7話−1
「アメリア! いつまでも起きてないで、もう寝な! 明日は領主様がお迎えを寄越して下さるんだろう?」
気持ち程度のノックからコンマ三秒で開かれる扉。ノックの意味とは、と尋ねたい気持ちを飲み込んで、明日の支度をしていた手を止めた。
早く寝ろと急かす母さんに私は子爵邸で受けたレッスンの成果を披露する。
「はい、お母様。これを仕舞い終えたら、もう休みますわ」
「おや、領主様のところで教えて貰った作法かい? 付け焼き刃にしちゃあ、良くできてるじゃないか」
「なんとか上辺だけはね」
「……こりゃ先は長そうだ」
やれやれ、と肩を竦める母さん。体を冷やすんじゃないよ、と残し、母さんは寝に行った。
私が勝手に養子縁組を決めた時、なんで一言相談しなかったんだと拳骨を落としてきた母さんだったが、出立の日が近付くに連れて、やれアレを持って行け、これ新しい服を準備しろ、と口喧しく世話を焼いてくれた。
挙句「お貴族様になるんだから、爪の先までピカピカにしておきな」とたらい一杯のお湯で洗われたのは、流石に恥ずかしかったけど。
それを見て、父さんは笑いながら私の服を仕立ててくれた。
フォーゲル家に迎えられるにあたって、世話を焼いてくれたのは両親だけじゃない。
ヴァイツゼッカー子爵が、行くまでの間に最低限の教養を身に付けておくようにと、家庭教師を用意してくださった。
子爵邸で毎日数時間、アーデルハイト先生は私に教鞭を振るってくださった。もちろん、本来の教え子であるギルベルトの勉強時間とは被らないように。有り難い限りだが、如何せん覚えることが多すぎる。淑女としての道のりはまだまだ遠そうだ。
必要なものだけ詰めたカバンを閉じて、空っぽになった部屋をぐるりと見回す。忘れ物はない。
本当に、後はただ寝るだけの部屋になってしまった。
「……結局、ギルベルトとは会えなかったな」
最後に一言謝っておきたかったけれど、マルコにも言った通り町中では勿論、子爵邸ですらギルベルトを見かけることはなかった。アーデルハイト先生に聞いても、別に家に帰ってないという事はない、と言うので、単純に私と顔を合わせたくないだけなのだろう。
仕方ない。仕方ない……仕方、いや、普通につらい。いっそ正面きって嫌いと言われた方が、まだ気持ち的にスッキリするというのに。
淑女としてあるまじき行為だが、倒れこむようにベッドへ体を投げ出す。安物のそれは壊れそうな音を立てて私を受け止めた。
そう言えば、散々メインルートで示唆しておきながら、ギルベルトルートに入らないと明らかにならない、幼馴染にありがちなプロポーズイベントもなかったな。いや、なくて良いんだけど。全然なくて助かるんだけど。ただ、用意してた返答が無駄になったなってだけだし。
「私はアメリアじゃない。だからこれが当たり前で、普通のことなんだ」
枕に顔を伏せ、自分に言い聞かせるように呟く。声はお日様の匂いがするシーツに吸い込まれ、誰の耳にも届かない。
ギルベルトから当たり前のように向けられていた好意。当たり前過ぎて忘れていたけれど、それは"心優しい主人公アメリア"だから得られていたものだ。
魔力の属性と一緒。
設定でもなければ、私に無条件で与えられる代物ではない。軽んじ、乱暴に扱えば、人の心と同じようにあっという間に離れていく。これまで幾度も経験してきたことだ。
一抹の寂しさを覚え、静かに目を伏せる。閉じた瞼の裏に、若草色の笑顔を見た気がした。
翌朝、父さんの力作であるお嬢さん服を身に纏った私を出迎えたのは、ヴァイツゼッカー子爵家の長男、エーリアスだった。
その後ろに、本来の出迎え役であるヴァイツゼッカー家使用人のブルーノ。そして、更にわからないのが、アーデルハイト先生の代わりに、ペトラがいる事だ。
