24話
暖かな陽射しが柔らかく入り込む、静かな温室。
貸し切ったわけでもないだろうに、その部屋には誰も近寄らない。
当然だろう。次期王妃候補とされるエルフリーデ嬢が、まるで自分の部屋だとでも言うように、授業の合間とその終わりにティータイムを楽しんでいるのだから。
彼女の給仕は、主に彼女が連れてきたのであろう従者か、彼女のお家と美しさに惹かれたその取り巻きが行なっている。今日は静かなので、おそらく従者たちの方だろう。
無遠慮に扉を開けると同時に、締め切った室内に風が入る。バランス良く植えられた美しい草花が、さらさらと揺れた。一際強い香りを放つのは、ギンコウボクだろうか。『高価な美しさ』という花言葉を持つ花の匂いを楽しみながら、その奥に座る気品溢れるミルクティ色の少女を見つける。
「ご機嫌よう、フラウ・ヴェルナー」
蜂蜜色が覗くタイミングで、私はつい、とスカートを摘む。膝下丈のスカートが私の手を離れると同時に、エルフリーデも「ご機嫌よう、フラウ・フォーゲル」と微笑んだ。
「また来ましたのね」
「ええ、お答えが頂けるまで何度でも」
「あら、どれに対する返答かしら?」
「そうね……まずは『どうして私がヴァイツェンシュタット出身だと知ったのか』という問いに、答えて貰えるかしら」
くす、とエルフリーデは笑うと、注がれたばかりのカップに桜色の唇をつける。細かい睫毛が陽の光に透け、紅茶の立てる湯気に隠れた。
彼女はこうしていつも言葉を誤魔化す。そして、私はいつもそれを見ているだけだ。
「同じ問いばかり……退屈だわ」
珍しく、エルフリーデがそう漏らした。
笑顔を絶やさず、彼女はカップをソーサーに戻す。女の私でもドキリとするような上目遣いで、彼女は私を見上げた。
「引き際を弁えない行動は、家の名前に傷を付けるのではなくて?」
「あら、騎士の名門の御息女に立ち向かって付いた傷なら、それは誉れ傷ではなくて?」
「まあ、それは……ふふ、上手いことを言いますわね」
くすくすと笑うエルフリーデ。なんだか急に機嫌が良くなったようだ。
軽いアイコンタクトを、一番近くにいた従者にすると、彼は無言で頭を下げる。そして、エルフリーデと向かい合うように——つまり、私のすぐ目の前に椅子を用意した。
驚いた。こんな対応、初めてのことだ。
驚きで固まる私に、エルフリーデが視線で椅子を指し示す。
「お掛けなさい、フラウ・フォーゲル。紅茶一杯分なら、貴女とのお喋りを楽しんで差し上げますわ」
「……そこは、質問に答えて、と言って頂きたいところね」
コポコポと注がれる紅茶の音を聞きながら、私は躊躇なく椅子の背を引いた。せっかくのチャンスだ。紅茶一杯分のその猶予、無駄なく使いましょうか。
「さて、早速だけれど、質問に答えて頂けるかしら?」
「ふふ、せっかちね。お茶を勧めたのは間違いだったかしら」
喉が潤って舌の滑りがさらに良くなりそうだものね、と目を細めるエルフリーデ。余計なお世話だ。
じ、と視線で話を促せば、彼女は小さく肩を竦める。話す気があるのか無いのか、全く読めない様子だ。
「フラウ・ヴェルナー」
威圧するように、低くその名を呼べば、彼女はくすりと笑いを漏らす。仕方ない、といった様子でエルフリーデは答えた。
「風の噂、かしらね」
「嘘は感心しないわ。貴女に風読みの魔術は使えない筈よ」
風の噂。私が元いた世界では、風の便りの誤用で、人の噂話という意味で使われていたけれど、この世界では違う。
人が話す言葉を風に乗せて拾い集める諜報系の魔術『風読み』の別称である。
「貴女の魔力は地の属性でしょう? 嘘はやめて頂戴」
「あら、貴女こそどうして知っているのかしら? 私が地の属性魔力を持つと」
ぐっと眉間にシワが寄る。しまった、間違えた。そんな言葉が自分の中にじんわりと広がる。
自分が周囲の人間について知っていることが当たり前だったため、つい口にしてしまった。しかし、エルフリーデがアメリアについて知っていることがおかしいように、私が彼女について詳しいことも不自然だ。特に、魔術刻印に関しては。
二の句の告げない私に、エルフリーデはくすり、と笑みを浮かべた。
「そう……貴女、風属性なの。風読みの魔術を使ったのね」
使っていない。使わずとも知っていた。けれど、そう答えるわけにはいかず、私は沈黙を貫く。少なくとも、属性自体はその通りだからだ。
