11話
アドルフ=フォーゲルは、一見美少女に間違う程の美貌を持つ少年だ。
夜色と呼ばれる青みがかった黒髪と女の子のような長い睫毛、ほんのり色付いた桃色の唇。そして、本編が始まる九年後ですら、アメリアと変わらないほど華奢な体付きをしている。筋肉ゴリラの血はどこに流れているんだ? と疑問を持ちたくなるくらい、愛らしい姿のアドルフ。
しかし、底冷えするほど凍てついた湖水色の瞳が、確かにあの失礼な男を連想させる。
やっぱり会うよねぇ、と内心苦虫を噛み潰したような気持ちになる。けれど、そこは歳上の矜持でグッと堪えた。そして、アーデルハイト先生直伝の、余所行き笑顔を浮かべる。
「初めまして、アドルフ。これからよろしくお願いするわ」
我ながら完璧な笑顔だと思った。
しかし、向けられた本人は僅かに眉を顰め、カロリーナそっくりの顔にリヒャルトの表情を載せた。間違いなく二人の子だわ、こいつ。
居た堪れない無言が間を支配し、カロリーナの視線が困ったようにアドルフを向く。挨拶を、と促され、アドルフはようやく口を開いた。
天使の歌声と称されるような美しいボーイソプラノ。紡がれたのは、次のような言葉だった。
「初めまして、フロインライン・アメリア。僕はアドルフ=フォーゲル。忘れても良いですよ。……僕だっていちいち客の名前なんて憶えていないから」
睨むように細まる湖水色の瞳に嫌悪の色を滲ませて、彼は私をそう切り捨てた。あからさまにケンカを売ってやがる。
第二の攻略対象、アドルフ=フォーゲルは初め、死ぬ程アメリアが嫌いだ。
アドルフの言葉に、一瞬で頭に血が上った。それが口をついて出なかったのは、あんまりな彼の挨拶に対し、カロリーナが嗜めるような声をあげたからだ。
息子の名前を咎めるように呼んだカロリーナ。しかし、察しの良い彼は続く言葉を聞く前に「失礼」と再び口を開く。
「書斎に行く途中なので、僕はこれで。帰る時は声をかけて下さい。ルッツに馬車を用意させますから」
では、とカロリーナの制止も聞かず、スタスタと——おそらくは書斎の方向へアドルフは歩いて行った。
残された私とカロリーナの間に気まずい空気が流れる。口火を切ったのはカロリーナだった。やはりどこか困ったような顔で、私の様子を伺うように「ごめんなさいね」と謝罪の言葉を口にする。
「既に話は聞いているかもしれないけれど、あの子、姉を一人亡くしているの」
「シャルロッテ様、ですよね」
「ええ……きっとまだ気持ちに整理がついていないのね。あんな八つ当たりみたいな真似をして……」
ふう、と困ったように嘆息するカロリーナ。だが、まあ、アドルフの気持ちはわかる。
ヴァイツゼッカー子爵の話にもあったように、フォーゲル家にはシャルロッテという魔力持ちの長女がいた。彼女もまたカロリーナに似た愛らしい顔の女性だったが、似たのは顔付きだけではなかったらしい。決して丈夫とは言い難い母親と同様に、彼女の体は病に対し、非常に繊細であった。
出世にしか興味のない父とそれに従う事しかしない母。そんな二人の間で、後継ぎとして厳しく育てられてきたアドルフ。子供であろうと容赦はされず、齢六つにしてあんなつまらない表情を浮かべてしまう程、彼の人生は厳しいものだったのだろう。
唯一、そんな彼に寄り添う存在が、姉のシャルロッテだった。
優しく聡明で、笑顔以外の表情を見たことがないというシャルロッテ。乾いた風土の中に咲く、一輪の花みたいな人だったと喩えたのは、ゲームの中のアドルフだ。
そんな彼女が亡くなった直後、その穴を埋めるかのように現れた、同じ魔力持ちのアメリア。それをどうして当たり前のように受け入れられるのだろうか。
リヒャルトの決定だからこそ逆らえないものの、やはり受け入れることなんて出来ない。
そんな相反する気持ちが、アドルフのあの態度を形成したのだろう。理解はする。それから、同情も。
…………まあ、だからと言って何しても良いわけじゃないんだけどね?
「悪い子ではないのよ。だから、あの子の言葉はあまり気にせず、仲良くしてやってくれるかしら?」
心配げに眉を下げるカロリーナに、私は「わかりました」と柔らかく笑む。
「大丈夫です。気にしません」
限度はあるけどな、と心の中でそっと付け足す。
良かった、と笑うカロリーナには悪いが、人間には許容範囲というものがある。度を越すようなら、その時は遠慮なく締め上げ……叱責させて頂こう。これも義姉の務めだからね。
こうして、フォーゲル家での静かな闘いが始まった。
明くる朝、私が朝食の席についた瞬間、アドルフは挨拶もなく「具合が悪いので」と退席した。もちろん、侍女に食事を部屋へ運ぶよう言いつける事は忘れずに。
カロリーナの心配そうな顔に、私は気にしていませんよと言ったふうに、食器を手に取る。
もちろん、気にしてません。アドルフがどこで食事を取ろうと私には関係ないし、それよりも付け焼き刃なテーブルマナーの方が心配なくらいだ。
案の定ぎこちなく見えたのか、カロリーナは少しだけ眉根を和らげ、私に微笑む。
「アメリアにも家庭教師を用意しましょうね。貴女も学園を目指すのでしょうし、これから学ばなければならない事がたくさんあるでしょうから」
「……お恥ずかしい限りです。けれど、ありがとうございます、お義母様」
「良いのよ。それより、希望する先生はいるかしら?」
「いえ、お義母様にお任せしますわ」
「わかったわ」
誰が良いかしらね、と口元に手を当てる。悩む姿もお可愛らしい。
リヒャルトは私に興味がないのか、早々に食事を終えると再び執務室へと戻っていった。交わした会話といえば、学園を目指すのか、はい、そうか、と一往復だけ。別にそれはそれで良いのだけれど。
どうせ、彼にとってシャルロッテもアメリアも、アドルフでさえ、己の地位向上のための手駒に過ぎない。
初めからわかっていれば、そういうものとして認識できる。気持ちの処理も、簡単だ。アドルフの憎悪も、リヒャルトの無関心も、苦い薬と思って飲み下せばいい。
大丈夫、私は大人だ。この程度、我慢の範疇内だ。
そう自分に言い聞かせながら、私は一抹の寂しさを覚える。……ああ、あの小麦色が懐かしい。




