12. 報告会(2)
お茶会という名の報告会は続く――。
「ウチはちょっと暗礁に乗り上げちゃってますねぇ」
そう切り出したのは、クロスロード伯爵令嬢イリス。暑いからか、黄土色の髪はきっちりシニョンにして、水粒のような雫型のアクアマリンを細い金のチェーンで繋いだシンプルなヘッドドレスで飾っていた。やはり彼女はお洒落でセンスもある。
「実はぁ、婚約者の家の荷物がウチの検問に引っかかっちゃいましてぇ」
引っかかったのは偶然だった。アメティス商会が持ち込んだフォアグラ用のガチョウが一羽死んでいるのが発覚したのがきっかけだ。
死んだ家畜は疫病の元になり得るので、焼却処分されるのが決まりだ。しかし、なぜかガチョウを運んできた商人が「自分が処分する」とヤケに主張する。怪しんだ職員が、ガチョウを解剖したところ、腹の中から薬瓶が出てきた、というわけだ。
もちろん、ガチョウは没収。商人は取調室行き。
「そしたら当てつけなのか、向こうからの援助が完全に止まりました」
資金も資材も人手もアメティス伯爵家をかなりアテにしていたのでぇ、とイリスはため息を吐いた。
「しかし、フランゴ橋が掛け替えられなければ冬場の輸送が……」
もうすっかり話に参加している文官が青ざめた。王都は北部からの食糧に大いに頼っている。南からも食糧は買い入れているが、南は南で流通先の都市があるので、急に買い入れを増やすわけにはいかない。それこそ国内が混乱する。
「秋にはワインと冬には甜菜、あとはチーズが運ばれてきますねぇ。あと、秋は領地に引っ込む貴族の大移動があるわぁ……」
イリスが遠い目をした。
「飛竜で代替輸送はしてますけどぉ、あれってタダじゃないんですよぉ。このままだと赤字が膨らんでぇ、ウチの財政が危ないです」
アメティスと婚約してるばっかりに他に援助を頼めないし足元見てますよねぇ、とボヤく。
テレーズ川は大河だ。川幅は広く、水深もある。その割に流れが速い。故に王都を守る北側の自然の防壁にはなるが、その代わり橋を建設するのはとても難しい。フランゴ橋以外にテレーズ川に橋がないのは、王都防衛のためでもあるし、単に架橋が難しいからでもあるのだ。
「あのぅ……」
そこに、小さな声が割り込んだ。
「テレーズ川にかかる橋は、ドロゼウスにも一つあります、けど」
声をあげたのはマチルダだ。視線が集中した彼女は、「あ、えっと……」と口ごもってからおずおずと説明を始めた。
「地図には載せていないのですが、金山が稼働していた頃に曾祖父が建てた橋がありまして……」
「なに? 地図に載せていない?」
それは穏やかではない話だ。文官たちの眼差しが険しくなる。
「あ……その、別に何かを企んでそうしたわけじゃないんです。あの……ご存じかと思いますが、私の曾祖父は金山全盛期に当時の王家から婿入りしてきた……あの方でして……」
「残虐公アドルフですわね」
シャイアの言葉にマチルダが小さくなって頷く。
残虐公アドルフは、当時王家に仇なした貴族を次々と粛正し、殺さなかった者は女子供を問わず金山の労働者として送りこみ、劣悪な環境で死ぬまで働かせ、その一方で自身は金山の富で酒池肉林がごとく贅沢三昧の日々を送った――歴史上稀にみる暗君である。
「当時、資金にモノを言わせて曾祖父が架橋を。曾祖父のやったことは非人道的で許されない行為です。曾祖父の悪行は家の恥……故に曾祖父の名前を冠した橋を地図から消したのですわ」
ちなみに、かの橋は地元民からはブロッケン橋梁と呼ばれているらしい。残虐公は今でも領民から徹底的に嫌われているのだ。
「そのブロッケン橋梁ですが、ここからも歩いて行けますの。ご覧になりますか?」
実際に訪れたグレートアドルフ橋梁……通称ブロッケン橋梁は、石造りの立派な橋だった。足元にはごうごうと流れるテレーズ川の本流がある。
「岩場だからこそ、いや……」
橋梁を見た文官が呟いたものの、続きを呑み込んだ。彼の思った通り、この橋梁はアドルフ公が連れてきた多くの人夫たちを犠牲にして建てられたものだ。雨に洗われた灰色の石材には、目には見えなくとも多くの血と汗と涙が染みていよう。歴史の闇は深い。
「頑強な橋梁ですな」
