20話
ニコラの話していた、ノイマン公爵家の子息とヴェルナー家の令嬢とは、三人目の攻略対象とその婚約者——いわゆる、ディートハルトルートにおいて障害の一つとなる相手だ。
ノイマン公爵家の嫡男、ディートハルト=フォン=ノイマンは、絵に描いたような王子様ルックの青年……いや、今はまだ少年か。
金糸のような柔らかい猫っ毛と空の色を映したような瞳。つり目がちだが、縁取る細長い睫毛も繊細な金細工のようだ。スッと通った鼻筋や薄い唇の全てが工芸品のように美しい。
笑うだけで、見る者を一瞬で恋に落とせそうな彼だが、残念ながらそうはいかない。高圧的な逆ハの字の眉と引き締められた一文字の口元が、人を寄せ付けない雰囲気にしているからだ。
……まあ、私はまだ本人を見ていないので、ゲームとニコラの弁による知識だけれども。
そして、その婚約者であるエルフリーデ=ヴェルナー。
国軍とは異なり、国ではなく王族を守る為だけに存在する王国騎士団。その団長であるロータル=ヴェルナーの一人娘がエルフリーデだ。
ミルクティ色の豊かな髪を背に流し、蜂蜜を溶かしたような色の瞳を常に楽しげに細めている。気品のある顔立ちで、一目で彼女が最上の教育を受けてきたことがわかる。指先一つ動かす仕草さえ、まるで計算されているかのように優雅だ。
私が男なら、きっと彼女に見惚れていた事だろう。
もちろん、それはアーモンド型の目が、侮蔑の色を映してさえいなければ、だが。
「ご機嫌よう、ヴェルナー様」
入学二日目、対峙した彼女に私はそう挨拶をした。しかし、彼女は冷たい蜂蜜色を真っ白な瞼の下に隠す。髪と同じ色の睫毛が、頬に影を落とした。
「お食事、ご一緒してもよろしいかしら」
無視には慣れている、と言わんばかりに問いかける。
朝食と夕食は各自の部屋に運ばれるものの、昼食だけはこうして学園の食堂を使用しなければならない。
食堂では自ら受け取りに行く事もできれば、常駐する給仕、又は実家から連れて来た従者にその世話を任す事もできる。例として前者が私で、後者がエルフリーデだ。
既に食後のティータイムを楽しんでいるエルフリーデは、半分程になったカップを傾けると、静かに口を開いた。
「差し支え無ければ、お名前をお伺いしてもよろしいかしら。社交会で見かけた覚えがないもので」
「あら、先日名乗ったばかりだわ。私、教室まで貴女に会いに行ったもの」
「そうね。入れ替わり立ち替わり、ヴェルナーの名に釣られた人たちがたくさん……ああ、そういえば」
ちらり、と彼女の目が私を捉える。細くなったそれは、色に反してちっとも甘くない。ぞくりと背筋に寒気が走る。
「一人、平民の出でありながら、臆する事なく挨拶に来た方がいらしたわね」
厚かましい、と口には出されぬ言葉が聞こえた気がした。けれど、私は「ええ」と素知らぬ顔で頷く。
「フォーゲル伯が娘、アメリアよ。覚えて頂いていたようで、光栄だわ」
「ふふ……運が良かったわね、フラウ・フォーゲル。魔力持ちでなければ、こうして学園に通う事もなかったでしょうに」
まったくだわ、と優雅に笑うエルフリーデへ返す。
カップを揺らし、その水紋を楽しむエルフリーデ。許可を頂いていない私は、食事の乗ったお盆を手にしたまま彼女を見下ろす。
それで、とエルフリーデは鈴のような声で問うた。
「どんな御用かしら。挨拶は昨日済ませたのでしょう?」
「用がなければ、話しかけては駄目かしら?」
「雑事に割く時間はないの。お茶が楽しめなくなるでしょう?」
私との対話はお茶の時間以下か。まあ、殆んど初対面だし、仕方ないとは思うけれど。
用向きを語ろうと、口を開けようとした瞬間だった。エルフリーデは、ちらりと私の後方を確認し、口元を緩める。
何かと振り返った私は、ようやくそこにニコラたちがいることに気付いた。
「お待たせ……って、あれ? フラウ・ヴェルナー? えっえっ……アメリア、知り合いなの?」
ご機嫌よう、と慣れない形で挨拶をするニコラ。その更に後ろで、ギルベルトが「意外な組み合わせだな」と目を瞬かせる。
エルフリーデは「まさか」と穏やかな口調で否定した。
「たった今、ご挨拶を頂いたところですわ。フラウ・カウフマン、ヘア・ヴァイツゼッカー」
「そう。それで、折角だから同席させて貰えないかと訊ねたところよ」
返答を求めるようにエルフリーデに視線を向ければ、彼女はくすりと笑い、紅茶を口にした。回答はない。
