10話
フンベルクの街は山と山との間にある。斜面の上に家が並び、急勾配な坂と階段が多数存在する為、街の住人は足腰が強いと良く言われている。
毎日のように強い風が吹き、天気も変わりやすい。どちらかと言えば寒冷な気候で、夏でも上着が手放せないらしい。
各家に風見鶏が飾られているのは、この街に鳥類信仰があるからだ。
険しい山々に囲まれながら暮らすフンベルクの人間でも、越えることはおろか、登ることすら不可能とされる山がある。ヤーグフェルドと呼ばれる街の北にある山——それを越えた向こうは鳥人族が住まう、ラフテェンの国土になる。
国境の街で鳥が奉られているのはその辺が関係しているのかもしれない。
ブルーノの手を借り、馬車から降りる。
屋敷の前には、家の主人らしき男とその奥方、数人のハウスメイドと執事が一人立っていた。
彼らに気付くと、ブルーノとペトラが揃ってお辞儀をする。それらを真似るように私も頭を下げた。
「遠路遥々ご苦労だったな」
そんな常套句を皮切りに、大人たちは格式張った挨拶を交わす。口を開くのは主に主人とブルーノ。
話が振られそうにないのを良い事に、私は新しい両親をゆっくりと観察する。
灰褐色の髪を短めに整え、同色の口髭をまるで絵に描いたようにピンと跳ねさせているのが、義父リヒャルト。しかし、その髭は決してユーモア溢れるものに見えず、むしろその下にある一文字の薄い唇をより険しく見せている。湖のような澄んだ薄水色の瞳が、鋭く冷たい印象を抱かせる。
がっしりとした体付きは、かつて軍部にいた頃の名残だろう。足を怪我し、若くして引退したらしいが、当時は誰よりも鋭く戦場を駆け、敵兵を一人残らず狩り尽くす——まるでハルピュイアのようだと恐れられたらしい。……因みにハルピュイアって女性体では? と思ったのはここだけの話だ。
ともかく、アメリアの義父となるリヒャルト=フォーゲル伯爵。彼はイラストよりもずっと威圧感のある男のようだ。
対する義母、カロリーナは青みがかった黒髪を持ち、それを緩く結い上げている。伏し目がちな深碧の瞳は少しヴァイツゼッカー子爵の色に似ている。たおやかな女性という言葉がしっくりくる線の細い体付きは、少し強く抱きしめたら折れてしまいそうだ。
この世の全てがつまらないといった顔のリヒャルトとは反対に、カロリーナの顔は春の陽射しのように柔らかな笑みを携えている。なんでこんな正反対な人間が夫婦なんだと言いたいが、まあ、そこは貴族。必ずしも相性やらなにやらで結婚したわけでも無いだろう。
そんな勝手な推測をしていると、アイスブルーの瞳が睨み付けるようにこちらを向く。変な憶測をしていたことがバレたのかと一瞬怯んだ。
しかし、リヒャルトの口は、意外にも歓迎の言葉を述べた。
「良く来たな、アメリア。知っているだろうが、私がリヒャルト=フォーゲルだ。お前の父親となる。こちらが妻のカロリーナ」
にこり、とカロリーナが絵画のような笑みを浮かべる。私もスカートを摘み、おずおずと会釈を返した。
「アメリア、です。これからよろしくお願い致しますわ、お義父様、お義母様」
「うむ。もう一人、お前の家族となる者がいるが……それは後で紹介しよう。長旅で疲れただろう。中に入るといい」
「ありがとうございます」
今度は深々と、教えられた通りの礼をし、ペトラたちを見上げる。長旅だったのは彼女らも同じで、一晩泊まってから帰路に着くのだろうと思ったからだ。
しかし、二人の足は根が生えたように動かない。おろか、ブルーノは少しだけ寂しそうな顔をしている。
まさか、と察する。
「フロインライン・アメリア。私共は今日中に街を出発いたします。此方までの旅路をお供できたこと、光栄に思いますよ」
屈み、私に目線を合わせて笑うブルーノ。目元のシワや口元がやけに優しさを主張し、意味もなくその頬に触れてみたくなった。
「え、だって、馬を休ませなくて大丈夫なの……ですか? ブルーノもペトラも疲れているのでは?」
