うように力強く頷いてくれる。ほっと安堵の息を吐く。ギルベルトの眉が心配そうに落ちた。
「ディートハルトに相談するか?」
「良いわよ。別にまだ何かされたわけじゃないし、改心したって報告かもしれないわ」
「そんな訳ないだろ」
「でしょうけどね」
くすりと笑えば、ギルベルトもつられて口許を緩めてくれた。ニコラは未だ蒼白い顔で「笑い事じゃないのに」と眉を寄せる。
よしよし、と落ち着かせるようにその背を摩れば、ニコラはギュッと私の手を握り締めた。この歳の女の子にしてはスキンシップの少ない私たちだけれど、やはり不安な時は人肌を求めるものらしい。緊張で冷たくなったニコラを手を、やはり暖かくない私の手で包んだ。
大丈夫。いざとなったら、魔術で窓の外に放り出してやれば良い。そう、自分を奮い立たせた。
しかし、私たちの不安に反し、その日は何事もなく終わった。
それから数日、特別身構える必要もなかったねと笑い話になりそうな頃だった。
不意に彼は現れた。
「アメリア……貴女にお客様よ」
どこか怯えたような、不安そうな顔でクラスメイトがそう声を掛けてくれた。お礼を言いながら、その怯え具合に疑問を抱いた私に、ニコラが「もしかして」と同じく顔を蒼くさせる。
「ノイマン家の従者クラスの子?」
「え、ええ……ごめんなさい、ちゃんと確認した訳じゃないの。けれど、獅子の紋章を付けていたわ」
サッと私も血の気を引かせた。私はこれで、と足早に友人たちの元へ向かう彼女に再度お礼を述べ、私は覚悟を決める。ニコラが私の腕を掴んだ。ギルベルトも自分の席から立ち上がり、こちらにやって来る。
「大丈夫。行って来るわ」
「顔色が大丈夫じゃないよ、アメリア」
「オレが行こうか?」
大丈夫、と繰り返し、気持ちを切り替える。まだ用件は聞いていない。相手は子ども。いざとなれば暴力も辞さない。よし、オッケー。
深呼吸をして、クラスメイトに示された入口へと足を運んだ。
そして、思わず「あ」と間抜けな声を落としてしまった。
私の姿に深々と頭を下げたのは、ルイス=エーレンフェスト————シュタルクの中で最も珍しいとされる竜種の少年だった。
「急にお呼び立てをしてしまい、誠に申し訳御座いません。改めまして、ノイマン公爵家にお仕えさせて頂いております、ルイスと申します」
私の顔を上げて、という言葉に一旦従ったルイスだが、すぐに再び頭を下げて上記のような挨拶をした。体を起こしたルイスは、デフォルトであるハの字眉の下で、爬虫類のような黄金色の目を少しだけ細めた。
「先日お助け頂いた件でお礼を申し上げたく参りました。本当はもっと早く来るべきだったのですが……その、」
色々ありまして、と口籠るルイス。何か言おうと口を開いたところで、彼は一度外した視線をこちらに戻し、少しだけ声量を上げて言った。
「これから少しだけ、お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
酷く申し訳無さそうな彼の顔。しかし、見慣れぬクラスメイトたちには、まるで蛇が獲物を狙うかのような目に見えた事だろう。成る程……怖い顔で帰って行った、と言うのは勘違いであったか。
内心安堵しながら、私は「ええ、構わないわ」と微笑む。ルイスの顔が一瞬驚きの色を浮かべ、すぐにふわりと解けた。
「ありがとう御座います。……あの、ご足労をお掛けしてしまいますが、移動をしても?」
決して廊下を覗くようなはしたない真似をする人たちではないが、聞き耳くらいは立てられているかもしれない。人の、向けられた好奇心の気配が好かないのだろう。了承の意を示せば、ルイスは少しだけ破顔する。ゆるりと揺れた竜の尾が、まるで振られた犬の尻尾のようだった。
