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がんじがらめの主人公

「アルヒラぁ!お()ェなんか、いつでもクビにできるんだからなぁっ!」


オーナーの唾はまるで散弾銃のようにモジャモジャしたひげの真ん中から放たれ、至近距離にいる俺の顔面に吹き付けられている。俺がそれを避けるように顔を背けると、彼の怒りはさらにヒートアップした。


「だぁれぇがっ、倉庫の材料勝手に食っていいって言った!えぇっ!?言ってみろ!」

「トマトが勝手に、口の中に、落ちてきて……」

「そんな言い訳、誰が信じるかよっ!このっ!」

「グァッ!」


オーナーの左の拳が振りかぶられ、殴られる、と思った時にはもう殴られていた。


「ちったあマシになったと思ったらすぐにこれだ……!クソッ、給料はまた当分上げねぇからなっ!」

「……そ、んな……」


オーナーは床を踏みしめながら店の中へと戻って行った。今俺にできることは、殴られた所を手でさすりながら涙目になることだけだった。


トマトの件は本当だ。レストランの倉庫で作業中に地震が起きて、上段に置かれていた箱が揺れ、そこからトマトが落ちて口の中に入ってしまったのだ。

ちなみに同様のことがこの1年で9回起きている。前回は人参、その前はキャベツだった。おかげでバルム王国の王都にあるこのレストランでバイトを始めて1年は経つのに、俺の給料は銅貨1枚たりとも上がっていない。


だが薄給だろうと暴力オーナーだろうと、決して不貞腐れたまま仕事には臨まない。真面目だ。その証拠にバイトは皆勤賞だ。


「い…いらっしゃいまふぇ……」

「だ、大丈夫ですか?顔が腫れてますけど…?」

「はは、は…」



ようやく仕事が終わった。少し冷たい夜風が腫れた頬を優しくなでてくれる。バルム王国の王都、街の中央に位置する広場。バイト代の入った袋をぶらさげ、ドボドボと水を吐き出し続ける噴水の近くを通りかかった。すると暗闇の向こうから人影が――。


「アルヒラさん!お家賃!」


その姿を見てがっかりした。俺が住んでいるオンボロアパートの大家だ。デカい帽子にギラギラしたネックレスなんぞ首から下げて、自分は豪華な屋敷に住みながら貧乏アパートの住人から小銭を集めて回ることに生きがいを感じているらしい。

どんな時間であろうと、バイトが終わり家に帰っているとどこかで必ず現れる。妖怪、守銭奴、カネの亡者。それらの呼称を俺は心の中で彼女に進呈していた。


「いや、今日は手持ちが…」


俺は嘘を吐いた。


「嘘おっしゃいなッ!その袋の中を見せなさいよ!」


もちろん、すぐばれる。


「ああっ…!」


大家は俺の布袋を取り上げ、中を覗きながらおカネをチョイチョイ拾い上げていく。


「銀貨が1枚とぉ……、銅貨がぁ、いち、にぃ、さん……」

「か、カンニンしてっ……」

「ふんっ、良かったわね。少しは残ったわよ」


大家は布袋を俺の足元にポイッと放り投げ、大きな身体をユサユサ揺らしながらどこかへと消えて行った。袋を拾い上げて確認すると、中には銅貨が5枚だけ入っていた。


「ご、5枚…」


銅貨5枚と言えばこの世界ではパンが2個ほど買える価値がある。しかし俺にはこれ以外に収入がない。だから食事は小麦粉を水で練って湯がいて作る団子くらいしか口にしていない。


…ゥギュルゥゥ……


先ほどからスタート直前のF1カーのような音を立てている俺の腹。体調不良と勘違いしてしまいそうだが、これはまごうことなき空腹だ。空腹なのはいつものことだが、決して慣れるものではない。ちょうど良いところに噴水の池の縁があるので、なんとなしに腰かける。こうやって腰を折り曲げると、多少は空腹を忘れることができるのだ。


この世界は自分に何をさせたいのだろう、と常々疑問に思っていた。

バイトのことを例にするなら、普通はここまで評価の悪い従業員ならさっさとクビにして、新しい従業員を雇えば良い。なのに俺は薄給ながらなんとかバイトを続けられている。オーナーが内心俺のことを可愛がっているなんてことはない。人員に空きはないのに求人情報が出されていることを俺は知っている。だが不思議なことに応募者は皆無なのだ。


