27話
アドルフが入学したからといって、私の日常はそう変わらなかった。
エルフリーデのところに通っては追い返され、時々ギルベルトやニコラとお茶会をする。魔術に関して質問をしに行き、ローラントに面倒臭いといった顔をされ、使えもしない魔術の詠唱を覚える。
そこに『時々廊下ですれ違うアドルフに嫌味を言われる』と『嫌がるアドルフをお茶会に誘う』を追加したのが、二年次から三年次の話。
勿論、人間関係にも学力面でも微々たる変化はある。けれど、特記するほどのことではない。すべて、日常の延長線上の話だ。
よって、話は第四学年————私が十三になった年の話へ移ろう。
魔術の授業で使った別館の教室から、ニコラと共に本館へと戻っている最中だった。
「今日の放課後は何をしようか」
そう笑う彼女の向こうに、見慣れぬ制服の生徒がひと塊りになっているのが見えた。
ベージュが基調となっている通常の制服と違い、シンプルなモノトーンで纏められたそれは、従者クラスのものだ。
学園における生徒は、本来、前述の通り貴族子息、あるいは刻印のある十から十七歳の子供だ。
しかし、伯爵位以上の家に属する生徒は、身の回りの世話をする従者を付ける事ができる。
従者の年齢制限は特にないが、大体の生徒は同じ年頃の子供を連れる。というのも、学園内で大人の従者を連れていると、周囲から自立の出来ていない子供、という認識を持たれる風潮にあるからだ。
本生徒たちが授業を受ける間、従者たちは待ちの時間となる。その時間を、年若で、見習いである事の多い従者たちは、付き人としての作法や礼儀を学ぶ時間として使っていた。それが、従者クラスの始まりらしい。
彼らはあくまで主人の学園生活をより良くする為だけに来ている。
そのせいか、あまり彼ら同士で固まる事はなく、授業終了の合図を待たずして、主人の荷物を受け取りに来る。
私としてはあまり自分の学習用品を人に預けたくはないのだが、そこは根っからの貴族と庶民上がりとの差だろう。
それは、ともかく————そんな彼らが、授業が終わったにも関わらず、草陰の向こうで何をしているのだろうか。
その疑問は、植木の合間からチラリと見えた角によって解消される。
「そこで何をしているのかしら」
渡り廊下の解放部から外に出て、彼らに近付く。己の声に、僅かばかりの怒気が含まれてしまった事は申し訳なく思う。
けれど、仕方ない。
だって、これは画面越しにですら腹立たしかったのだから。ニコラの止める声が聞こえたが、それも視線で黙らせる。
顔を上げた数人の男子生徒。三人共それなりに整った顔立ちをしているが、そんな事はどうでも良い。問題なのは、彼らが囲うように立つ中心に、一人の少年がいる事だ。
彼らの胸元で、ライオンを象ったピンバッジがキラリと光る。あの紋章はどこの家だっただろうか。
返答がないので、私は「聞こえなかったかしら」と語調をそのままに問い直す。
「何をしているの、と聞いたのよ」
「……聞こえていますよ、フロインライン・フォーゲル」
「あら、従者クラスには伝わっていないのかしら。ここでは実年齢に関係なく、一人前の大人として扱うように、と言われているはずだわ」
苦虫を噛み潰したように、一番最初に声を発した彼は「失礼致しました、フラウ・フォーゲル」と呼び直す。
しかし、私の怒りはそこでは無い。頷き一つでその訂正を受け入れ、彼らの足元————涙で頬を濡らした、一風変わった姿の少年を見る。
爬虫類を思わせる黄金色の目が、呆気に取られたように見開かれている。白い肌の所々を鱗が覆い、彼の尻と共に地に付けられた手は、鋭い鉤のような爪がある。クセの強い白銀の長い髪。その間から覗く、月の光を思わせる白色の角が二本、彼をより不可思議な存在に見せる。
私からは先の方しか見えないが、きっと腰のあたりから生えているのだろう。トカゲを思わせる、逞しい尾が弧を描いて地に横たわっていた。
竜種と呼ばれる、シュタルクだ。
彼は自然に転げたとは思えない不自然な形で座り込んでいる。
小さな舌打ちが聞こえた。視線を向ければ、少年たちは揃って視線を外す。その中でも体格の良い——おそらく一番歳上なのであろう——子が面倒臭そうに首筋をかき、嘘臭い笑みを貼り付けた。
「別に、ただの躾ですよ。ウチの下男が余りにも不手際が多いので、叱責していたところなんです。お見苦しいところを見せてしまいましたね」
「そうね。集団で一人を囲んで蹴り付けるのは、躾でなく虐めだわ」
「俺たちが彼を虐めていると? ……勝手な憶測で人様の家の方針に口を挟むとは、フォーゲル家の令嬢も随分と行儀が良いのですね」
口角を上げ、蔑むようにこちらを見る少年。眉を顰め「嫌味は結構よ」と軽口を終わらせる。
不快そうに年長の少年が口を閉じる。入れ替わるように、その後ろから声変わりも済んでいない年若な子が、生意気そうな口調で話し出した。
「それで? フラウ・フォーゲルは、俺たちに言いがかりを付けに来たんですか?」
「貴方たち、彼を蹴り付けていたでしょう。躾にしては、少しやり過ぎではないかしら」
「フォーゲル家は、随分と下々の者にお優しいのですね。それとも、シュタルクが珍しいから、可愛がりたいのでしょうか」
「生憎ね。数こそ少ないけれど、フンベルクにもシュタルクの働き手は存在するわ。皆、心穏やかに————人の尊厳を傷付けられる事なく過ごしているわ」
あからさまな嫌味に、少年の丸い顔がパッと色付く。ニコラが制止するように、私の袖を掴んだ。視線をやれば、少しだけ蒼い顔をした彼女が小さく首を横に振った。
「ノイマン家の使用人だよ。今更だけど、揉めると後が怖いって」
ひそ、と身を寄せて囁くニコラ。けれど、どうやらそれは彼らにも聞こえていたようだ。どこか勝ち誇ったような笑みで笑う。
そうね、と頷く。彼らの笑みが深まり、ニコラがほっと息を吐いた。
確かに、彼らと揉めると色々面倒だろう。
……だから、どうしたというのだ。
「ノイマン公爵家に仕える事を、誇りに思っているのね。なのに、貴方たちは自身の愚かさを、自ら晒すんだわ」
「ちょっ……アメリア!」
「同じ立場の者に対し、虐げる事でしか己の有意差を示せないのなら、それは自身の無能さを主張するのと同じだわ。そんな使用人を連れなければならないヘア・ノイマンを、私は憐れむべきかしら?」
「っ……! 言わせておけばっ」
止めるニコラと、止まらない私。カッとなった少年が、私の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした時だった。
「そこで、何をしている」
私と同じセリフ、しかし、彼らにとってはより制止力の強い声が、その空間に届いた。
少年の手が止まり、体を大きく震わせる。つり上がった眉が、途端に力を無くす。
「あっ……でぃ、ディートハルト様……」
名前を呼ばれ、彼らの主人————ディートハルトは、鋭い空色の目を向ける。睨まれた少年を除き、他の少年たちは姿勢を正した。
先程までポカンと私たちを仰ぎ見ていたシュタルクの子さえ、立ち上がり頭を下げる。
視界の端で、ニコラが「あーあ……」と落胆した声を漏らした。




