16話−1
カロリーナから話を聞いたのだろう。その日の夜、リヒャルトからも呼び出しを受けた。
教育に口を挟むだけの関心が子供に対してあったのか、と少し意外に思ったが、私は素直にその呼び出しに応じる。
「アドルフとケンカをしたらしいな」
そんな当たり障りのない一言から始まった義父の言葉。はらりと手元の書類に目を落としながら、リヒャルトは口を開く。叱る時くらい子供を見んかい、と思ったが、私は静かに「はい、お義父様」と返事をした。
「皿をひっくり返されたと報告を受けた」
「はい。けれど、アドルフへの叱責は既に済んでおります。お叱りならば私が、」
「子供同士の諍いに口を出す程暇ではない。ただ、報告にあったお前の言葉について確認をしておきたくてな」
意外な方向からの攻撃に、思わず押し黙る。確かにあの時の口調はだいぶ乱れてしまっていた。ドーリスにも後で叱られたし、先生に報告まですると言われてしまった。
けれど、如何にも粗忽そうなリヒャルトにまで指摘されるのか。
身構えた私にリヒャルトは厳しい湖水色を向ける。
「アドルフへ向けた言葉の中で、お前はヴァイツェンシュタット産の小麦を『うちの小麦』と言ったそうだな」
「は、い……?」
「言わなかったのか?」
「い、いえ、言いました」
「……ヴァイツェンシュタットはもうお前のうちではない。養子とはいえ、お前は既に領主家の人間だ。領地以外を己の物呼ばわりするな」
そっちかーい。
確かに聞く人によっては争いの種になりそうだけども! でもそっちかい!
良いな、と念を押すリヒャルトに、私は「はい」と返事をした。
本当に用件はそれだけだったようで、早々に退出を促された私は、やはりこの男に家族への関心は求めまいと決めた。
アドルフ叱責事件——もとい、両親と話をした日から、一週間が過ぎた。あの日から、アドルフの姿を極端に見なくなった。……私攻略対象に避けられ過ぎじゃなかろうか。
カロリーナに叱られたのか、それとも自発的にかはわからないが、屋敷内に仕掛けられていた罠は全て外され、地味過ぎる嫌がらせも見なくなった。
来た当初はどこに何の部屋があるのかわからなかった屋敷も、慣れてくると初めて来た時より狭く感じる。いつだったか、ギルベルトが家の中で迷いそうと言った私に、不思議そうな顔をしていたことがあったが、今なら彼の気持ちが少しわかる。
そんな屋敷の中だからか、アドルフは私を完全に避けきれていないらしい。時々見かける彼は、私に気付くとサッと顔色を変え、脱兎の如く逃げ出す。私は熊か何かか。
廊下を走らないでくださいまし、と叱るビアンカの声を聞きながら、振り出しに戻ってしまったなぁと一人肩を落とした。声変わりする前に、あのボーイソプラノをもう一度聞ければ良いのだけれど。
そう思っていたら、意外にも転機は早く来た。
その日は珍しく風が穏やかだった。
勿論これは普段に比べてという意味で、決して外に干した洗濯物にクリップが要らないという意味ではない。フンベルクでは、油断するとクリップが付いていても、洗濯物が隣の家の屋根まで飛んで行ってしまう事を忘れないで欲しい。
話を戻そう。風が比較的穏やかで、晴れた心地の良い春の日差しが出ていた。
重ねて珍しいことに、カロリーナの体調も良く、朝食を共にしながら彼女は「そうだわ」と私に笑いかけた。
「今日のレッスンは午前まででしょう? 終わったら、庭でお茶にしましょう」
「それは良いアイディアですね」
「でしょう? それまで、先生の教えをちゃんと聞くのですよ」
はいお義母様、と答えると、彼女は悪戯っ子のように目を細めた。
そして、今。庭で私を出迎えたのは、白樺の木で出来た丸テーブルを囲むカロリーナと、その横でカップを片手に固まったアドルフの姿だった。飲みかけの紅茶を噴き出しそうになり、慌てて飲み込んだ彼は、漫画のように噎せる。
「なっ……、母様! あ、アメリアが来るなんて一言も!」
「あら、私はちゃんと言いましたよ。みんなでお茶にしましょうか、と」
「ッ……!」
ガタッと勢い良く椅子を引いたアドルフ。そんな彼が席を離れる前に、カロリーナは「アドルフ」と名を呼んだ。
「そう慌ただしげにするものではないわ。折角ビアンカが淹れてくれたお茶なのだから、最後までお飲みなさい」
そう言って、アドルフが荒々しく座り直すのを見届けると、カロリーナは今度は私にかけるよう勧めた。大人しく彼女の指し示した椅子、アドルフと向き合うような位置に腰掛ける。
アドルフの視線が珍しく右往左往している。落ち着かないのか、頻りにカップの中身を口へと運んでいる。寄せられた眉間には、子供らしからぬ谷間が出来ていた。
そんな息子の様子に気付いているのかいないのか、カロリーナはお茶のおかわりとデザートを運ぶビアンカへ和やかに語りかける。
「本当に良いお天気ね。少し庭を歩いて来ようかしら」
「あら、それは良うございますね。奥様は少し運動不足気味でいらっしゃいますから、こういう日にこそ散歩でも行ってきてくださいまし」
「ふふ、そうね。ドーリス、付き合ってくれるかしら?」
「はい、奥様」
とんとんと進む話に、ギョッとしたのは私とアドルフだ。待って、この空気の中二人きりはやめて欲しい。
アドルフも同じ気持ちなのか、慌てて「母様!」と呼び止める。しかし、カロリーナの中で既に話は纏まってしまったらしく、彼女は私たちを順に眺めた後、ゆるりと立ち上がった。
「それでは、私は少し庭を散歩して来ます。二人は、カップを空けるまで席を離れてはいけませんよ」
良いですね、とにっこり笑った義母に、私たちは同じ表情で「……はい」と口を揃えた。
カロリーナの背がティースプーン程の大きさになる頃。私がアドルフ相手にどう話しかけようか悩んでいる傍ら、彼は呷るようにティーカップを傾けた。この野郎、早々にカップを空けやがった。どんだけ席を外したいんだ!
ご馳走様も言わず、音を立ててカップをソーサーに叩きつけたアドルフ。席を立ち上がった……と思ったら、いつの間にかカップの中身が元に戻っている。それどころか、振り出しに戻ったようになみなみと注がれていた。
アドルフの凍てつくような視線が、隣のビアンカに向いた。
「ビアンカ、誰がおかわりを要求した?」
「奥様より、お二人のカップを常に満たして置くように、とのご指示を頂戴しております故」
「ッ……くそっ!」
ああ、やはりお義母様の方が一枚上手だわ。
飲めば飲む程注がれる仕組みを知った私は、口が悪いと叱られるアドルフの正面で、一杯目の紅茶をゆっくりと飲み始めた。




