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姉に略奪されて婚約破棄されましたが、将来有望な貴公子に求婚されました。

夢を叶える為に伴侶を探していたら、理想の女性が婚約破棄されたので迷わず求婚しました。

作者: 小笠原ゆか

この話は、『姉に略奪されて婚約破棄されましたが、将来有望な貴公子に求婚されました。』のヒーロー・ナサニエル視点による前日譚と後日談です。



「貴方の結婚がついに解禁になったわよ」



久しぶりに早く帰宅出来た日の夜。忙しい両親が珍しく在宅していた為、家族揃っての夕食となった。

全ての皿が片付けられたところで、母が私の【結婚解禁】を宣言したのだった。


「息子の結婚を、まるで狩猟が解禁したみたいに言うのはどうかと……」

「ある意味、狩場に赴くことになるんだから同じじゃない」


常識人の父が諫めるものの、どこ吹く風の母。

政略結婚でありながらも、我が両親は社交界きってのおしどり夫婦と言われている。母に心底惚れこんでいる父とそれに絆された母による小気味の良い応酬は、アリソン公爵家ではありふれた光景であった。


「そうですか。つまり、ようやく()()()は片付いたのですね」


そう言って私は大きく息を吐いた。


私の名はナサニエル・アリソン。アリソン公爵家の嫡男である。母が先程わざわざ解禁宣言をしたくらいなので、これまで婚約者がいたことはない。普通であれば家の為に親が決めた相手と政略結婚をするものだろうが、私には少々事情があった。


「お前にはしなくても良い苦労をさせてしまって済まない」

「父上のせいではありませんよ」


申し訳なさそうに謝る父は悪くない。悪いのは全てあの女なのだから。


「彼女は予定通り、修道院送りですか?」

「あぁ。しかし、ただの修道院じゃない。貴族の犯罪者達を監視する為の堅牢な修道院だよ」

「それは良かった。二度と視界には入れたくありませんから」


私に婚約者がいなかったのは、私が十三年前に我が国に表敬訪問された、とある国の王女に見初められたことが原因だった。

当初の予定では国王夫妻のみの訪問予定だったのを王女のワガママで急遽計画を変更したらしい。彼女は王妃ではなく側妃の娘であったのだが現王唯一人の子であった為、王位継承権第一位の保持者であった。次期女王と目されていた為、誰もが彼女に傅いた。父王でさえ王女のワガママを愛していた。


しかし、王女の生国であれば通じる道理も、私の住むこの王国には何の関係も無い。


『ちょっと美人だからって鼻に掛けて、感じ悪い女ね』

『王子のくせにパッとしないって言うか……地味じゃない?』

『どいつもこいつも気が利かない連中ばっかり!』


上から順に、姉、当時姉の婚約者であった第一王子、その他使用人達への暴言の数々。

ハッキリ言って、同年齢以上であれば外交問題になりかねない不敬の言葉ばかり。しかし、長年の付き合いがある国であったため、まだ王女はまだ幼いのだからとこちらが大人になって我慢してやり過ごそうと我々は決めたのだが、そんな決意を王女は更にぶち壊した。



『ナサニエルと結婚するの!!国に連れて帰るの!!』



とんでもないワガママだ。泣いて喚いて暴れて侍女達では手が付けられないくらいに王女は泣いた。王女が泣けば是が非でも願いを叶えようとする愚かな彼女の父親は、私と王女の縁組を提案したのだが、流石に私の両親や国王陛下が待ったをかけた。


――ナサニエル・アリソンは公爵家の嫡男である為、貴国への婿入りは出来ない。王族の外戚となる以上、他家からの養子では血の契約は果たされない、と。


要するに私の後釜が不穏分子であった場合、王国を窮地に追い込む可能性があるので縁組は許可できないと断りを入れたわけだが、両親も国王夫妻も王女の愚かさを目の当たりにしていた為、嫁にすら貰いたくなかったことだろう。


