第3話:まるで、関係のような
暗い闇の中。落ちていった意識は、どこへ辿り着くのだろう。コンコン、コンコン。どこかから音がする。何かをノックするような、そんな。
重たいまぶたを引き剥がす感覚。眼前に広がるのは、やはり暗闇。死の世界とはこれほど印象通りなものなのかと思索するシュウィの耳には、確かに壁を叩くような甲高い音が聞こえてきていた。
音の正体を探ろうとその暗闇の世界を歩こうとする。だが、足が進まない。それどころか体が動かない。物理的に動ける空間がないのだ。狭い。まるで箱詰めにされたおもちゃの気分だ。というか、そうだ。
今、自分は自分と同じ身長の箱に閉じ込められている。外から叩かれる音は、恐らく誰かがこの箱を叩く音だ。
全く状況を把握出来ていないが、シュウィはなんとなく手首をひねり、最小限の動きで壁を叩き返した。コンコンと、予想通りの音。すると。
「見ろ」
箱の外からの謎の声。同時に目線にある壁の一部が下にずれ、外から光が差し込んでくるのが分かった。
わずかに見える景色。そこには確かに、絢爛なドレスを身に纏った貴族達がくるくると舞う、舞踏会の様子が眼前に広がっていた。
思わず息を飲む。今まで本のページ上や頭の中でしか行われていなかったその踊り場が、今、目の前にある。音楽に合わせて、華麗に踊るその姿。
回転を主軸としたその気品あふれる動きに、シュウィは見惚れ続けていた。圧巻の景色。それは、ここが天国だと言われても、信じることが出来るほどの。
「終わりだ。行くぞ」
再び声がして、壁が元に戻る。暗闇に戻った視界の中で、自分は歩かずとも勝手に右に進んでいる感覚がした。
車輪がカーペットの上を静かに滑っていくような音。間違いない、ここは王城内だ。そして、なぜか箱に詰められて運ばれている。
謎だらけだ。そもそも自分は生きているのか。あの黒づくめに処刑されたのではないのか。疑問が次々と浮かぶ。
シュウィは考えようとした。でも、そんな思考の隅ではあの絢爛な景色がずっと引っかかっていた。久しぶり、だった。あんなに心が動いた気がするのは。
死人に口無し。そんな今だけの特権を言い訳に、シュウィは結局考えることをやめ、しばらくあの余韻に浸っていた。
遂に動きが止まり、金属製の鍵をいじる音が聞こえてくる。気持ちの良い解錠音がしてすぐ、その前面の扉が開き、箱の中に光が入って。
「どうだい、目覚めの方は?」
その光の霧が晴れた時、目の前にいたのはあの黒いローブで全身を隠した処刑人だった。
処刑人は、シュウィがこちらに気づいたと分かってから、その箱の前面の淵を足で蹴り、その大きな箱を勢いよく床に倒した。
箱に取り残され、姿があらわになったシュウィは部屋を見渡す。そこでは棺桶が粗大ゴミのように所々に散らばっており、自身の後ろには大きな焼却炉がゴウゴウという音を立てて炎を立てていた。
「早速だが19番。いや、シュウィ・ハプスト。お前に協力してもらいたい」
聞き覚えのある声。処刑人はその黒いフードを手で捲し上げ、遂に顔を露わにする。飛び出す白髪。白い双眼。そこにいたのは、紛れもない215番だった。
「俺はメード・ティスティンガー。ブルムス軍情報管理・統制部門の諜報員、いわゆるスパイってやつ」
少し勝ち気なその声色と、軍に出てもおかしくない筋肉質な腕。確かに今思えば、なんら違和感はない。
シュウィがメードの腕を注視しているのに気づき、メードは自分の腕についている焼印のシールをベリベリと剥がし、そこらに捨てた。
「あーここではちなみに俺以外いないから。別に喋っても何もお咎めなしだからさ。とまあ、自己紹介はこの辺にして。本題はここから」
その瞬間、メードはシュウィに飛びかかり、シュウィは思わずその石の床に尻餅をつく。メードは膝を立てるようにして、彼女の体を引き寄せ、その顔に銃を突き立てる。
「俺さー。あんたらがこそこそやってる意思疎通の方法?あれ調べないといけないんだよねー。だからさ、死にたくなかったらここで全部教えてよ」
メードは強い力で銃口をシュウィのおでこに押し付ける。シュウィは思わず顔をしかめながら、その力に本能的に抵抗しようと体が動く。
それをねじ伏せるように、メードは彼女の首の後ろに手を回して、より銃口を押し付け。
