第5話:期待したのか
その後も、シュウィとメードはしばしば顔を合わせていた。踊ってはメモをし、踊ってはメモをし、の日々。
ある時、メードは軍の書庫から隠れて持ってきた「踊り」に関する本を持ってくるようになった。バレエの教本や、世界の舞踊図鑑。
そこには、宮廷舞踏会の様子が描かれたものがあり、シュウィはそれを見て、ほのかに目を輝かせていた。
「ここは、なんて書いてある……?」
「読めないか?ここは、えっと、舞踏会の催事的側面、って。下には、毎年12月31日に宮廷舞踏会は行われるって、書いてあるな。そういえばもうそんな時期か、あと三日だな」
メードがそう言うと、シュウィは少し曇ったような表情を見せる。
「あの時……私が見たのって、宮廷舞踏会じゃなかったの?」
「あれは、王城内で毎日行われている娯楽舞踏会だ。護衛で一度行ったことがあるから分かるが、宮廷舞踏会はもっと会場が広い。それに貴族達は仮面をつけて踊る、いわゆる仮面舞踏会ってやつ、かな」
メードの話を聞き、シュウィは頭の中で想像を巡らせる。宮廷舞踏会、豪華絢爛な装飾の中、優雅に踊る人々。この、心があったかくなる感覚。不思議と昔を思い出してしまう。
「メードは、そこで踊ったことあるの?」
「いや、ない。というかそもそも、軍人は舞踊をしてはいけないという決まりがある。逆も然りだ。貴族が血に染まるようなことがあってはならない、だから貴族は貴族で踊って、俺達軍人は戦いに出る、そういう仕組みになってるのさ」
シュウィはメードの目の奥を見た。そこには、ただ優しく光る灯火のようなものがあった気がした。それ故に、彼女と触れ合うと、なぜ昔を思い出してしまうのかが分かった気もした。
沈黙の中で、メードはページをめくっていく。読めないところを聞きながら、シュウィは紙面上で今にも動き出しそうなダンサーの挿絵を食い入るように見た。
「……なあ。俺からも一つ聞いていいか?」
ページを捲る手が止まり。メードはいつもより低く、そしてこもった声を部屋の中に響かせた。
「なんであの時、殺せなんて言った」
まっすぐな目だった。あの時。一番最初にここに来た時の、あの言葉。自分でも自然とああ言えたのは、やはりずっと思っているからなのだと感じた。
その気持ちを上手く言葉にしようと、シュウィは少し黙り込む。メードにはそれが言い淀んでいるように見えたのか、言葉を続けた。
「生き物がや人が死ぬって……そんなに、簡単なことなのか?そんなに、軽いことなのか?」
あぐらの上で拳を固めるメード。喉元から押し出されるようにして、シュウィは掠れ声を吐き出した。
「分からない。けど、私はただ、もう帰る場所がないってだけだから」
「え?」
「私、家族全員十年前の戦争で死んじゃったの。悲しかった。好きだったお姉ちゃんが死んだ時は、特に」
メードは十年前の戦争と聞き、すぐに頭に思い浮かべることが出来た。1732年に勃発した、ブルムス国最初の侵略戦争である、エーヴィ戦争。
あれは自分が初めて軍人として戦争に出た、最初の現場でもあった。激しい銃撃戦に巻き込まれ、仲間も、レンプリッヒ国民も、多くの命が失われた。
初の侵攻戦争ということがあり、戦力の差は歴然だったものの、ブルムス軍は無駄に民間人の命を奪いすぎていた。
その現場で、メードは一人の少女を見つけた。瓦礫の山に囲まれ、立ち尽くし、泣き叫ぶ少女。白いワンピースが血に染まっている彼女の様子を見て、メードはいてもたってもいられなくなった。
「まだ幼い子供です。ここで殺すよりも、捕虜にした方が今後の役に立つかと」
隊長に、そう自ら打診した。そして彼女を含む、149人のまだ幼いレンプリッヒの少女達は特別の施設に入れられることとなった。
彼女の家族を殺したのは、メードの仲間かもしれないし、メード自身かもしれない。そう思うと、メードは、どうしても、どうしても、自分の行いに誇りが持てなかった。
「お前の家族を殺したのは……。紛れもなく、俺達だ。やっぱり、こんなこと、」
「もういいの」
シュウィはメードの言葉を遮るように、呟く。メードはいつの間にか、自分が目に涙を溜めていたことに気づいた。そんな資格は自分にはないのに。中途半端な、加担者なのに。
「もう、お姉ちゃんは帰ってこないから」
その時、メードは初めてシュウィが口角を少し上げたのを捉えた。諦観から来る笑顔が、メードには受け入れきれなくて。心臓が締め付けられるようだった。
長い沈黙。二人は俯き、本ではなく、ただ虚空を見ていた。焼却炉が燃え続ける音だけが、確かに部屋に響き続ける。そんな中、先に顔を上げたのは、メードだった。
「……なあ、シュウィ。お前、宮廷舞踏会に出ないか」
シュウィはゆっくりと顔を上げた。呆然といった表情で、彼女の目の奥を見る。そこには静かな灯火。まただ。言葉の意味がよく理解出来ないまま、シュウィは聞き返す。
「ここから外に出ちゃ、ダメなんでしょ?」