学園での魔術に関する授業は、当然理論だけでなく実際に魔術を展開する授業もある。
けれど、刻印の属性を知られるということは、その弱点を知られる事にも繋がる危険性が高い。そのため、原則として魔力持ちは己の属性を他者に語らない。たまに友人同士で明かし合う事もあるが、いつ、どの家が敵に回るかわからない貴族なら隠すのが定石だ。
故に、実技授業とは名ばかりで、その実情はほぼ個人学習に等しい。配られる教本には全ての属性の魔術が載っており、各々が自らに必要だと思う魔術を学ぶ。わからないことがあれば、担当教諭に問い、指導を受ける。つまり、魔術の学習は担当教諭とマンツーマンだ。
それ故に、知ろうとしなければ、私たちは互いの魔力の属性を知らない。知らないまま、学園を卒業するのだ。
だというのに………私はエルフリーデの情報を探ろうとした結果、自らの弱点を晒してしまった。
「……そう警戒をなさらないで。別に、今すぐ貴女を害すというわけではないのだから」
「けれど、その日が来ないという保証も無いわ」
「ええ。けれど、対策を練る猶予はあるでしょう?」
魔力の属性的には、エルフリーデの地に対して私の風は優位に働く。けれど、それが何だと言うのだ。彼女の言うとおり、対策があれば属性の有意差など容易く翻る。あくまで、魔術以外の対策を練れば、の話だが。
「にしても、風ね」
「……何か問題でも?」
「いいえ? 少し意外だっただけだわ。鳥の名に恥じぬ属性ね」
エルフリーデの表情からその心情は読めない。だから厄介なのだ。
何を知っていて、何を知らないのかが、さっぱりわからない。故に、何を話して、何を閉ざすべきかもわからなくなる。
彼女の一貫したその態度が、さっきのように不要な情報を与えてしまうことに繋がっているのだ。
探るような目を向けながら、徐々に減るカップの中身を測る。タイムアップもそう遠くはないだろう。
「フラウ・ヴェルナー。貴女は、私の属性を何だと予測していたのかしら」
「あら、その問いに何か意味があって?」
「……ただの雑談よ。いつもの問いには答えて貰えそうにないから」
笑みを深めるエルフリーデ。桜色の唇が「うそつき」と形作る。
「貴女、嘘が下手ね。貴族として致命的だわ」
「そうね……慣れないことをするものじゃないわ。ごめんなさい」
「認めるのね。嘘だって」
嘘だもの、と答える。エルフリーデの目が、これまでの余裕を消して細まる。蜂蜜色のそれは、私の言葉の真意を探ろうとしているのだろう。
先程の問いに、どんな意味があるのか。
しかし、その場ではわからなかったのか、エルフリーデはすぐに目を伏せると、鋭さを消した。
「いいわ。その素直さに免じて許してあげる」
「今日は随分とご機嫌なのね。さっきから驚かされてばかりだわ」
「あら、私はもともと懐が広いのよ」
くすり、と笑うエルフリーデに、今度は私が嘘吐きめと心の内で返す。心の広い人間が、貴族主義であってたまるものか。
結局、座席を用意されてもエルフリーデから実りのある話は聞けなかったかと、残り少ないカップの中身を見る。まあ、いい。今日聞けなかった事は明日聞けばいい話だ。
正直、あまりエルフリーデのところに通うとギルベルトのご機嫌が斜めるので、この問答もあまり長引かせたくはないが。
そんな事を考えながら、私は自分のカップを空けた。
「あら、もう良いの?」
「カップ一杯分のお喋りは楽しませて頂いたもの。そろそろお暇するわ」
「そう」
ご機嫌よう、とエルフリーデの従者が引く椅子から立ち上がった瞬間だった。
「火よ」
エルフリーデの鈴の声がした。
思わず、姿勢が止まる。目を合わせると、蜂蜜色が面白そうに笑んだ。
「お喋りは、カップ一杯分の時間ではなかったのかしら?」
「ええ、そうよ」
中身を見せるように傾けられたエルフリーデのカップ。そこには、確かに一口分のお茶が残っていた。
それにしても、本当に気前が良い。何の前触れだ?
じろりと睨む私に、彼女は「まるで野生動物のようね」と笑う。
「この答えで貴女が何を得るのかはわからないけれど、そうね……今日の私は機嫌が良いの」
与えられた餌には喜んでおきなさい、とエルフリーデは最後の一口を飲み干した。カップを空けた彼女の視線は、もう交わらない。
私も今度こそ踵を返し、温室を後にした。密かな安堵と、得体の知れぬ優しさに恐怖を覚えながら。
ああ、これだから彼女とのイベントは嫌なんだ。