不思議なことといえばほかにもある。さすがに俺も生活が苦しいのでほかの仕事を探している。しかし俺が職業紹介所に行くとほぼ臨時休業だし、開いていたとしてもなんと出ている求人は俺の働くレストランからのものだけなのだ。ほかにも、単発の仕事を探しにギルドに行くとなぜか冒険者の団体がやってきて依頼を全部かっさらって行く。


バイトは辞められず、給料も上がらず、ギルドで仕事も受けられない。ここまでくるとさすがに運命のようなものを感じてしまうが、その運命とやらはひたすら俺に現状維持を強いてきた。


俺の名前はアルヒラ。前世での名前は或平京太郎(あるひらきょうたろう)。ああもちろん転生者だとも。勇者?大賢者?魔王?そんなの俺には関係ない。


「だぁあーって、スキルとか魔法とか!ぜんっぜん!使えないんだモーンっ!」


俺は夜空に向かって吠えた。吠えながら涙した。


「お()ェ、そーんなところでなにやってるんだぁ?」


酒の瓶を抱えたオッチャンがフラフラと近寄って来た。身なりからすれば浮浪者というわけではなさそうだが、恐らく酒場からの帰り客といったところか。



「だぁあかぁらぁ、おぉれぇはぁ、ほぉかぁのぉ、世界にっ!居たのぉっ!」


俺はオッチャンに絡まれ、そのまま広場の噴水の近くで酒盛りをしていた。20歳にはまだ達していなかったが、この世界ではそんな法律もない。さらに言えば転生前でも酒はあまり好きではなかった。

ただもう、ヤケっぱちだったのだ。バイトも明日から3連休だ。


「へへぇっ、分かるぞーぅ。分かるっ!俺も昔は、自分の額に目ン玉があるモンと信じとったぁ!けどよぉ、そういうのなんて言うか知ってるかぁ?チューニビョーって病気らしいぜぇ」

「ぜんっぜんちがーうっ!俺は、本当にぃ、別の世界にぃ、居ぃたぁのぉっ!」



俺は捨て子で、小さな村の教会で育てられた。

大人になった頃、村での働き口がない、と言われてわずかな路銀を渡され村を追い出された。

それで王都を目指して街道を歩いている途中、不意に「くそぉ、電車ならあっと言う間なのに」なんてつぶやき、それから前世の記憶を思い出したのだ。


「それでよぅ、その目ん玉の力でぇ、囚われの美女をよぉ、助けるんだァ。そしてよぉ、その美女とよぉ……ッカァー!恥ずかしいなぁ!」


オジサンは額の真ん中をペシッと叩いた。恐らくそこに中二病の権化というものがあるのだろう。


「“第三の目”ってェ、そんなの、ベタ過ぎるってーのっ」


転生したからにはなにかあるだろう、と思っていたが、前世の記憶を取り戻して1年以上経つのにこんな毎日の連続。俺を転生させた神がいるとするなら、きっと俺は数合わせ程度のものだったのだろう。前世の記憶がある、というだけのただのイタい男だ。


(アン)ちゃん、知ってるかァ?お城の牢屋にはよぉ、美女が――」

「ちょ……オッチャン、悪い、吐いてくる……」


俺はそう言うと広場の隅っこに立つ掲示板の辺りに走った。許可など出した覚えもないが、ポンプが勝手に動き出したようだ。緊急事態は突然に。



「オr……(略)」


出るわ出るわ。自分でもびっくりするほどよく出る。そして涙も出る。涙が出ると悲しくなる。どんどん自分がみじめに思えてくるのだ。

レストランのオーナー、アパートの大家、それから酔っ払いのオッチャン。レストランの客を除けばこの3人が、俺が今日まともに接した相手だ。

虚しい。


地面に広がるキラキラしたものの匂いを感じると、またダイダル・ウェイブが押し寄せて来る。


「オr……(略)」


全部、全部出てしまえ。全部出したら空っぽになって、また一から始められるんだ、などと夢見る少年のように考えていた。


その時、ふと背中に温かい感触を感じた。それが優しく上下に動くたびに、俺のハートがキュンキュンときめいてしまう。オッチャンもういいよ、それ以上はアンタのことを好きになっちまう、そう思って振り返った。


「お、オッチャン、ありが――」


暗闇に立っていたのは酔っ払いのオッチャンではなかった。


アルコールと歴史ある男の香りではなかった。香水なのか花の香りなのか、とにかく良い匂いがする。背中に置かれた手の平が小さかったことにもその時に気が付いた。胸元に紋章入りのブレザー、ヒラヒラした短めのスカート、白いシャツの胸元には大きなリボン。


彼女はメガネを指で押さえながら、顔色をうかがうように言った。


「あ、あのっ……、アルヒラさん……ですよね?」


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