順にそれぞれの顔を見比べ、再び正面のエーリアスに視線を戻す。
「なんで、エーリアス……様が?」
あまりに理解が追い付かず、疑問がそのまま口に出た。いつもの癖で呼んでしまった私を窘めるように母さんの鋭い視線が飛び、慌てて敬称を付ける。が、少し手遅れのようだ。
やってしまった顔の私に、柔らかい苦笑を浮かべるエーリアス。それなりに親しい仲とはいえ、公の目がありますものね。反省。
「アメリアは忘れているかもしれないけど、僕も学生だからね。家業がない時は、学園に通っているんだよ。フンベルクに行くのに、王都を経由するだろう? 折角だから一緒に行こうと思ってね」
ああそういえば、と呟く私に、エーリアスは「本当に忘れてたんだね」と肩を落とす。ごめんって。
「それで、アメリアだけなら、プロフェッサー・アーデルハイトとブルーノで充分だって話だったんだけどね。僕が同乗する以上、護衛はちゃんと付けた方が良いって事で、ペトラに来てもらったんだ」
「プロフェッサー・アーデルハイトより、道中フロインライン・アメリアに行う予定であった淑女たる指導を、代わりに執り行うよう指示を戴いております」
どうぞよしなに、と頭を下げるペトラ。
ただのハウスメイドだと思っていたペトラだが、実は子爵邸の護衛を兼ねた文武両道メイドだと知ったのは、子爵邸にお邪魔するようになってからだ。
エーリアスが「ハイジより厳しいから、覚悟しておいた方が良いよ」と耳打ちをしてくれる。……なんだと。
恐怖に震えながら、小さく「お手柔らかに」と答える他なかった。
さて、と和やかな雰囲気を切り替えるように、室内を振り返る。
明るい玄関先とは対照的に、両親の立つ部屋の中はどこか薄暗い。さっきの剣幕が嘘のような母さんと、そんな母さんの肩を抱く父さん。
二人の顔へ、順に笑いかける。できる限り、とびっきりの笑顔で。
「それでは、父さん、母さん。お世話になりました」
頭を下げる私を、二人は涙ぐんだ目で見つめる。まるで口を開いたらいけないかのように、母さんはギュッと唇を引き締めた。その代わりと言わんばかりに、父さんが震える唇で、無理矢理声を絞り出す。
「……世話になったなんて……そんな、寂しい事を言わないでおくれ。当たり前じゃないか……か、家族なん、だから……っ」
はらはらと落ちるように涙をこぼす父さん。慌てて隠すように目元を押さえるが、もう遅い。つられるように母さんの嗚咽が始まった。
湿っぽい両親を嗜めるよう、私はわざとらしく明るい声を出す。
「泣かないでよ、二人とも……寝起きの悪い娘を、もう起こす必要がないんだって、喜んだら、」
良いじゃない。
そう笑ってやろうと思った。
けれど、代わりに出たのはしゃくり上げるような震えた声で、途端に視界がじわじわと滲み始めた。
「っ……」
慌てて口元を抑え、泣くな、と無理矢理頭から体に指令を出す。今はダメだ。今泣いたら、きっと私はこの家を出れなくなってしまう。
顔を背け、唇を噛む。大丈夫。泣かない。まだ、大丈夫。
しん、とした中、母さんの飾らない泣き声だけが響く。
笑顔でお別れを言うつもりだったのだが、こんな空気になってしまった。精神年齢だけで言えば、もう子供じゃないというのに。エーリアスたちだって困惑していることだろう。
もう、行ってしまおう。早く、この家から出ないと。
踵を返し、無言のまま玄関を潜る。昨日母さんとピカピカに磨いた新しい靴が外の地面を踏んだ時、
「ごめ、んな…アメリァっ……約束、守って……やれなく、て……!」
父さんの声がした。
嗚咽交じりで、聞き取りにくい、今までで一番ひどい声。
それでも、その声に私は足を止める。




