12話
アドルフによる幼稚な無視は約一週間に渡った。
そもそも多忙なリヒャルトと病弱なカロリーナが食卓に揃う事自体この家では珍しく、必然的に食事の時間は姉弟二人の時間となる。……筈なのだが、アドルフは私が来ると席を立ち、私が先にいれば踵を返して部屋で食事を取るといった様子だ。いっそ、初めから部屋で食べれば良いのに。
以前はシャルロッテしかいないテーブルでも嬉しそうに食事をしていたとドーリスは語った。一方、私は楽しそうどころか一緒に食卓囲んだ事すらない。別にいいけどね……ふんだ。
ドーリスは私付きの侍女だ。ピンクがかったクリーム色の髪をお団子にし、赤みの強い薔薇色の丸い瞳を忙しなく右に左に動かす。十代の女の子らしくお喋りが好きで、少々口の滑りが良いようだ。
格式張ったフォーゲル家には珍しいタイプのメイドだが、年の近い子の方が良いだろうとカロリーナが気を使って一番年若い子を付けてくれたらしい。ありがたいけれど、メンタルおばさんな私は、時々彼女の若さに気圧されている。アドルフの無視よりこっちの方がつらい。
「アメリアお嬢様、お気になさらないでください。きっとアドルフ坊ちゃんもそのうち心を開いてくださいますよ」
「そうかしらねぇ……ところで、今日の紅茶とカップは何処の?」
「それはですね、」
まるでテキストをなぞるように出てくる答えに顔を顰める。昨日飲んだものとの違いが全くわからない。覚える努力を放棄するつもりは無いが、物の良し悪しがわかる程私の目も舌も肥えていない。
大人しくカップを下ろした私に、ドーリスは「そのうち舌も慣れますよ」と笑った。そうだと良いのだけれど。
アドルフの態度に関して、私はそこまで改善しようとは思っていない。アメリアが嫌われているという事は知っていたし、現段階ではまだこれといった実害がないからだ。
挨拶をしても、話しかけても、名前を呼んでいてですら、まるでそこには誰もいませんといった風に、視線すら寄越さないアドルフ。腹こそ立ちはするものの、子どもの総スカンにいちいち文句を言っていられない。これが外に出ればマズイだろうが、現状アドルフの態度は私相手のみ。それならまあいいか、と——本心としては全然良くないが——一旦受け止める。
今はアドルフのことより、覚えなければならない作法やら何やらが多すぎるのだ。
とはいえ、この間屋敷内で迷って、家庭教師が来る時間までに自室に戻らなければならない時に無視しやがったのは、流石にあの野郎いつかシバくと叫びたくなりましたけどね?
ともあれ、そんな瑣末なことで心を乱していては、この先何もできなくなると、こちらも大人しく、何事もなかったかのように接している。一方通行の挨拶にも、慣れたものだ。
ともかく一週間、そんな日が続いたある日の事だ。
「そういえば、今日初めてアドルフから声をかけて貰えたの」
今日一日のレッスンを全て終え、あとは寝るだけとなった頃。寝支度を手伝いに来たドーリスに、そう報告した。彼女は「まあ」と声を上げて、薔薇色の目を輝かせる。
「それは良うございましたね」
「ええ、しかも褒め言葉よ。 社交ダンスの練習中、蹴っ躓いた私に『お上手ですね』って」
「アッ……」
言葉を失うドーリス。合わなくなった視線に私はため息を吐いた。
「良いのよ、ドーリス。何も言わなくて。声を聞けるようになっただけでも進歩だものね」
ドーリスにとって、私とアドルフは同じ立場だ。仕える主人の娘と息子。どちらか一方の肩だけを持つことは、従事者の彼女に取ってできないことだろう。わかっている。だからこそ、同意も共感も求めない。本当は愚痴ってやりたいことがたくさんあるんだけどねっ!
私の空元気に、ドーリスは慌てて「そうですよ!」と食い気味に同意する。
「一歩前進です! そのうち、アドルフ坊ちゃんの凍てついた心も、雪解けのように柔らかくなる日が参りますわ!」
「ドーリス……貴女、意外と詩人ね」
好きな人ができるとポエム読んじゃうタイプ?
年下の子供から受けた冷静な言葉に、ドーリスはパッと顔を赤らめる。そして「失礼致しました……声を荒げたりして」と先の力説を恥じる。別に良いのに。
けれど、少し元気が出た。
「ありがとう、ドーリス。私、もう少し頑張ってみるわ」
本当は、アドルフとの不仲を今どうこうしようという気は無かった。ゲーム上、アメリアとアドルフの不仲は九年後——本編スタート時でも改善されていない。あまりの態度に、攻略スタート時は憤死するんじゃないかってくらい、怒り狂った記憶がある。
九年間どうにもならなかったアドルフを、アメリアはその後たったの一年で攻略する。それならもっと早くどうにかなっただろう、と当初は思った。しかし、何度か攻略するうちに少しだけ考えを改める。逆に九年の歳月を置いたからこそ、怒りも恨みも悲しみも、薄らぎ、和らぎ……今更どう接して良いかわからない、意地っ張り状態まで落ち着いたのではないだろうか、と。
要は、ある程度の事は時間が解決してくれるだろう。と、今はそう思っている。
そもそも、彼を口説き落とすことは目的としていない。私は、ただ姉弟として普通に接せればそれで良いのだ。たとえ血の繋がりが無くたって、近親相姦ダメ絶対。現代日本の良識を持ち合わせる者としては、軽々にその一線を越えることはしたくない。
とはいえ、ドーリスもそこまで仲良くしろとは言わないだろう。それに、折角励ましてもらったのだから。
「もう少し、アドルフに歩み寄ってみるわ」
「はい。ご健闘お祈りしておりますわ」
できることはしてみよう。
ドーリスと笑い合ったその翌日、私は早速食卓に来たアドルフへ声をかけた。先生から花丸を戴いた極上の笑顔を添えて。
「アドルフ、たまには朝食を一緒に頂きませんか?」
「貴女と? ご冗談でしょう?」
華麗に鼻を鳴らし即座に退室するアドルフ。やはりと言うか、当然と言うか、メイドに食事を運ぶよう言いつける事は忘れない。
しんとした部屋で落とすように表情を消した私は、静かな声でドーリスを呼ぶ。上擦った声で返事をする彼女に、できるだけいつも通りに問いかけた。
「淑女として、の話だけれど、どの程度の暴言なら口にしても許されるかしら」
えぇ……、と情けない声を出したドーリス。周囲に助けを求めるような視線を彷徨わせた後、自信なさげに「わかりかねます」と答えた。もうあいつに愛想笑いするのやめようかな。