「息子の夢だった留学にも行かせてやれない不甲斐無い父親だよ」


幼い頃から国外の文化に興味があった私は、近隣の国へ留学に行くことを希望していた。

家族も賛成してくれていたのだが、縁談を断っても遊びに来て欲しいと縋りつく王女に、『公爵家の令息を軽々しく国外には出せない』と言った為に、国から出ることは叶わなくなってしまったのだ。遊びに行った先で何らかの既成事実を捏造される可能性もあるのだから、両親達の判断は賢明なものだったと思う。


だから私は元凶である王女を恨み、私は私を見初めた王女を陥れた。

計画の詳細は割愛するが、彼女の支援者達の力を削ぎ、騒動の後に生まれた彼女の弟を支援して立太子させた。王女でなくなれば身の丈に合わないワガママで周囲が振り回されることもなくなる。


本当は外交官になりたかったというのに宰相補佐になったのは、最新の情勢が国で一番に届く場所だからだ。計画は成功し、めでたく王女は表舞台から姿を消した。だが、無償奉仕という訳ではない。劣勢であった王女の弟を逆転させたのだから、彼の治世が続く限りは恩を売ることが出来るだろう。もちろん切り札の出し方を間違えるつもりはない。


「過ぎてしまったことは変えられないけど、あんな女のことはもう忘れて今度こそ貴方の夢を叶えなさい」

「母上……」

「いずれは宰相となって国を支えて欲しいが、国外で見識を広めてからでも遅くはないはずだ」

「父上……」


ついに自分の夢が叶うのかと思うと感慨深いものを感じた。けれども、次の瞬間にはその気持ちが一気に沈むことになった。


どこからともなく冊子のようなものを抱えた侍女達がやって来て、それらを卓の上に積んでいく。

これが何かと言われなくとも見当がつく。私との婚約を打診する為の資料――所謂、釣書というものだ。卓から崩れ落ちんばかりの量に、思わず顔が引きつりそうになるもの仕方がない話だと思う。


「宰相補佐であるナサニエルが外交使節となるなら大使だろう。そうなると妻も帯同することになる」

「ですから候補になりそうな令嬢の釣書を集めておきましたよ」


単身者の赴任はあるにはあるが、大抵は書記官などの若手役人だ。外交使節の長である大使は配偶者同伴での赴任が望ましいとされる。公式の場にはパートナーとの参加は必要不可欠であるし、赴任地での女性同士による交流などもあるからだ。


「少し、考えさせてください」


そう答えた私に、それ以上両親は言うことはなかった。理解がある人達でありがたいと思った。



食事を終えて自室に戻る。そして山のような釣書もまた、私の自室に搬入された。

その一つを手に取って、中を見る。肖像画と共に名前や趣味、長所などが事細かに書き連ねられている。更に一つ、また一つ。姓と爵位を見れば父親の顔は結びついたが、当の本人の実物は思い出せない。この中の半分以上は夜会などで見たことがあるだろうに。


「どなたか良さそうな方はいらっしゃいましたか?」


傍に控えていたソウルに声を掛けられた。ソウルは私の乳母の息子で、所謂乳兄弟というものだ。姉しかいない私にとっては実の兄弟のような緊密な関係であり、仕事の上でも欠かすことのできない片腕のような存在である。


「釣書を読んだ程度では、相手の良さなど分からないよ」

「大抵は少し良い部分を大分誇張して書いてくるものですからね、釣書というものは」


明け透けに物を言うソウルが可笑しくて、何だか笑えて来た。


「いや、私はこれまであの王女を排除することばかりで、自分が一緒にいたい女性について考えたことも無かったんだ」

「ナサニエル様のような本来引く手数多の美男子にそのようなことを言わせるなんて、本当に罪作りな女ですよ!」


王女の横暴さを目の当たりにしたことのあるソウルは、やはり同情的に私を見たので肩を竦めて見せる。


「見目が良いというのは得する部分もあるが、神ももう少し抑えて造形をしてくださると良かったのに」

「そのナルシスト発言は、相手の御令嬢にはくれぐれも言わないで下さいよ?」

「別に私は自己愛が強いから言っているわけではないのだけどね」


私の容姿が良いことは自明の理だ。好みかどうかは個人差があるが、この国や周辺国の美形の条件を全て兼ね備えている。しかし、美形が幸せになれるかというと必ずしもそうではないだろう。私のように夢も叶えることが出来ず、もしまともな両親でなかったら王女に売られて、ペットのように飼い殺されていたかもしれないのだから。





