第4話:忠義
ティスティンガー家は、古くから続く軍隊一家だった。
父は陸軍中将、母は海軍という双方で人を指揮するほどの地位に立っており、長男のクラハ、次女のメード、三男のオルフを含む五人家族は一家総出で軍のために忠義を尽くすことを掲げていた。その様子はもはや家族というよりも、一つの小隊であった。
幼い頃から父親のオークによる厳しい訓練が家の内外で行われ、体力トレーニングでは気絶寸前まで体を追い込むのが日常だった。
彼女達の間には、家族的な会話などは一切なく、口を開けば軍人としての教義。メード達は生活を通して、自然と軍人の心得を強く叩き込まれていった。
だが、その生活は苦しいものだった。性別による筋肉量の差はどうしても埋めきれないものがあり、メードはいつも兄に遅れを取っていた。父親は兄を褒め、いつしか兄への訓練を重点的に行うようになった。
母親はほとんど家に帰って来ず、同性がいない環境の中でメードは日に日に追い込まれていった。寝る間も惜しんでトレーニングを重ね、必死に父親から認められようとするも、オークはいつも彼女を見てこう言う。
「お前は甘い。目の奥に、甘さが残っている」
その言葉が、自分には痛いほど刺さった。庭で飼っている鶏に銃弾を当てるという発砲訓練で、メードは引き金を引くのを躊躇してしまった。
隣で兄は次々と鶏達を打ち抜き、その冷徹な彼の目線に少し恐怖した瞬間から、メードは軍人としての人生に狼狽えていた。
それでも、この血からは逃れられない。彼女が自分の辿った道を振り返ると、そこには戦い以外何も残っていなかった。
メードが五歳になった頃、彼女は国営の士官学校に入学することとなった。同時期に三男のオルフが生まれ、その時のメードは初めて自分に年下の仲間が出来たのがやけに嬉しく、訓練の隙間を見つけてはオルフによく軍事本を読み聞かせたり、対面で戦いのイロハを教え込んだりした。
年を経る毎に訓練は厳しさを増していき、メードは士官学校内でもよく指導の対象となることが多かった。
ついて行くのがやっとの訓練の中で、家に帰り、オルフと触れ合っている時間だけが、彼女にとっての細やかな癒しの時間だった。
それから六年が経った頃だった。兄のクラハは出世し、メードも候補生として食らいつき、弟のオルフも士官学校に入学するというように、三人は確実に成長を続けていた。
だが、悲劇が起きた。オルフが訓練のあまりの厳しさに耐えきれず、走行訓練中に倒れ、意識を失ってしまったのだ。
他の訓練生全員が先を行っていたせいか、倒れたオルフに気づく仲間はおらず、彼はそのまま帰らぬ人になった。
メードは父親からそのことを伝えられた時、思わず涙が溢れた。だが、その姿を見たオークはメードの胸ぐらを掴み、目を大きく開いて彼女に訴えかけた。
「一人が死んだ程度で悲しんでいるようじゃ、お前は半端者にしかなれない」
兄も、同じような反応だった。あんまりだと思った。でもそれは、やはり自分の甘さから来るものなのかもしれない。
その日からメードは、自分の判断の何が間違っていて、何が正しいのかがあまり分からなくなってしまった。
それでも彼女は進んだ。進むしかなかった。ただ父や兄の後を追うように這いつくばってでも進み、今、彼女は立っていた。軍のために、国のために。
処理室の鍵を回し、全身で押すようにしてその重たい鉄扉を開ける。焼却炉から漏れた空気が、偽りの故郷のような温もりを持ったまま漂っていた。
「俺だ。出て来ていいぞ」
メードの声に反応し、床に散乱している棺桶の一つが開く。前より痩せ細ったように見える細い体がすくっと立ち上がり、こちらにゆっくりと歩いてくる。
メードは軍服の上着の中に手を入れ、昼食の時に補給されたチューブ状の栄養ゼリーを取り出す。
「ほらこれ。少ないけどな」
「……ありがとう」
近づいてきたシュウィにそれを渡す。シュウィはそのビニルで出来た切れ込みの入った包装を両手で持ち、開けようとするが、それがいくらやっても千切れなかった。
見かねたメードが手を差し出し、その包装を軽く切って再び渡す。シュウィが喉を鳴らしながらゼリーを飲み込む姿を見て、メードは小さく息を吐いた。
「それじゃ、早速だが見せてくれ。俺はその動きと対応する意味をここにメモする」
「分かった」
メードが幾らかの棺桶を部屋の隅に運び、部屋の中心の空間を広げた。そこにシュウィは立ち、そこに向かい合うようにメードはあぐらをかいて座り込んだ。
「いくよ、まずは」
両手をお腹の前で構える。背筋をピンと伸ばした状態で、その場で垂直に飛び、空中で足を鳴らす。
「これが、何って意味」