ルイスは、先述の通り五人目の攻略対象人物だ。唯一のシュタルクで、彼のルートはディートハルトとローラントを攻略しないと現れない。
ディートハルトとルイスのルートは、表裏一体の話になっており、ディートハルトルートでも、登場こそしないものの、その存在を主張している。
立ち絵ではそう気にならなかったものの、こうして現実のものとなると、彼の外見の異質さが浮き彫りになる。
肌に生えた鱗、人とは違う物質で作られているような硬い爪、トカゲのそれを大きくしたような太い尾も勿論だが、何より爬虫類に似た縦長の瞳孔が、人によっては恐ろしく思えるのではないだろうか。
見つめ過ぎていたのかもしれない。目が合うと、彼は少し困ったように視線を彷徨わせた。
私たちは人の目が気にならない場まで移動した。そして、突然足を止めたルイスは、再度こちらを向くと深々と頭を下げた。
「改めまして、先日はありがとう御座いました。私自身の不甲斐なさ故に招いた事態だと言うのに……その、お気遣いをして頂いて、」
申し訳なくもあります、と次第に消えそうになる声に、私は少しだけ眉を落とす。頭の中を過ぎるのは、ギルベルトとの会話。
私のした事は、彼とその主人に迷惑をかけていなかっただろうか。
私の振り翳した正義が空回りするのは良い。恥をかくのは私だけだ。
しかし、それが他者に迷惑を掛けているのならば、私は自身を顧みる必要がある。あの時もう少し考えてみると言ったギルベルトへの答えは、私の中にまだない。
ルイスの言葉に、小さく「いいえ」と返す。
「気にしないで。私こそ、もっと上手に助けられたなら良かったのだけど」
「そんな事ないです! アメリア様のお陰で俺はっ……あ、……っ!」
パッと鋭い爪の生えた手で、ルイスは自身の口を抑える。白い地肌がパッと色付いた。え、なに。
困惑する私を他所に、彼は赤らいだ頬を隠すように「すみません!」とくせ毛を浮かして頭を下げた。
「な、馴れ馴れしくご令嬢のお名前を呼ぶなんて、失礼致しました! お名前を忘れないようにと復唱していた為、つい口をついてしまって……!」
なんだ、そんな事か。
攻略対象人物が頬を染めるものだから、なんか変なイベントフラグを立ててしまったのかと思った。
「顔を上げて、ルイス。気にしてないわ。むしろ、貴方は別に私に仕えているわけではないのだから、もっと気を抜いて良いくらいよ?」
「そういうわけにはまいりません! 俺、いや、私は、使用人でっ……シュタルク、ですから……」
泣きそうな、耐えるような声に、アメリアだったらなんと答えただろうか。
私より背が高いはずのルイスが、体を小さく縮こませる。
シュタルクでありながら、彼はシュタルクとしての生活を知らない。彼の母親は、彼を身篭ったままこのコーネンプレッツェルに来た。
ノイマン家で彼を生み、程なくして彼女は亡くなった。未だこの国では明かされていない、竜種固有の生態故に、彼女は水分不足で亡くなった。
その話はまたにするとして、ともかくだ。
そんな出自を持つ彼であるにも関わらず、シュタルクとしての差別は容赦無く向けられる。あんな言葉を口にさせてしまう程に。
手を伸ばし、下げられた分だけ低くなった頭に触れる。よしよし、と子どもを慰めるように髪を梳けば、ルイスは酷く動揺した。
「っ……! な、何をっ!?」
「あら、馴れ馴れしかったかしら?」
手を退ければ、ルイスは僅かに顔を上げ、驚きの表情で目を瞬いた。いえ、と口籠る彼に、私も少しだけ苦笑する。
「ごめんなさい。無遠慮だったわね。けれど、これでおあいこになったかしら」
私の言葉に、ルイスは戸惑い、口を開けたり閉じたりを繰り返し、結局言葉が見つからなかったのか、静かに首を横に振った。