+++++






結婚相手を見つけるには、相応の場所に行かなければ出会えないとソウルに急かされ、仕方なしに私は王家主催の舞踏会に足を運んだ。

今夜のメインイベントは何と言ってもデビュタントだ。今年成人する女性が王宮に出廷し、国王陛下に拝謁する大切な式典である。式典自体は厳粛なものであるが、それを終えた後は舞踏会が行われることになっている為、やはり男女の出会いの場となっていた。


公爵家の人間であると共に官僚である私も当然式典には参加している。

係のコールと共に白いドレスを着た少女とも言える女性達がパートナーを伴って順番に会場に現れる。


「ベイツ伯爵家当主アンガス・ベイツ様。並びに御息女ドリス・ベイツ様!」


係の男が今夜の主役達とそのパートナーの名を次々にコールしているのを聞いていると、ヒソヒソと会話する声が聞こえて来た。


「おい。今夜はベイツ伯爵家のセシリア嬢が来てるぞ」

「あぁ。妹が今年デビューされるからいらしたんだろうな」


この重々しい空気の中、よくもまぁ私語など出来るものだと悪い意味で感心してしまう。そういったことに厳しい御歴々が目を光らせているとは思わないのだろうか。呆れた思いを抱きながら、彼らの視線の先を見ると件の女性がいた。


セシリア・ベイツ――ベイツ伯爵家の長女でありながら、生来の虚弱体質故に跡継ぎとしては不適だとされ、妹が婚約者と共に伯爵家を継ぐのだと言われている。セシリア嬢の隣には母親がいて、その隣には男が彼女の体を支えている。まるで彼女の恋人か婚約者のような振る舞いに見えたが、彼女には婚約者はいなかったはずだ。


何故私が女性の交友関係をいちいち知っているのかと言うと、ソウルが内々に調査済みであるからだ。万が一にも恋人や婚約者から略奪するようなことになって悪評を立てられることを心配してくれたらしい。随分と過保護だ。ハニートラップに引っ掛かるつもりはないが、事前情報は何より重要な判断材料になるので資料は有難く読み込ませてもらった。


「セシリア様の御隣にいらっしゃる方って……」


すると別の方からも、ベイツ伯爵家の方々を注視する者の声が上がる。女性のグループだったようで、先程の男性達とは違って彼女達は胡乱げな様子でセシリア嬢と連れの男を見ていた。


「子爵家のフィランダー様じゃないかしら?」

「え?フィランダー様って、ドリス様の婚約者ではなかったかしら?」

「そうよ。婚約者をエスコートせずに一体何をやっているのかしら……」


は?婿入りする身でありながら、婚約者の姉と恋人同士のような立ち振る舞いをしているなんて馬鹿なのか?

思わず二度見してしまったが、彼女達はドリス嬢の姿など見ておらず、お互いだけが全てといった風に見つめ合っている。もはや言葉も無い。妹を正妻にして、姉を愛人として囲うつもりなのだろうか。どう考えても下衆の勘繰りは避けられまい。


婚約者であるドリス嬢のエスコートをして公式の場で自分が伯爵位を受け継ぐというアピールするべきだった。そうであれば浮ついた本性だけが瞬く間に広がっていくことはなかっただろうに。


当事者であるドリス嬢はどう思っているのだろうかと、そちらを見遣った。彼女は姉と婚約者の不実を知らず、意気揚々と今日のデビュタントを迎えたのだとしたら憐れな話だと思ったのだ。いや、それとも既に知っていて陰鬱な表情をしているのだろうか。


だが、その予想は外れた。

父親と共に国王陛下の下へと向かう彼女の足取りに迷いはないようだった。手本の通り、いや手本以上に優雅な立ち振る舞い。凛とした表情で、真摯に式典に臨んでいるのが見て取れる。そこに家庭内でのトラブルの匂いなど一切感じさせない、立派なものであった。


