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蛹とドール  作者: 氷星凪
第二章
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第6話:夜風みたいな人

 大陸で有数の農業大国、レンプリッヒ共和国では、女性が産まれてくることはあまり歓迎されなかった。

 広大な国土ゆえ、共和国民は一世帯ごとに大規模な土地が分け与えられ、その土地を使ってなるべく多くの農作物を政府に上納することが強いられる。


 そして、その上納量により共和国民の地位は決められ、地位を上げた者はまた新たな土地を与えられて更に上納量を増やす。

 そんな階級構造が出来ている状況では、どうしても遺伝子的に筋肉量の多い男性の方が喜ばれてしまうのは逃れられない運命であった。


 そんな不幸が、ハプスト家には二度続いた。父、母、まだ九歳だった姉までも全身に泥をつけて畑を耕す様子を見ながら、四歳の頃のシュウィは家に代々伝わる農業技能や知識が載っている本をペラペラとめくっていた。

 家族は、いつもあんな調子だった。毎日必死に汗を垂らしながら、鍬を振り下ろす。上げる。振り下ろす。そんな単調な動きを繰り返し。


 両親とまともに話したのは、一ヶ月前だっただろうか。その時は時間が出来たからと、母親が面と向かって話してくれた。用具の使い方や、育てる種の見分け方といった、農業のことだけを。


 こんな生活があと三年は続く。親から七歳になったら、知識も筋肉量も申し分ない状態になり、シュウィも開墾の手伝いが出来るようになると言われていた。何より姉の姿を見て、自分自身、なんとなく察していた。


 夜になり、家族四人で卓を囲む。無言のまま、明かりも十分ではない部屋に食器の音だけが響く。

 両親はすぐにご飯を平らげ、明日の開墾のためにリビングの隣の寝室へと行き、すぐに寝転んだ。

 

「お前達も、すぐに寝るんだぞ」


 寝室から聞こえた父親の声は、淡白なものだった。部屋の戸が閉まると、シュウィは深く俯いたまま、また食べる手をゆっくりと動かした。そんな彼女のことを、姉のモンシャはじっと見つめていた。


 

 リビングを挟んで両親の寝室と反対側にある部屋が、シュウィとモンシャの寝室兼自室だった。

 ベッドの上に乗った塵を手で何度か払い、その細い四肢のついた体を静かにそこに乗せる。シュウィほどの軽さでもギシギシという軋む音が部屋にこだまし、もう自分もそれに慣れてしまっていた。


 ベッドに腰掛けた状態で、床を見る。月明かりに照らされた床の木目をじっと見つめていると、横にならなきゃという圧迫感をほんの少し忘れられる気がした。


 遅れて、モンシャが部屋に入ってきた。シュウィの様子を見るなり、彼女は少し笑い、ベッドの下に手を入れた。木の床が開く音。そこから彼女が取り出したのは、一冊の表面が汚れている本だった。彼女は、シュウィと対面にあるベッドに腰掛け、膝を二回叩く。


「シュウィ」


 彼女の呼びかけに体が引っ張られるように、シュウィはモンシャの膝へと座る。モンシャはシュウィを抱くようにして、本を広げ、その中身を見せた。

 そこには見たことのないような煌びやかな洋服を着た人々が、華麗に動き回っている様が写真で載っていた。


 静止画とは思えない躍動感を含むそのページに、シュウィは目を見開いた。同時に自分を包み込む、たくましくも温かみのあるモンシャの腕の感触を肌に感じ、シュウィは顔を綻ばせていた。

 上を向き、モンシャと顔を見合わせる。彼女もまた笑顔を見せながらページを捲り、シュウィに部屋から漏れないような声で語りかけた。

 

「シュウィ、見てこれ。この世界には、おっきいお城の中でこういうキラキラしたドレスを着て、みんなで踊り合うっていうのがあるんだって」


 所々ページが破れているが、確かにそこには豪華絢爛な景色が広がっていた。見たことないほど大きなライトのようなものが天井からぶら下がっており、床は模様のついた布で、壁にも同じような模様が多彩な色で描かれている。

