3. アラーチェ公爵令嬢シャイア(1)
誤字報告ありがとうございます(ノシ_ _)ノシ
ペリクルス新道建設プロジェクトとは、隣国と接するオルド辺境伯領内からペリクルスの森を縦断してアラーチェ湾に至るショートカット新道を敷設する国の一大プロジェクトである。
北側の隣国ポルッカ王国とナディルナルナ王国は敵対関係であったが、五十年前を最後に戦争は起こっておらず、近年は少しずつだが物の売り買いなどのやり取りが生まれており、五年前からは国王が親書を交わすようにもなった。
このまま友好的な関係を築きたい――。
そのような思惑から、ペリクルス新道建設とそれに伴う国内貴族の政略結婚が組まれたのである。
アラーチェ公爵領の主力産業は港を通じた商業と、内陸での染色植物の栽培だ。これをペリクルス新道を通じて隣国国境の街エルドに運ぶ。エルドは綿花の栽培と織物が主要産業のため、アラーチェ産の染色材でそれらを染め、出来上がった製品をペリクルス新道を通じてアラーチェ港まで運び、海路で大陸各地に流通させる。その代わり、ポルッカの船の港湾税を破格の安さにする。
海のない内陸国で港を欲しがっていたポルッカにも、恒常的に染色材を買ってもらえるナディルナルナにも、双方に経済的な利が生まれる。これで両国の関係を強化することが狙いだ。
アラーチェ公爵令嬢シャイアと第一王子レナードの婚約は、このプロジェクトが王家肝煎りと示すためのものであり、莫大な利を得るであろう公爵家の監視のためでもある。
しかし――。
肝心のレナードは交流のために設けられたお茶会でも、遅刻するかすっぽかすのが常態化しており、シャイアのことを知ろうともしないのが現状である。シャイアが気に入らない理由? 見た目がイヤなんだとか。
「ねーえ? 本当に領地に帰るのぉ?」
今日も今日とてすっぽかされたお茶会の席。いつもと違うのは、向かいに王妃が座っていることだろうか。王妃はクルクルと念入りにカールさせたブルネットの髪を弄りながら、不満そうに口を尖らせた。
「貴女がちょぉっとしおらしく可愛らしくおめかしして、あの子をお茶会に呼べばいい話じゃないかしら?」
王妃は、自分基準のオシャレと愛らしささえあれば何でも解決すると信じて疑わない。自分大好き。自分一番。なお、シャイアの縦ロールも王妃から激推しされてのもので、シャイアの好みではない。
「まあ王妃様」
そんな王妃にシャイアはややオーバーリアクションでこう言った。
「王妃様直伝のオシャレと社交術を活かすこれ以上の舞台がありましょうか。私、王妃様の審美眼と素晴らしさを余すところなくお伝えできるとはりきっておりますのよ?」
普段おっとりぽややんとして従順だけどイマイチ自分の言葉が響かないシャイアが、うっとりと目を蕩かせて言ったのだ。承認欲求を拗らせていた王妃は、それだけですっかり嬉しくなってしまった。
「まああ、まああ、なんて……!」
「王妃様、私、頑張って参ります!」
ひしとリボンまみれの手袋ごしに王妃の両手を包み込めば、
「寂しいけど、そうね! 頑張っていらっしゃい!」
王妃はあっさりシャイアの領地行きを許可した。チョロい王妃である。
◆◆◆
とっとと王宮から公爵邸に帰ったシャイアは、新道建設に関わる各方面に大急ぎで手紙をしたためた。
(せっかくですもの。マチルダ様もプロジェクトに巻き込みましょう)
マチルダの領地、ドロゼウス子爵領はかつては大陸随一の採掘量を誇る金山で有名だった。しかし、既に資源は枯渇し、岩山ばかりの彼の土地は一気に貧しく落ちぶれてしまったのだ。
しかし、昨年になって金山とはまた別の岩山から魔晶石の大鉱脈が発見された。魔晶石は、魔導具や魔導武器の動力源になる。森を切り開く新道建設には、魔物討伐用の武器から資材の運搬などに大量の魔晶石を使うはずだ。
(元の計画では各地の冒険者ギルドから買い集める予定でしたけど、ドロゼウスに一任した方が早そうですわ)
なんでも、マチルダの婚約者でスピカ侯爵令息クライヴは、彼女を蔑ろにするばかりか、婚約時の約束――魔晶石の買取を独占する代わりに、ドロゼウス子爵領内の街道整備を支援する、との約定をおろそかにしているのだとか。
クライヴに至っては「マチルダはカネをちらつかせて婚約者に納まった」と言って憚らないらしい。
(まあ。魔晶石鉱脈の発見で「大陸の火薬庫」になったドロゼウス領を監視するため、王命での婚約ですのに)
事情を知っているシャイアからすれば、呆れるばかりの話である。
「その手紙はマチルダ嬢へ、ですか。拝見させていただく」
「あら」
封をしようとした手紙をスッと抜き取った手を追えば、国王陛下がつけた監視……もとい文官の青年が手紙を開いている。気難しそうな彼はドロゼウス領の南隣のキリム領出身だったと記憶にはある。
「ドロゼウスから魔晶石を? 運搬に費用がかかりすぎませんかな」
ドロゼウス領は国の東端にある。加えて岩山地帯は道があまり整備されていない。また、ドロゼウス領と隣のスピカ領を分断するテレーズ川の支流も問題だ。両家の約定を守り、スピカ領を経由するなら、川を渡るルートは一つしかない。そこを通れば、一度王都側に逆戻りする形になり、かなり遠回りになるのだ。そのことを言っているのだろう。
「あら。スピカ侯爵様がドロゼウス子爵様との約定を果たされ、ノクト侯爵様が竜騎士を融通してくださいましたら何の問題もありませんわ。」
ノクト侯爵家には、辺境の守り手としてワイバーンを操る竜騎士がいる。彼らなら魔晶石の運搬など朝飯前だろう。そう言えば、監視役の青年は「これだから女は……」とこめかみを押さえた。
(あらあら)
おおかた、シャイアの考えが楽観的過ぎると思ったのだろうか。
(もちろんノクト侯爵家もスピカ侯爵家もアテにしておりませんわ)
陸上の道だけが道とは限らないのである。
ドロゼウス子爵家ですが、元々は侯爵家でした。子爵家に降格になったのは、金山枯渇かそれとも……?