このような女性であるなら、公爵夫人としても外交官の妻としても立派に役目を果たしてくれそうなのにと思わずにはいられない。こういった有望な女性ほど幼い頃から婚約者がいるものだ。改めて私自身の婚活について考えると気が重くなってしまう。





次に『ドリス・ベイツ』という名を聞いたのは、恩師との会話の中でのことだった。


先生に師事していたのは王宮に出仕する前のことだが、今でも話し相手として家に呼ばれたり、公爵家に招待する付き合いが続いていた。尊敬する師ではあるものの、私にとっては年の離れた友人のような存在だった。


そんな彼に恥ずかしながら結婚を前向きに検討していると話せば、とても喜んでくれた。


「君が本格的に結婚に乗り出すとなると、再来年の今頃には私の特に優秀な生徒二人の門出を祝うことになりそうだね」

「二人、ですか?」

「あぁ、君と……昨年からベイツ伯爵家のドリス嬢にも指導しているんだよ」


先日のデビュタントで見かけた、非常識な連中の被害者の名を先生の口から聞くことになるとは思わず内心驚いた。


「……ドリス嬢ですか。先生は女性の生徒は受け入れていないと思っていたのですが?」

「いやいや。私が女生徒を取らなかったんじゃない。女性側からの申し込みがなかっただけだ」


ワハハと笑って、先生は紅茶を一口飲む。


「わざわざ研究者を教師に据えて、女子教育に力を入れる者はこの国には少ない。だが、元々彼女を教えていた私の弟子や前ベイツ伯爵の後押しと、何より本人のやる気を私は買ったんだよ」


先生にここまで言わせるとは、本当に優秀なのだろう。

先生は商学系の学問に関して国内においては第一人者である。大変人気の高い教師である為、先生の生徒になれたというだけで優秀だと人々は認識することだろう。しかしそれは令嬢には少々重荷になるのではないだろうか。


私の渋い表情に気づいたのか、先生も困り顔で答えた。


「賢しらな女性は男性から嫌厭されるのではないかと心配しているのかい?」

「はい……いえ、私自身は学問を身に付けるのに男女は関係ないとは思いますが、貴族男性の多くは女性の知識や見識よりも、外見の美しさを重視する風潮があるのは事実です。そして知性溢れる女性を忌み嫌うことも」

「馬鹿げた話だよ。若い時分の美しさなど小鳥の命と同等の儚さでしかない。妻が老いれば若い愛人の下へ走っていく醜さを公言しているようなものだというのに」


全くその通りだ。美しさは不変ではない。公爵家の跡取りである私はもちろん、稀代の美女と言われている私の姉もまた、勉学を疎かにしたことはない。何故なら私達の母親が非常に教育に厳しい人だからだ。


『美貌と知性が両立すると考える人は余り多くは無いの。私に似て美しいお前達が馬鹿にされぬように厳しく教育するのです』


面と向かって言うことはないが、母は年を経ても美しい。それは若さによる張りや瑞々しさというものではなく年相応の美だ。内面からこれまで培ってきた自信が滲み出て、母を魅力的に見せているのだろう。そしてかつて自分を下に見てきた人間に負けぬ反骨心が更に作用しているのだ。


「ドリス嬢にも、その辺りのことを含めて私の授業を受けるか聞いたよ。そうしたら彼女、何と言ったと思う?」

「分かりません」

「『例え多くの人に認められなくとも、先生から学んだ知識が領民の為になるのなら構いません。そして伴侶となる方が私の努力を理解してくれるのなら、私には怖いものなど無いのです』とね」


何という立派な志だろうか。

彼女は貴族の家に生まれた者としての責任を十分に分かっているのだ。その価値観を私はよく理解できた。生まれた時から衣食住に困ることはなく、勉強に励むことが出来るのは領民達から集めた税によるもの。それを当然のこととはせず、領民の生活を豊かにしたいと思う彼女の高潔さに感動すら覚える。


