退路
十二と少しの時が経つ。ザスディアの司法を支配する一任の集う、塔の一室にて窓の外を眺めるだけだった。
日の出と共に去る脅威の影を、乾き切った涙腺を並べ歯を軋ませている。何もできず、ただ、ここからでも見える骸の数々に、意図せず身を震わせるばかりだ。
実に国民の生き残りは僅か数名、それほどまでに、まるで、核兵器でも落としたのかと言わんばかりの惨状だ。国が滅び朽ち果てるのも、時間の問題といったところか。
部屋に、自身を含め三名。この場に生き残りが全員揃っては居ないもの、これだけを見てもどれだけの被害かは手に取るように分かる。
ふと、静寂の一室に、一人が立ち上がる。この身を救ってくれた、衛兵の女。新人兵だが、強大な力を持つとして名を馳せ、少しばかりは知っている顔だった。
カルトレア=セリオス。兄、アストラルと歳は同じく十七だったろうか。強大な魂の能力と、培った剣の才能で若くして駆け上がった戦士である。
「……すまない。皆の親族を助けられなかったのは我々衛兵の責任だ」
この一室に身を隠している間、現状ザスディアの置かれている状況を彼女は語ってくれた。
国王、側近、政治家、そして衛兵。ほとんどの、国の根幹に関わる人物が数分とも経たぬうちに命の灯火を消したと。故に、この国を護る者はカルトレアを除き存在しなかった。ここに居る、生き延びた二つの命を救う事、これが精一杯だったと。
なにか、こちらから攻め立てた言葉を言える立場ではない。己を犠牲にして他を守ること。それが、どれだけ無謀な賭けだったのか。彼女は前世の自身が死した歳と同じくして、その真意を理解し、動いていたのだろう。
「セリオスさん……ザスディアは……私たちはどうなるんですか?」
もう一人、命からがら生き延びた少女は語りかける。薄汚れ、二の腕から血を流している。苦渋を逃げ続けていたのだろう、自身と同じように。
「国王が消え、民も数えられるほどしか残っていない。そんなものを国と呼ぶことは出来ぬだろう……残念だが、ザスディアは今後の歴史から葬られる事になる」
国の崩壊。容易く語られるものでもあるまい。だが、眼前に佇む惨たらしい光景には、現実であると確信せざるを得ない。
「君達の面倒は私たちがなんとかする。幸いなことに、ここは破壊されたものの住めない訳ほどでは——」
言葉を遮るように、大きな扉がぎしぎしと音を立てて開く。その先に、クリーム色のボサボサした長髪を靡かせる女の姿。二十代半ば辺りだろうか、眼鏡のレンズ越しに、視線を向けている。
「カル、盛り上がってるとこ悪いけどそれは無理だね」
「シズクさん……何か問題があるのか?」
シズク、と呼ばれる女もまた、ザスディアの紋章をだらしない白衣に示していた。目にしたことはないが、恐らくザスディアの政府の人間だろう。
「国王、側近、衛兵たち。全員、同一の人物に殺された形跡があった。その死因に、考えたくはないが、心当たりがある奴がいる」
シズクは、入り口付近の椅子へ腰掛けて小指で耳をかく。欠伸をしながら、腕を組んでカルトレアの方に向き直った。
「心当たり、とは」
「『ギガノス』の幹部。そこに、国王たちの受けた傷に一致する魂を持ってる奴が一人いる」
ギガノス。ここ数年で発達した、ザスディアから少し離れた地に位置する独立国家。絶対王政の元、段々と土地を広げていた国である。
「ギガノスの兵力で我が国が落とされたと……?」
「世界連合に加盟しない独立国家の時点で、その内部事情は簡単には漏れない。想像以上に、ギガノスは大きくなっていたんだろ」
近年、ギガノスの奇襲を受け滅んだ小国も少なくはない。世界連合として難民を受け入れる役目も、ザスディアは何度か行っている。その難民から得た被害の情報が、国王たちの死因に類似するというのだろう。
「少なくとも、奴らはザスディアの『何か』を欲している。この地にギガノスがもう一度現れる可能性は極めて高い。この子らをここに置いておくのは得策ではないだろうな」
「だが、ここ以外にこの二人を匿う場所など……」
ふと、シズクは白衣のポケットから何かを取り出し、投げる。カルトレアは不思議な様子で物体を受け取り、首を傾げていた。
「私の図書館の鍵だ。あそこなら、ここよりいくらか安全だろう?」
カルトレアの後を追う。馬など気の利いたものは、とうに残骸と共に消えている。仕方なく、この足に頼るしかない。
「すまないな、怪我の具合も分からないまま歩かせてしまって」
「いえ。セリオスさんに助けてもらって……これ以上なにも、文句なんて言えません」
正直、あまり怪我などしていない。溜まりゆく疲労に意識は朦朧とするばかりだが、あの時。兄のお陰で、何一つの問題を抱えることもなく息をしている。兄の命を犠牲に、生きているといっても過言ではないのだろうか。
「大丈夫なら、それでいい。あと……私のことはカルトレアでいい。そこまで歳も変わらんだろう」
そう語る、カルトレア。照れくさそうな顔をしていた。どれだけ偉大な、恩人と思えど、中身は十七の少女と相違ない。
彼女も、己の国が消え、露頭に彷徨うやもしれぬ一片の恐怖が付きまとうはずなのだ。そんな姿を隠し、後ろに見せぬよう、精一杯を生きていると、そんな姿を、なんとなく感じている。