「当時は採掘した金をこの橋から運び出していたんです」
と、マチルダ。
「待たれよ。ならばこの橋の先は……」
文官の一人が驚愕に目を見開いた。気難しそうな顔の彼は……
「ええ。あなた様のご領地、キリム伯爵領シリカ村ですわ」
◆◆◆
その昔は、ドロゼウス金山で採掘された金は、ブロッケン橋梁を通じて南のキリム領を通って王都へと運ばれていたのだ。
「橋の向こうの道は金が枯渇して以来使っておりませんが、万が一のために草を刈る程度の手入れはしていますの」
ドロゼウス領は岩だらけの土地だ。岩盤が硬いところもあれば脆いところもある。また、ほぼむき出しの岩山のため、大雨が降ると脆い部分が土砂崩れを起こしやすい。よって、万が一領外へ続く道が土砂で埋まった場合に備え、悪名高いアドルフ公の建てた橋とその先の道も壊さず温存していたのだ。
「スピカ侯爵領へは陥没を何とかしないと行けないので、最悪こちらからキリム伯爵領を通していただこうと思っておりました」
ちなみに、まだキリム伯爵家には何も話していなかったそうだ。
「シリカ村からなら街道もすぐです」
キリム伯爵家出身の文官オズワルドが興奮気味に言った。
「助かりますぅ。急ぎでない荷物はそちらに回るようにすればウチの負担も軽くなりますぅ」
そう言いながらイリスは扇をヒラヒラと動かしてパチンと閉じた。とても自然な仕草だが……。
(言葉通りの意味じゃない、ってこと?)
国王陛下に直訴し、監視がつく前に四人で合図を決めておいたのだ。イリスの扇を振って閉じる仕草は、『建て前』の合図。本音は別にある――令嬢たちは目を見合わせた。
そして――。
お茶会の数日後、テレーズ川にかかるフランゴ橋は跡形も残さず、完全に取り壊された。
◇◇◇
「橋を壊したァ?!」
王都にあるアメティス伯爵家では、当主である伯爵が、クロスロード伯爵からの手紙を手にブルブルと震えていた。
大河テレーズ川にかかるフランゴ橋は歴史ある橋で、関所だ。大商会を営むアメティス伯爵は、建て替えに資金提供と息子を差し出したが、その狙いは関所を手中に収めることにあった。
将来、息子がクロスロード伯爵家を牛耳れば関所は我が物も同然である。王都への物資の流れを操れば、小麦などの必需品の価格操作など造作もない。金と引き換えに禁制品を流すことも可能――クロスロード伯爵家の縁組みは将来の莫大な利益に必須だったのだ。
「それを……橋脚ごと壊したと……」
あれだけ大きな橋だと、イチから架橋し直すのは難しい。橋脚の基礎部分は補強して再利用して、そこを足場に工事を進める予定だったはず。肝心の足場を壊せば、建て替え工事は一気に難しく、費用を要することとなる。
(まさか、当てつけか?)
少し前に、アメティス伯爵が抱える商会の荷物をあろうことか止められたため、制裁の意味を込めて援助を止めた。まさか、それに腹をたてたというのか。
(バカな。きちんと荷の検査をしなかった向こうが悪い)
アメティス伯爵は、件の荷に息子がこっそり禁制品を紛れ込ませていたことを知らなかった。止められた商会の人間も、当主に禁制品持ち込みが発覚することを恐れて「理不尽に止められた」としか報告していなかったのだ。
そこにさらなる知らせがもたらされる。
「なに。ドロゼウス領に橋だと? 地図を持って来い」
広げられた地図を指差して、アメティス伯爵はほくそ笑んだ。
(なるほど……これは良い)
ドロゼウス領から橋を渡ればキリム領だ。そこからなら脇街道に出て王都へ繋がる幹線ユノー街道へ出られる。クロスロード伯爵は荷をそちらに回すつもりだ。
だが。
(テレーズ川沿いに鄙びた男爵領を二つ通れば、フランゴ橋と王都の間に出られる)
つまり、関所を通らない抜け道だ。
マチルダの家が子爵に降格になったのは、このアドルフさんが原因です(´・ω・`)
抜け道をご覧になり、「え? ここ通れるじゃん」と思った方もおられるかもしれません。しかし、この抜け道は幅もまちまちで、重い荷物を積んだ荷馬車には越えられない段差などもあちこちにあります。なんてったって整備もロクにされていない田舎道ですから。ロバくらいなら通れます。