「仮面を被って、髪を隠せば姿はバレない。当日は俺が護衛につくことにすれば、恐らく中に入ることが出来る。衣装も俺が用意する。会場までの地図だって用意出来る。参加する条件は揃ってる、どうだ?お前ならきっと、良い踊りが出来るはずだ」
捲し立てるような口調で、シュウィに話しかけるメードの顔は冗談を言っているようには見えなかった。それは諜報員の時とも、処刑人の時とも、違った顔で。
「そんなこと、なんでわざわざ」
メードは自分でも何を言っているか分からなかった。貴族の集まる一大催事で、レンプリッヒ人を潜入させるなど、十分な裏切り行為だ。
何か合理的な理由さえ見つければ口実に出来るのに、今はそのことにすら関心が行かない。ただ、衝動的に、口が勝手に動いた。なのに、頭は酷く冷静で。
「……俺が出来ることって、それしかないと思った」
言葉に遅れて、思考が追いついた。メードはシュウィのことをじっと見つめる。自分が、これまで見てきた顔が重なっていく。悲しみに暮れる顔。そんな顔は、見たくなかった。
彼女の、目を輝かせている顔。舞踏会を見る顔。メードはその時だけ、心が満たされるような気がしていたのだ。それでも、シュウィは首を静かに横に振った。
「私は、行かない」
メードにとって、それは予想外の答えだった。シュウィの踊りを見続けて、彼女を分かったような気がしていたからだ。全身の力が抜ける。
「……なんで、どうして」
シュウィは一息置いてから、再び俯いた。
「誰かに見せるための踊りって、悲しくなるから」
それから、メードもシュウィも何も言わなかった。しばらくしてメードが立ち上がり、また来る、とだけ伝えてノブを握り、ひねろうとした瞬間。
「全部教え終わったら、ちゃんと殺してね」
メードは振り向かないまま、遅れて空返事を部屋に残した。今日はやけに鉄扉が重く感じ、廊下に出てノブを強く引くと金属が激しくぶつかる大きな音が響いた後に、それは勢いよく閉まった。
鍵を閉め、歩き出すメードの心にはどうにも出来ない虚無感が這いつくばっていた。同時に、あと何回彼女の踊りを見れるのだろうというその不安が、足をより重たくさせているようだった。
あれから三日が経った日の夜。メードは国王からの呼び出しにより、謁見室にいた。
玉座の前で膝を突き、忠誠を誓うその姿勢を保ちながら、メードは国王のお言葉を待っていた。
「今回呼び出したのには訳があってだな。処刑人としての仕事に関わる伝達事項についてだ」
立派に伸びた白髭を片手で触りながら、国王はメードに淡々と語りかける。
「先日、我々はバオメラ王国の制圧にも成功した。国土はレンプリッヒと同じほどの広さであり、これほどの規模の国を制圧したことは非常にめでたいことと言える」
「存じております」
「そこでだ。我々は施設の中の捕虜を、レンプッリヒ民からバオメラ民に入れ替えることに決めた。また違った民族の下級舞踊会となれば、貴族達も関心を持ち、文化の発展へと繋がるだろう」
「一つ、よろしいでしょうか。そうなった場合、以前のレンプリッヒ民は一体どのような待遇となるのでしょうか」
カルティファス国王はその言葉を待っていたかというように、ニヤリと笑い、持っている杖を床にコンコンと打ちつけた。
「全員処刑じゃ」
メードは、だろうな、と心の中で思った。同時に、約三十人分の処刑が業務として追加されることに少し嘆きを覚えた。
シュウィに会うことの出来る頻度が減ってしまうという事実に、申し訳なさと悲しさで板挟みになる。
「それでだ。その場合、多くの遺体を運ぶために大量の棺桶が必要になるであろう。今、処理室に兵士を向かわせておる。合流し、お主の持っている鍵で扉を開け、その棺桶をありったけ、施設近くの鉄格子まで運んで欲しいんじゃが頼めるか?」
その言葉を聞き、メードは冷や汗が首筋を伝う感覚を覚える。心臓の鼓動が速くなり、体が熱くなってくるのを感じると。
「今……向かっているのですか……?」
「ああ、そうじゃ。業務が多いであろうとは思うが、頼んでくれるかのう、」
「その業務、迅速に取り組ませていただきます。早速取りかからせたく存じますので、それではここで失礼致します」
「あ、ああ。よろしく」
そのまま素早く礼をし、国王の返事を背にする。メードはなるべく早歩きでその間を出て。
バタン、と勢いよく閉まる扉。静寂が響く謁見室の中で、国王は玉座に背中をもたれ、ため息を一つ漏らす。
「本当に良かったのか?あんな嘘まで吹き込んで」
玉座の後ろに隠れていたオークが姿を現し、国王の冷ややかな視線を受けながらも、手を後ろに組み、胸を張った堂々たる姿勢を見せていた。
「私が甘やかしすぎた結果です。娘の始末は、私がつけます」
「なんとまあ君も、責任感が強すぎるというかねえ……」
髭を手でつまみながら肩を落とす国王を背に、オークはその頑鉄な眼差しを崩さず、部屋にブーツの音を響かせていた。
彼が礼をして、再び扉が閉まる。やはりその振る舞いは、親子でどこか似たものを感じずにはいられなかった。