「さぁ、着いたぞ」
山の中腹、深緑に隠された建造物が姿を見せる。三人、この身を隠し続けるのには充分すぎる大きさだった。
尚、シズクはもう少し調べることがあるとのことでしばらく別行動という形をとった。カルトレア曰く、彼女も衛兵に引けを取らぬ魂の使い手である故に心配は無用だと語った。
見渡す限り、本で埋め尽くされた一面の壁。図書館と呼ばれるのに納得せざるを得ない世界が、建造物の中には広がっていた。その他、一通りの一般家屋と同じ構成を取った住処としての役割も持ち合わせているらしい。
「そういえば、君達の名前聞いてなかったな」
カルトレアは、問う。半日近くを共にして何故ここまでこの話題が出てなかったのか疑念が浮かぶが、まあ深くは考えないことにしよう。
「俺は、ライア=モルガナイト」
「私はココロ=ニアネル、です」
顔を見合わせるように。この先、どうなるかも分からない未来を共に待つ者同士。ここで、わずかな希望を願っていくのだろう。
「ライアとココロだな。今は不安しかないだろうが……大丈夫だ。私も、シズクも、できる限りの事はする。ここにいる間くらいは、安心して過ごしてくれ」
優しさに触れた。ただ、絶望の中に一筋何かが見えていたような気がしていた。それが段々と、形を作るように。カルトレアという人間が、まるで道標のように、希望へ導いてくれるような。
「……よし、じゃあ二人とも服脱げ」
「はい?」
唐突な、筋の通らない言葉。全く、ジョークとかそういうのではなく、生真面目な顔をしている。
「え、いやその……なんで………」
ココロは問う。当たり前だ。
「私が気付かないところに傷があったら、化膿していくかもしれないだろう」
至極真っ当な、正論が飛ぶ。衛兵として生きてきたからなのか、健康に対する考え方が人一倍強いのだろう。だが、逆も然り。少し、常識がずれている。
「で、でもその……」
ココロはこちらをチラチラと気にしている。そりゃそうだと声を大にして言いたい。
「なんだ、自分だけ脱ぐのは恥ずかしいか。それなら私も……」
「ちょ待カルトレアさん⁉︎」
収集がつかない。ザスディアは一人の少女から常識という概念を奪ったことを少しばかり反省してほしいものだ。
「特に深い怪我はしてないな。軽い消毒で大丈夫だろう」
「アッハイ……」
結局、カルトレアの論に反発する事などできず。辛うじてココロと順番を決め、片方が他の部屋へ逃げるといった感じで場は治った。あまりにも、恥が大きすぎる。
「あの……カルトレアさんこういうの抵抗ないんですか?」
「あぁ、最初は私も普通だったがな。ザスディアの衛兵には私一人しか女が居なかった。いつの間にか、慣れていたんだ」
軽く語られるも、なかなか恐ろしい。前世の世界なら一発で警察の案件だろう。
「カルトレアさんは、なんで衛兵に……」
これは、少し野暮ったらしいだろうか。だが、気になるのだ。というか、気まず過ぎて会話をしないと間がもたない。
「……私の魂は少し特殊でな。『起源魂』というものを知っているか?」
「起源魂?」
残念ながら、この世界の教養は本当に必要なものしか教わっていない。世間知らずでも、多少生きていける世界に甘えていたのだ。
「我々は生まれたとき、魂を手に入れるだろう。これは、死した人間の魂が新たな命に宿り、能力として生まれ変わる。こうして得られるものだ」
魂と呼ばれるのだから、何かしらの関連はあるだろうと感じていた。だが、そんなスピリチュアルな事だとは——
いや、よく考えたら自身は転生してここにいるのだった。スピリチュアルとか、今更だろう。
「そんな魂だが、ごく稀に別世界の人間の魂が宿ることがある。その魂の記憶を元に、こちらの世界にない要素を得た能力が生まれる。これが『起源魂』だ。私の魂は、それなんだ」
起源魂。恐らく、他の世界の文化を初めてこの世界に持ち込んだ、という意味故に『起源』なのだろう。誰も知らない力というのだから、それは強力な筈である。
「私の起源魂『青龍』は、三分後に起こりうる可能性をいくつかのパターンで見ることができる。人の動き、発言、生死、全てを掌握することが出来る」
「そんな出鱈目な力が……」
自身の、焔を操るとかいうどこにでもありふれた能力と比較する。本当に、なんなんだこの差は。
「この力を存分に使うとしたら、衛兵だと思った。だが、まだ力不足だったようだ。私は、多くの人を見殺しにしてしまったからな」
やはり、どれだけ偉大な雰囲気を醸し出そうと、そのうちに秘めるのは少女なのだ。そんな彼女は、とても大きなものを、自ら背負おうとしている。そんな気がした。
「カルトレアさん。俺も……力不足です。これで家族が死ぬの、二回目……で……」
一度目は、本当にどうしようもなかった。前世の母が死んだとき、何か出来たかと聞かれても、何も出来なかっただろう。
だが、二度目は。与えられた力を持ってして、何も出来なかった。不甲斐なさで破裂しそうだ。
「俺を……鍛えてくれませんか。ギガノスを潰すまでじゃなくても、せめて、家族の仇を取れるくらいまで……」