第7話:裏切り者
メードは勢いよく王城の廊下を駆け出した。地下に繋がる階段を体を前のめりにして降り、足を素早く回す。
まずい。早く処理室に向かわないと。シュウィが、あいつが、見つかってしまう。見つかったら、絶対、殺され────。
長い石造の廊下。一人の足音が、タンタンタンと素早く響く。手前から六番目、奥から五番目の部屋。
案内なんてない、でも分かる。自分には、そこだけ扉の色が違って見えるから。
処理室の鍵を開け、その重い扉をめいいっぱい退ける。近くの壁を叩きながら、その棺桶の広がった景色にメードは目を血走らせ。
「おーいシュウィ!俺だ!いるか!?いるなら出てきてくれ!」
棺桶の一つが震え、御扉が手を振るように開く。棺桶から出てきたその白く細い体。
それが見えた瞬間、メードはほんの一瞬の安堵の後、シュウィに急いで近づく。シュウィは棺桶から足をするりと出すと、彼女の目を見ながら。
「今日は、早かったね……。じゃあ、」
「シュウィ!今すぐここから逃げるぞ!」
メードがシュウィの手を固く掴む。突然の提案にシュウィは少し体を震わせ、数ミリ眉に皺を寄せる。
「ど、どういうこと。そんな、急に」
「もう少ししたら軍の奴らが来るんだよ!見つかっちまったら、お前は殺される!だからだ!さあ、ほら早く!」
彼女の手を引っ張り、メードは扉の方へと向かおうとする。足を踏み出した瞬間。シュウィは、その彼女の筋肉質な腕を小さな手でめいいっぱい掴み、そして、握り。
「……シュウィ?」
軍人であるメードの動きを止めるには、少なすぎる力だった。でも、メードは彼女が自分に行った初めての抵抗に、足を止めざるを得なかった。
「私は、ここにいる」
茶色く光る、まっすぐな瞳が二つ。メードは笑うでも、悲しむでもない彼女の表情が心に染み込んでいくようで、手を強く握ったまま顔を歪ませる。
「なんで……どうして……」
「私に行く場所なんてない。どこにも逃げ場なんてない、だから、」
「でも!」
遮るように、響き。メードは徐々に足を意識に移す。進まなければ。その思いが頭に反芻する。その様子を見て、シュウィはその握っていた手の力を抜いていく。
「なぜ、あなたはそこまでするの?」
「……」
「私を外に出したら、あなたは軍を裏切ることになる。そうなったら、あなたこそ死ぬ。そんなリスクを冒してまで、なぜあなたは私に」
「……それは」
メードの頭に浮かんだのは、今は亡き弟の顔だった。今まで、自分が辿ってきた景色が頭の中を駆け巡っていく。
自分は、何なのだろうか。一体、自分は何のために生きているのだろう。メードの沈黙による、数分間。
そんな静寂を切り裂くかのように、突如目の前の鉄の扉が音を立て、開いた。そこには、手を後ろに組み、不動の姿勢を崩さない、必死に追ってきた父親の姿があった。
「お、お父様……!?どうして、ここに」
「やはり、そうだったか」
上品に扉を閉め、再びこちらに向き直ってから、オークはシュウィに目線を合わせる。
彼女のレンプリッヒ人である印、その茶色の双眼を確認すると、彼は背中に担いでいた銃を一瞬で構え、シュウィに勢いよく銃口を向けた。
メードは目を見開き、無意識にシュウィの前に被るように立つ。
「お父様!待ってください!」
銃口を向けられても、シュウィは表情一つ変えなかった。
メードは、ただ無言でその場を制圧する彼の威厳を感じ取り、無意識にも喉から言葉が押し出されるようだった。
「俺は、彼女から施設内での情報を引き出していました。事実、その影響で人形達の行なっていた独自の意思疎通法が解明され始めました。彼女はまだ情報を持っています。だから、ここで殺すのは……」
オークは彼女の言葉を依然無言のまま、咀嚼する。彼は向けていた銃口をゆっくりと下ろし、それを床に向ける。軍隊帽を左手で直しながら、メードの目をじっと見ると。