惜しむらくは、やはり姉と妖しげな雰囲気を出していた婚約者の男に、彼女の気高い思いを理解できるとは思えないところだ。


「君と彼女はよく似ているよ」

「え?」

「彼女もまた君と同じように本当は外国に行って見識を深めたいと思っているようだ」


直接確認したわけではないが、授業の為に訪れた際に彼女の本棚には国外についての書物が手に取りやすい位置に並べられていたらしい。それとなく外国での事例を挙げれば、強い関心を示した為に確信したのだとか。


貴族的な価値観にも理解があって、興味の向く先も似ている――そんな私にとって理想的な女性は今までいなかった。


「だが、未婚の女性が軽々しく外国に行くことが出来るわけもない。せめて婚約者が外交官辺りなら一時的に現地に駐留出来るというのに」


【婚約者】という単語を聞いて、息が詰まるような気分になった。


「……彼女の婚約者は、彼女の夢を叶えて差し上げないのですか?」

「一度夜会で見たことがあるが、そんな甲斐性のある男には見えなかったよ」


自分なら彼女の夢を叶えてあげられると言うのに。むしろ私となら利害が一致する結婚が出来るのではないだろうか。


「君も彼女も、自分が背負う荷物の大きさを理解しているからこそ、己の希望は後回しになってしまうのだろうね」


その通りだ。私達は貴族だ。多くは親が選んだ相手と政略結婚をする。運の良いことに私は自分に選択権を与えられたが、それでも私は家に良い結果を齎す可能性の高い花嫁を選ぶだろう。だから私はドリス嬢を求めてはいけない。


ドリス・ベイツという女性は遠目に見かけただけで、面と向かって話をしたことすらない。第三者から伝え聞いた情報しかないのに、こんなにも心苦しい。彼女は私の理想を体現する女性だと言うのに、近づくことさえ憚られるのだ。しかし、婚約者から略奪するなんて馬鹿げている。


貴族であるがゆえに、私はドリス嬢を諦めるしかなかった。








三度目に『ドリス・ベイツ』の名を聞いたのは、彼女のデビュタントから一年ほど経った頃だった。


この頃、私の結婚相手探しは難航していた。

私の妻になりたいという女性は山ほどいるのだが、外交官となって外国に駐留すると言うと途端に嫌がられるのだ。確かに知らない土地、知らない文化、食べ慣れない食事など、想像しうるストレスは数え切れない。だが、嫌そうな顔で過ごす人よりも、興味を持って楽しんでくれる人と暮らしたいと思うのだ。


残念ながら今年中に先生を結婚式に呼ぶことは出来そうにない。

ドリス嬢という存在を知ってしまえば、自ずと理想が高くなってしまうのも当然のことだ。せめて彼女のように国外での生活に興味を示してくれる女性はいないだろうか。そんなことを考えている頃だった。


「ドリス・ベイツ伯爵令嬢の婚約が解消された、だと?」


新しく未婚の貴族女性の情報を持って来たソウルは、遣り切れないといった様子で話し始めた。


「何でも、ドリス嬢の婚約者であるフィランダー・メイラー子爵令息は婚約を解消して、改めて彼女の姉のセシリア嬢と婚約をしたそうですよ」

「姉に鞍替えしたというのか。何て浅ましいことを……」


どんな言葉で言い繕ったところで、これは略奪でしかない。

そもそも許す親も親だ。いや、ドリス嬢のデビュタントの時にも目に余る行為をしていた二人を咎めることもしなかったのだ。よほど病弱だと言う姉が可愛いのだろう。けれど、いくら可愛い娘とはいえ、ドリス嬢もまた自分達の娘のはずだ。それとも彼女には他に想う相手がいて、そちらを婿に迎えたかったとか?