もしかして不快にさせ過ぎてしまっただろうか。そう思ったが、どうやらそれは杞憂だったようで、ルイスははにかむように笑ってくれた。
「……ありがとう、ございます。……その、アメリア様とお呼びしても?」
「ええ、貴方が話しやすいようにして頂戴。私のことも、貴方のこともね」
本当は様付けも要らないのだけれど、そこまで言ってしまえば、それは善意の押し付けになってしまう。話し慣れれば、ルイスが対等だと感じたなら、その時はきっと外してくれるだろうと信じ、私は改めてルイスと目を合わせる。
「私は、もしかしたらありがた迷惑だったのかも、と悩んでいたの。けれど、貴方が助かったと言ってくれるのなら、良かったわ。お礼を言いに来てくれてありがとう」
「そんな……お礼を言うのは俺の方です」
ありがとうございました、と何度目になるかわからないお礼を言い終えたルイスは、一度目を伏せ、そして「アメリア様は、」と何かを言いかけた。
しかし、すぐに彼は口を閉ざす。
「すみません。……本日は、お時間を頂き誠にありがとうございました」
「……宜しいの?」
一瞬口籠もり、ルイスは少しだけ視線を落とした。しかし、すぐに「はい」と控えめに微笑む。
何か言いたい事を飲み込んでいるのは確かだが、それを話さないと彼が決めたのなら、私は大人しくそれに従おう。しかし、話す機会はできるだけ多い方が良いだろう。
それでは、と一礼して去ろうとするルイスを「ちょっと待って」と呼び止める。きょとりと黄金色の目が瞬いた。
「貴方、これから何かご予定は?」
「い、いえ……部屋に戻って、ディートハルト様の明日の予定を確認しようかと」
「そう。なら、今から少し時間を頂いても良いかしら?」
はい、とゆっくり頷いた彼に、私はできるだけ優しく目を細める。
「私、貴方と友達になりたいの。お茶をするには少し遅い時間だけれど、少しくらいならお夕飯前にお菓子を摘んでも許されるわよね?」
どうかしら、と問えば、ルイスは目に見えて慌てる。忙しなく動く目が、まるでどこかに書いてある答えを探すように回り、結局元の位置に戻る。地面を見つめ、右に左にと揺れ、最後に私をおずおずと視界に収めた。
「お、友達、ですか」
「迷惑かしら」
「いえ! まったく! そんな事はないです! ただ、その……恐れ多いと申しますか……俺は、」
シュタルクですから、と言おうとした口の動きを察し、私は「ルイス」と彼の名を呼んだ。言葉を遮るなんてはしたないことだが、それ以上に私は『その言葉』を彼に言わせたくなかった。
しかし、思いの外彼を責めているような声が出てしまい、慌てて喉を鳴らす。違う、私は彼を責めたいのではない。
私はただ、
「貴方の気持ちを聞きたいの。貴方は、私と話すのが嫌?」
ずるい聞き方かもしれない。返ってくる言葉を知っていながら問うのは、決して褒められた事ではないだろう。
けれど、ルイスはそれを責める事もなく、少しだけ目を伏せ、すぐに月白の角にくせ毛を絡めるよう首を横に振った。
「いいえ。俺は、……俺は、アメリア様と……もっとお話ししたいです」
ご迷惑でなければ、と恥ずかしそうに指先で服の裾を弄るルイス。乙女のような恥じらい方をするな、と内心微笑ましく思いながら、私はやんわり目を細めた。
「迷惑だったら誘ったりしないわ」
子供のように頷くルイス。ニコラとギルベルトを誘っても良いかと訊ねると、彼はおどおどとしながらも了承の意を示す。それどころか、先日の際にニコラも共に居た事を思い出し、慌てて彼女にも礼を述べねばと慌てだした。
私が落ち着くよう促すのが一歩遅れたせいで、段差を踏み外した彼が盛大に転ぶのは、まるでコントのようだった。