「いずれにしても、施設内のレンプリッヒ人全員の処刑は決定事項だ。メード、お前は処刑人だろ。今、その銃でそいつを殺せ」
「お父様!それでは情報が!」
「出来ないなら、この場で、お前を撃つ」
初めて向けられた、父親からの銃口。引き金にかかった彼の指は、容赦無く動くだろうとメードは今までの経験から思った。
彼女は、立ち尽くすシュウィの顔を見る。シュウィは彼女の顔を見て、ただ一度、頷くだけだった。
そして、メードは諜報員としての緊急時に使う小型銃を、軍服のポケットから少しずつ空気に触れさせた。手は、小刻みに震えていた。
「……分かりました、お父様」
メードは、シュウィに向かい合うように立ち、ゆっくりと銃を向ける。父親から向けられた銃口の重みを背中に感じながら、そこを汗が通っていく。
シュウィの後ろの焼却炉から漏れる火花が、その目の前の標的と重なる。引き金に、指をかけ。
「いきます」
彼女の頭に、銃口をずらす。その時に見えた彼女の顔が、夢に出てきそうで。そしてメードは、そのまま、引き金を────。
右足を後ろに下げ、足首を捻る。床を蹴ると、左回りに彼女は振り向き。
引いた。
「だめ……!」
その瞬間、シュウィは自然と声をこぼすと、メードの腕を掴んで下へとずらす。彼女が頭を狙ったはずの銃弾は弾道をずれていく。
「くっ!」
ズレた対象に一瞬で銃口を合わせ、オークが引き金を押し込もうと刹那。スコープから見えたのは、娘の姿だった。息を飲む。
一コンマ遅れて引き金を引いた時にはもう遅かった。飛んできた銃弾が手首に突き刺さり、銃を床へと落とす。放った銃弾は虚しくも天井に当たって、落ち。
「はああああ!!!!ああああああ!!!」
一心不乱に銃の引き金を何回も引くメード。銃を離さない彼女の手を後ろから掴むのは、その白く、細い腕だった。
「だめ……!こんなの……!」
銃弾が四方八方に飛び散る。オークの足、胸、腕、何箇所かに当たり、急所を捉えることはなかったものの、彼はその場で床に倒れ込んだ。
メードは銃弾がなくなっても、叫びながら引き金を引き続けた。その目には、うっすら涙が浮かんでいた。
「メード!」
耳元で放たれた掠れ声。それはまるで囁くような声だったにも関わらず、メードの頭の中にはそれが強烈に響いた。
我に帰り、目の前の光景を見て、銃を手から落とす。こちらに流れてくる血の発生元と、目が合った。雫が頬を伝うと、彼女は腕を宙に残し、膝から崩れ落ち。
目の前には、シュウィがいた。彼女は目尻を下げ、ただただメードを見ていた。シュウィはその細い指を、メードの頬に滑らせる。それはやけに暖かく、涙を拭き取られた後の頬は、酷く、冷たく。
「かっ……ぐはぁっ……」
床に伏し、血を吐き出すオーク。その声を聞き、メードは深く深呼吸すると、一度閉じた目を閉じる。それが、もう一度。
そして次に目を大きく見開くと、メードはシュウィの手を強く握って引っ張り、彼女を無理やり立ち上がらせた。
「行くよ」
戸惑うシュウィの顔も見ないで、メードはその手を強く引っ張っていった。
落ちているオークの銃とこぼれた弾を乱雑に拾い上げると、彼女はシュウィを連れ、そのまま勢いよくその部屋を後にした。
オークは血を吐きながらもなんとか手で体を起こした。時間をかけて床を這いずり、部屋の外に出て、顔を上げる。
見える景色には、彼女達はいなかった。地上に続く階段に向かって、匍匐前進を続けていると、一人の兵士が降りてきて、こちらを見るなりすぐさま駆け寄ってきた。
「オークさん!どうしたんですかその怪我!?」
「……王城内兵士各員に伝えろ。一人の軍の裏切り者と、一人の人形が処理室から抜け出した……。私のことはいい。その二人を、直ちに捕まえるんだ……」
「りょ、了解致しました!」
兵士は来た道を急いで戻り、階段を駆け上がっていった。オークは壁にもたれかけるようにして座り込むと、手で口の血を拭い、天を仰いだ。
「結局、私も同じだったな……」




