965:アジ・ダハーカ-1
「準備完了でチュかね?」
「ええ、準備完了よ」
金曜日。
私は『ダマーヴァンド』の全域を一時的な立ち入り禁止にした上で、噴水の前にやってきていた。
化身ゴーレムは製作済み、ドゴストの中にはザリチュのゴーレムだけでなく、アウタータブレットのような今回の戦闘のために作ったアイテム、それに『模倣の棺船呪』のための素材など、色々と入っている。
『路通しの薪』は既に使用済み。
『虹霓境究の外天呪』の鱗粉袋の容量は満タン。
私自身の調子はリアル含めて問題なし。
準備万端と言っていいだろう。
「では、行きましょうか」
「分かったでチュ」
「頑張ってくださいねー」
「ーーーーー!」
そして私はエヴィカとハオマに見守られつつ、噴水に手をかざし、ヤノミトミウノハの力を発動。
私とザリチュを呪限無の深淵へと……中層と深層の間に存在している徒労の領域を超えて、漆黒の何も無いような空間へと落ちて行く。
「で、改めて聞くんでチュが。勝算はあるんでチュか?」
「正直分からないわね。相手が相手だから」
落ちて行く中で私はザリチュと会話をする。
「でも、勝てると分かり切っている相手に挑んでも楽しくはないじゃない。誰も戦ったことがない、何処にも情報が出ていない未知の相手。そんな相手と真っ先に戦えるだなんて、プレイヤー冥利に尽きるとは思わないかしら?」
「その辺はちょっとざりちゅには分からないでチュねぇ。まあ、たるうぃらしいとは思うでチュよ」
「ありがとうザリチュ」
「うわっ、急になんでチュか。たるうぃ!? 気持ち悪いでチュアアアァァァァ!?」
「ありがとうだけど、そう言う事を言うなら抓るわ」
「もう抓っているでチュうううぅぅ!」
私は『虹霓境究の未知理』を発動し、周囲に自分の領域を展開する。
そして、その領域を化身ゴーレムやドゴストの中のゴーレムたちにも広げ、染み込ませ、私の状態にかかわらず『虹霓境究の未知理』の恩恵を受けられるように調整しておく。
「ま、少なくとも楽な戦いにならないのは確かね。第五回イベントの時にちらりと姿は見たけれど、相手の正確な大きさすら分かっていないわけだし」
「そう言えばあの時は相手の全身は見えていたでチュが、マトモな比較物は存在していなかったでチュね」
「ええそうよ。まあ、小さくないのは確かだけど」
「でチュね」
少しずつだが、周囲の空間から何か重たくて硬いものを、同じく硬いものにぶつけるような音が響き始める。
「「……」」
響く音は少しずつ大きくなり、私とザリチュは戦闘の態勢を取る。
「掘れ! 掘れ! 掘れ! それが世界より我らに与えられし命題である!」
ヤノミトミウノハの力による降下が終わった。
「掘れ! 掘れ! 掘れ! 世界の底に向けて突き進み、力を汲み上げるのだ!」
私たちの周囲に薄く虹色を帯びた空間が広がり、『虹霓境究の未知理』の範囲の外側に様々な光が灯る。
「掘れ! 掘れ! 掘れ! 大地に根差す我らは世界はまだ救われぬと告げている!」
その中で聞こえてきたのは、以前この場で聞いたものと同じ声。
「「「掘れ! 掘れ! 掘れ! 世界の救済が為に! 尽きぬ力を得るために! 未知なる領域へと至らんがために!!」」」
声の主の名は『心動力式世界救済機構界境掘削竜』アジ・ダハーカ。
その見た目を簡単に言い表すならば、三つ首の竜。
もう少し詳しく述べるのであれば、あらゆる色を混ぜ込んだ濁った黒の鱗を持ち、妖しい輝きを放つ金色の爪や角を持ち、全身から虹色の煙を上げ、背中からは地上に向けて幾万本のコードが伸びている。
対照物がないので彼我の距離は分からない。
しかし、数キロメートル程度は確実に離れているだろう。
「「「掘れ! 掘れ! 掘れ!」」」
そんなアジ・ダハーカは私が現れた事など気にした様子もなく、己の役割を果たすべく、目の前の空間を掘り続けている。
世界を救済するために、新たなる世界と言う新天地を目指し、何をしようとも徒労に終わるはずの領域を踏み越えて、世界の外へと飛び出すべく、世界の境界を掘り進め続けている。
その執念だけは認めてもいいかもしれない。
己の望みのために世界を使い潰しても良いと言う思想そのものは、私には否定しきれないものだからだ。
「折角だから先制攻撃をさせてもらいましょうか」
「ま、そうでチュよね」
だが私は、今ある世界の未知を見逃し、二度と手に出来ないようにしてまで、新たなる世界の未知を求めたいとは思えない。
もっと言えば、私一人が生き延びるために、他のすべて……未知を生み出してくれる素敵なものたちを犠牲にしたいとは思えない。
アジ・ダハーカは……自分と言う名の世界の為ならば、他の世界などどうでもよいと思っている。
その世界に存在している資源を浪費するだけで、新たな何かを生み出す事は無く、ただ退廃をもたらすだけの許し難い存在。
それだけはこれほどに距離が離れていてもよく分かる。
だから私はアジ・ダハーカに敵対し、狩る事を決めたのだ。
そして今、それを実行に移す。
「『竜息の呪い』、射出方法1……」
ドゴストが私の左手の先に移動する。
突起物が生えた球体と言う見た目から、小さくとも立派なドラゴンの姿に変化し、その口腔に虹色の光を蓄え始める。
「狂記外天:森羅狂象・序文-ルナアポクリフ:オルビスインサニレ・キューケン」
「ー!!」
光が放たれ、数秒経ってから、アジ・ダハーカの頭の一つを貫いた。