先生の話を聞いてから私も彼女を調べたのだが、非常に多くの学問を修得しているようだった。女子教育というよりも、特に優秀な嫡男への教育と同等のものだと言えるだろう。だから相手が挿げ代わったところで多少の問題は無いはずだ。


「それで?ドリス嬢の新しい婚約者は誰なんだ?」


私だって公爵家の跡取りでなかったのなら、彼女に婚姻を申し込んでいたと言うのに。誰だ、そんな幸運な男は。


「いません」

「は?」


返された言葉が理解できず、復活するのに数秒の時間を要した。


「彼女はベイツ伯爵家の跡取りだろう?伯爵位を継ぐ者が必要なはずだ」

「ですから、ドリス嬢ではなくセシリア嬢がフィランダー殿と共に伯爵家を継いでいくようなのです」

「はぁ?」


馬鹿馬鹿しい話の流れに、自分の喉から驚くほど凶悪な、外聞も何もあったものではない声が発せられる。


「お、落ち着いてください。ナサニエル様」

「落ち着いていられるか!彼女はこれまで跡取りとして教育を受けて来たんだぞ?それを全て反故にして、病弱な姉と凡庸な他家の男に爵位を譲る?理解できない。ではこれまでの彼女の努力は一体どうなると言うんだ?」

「わ、分かりません!」


姉娘可愛さに伯爵家の跡取りだった女性を放り出すのだろうか。いや、愚か者達と同じレベルの思考を持つなど腹立たしいが、優秀な人間を捨てるなど勿体なさ過ぎる。優秀な人材は手の内に囲い込むのが賢いやり方だ。であれば、彼女を身内の適当な男に嫁がせて、伯爵家を裏で切り盛りさせるつもりなのかもしれない。


「許せるわけあるか!!」


己の望みも我慢して、家族や領民の為に己を律して生きて来た彼女が不遇になるなんて考えるだけで怒りを覚えた。

世の中は善行だけで回っているなんて青いことを言うつもりは無い。だが、目の前で好意を持っている女性を利用して、甘い汁を吸おうという不届き者を許せるほど私は寛容ではないのだ。


しかし、腹の底から込み上げてくる怒気を抑え、私は大きく息を吐いた。急に怒りを解いたかのように見える私に、ソウルは訝しそうに見てくる。


「ナサニエル様?」

「社交界ではセシリア嬢の極度の虚弱体質は有名な話だ。誰も口にはしないが、彼女にはその血の継承が難しいからこそドリス嬢が跡継ぎになったというのが多くの貴族の共通認識だろう」

「え、えぇ。その通りです」

「そんな中での跡取りの挿げ替えは完全に悪手だ。ベイツ伯爵家には何の利益も無い。メイラー子爵家とベイツ伯爵家の間に公には言えない何らかの取引があったようにしか見えない」

「取引、ですか……」


貴族は婚姻によって家同士の結束を強めていくものだが、この縁組からは何も生まれない。であれば、裏では何かあるのかもしれないと詮索する者が出て来るはずだ。例えば窃盗品の売買や禁制品の取引だとか事例を挙げればキリが無い。


「いや、本人達は何も考えていないだろう。可愛い息子と娘の願いを叶えてやったという認識しかないのかもしれない。しかし、周囲がそれを信じるかは別だ」


誠実な者達は後ろ暗い噂のある者達とは付き合うことはなくなるものだ。我欲のまま信頼の置けない行動を続けていけば、没落の一途を辿ることになるだろう。


「前ベイツ伯爵は、このようなふざけた判断を下すような息子を見限って、孫娘の教育に力を入れたのかもしれないな」


これまではドリス嬢への教育内容は少し過剰ではないかと思ったが、現伯爵の無能さを思えば孫娘に期待を寄せる気も分からなくはない。


「しかし、これで私が彼女に求婚しても問題は何も無くなったというわけだ」


伯爵領の者達の暮らしを守りたいと思っていたドリス嬢には申し訳ないが、私は転がり落ちて来た幸運をみすみす逃すつもりは毛頭ない。早速、ベイツ伯爵家に婚約の打診をして、両親を説得しようと思う。普通はまず両親を説得する方が先だろうが、反対はされないだろう。