しかし、人懐っこいニコラは、美しいエルフリーデと親しくなるチャンスだと思ったのだろう。持ち前の明るさでにこにこと笑った。
お盆を彼女の正面の席に置き、ずいと身を乗り出す。
「それ、良いアイディアね! 私の事はニコラって呼んで。ねえ、エルフリーデって呼んでも良いかな?」
「いいえ」
「えっ……?」
ニコラの笑顔が固まる。けれど、追い打ちをかけるようにエルフリーデは「いいえ、と言いましたわ」と重ねる。
「男爵家の娘——それも、爵位を買わなければならないようなお家の方が、私を名で呼ぶ、というのは、許容できませんわ」
「っ……!」
パッとニコラの顔が羞恥で赤らむ。恥ずかしそうにお盆を持ち上げ、後退りするニコラを見て、私は静かにエルフリーデへ言葉を向ける。
「学園に通う生徒は、魔術や学術を学びに来ているのよ。爵位や身分、その出自に関係なく、平等に学びの子として扱われるべきだわ」
「つまり、魔術刻印があれば、立場は関係ないと?」
「刻印の有無も、よ。自らの意思で学園に来る以上、尊重されるべきはその学習意欲だわ。学びたいという意識があるならば、私たちは皆等しく『生徒』という立場よ」
自らの眉間にシワが寄っているのがわかる。
くすり、とエルフリーデはおかしそうに笑った。白魚のような指先が、口元を隠すように当てられる。
「それは立派なお言葉ね。入学初日に、私のところへ挨拶に来た方の言葉とは思えないわ」
「あら、私はヴェルナー家のご息女にご挨拶に行ったのではないわ」
「……まあ」
初めて、ここでエルフリーデはカップから手を離し、私を真正面から見据えた。蜂蜜色が、僅かに歪む。少しだけ傾げられた首が、品良く尋ねる。
「では、どなたにご挨拶を?」
「未来の王妃様に」
しん、とその場が静まり返った。
正確には、決して食堂内の人々が私たちの会話を盗み聞いているわけではないので、言葉で表現する程静かではない。
けれど、まるで静寂を落としたかのように、私とエルフリーデの間で、初めて会話が途切れた。
かちゃり、と最初に音を立てたのはエルフリーデのカップだった。口を湿らせ、エルフリーデは問う。
「……それは、どういう意味かしら」
「次期国王候補がこの学園に集まっている事は、フラウ・ヴェルナーもご存知でしょう?」
「ええ、勿論」
「なら、今最もその玉座に近いと言われているのが、貴女の婚約者であるヘア・ノイマンである事もご存知ね」
「……成る程」
くすり、とエルフリーデの口元が弧を描く。
「つまり、今のうちに親しくなっておきたいということかしら」
まさか、と私は笑わずに答える。
「自分たちの頭上に座る人間がどんなものか、見ておきたかっただけよ」
「ふふ……減らない口ね」
エルフリーデは満足そうに微笑む。
私たちの問答に、おろおろと視線を彷徨わせるニコラ。ギルベルトは何も言わずにこちらを見ていた。
それよりも、いい加減食事が冷めてしまった。そろそろ返答をくれないだろうか。
できれば答えを急かすような真似はしたくなかったが、ニコラたちにまで冷めきった食事を取らせたくない。仕方なしに「それより」と私は口を開いた。
「お食事、ご一緒してもよろしいかしら? そろそろ腕が疲れて来たわ」
「あら、小麦の束よりは軽いのではなくて?」
「生憎私は仕立て屋の娘だったもので。麦束の重さに覚えはないわ」
「そう。それは失礼したわね」
後ろに控えていた従者が椅子を引き、エルフリーデは音もなく立ち上がる。着ているのは同じ制服なはずなのに、私たちのものより優雅に揺れた。
「お好きな席をどうぞ。私は丁度食後のお茶を飲み終えたところですので」
思わず言葉を失った。
なんて事だ。彼女、会話をしながら、紅茶の計算までしていた。紅茶の飲むペースを変える事なく半杯分、私が痺れを切らすタイミングで飲み終えるように。
お義母様なら、これだけのことはやってのけるだろう。しかし、私には無理だ。そこまでの計算力も会話術も持ち合わせていない。
それを、僅か十でやってのけるとは……彼女は一体どれだけの修羅場をくぐってきたのだろうか。
エルフリーデが去り、給仕がテーブルを片した後、それぞれの盆を置くニコラとギルベルト。二人の前に自身の盆を置きながら、エルフリーデの去った先を見る。ぽつりと口から溢れるのは、彼女への賞賛。
「末恐ろしいわね」
「……それ、アメリアが言っちゃう?」
私はアメリアも怖かった、と言うニコラに私は肩を落とした。私の場合、ただの減らず口だ。……なんて、口が裂けても言わないが。