「次の街で休ませますよ。……年寄りにはフンベルクの風が堪えまして、早めにお暇させて頂くことにしたんです」
嘘だ。ブルーノは顔の割に歳をとっていない。言葉遣いや行動が、老け顔なのも手伝ってより年寄り臭く見せるだけで、実際のところはまだ中年という言葉が当てはまる年齢だ。冷たい風が体に障るような歳ではない。
別段フォーゲル伯爵家の人間からも、帰りを促すような言葉や行動はなかった。ともすれば、本人たちが早々にフンベルクを離れたい、という事なのだろう。
寂しい、と口に出すの簡単だが、彼らも仕事としてついて来てくれていた以上、こちらも我儘は言えない。
「わかったわ、ブルーノ。イーヴォが馬を御すのだから大丈夫だとは思うけれど、気を付けて帰ってくださいね」
「お心遣い感謝致します」
きっとリヒャルトたちの前だからだろう。やたら仰々しい態度をとったブルーノは、私にしか聞こえないように「じゃあな、フロインライン・アメリア」と気さくに笑う。それでこそブルーノだ。
ペトラに視線を向けると、彼女は「どうぞお元気で」と簡素な挨拶と共に深々と頭を下げる。
「ペトラには最後まで世話になりっぱなしだったわね。……世話ついでに、ヴァイツゼッカー家の皆様にお礼を言付けても構わないかしら」
「勿論ですわ」
「……本当に、何から何までありがとう」
貴女に教わったこと、忘れないわ。
そう頭を下げた私にペトラは「その言葉が何よりの報酬ですよ、フロインライン・アメリア」と少しだけ愉快そうに目を細めた。
二人が出立するのを見送ることなく、私はカロリーナに促され、彼らとの別れを告げた。
もう二度と、彼らと会うことも無いだろう。
ルッツと名乗る執事が開けた扉を潜るなり、リヒャルトは仕事があるからと、ルッツを引き連れ自室へと戻っていった。先程までの歓迎ムードを三秒で消し、後は好きにしろと言わんばかりの失礼な態度だった。突然の放置はやめてくれ。
荷物はメイドたちが持って行ってしまったし、私はどうしたら、と困惑する。
「部屋でゆっくりと、と言いたいところなのだけれど、先に軽く家の中を案内しましょうか。はぐれないようについて来てね」
余程落ち着きなく見えたのか、カロリーナがくすくすと笑いながらそう提案してくれる。案内が必要な程家が広いという事が、まず私にとって衝撃だ。ギルベルトのお宅より広いんじゃなかろうか。
「一階は使用人たちの部屋と客間しかないから、二階から案内するわね」
細やかな刺繍の施されたメロンクリーム色のドレスを緩やかに翻すカロリーナ。歩く動作一つ取っても、私がアーデルハイト先生に扱かれてようやっと習得したそれを、さも出来て当然といった様子だ。慎ましやかなのに優雅で、気品に溢れている。……今後は彼女を見本にしよう。
正面玄関から一間挟んだ先にある大広間。その中央に備えられた階段を、カロリーナに先導される形で登る。まるでお城のようだ。当たり前だが、庶民の家にあるものとは比べ物にならない。登り下りの度にギシギシと音を立てる板張り階段が脳裏を過ぎり、少し悲しくなった。
敷かれた絨毯も、これまた良い織物を使っているようだ。端々に鳥のような紋章が描かれてるのを発見し、本当に信仰が強いなと閉口する。……信仰は自由、だよね?
そんな事を考えながら、下を向いて歩いていたせいだろう。数段先を行くカロリーナの「あら」という声を聞くまで、階段上に立つ人物に気が付かなかった。
「丁度良いところに来たわね、アドルフ。以前から話をした方が来ているわ。ご挨拶なさい」
半歩、相手から私が見えやすいようにズレるカロリーナ。つられるように私も姿勢を正す。
「アメリア、こちらは嫡男のアドルフ。貴女の弟になるわ。仲良くしてあげて頂戴」
視線を上げ、上階に立つ人物を見上げる。カロリーナの指し示す方向には、彼女によく似た美しい少年が立っていた。