 そんな部屋で、ドレスを着た人々が優雅に踊る様。そんな現実離れした世界が、この世に存在するのかと疑ってしまいそうになるほど、それはそれは心を震わせた。


「……すごい」


「これ、宮廷舞踏会って言うんだって。私、こういうの好きだなぁ。一度でいいから、こんなとこ行って踊ってみたりしたいよ」


 お姉ちゃんが好きなものが、私は好きだ。景色に見惚れながら、お姉ちゃんの腕に触れる。背中を預けると、もっとあったかくて。


「お姉ちゃんなら、きっと綺麗に踊るよ」


 そう言うと、モンシャはその茶色の長髪を耳でかきあげ、シュウィをより強く抱きしめた。


「その時は、シュウィも一緒だよ。だから、いつかちゃんと踊れるためにいっぱいこの本を見ないとね」


 シュウィは静かに頷いた。それから二人は時間を忘れて、ページをめくった。

 読んでいるうちに、最初はあれだけあった左側のページの束がもう半分以下になっていることに気づくと、シュウィは少し悲しくなった。


 毎晩のこの時間だけが、シュウィにとっての生きがいにまでなっていたからだ。シュウィはモンシャの方を向く。


「ねえ、もうすぐこの本終わっちゃう」


 シュウィの掠れるような声とその目線を見て、モンシャはまた優しく微笑む。


「それじゃ、今日はここまでにしようか。それに、また新しい本を拾ってくるよ。だから、心配しなくていいから」


 そう言って、彼女はゆっくりと本を閉じた。シュウィはそのまま彼女の方を向いて微笑み、床に足をつくと、膝からするりと降りた。


「トイレ、行ってくる」


「分かった。それじゃ、私は先寝てるね」


 扉を静かに開け、リビングを通る。起こしちゃいけないと思い、足音を殺して歩くと。


「ねえ、あなた」


 部屋から啜り泣くような声。こもってよく聞こえないが、母親だ。その後には、父親の声もした。


「やっぱり、私申し訳ないわ。二人も女を産んじゃうなんて」


「なあに、君のせいじゃない。仕方ないことだ」

 

「でも、シュウィは正直もう見込めない。あんな体で、働いても十分には動けるかどうか」


「まあ、それも仕方ないものさ。最悪、俺がなんとかする。二人でこの困難を乗り越えようじゃないか」


 シュウィはいつの間にか、足を止めていた。自分が困難を作り上げてしまっている。自分の生まれてきた意味は、一体なんなのだろう。上がりかけた目線は、再び下へと移った。


 

 それから数日のことだった。いつものように、畑仕事をする三人を見ているシュウィは、体に地響きのようなものを感じた。

 それは段々と大きくなり、遂には遠くの景色で大きな爆発が起きた。続け様に射撃音。悲鳴。近所の人の大声。


「隣国の軍だー!荷物を持って早く逃げろー!」


 その呼びかけにより、三人はすぐに鍬を手放した。そして、家の方に走って向かい、全員ですぐに荷物をまとめ、家族四人で家を去った。

 地域南部に村があり、そこに避難しようと父親が言うと、それに従い、四人で駆けていく。同じ方向を目指す人々が徐々に数を増していき、一番近い道は人で塞がっていた。


 しばらくして、銃弾が飛び交う音。ハプスト家は近所の人に連れられ、回り道をして村を目指していた。

 家屋は倒れ、人は血を流し地面に伏している。あらゆる所で敵国・自国双方の軍人が戦いを繰り広げており、ブルムス国軍の軍人は軍人、民間人関わらず、レンプリッヒの者には容赦無く引き金を引いた。


 それは、ハプスト家も例外ではなかった。飛んでくる銃弾が父親の足を掠め、彼は地面に倒れ込む。母親が手を伸ばそうとするが、そこへ飛んでくる銃弾。

 父親は母親をかばい、背中に銃弾を受け、倒れた。だが、虚しく母親も銃弾に撃ち抜かれる。モンシャとシュウィで助けに行こうとしたものの、彼女の体は流れてきた人の波によって踏み潰され、地面が血で赤く染まっていった。


 モンシャは涙を流しながらシュウィの手を引っ張り、ただ必死に足を回す。シュウィはただ呆然としたまま、理解しようと目の前で繰り広げていた光景を頭の中で何度も繰り返した。


 モンシャは、シュウィを抱くようにして落ちている瓦礫の裏に身を潜めた。兵隊の足音がする中、彼女はシュウィの両肩を強く掴む。


「シュウィ。あなたは走って逃げなさい。ここから南にまっすぐ行ったら、村がある。そこまで振り返らずに、ただ全力で走るのよ!いい?」


「お姉ちゃんは……?」


「私は大丈夫」


「で、でも、」


 シュウィが言おうとしたのを、モンシャは人差し指で止める。何者かの足音。顔を出すと、敵国の軍人の姿。彼女は再び、シュウィの肩を掴み。


「もう時間がない。シュウィ、あなたは強いわ。さあ、ほら準備して」


 お姉ちゃんの言うことは、断れなかった。シュウィはモンシャを背にして、南に伸びる道に体を向ける。モンシャは彼女の背中に、手を置くと。


「絶対、振り向いちゃダメだから」


 そう言って、彼女はシュウィの背中を強く押した。その勢いのまま、シュウィはその細い足を前へ、前へと進める。


 後ろで、大きな発砲音がした。それでも、お姉ちゃんに言われたから、絶対振り返らなかった。駆けた。駆けた。もう苦しいのか、生きているのか、分からないほど駆けた。


 気づいたら、辺りは瓦礫の山だった。赤と茶に染まったワンピースが、一滴、二滴と濡れていく。雨なんて、降ってもいないのに。

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