メードが筆を走らせる。人差し指を一本立てるジェスチャーを受け、シュウィはもう一度同じ動きを行う。
ペンを動かす。シュウィが動く。このルーティーンを何回か繰り返し、メードは行われた動きを明文化しつつ、対応する意味をページに書き記した。
「よし、次」
メモのページをめくり、メードがシュウィに視線を向ける。シュウィはいつもの姿勢である、足を中途半端に開く待機姿勢をしようと意識した瞬間。
少し、魔が差した。周囲を確認すると、彼女は、踵と踵をくっつけるように足を真一文字に開いた。昔本で見た、バレエの第一ポジションとかいうやつ。
メードは動きが遅くなったシュウィにどうした?と声をかけるが、彼女はすぐに、なんでもない、と言い、そのままゆっくりと動き出した。足を爪先立ちにしてから左足を上げ、上げた足を緩やかに曲げて二秒保持。
「これが、あれっていう意味。あっちだと、これとかあなたっていう意味も含まれている意味の広い動きだったと思う」
「なるほどなるほど。ちょっと待ってな、えーと。もっかいその動きやってくれるか、最初のとこから」
メモを取るメードを横目に、シュウィは今度は躊躇いなく足を真一文字に開く。そして先ほどと同じ動き。メードのペンが走り、シュウィはもう一度同じ動きを。
「よし、完璧。それじゃ次」
その日、シュウィは様々な踊りを踊った。両足を揃え、右足を左足に交差させて右足を軸に右回転、これが良いの意。対して、左足を交差させて左足を軸に回るのが、悪いの意。
右手を勢いよく伸ばし、引っ込める。これが遠いの意。体を右に向かせ、左足を床に平行になるように上げ、両腕を大きく開く。これが看守の意。というように、簡単なジェスチャー程度のものから、振り付けらしいものまでシュウィはメードに教えた。
だが、教える単語が二十を超えてきた辺りで、シュウィの体が止まる回数が増えてきた。メードは目が泳ぐシュウィを見ると、メモを閉じ、立ち上がる。
「今日はこの辺にしておこう。俺もこの後、仕事があるんでな」
「すみません。少し、出てこなくなってしまって」
立ち尽くすシュウィの、光に反射した茶色の目。メードはそのシュウィの痩せ細った体に目をやりながら、メモをポケットにしまう。腕につけた時計で時刻を確認して、まだ次の業務に余裕があるのを確認すると。
「……一回、お前の好きなように踊ってみたらどうだ?」
「え?」
「お前、自由時間とかにたまに見せてくれただろ、踊り。あれやったら、ちょっとは思い出すんじゃないかって」
シュウィは口を閉じ、何も言わない。メードは再びその場に座り込み、彼女をじっと見上げていた。そんな姿を見て、シュウィはゆっくりと目を閉じる。
そのまま両腕を自身のお腹の前に、右足の爪先を右、左足の爪先を左に向けた状態で足を前後に密着させ、昔本の中で擦り切れるほど見たバレエダンサーの構えを真似してみる。
垂直に背筋を伸ばしたアン・ドゥ・オールの姿勢。これも昔本で見た用語。響きが好きで、覚えていた。ふっと小さく息を吐くと。
シュウィは動き出した。右足を床に平行に上げてから、床につけないで曲げるというバットマン・デヴロッぺから繋ぐように、今度は左足を自身の体の後方にずらす。
そこから曲げた左足を勢いよく伸ばし、その場でくるりと一回転。二回転。これが回転を表す、ピルエットの動き。
回転をしながら、左側に移動していく。着地後、そのまま右に小走りし、小ジャンプ。頭の中で本のページをめくっていくように、自分の体を図表のポーズと一体化させる。
それは決して不自然なものではなく、寧ろその体の細い線と相まって、一つ一つが綺麗な直線を描いていた。
最初の足を交差させるような構えから、右に向かって跳躍。足を伸ばし、腕も広げ、空中を羽ばたいていく様、シソンヌ・ウーヴェルト・アン・ナヴァンが、メードには白鳥が飛び立つ様子に見えた。
シュウィが動く度、メードは体を揺らしながらその動きに視点を合わせる。先ほどの記号的舞踊とは全く違う、ありのままに踊る彼女の姿。
メードには彼女が世界で一番自由な存在に見えた。自らがそんな彼女を縛っていることさえも忘れて。
再びのピルエット。一回転、二回転、三回転……。十。シュウィは両腕を広げ、その生命力あるポーズで動きを止めた。部屋に響くのは、彼女の息が切れる音。
そこに重なるように響いたのは、メードが小さく手を叩く音だった。
「やっぱり、悪くないな」
メードは息を切らす彼女を尻目に、時計を見た。もう時間だと悟り、棺桶を元の位置に戻し始めた。
余っていた携帯用の水をシュウィに渡し、また来る、と言い残し、メードは部屋を後にした。鍵を閉め、歩くその姿は来た時よりも少し胸を張っていた。