「唯一……あんただけがさ!俺と話してくれる存在だったわけ。だからやっと情報引き出せると思ったのにっ、王女様が変な命令するからさっ……!わざわざ麻酔銃で殺したふりする羽目になっちゃったんだよ……!さあどうする19番?このまま死ぬか、それとも情報を言って楽になるか!答えは明白だろ!?」
「……殺して」
何年かぶりに絞り出したシュウィの声は、酷く掠れていた。メードは一瞬動きを止め、彼女の言葉に耳を疑ったような表情を見せる。
「別に……死んでも構わない。だから、それでいい」
その瞬間、メードは彼女にかけていた力を抜き、銃口を下ろした。頭を素早くかきながら、顔に皺を増やす。
「あー……それじゃ困るんだよなぁ……。んー……」
彼女が立ったり座ったりと、忙しなく部屋中を動き回る。シュウィはその様子を目で追いながら、やっぱりさっきの彼女の鬼気迫った顔は嘘のように思えた。
「……いいよ。別に」
「え?」
「教えるよ。知ってる範囲のことしか、言えないけど」
そう言うと、彼女のその忙しない動きが徐々に止まった。シュウィを見ては、虚空を見て。それをまた繰り返して。
「……いいのか?一応お前らにとっては、俺は敵国の軍人で、」
「そういうの、いいよもう。どうでもいい」
メードはそうか、と小さく呟くと、それとなくこれからどうするのかを伝えてくれた。世間からしても、組織からしても、シュウィは死んだこととなる。そのため、必然的に外部と接触することは出来ず、これからシュウィはこの処理室の中で過ごすことになる。
食料や生きるための最低限の設備は、メードが後々調達してくれるとのことであり、一応ある程度の身の安全は確保された状態で、度々訪れる彼女に踊りでの意思疎通法を教える、ただそれだけのことだった。
「覚えている情報を全て言い切ったら、もうお前に用はない。そうなったら、俺は今度こそお前を殺す。それで……いいよな?」
「……うん」
メードは息を小さく吐いてから、シュウィの承諾を飲み込んだ。
血管が血走っている逞しい腕を使って立ち上がり、そして軽く別れの挨拶をしてから彼女はその処理室の扉に鍵をかけた。
「以上が、今月の報告になります」
軍服姿に着替え、玉座の前で膝をついて捜査報告を終えたメードは、カルティファス・グロリア国王の次のお言葉をただじっと待っていた。
「うむ、苦しゅうない。本日は処刑人としての責務もご苦労であった。引き続き、諜報員としての活躍、処理部門の管理に励むように」
「ありがたきお言葉、誠に嬉しく思います。軍のため、国のために邁進させていただきます」
「我々は一刻も早く、先進国に追い付かなければならないのだ。更なる活躍を期待しておるぞ」
「期待に応えられますよう、全力でお力添えさせていただきたいと思っております。それでは失礼致します」
謁見の間から恐る恐る退出した、メードは一旦胸を撫で下ろす。未だシュウィのことは軍に気づかれていない。
活躍するには奴を上手く使って情報をより引き出さなければ、そしてより軍に貢献するのだ。
「メード」
その声だけで、全身に力が強く入る。渋みのある低音で呼びかけてきたのは、白髭を蓄えたその威厳のある姿。
軍服に光る三つの星の装飾は、陸軍中将という偉大なる役職を表すと共に、ティスティンガー家の権威も同時に示していた。
「お、お父様……」
オーク・ティスティンガーはメードの目をじっと見つめる。それに応えるように、メードも姿勢を正すが、彼は決まって口にすることは同じだった。
「お前には、甘えがある。目の奥に、ずっとだ」
「……。もう引きずってなんかいません。俺は、ブルムス軍の軍人として国のために犠牲は厭わないと決めました」
後ろで腕を組みながら歩き、メードの横に立つオーク。次は、彼女の目を見ることなく。
「遠くで待っているよ」
そう残し、彼は再びメードを置いていくのだった。メードは拳に力を入れ、何度目か分からない決意を固める。
絶対に、国の役に立ってやる。そして、お父様に追いつき、認めてもらうんだ。俺は、もうあの頃の俺じゃないはずなんだ。
メードは、歩く父親を背にまた必死に足を動かしていく。ただ一つ、自分の信念のために。