「ドリス嬢もとんでもない方に目をつけられてしまいましたねぇ」


急にやる気を出した私を見ながらソウルが呟いていたが、私は聞かなかったことにした。





+++++






その後、婚約の挨拶の為に伯爵家に訪問した際、私はドリス嬢の姉・セシリア嬢とその両親を完膚なきまでに叩きのめし、そのままドリス嬢を連れて伯爵家を後にした。


恐縮しながら公爵家に足を踏み入れたドリス嬢だったが、両親や使用人達にも歓迎されて嬉しそうに喜ぶ彼女は、いつもの凛としたものとは違って愛らしかった。そして彼女との機知に富んだ話も楽しくて時間を忘れるほど話し込んだ。本当に素晴らしい女性だと改めて思ったのだ。けれどもそんな日々は三日しか続かなかった。


両親もすぐに彼女を気に入ってくれたのだが、婚約関係にあるとはいえ未婚の身で同じ屋根の下で暮らすのは外聞が悪いと、王宮にいる姉の下に話し相手として行儀見習いに送り出したのだった。当たり前の話だ。清廉潔白な彼女に謂れの無い瑕疵をつけるわけにはいかない。ただ少し寂しかった。


王宮に上がった彼女は、そこでも本来の有能さを発揮して、姉の信頼を勝ち取り、更には王太子殿下や御子様方にも気に入られた。正直、ここは全くの予想外である。国王夫妻からの覚えもめでたいとか。このままでは王家に取られてしまうと焦った私は、是が非でも結婚式を早めなければならないと思ったのだった。


結局、結婚後すぐにドリス嬢――いや、ドリスが妊娠した為、私の大使就任の話は宙に浮いたままとなり今日に至る。燻る気持ちはあれど、無事に生まれた息子・エリアスを腕に抱けばそれも忘れられた。幸い、外国語が得意なことを買われて夫婦揃って外交使節への饗応の仕事を任せられている。このまま国内で暮らしていくのも悪くはないのかもしれないと思っていた。


だが、


「この子がもう少し成長しましたら、ナサニエル様が大使になれるよう王宮へ希望を出しましょうね」

「え?」

「ずっと行きたかったんですよね?」


確信を持った言い方に、誰かが余計なことを言ったのかと思ったのだが、彼女は首を横に振って見せる。


「支援している船乗り達の話を、あんなにキラキラした御顔で聞いているんですもの。分かりますわ」


ドリスは燻っていた私の気持ちに気づいていたのだ。見透かされたという恥ずかしさと気づいてくれたことの嬉しさに、どんな顔をして良いのか分からない。


「我が国にいらしている大使の奥様方からは、是非自分達の国に来て欲しいと言われておりますから、きっとどこの国に派遣されても大丈夫です」


交流する夫人達にそれとなく根回ししていたのだろう。すっかり仕事にも慣れ、彼女は自らの力でも人脈を築き上げているので、そのような話をしているとは気づきもしなかった。


「楽しみですね。ナサニエル様」


ニコッと笑ったドリスに、腹の底から込み上げてくるような愛しさを感じた。やはり彼女こそ、私の理想の女性だったのだ。


「君は私の女神だ。絶対に君を幸せにするよ」


そう言って私はエリアスを腕に抱えたまま、ドリスを抱き締めたのだった。





END


【宣伝】

御覧いただきありがとうございます。


こちらの話の本編である『姉に略奪されて婚約破棄されましたが、将来有望な貴公子に求婚されました。』がコミカライズされております。


2023年3月31日発売の一迅社様の大人気アンソロジーシリーズ『婚約破棄されましたが、幸せに暮らしておりますわ!アンソロジーコミック』の第四巻に掲載されております。

佐藤もぶ先生に作画を担当していただきました。登場人物達を魅力的に描いていただきまして、本当に素敵な作品となっております。


ぜひお手に取っていただければ嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 本編からナサニエルさんもっと変な人かと思ったらとっても真面目でした。 裏事情が分かって面白かったです。
[一言] ドリスとセシリアを覚えていたのと、読んでいて あれ?何度も読み直している作品じゃ…?と思ったら 別視点verだったのですね これはとても嬉しい
[良い点] 何で良物件に婚約者がいない理由を説明してくれてたのが良かったです [一言] 婚約破棄ものに出てくるハイスペックのスパダリ役の皇子だの高位貴族の嫡子だのに婚約者がいないのか不思議でしょうが…
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